基本にして究極
翌日、ハジメはまた洞窟の外で、ミカと稽古することになった。
疲れはあまり取れておらず、身体のだるさを感じながら、ハジメは両足で地面を押し返した。
ミカへ斬りかかるだけで全身が筋肉痛だった。
日本で生きた17歳の少年が、金属の塊を何度も振れるような鍛え方をしていない。
それに、風呂がない。
水浴びはできるが、ここは寒冷地。それも難しい。
であれば、ミカを含めて不潔なのか?
「風呂は無いが『清浄』という魔法を使う」
異世界では、魔法がある。
魔法を使うには適正が必要だとされていて、強い魔法を扱うには。だが、適正がなくとも多少は扱える。
例えば、火起こしをする程度の火種。コップの量くらいの水。飲む水に入れられるくらいの氷。
それは生活魔法に分類され、適正が無くとも扱える。その中に『清浄』の魔法があるのだ。
「清浄の魔法は、身体についた汗や臭いの元になる不純物を除去する魔法。こう使うんだ」
ミカはハジメの手を握り、少し光ったと思ったら、身体を風が吹き抜けていくような感覚。
べったりとする汗や、衣服についた汚れまで消えた。
「そもそも平民は、魔力がそれほど多くない。君はそれなりだから気にせず使えるが、清浄の魔法を洗濯代わりに、贅沢に使う事ができる者は限られる。街に出れば、一日に一回使えればよい者たちばかりだろうな」
手を経由して魔法を使われたハジメは、なんとなく使い方のイメージが頭に浮かんできた。
「清浄」
改めて使ってみても、特に清潔さが上書きされる程度で、一度使っているから変化はなかった。ハジメは、次は泥に汚れたり汗まみれになったら、使ってみようと思った。
続いて、朝食を食べる。
「今日は、なんか新しい食べ物が出せるようになったみたい」
「是非、食べてみたい」
レトルトではなく、調理済みの総菜が解放されていた。
今日の朝食は、焼き魚とサラダ、そしてお米である。
「見たことない魚だ。身が赤い……塩気があって、この穀物によく合う」
「でしょ? 焼き鮭とご飯は、俺も好きなんだ」
「箸というのは、こう使えばいいのか?」
食器はスプーンとフォークを使っていたミカは、次の日には箸を使いたがった。一度見ただけなのに、ぎこちないが上手く使いこなし始めていた。
「上手いよ。初めてとは思えないくらい」
「今日は素振りと走り込みをする。筋力は魔力で強化可能だが、剣を持ち上げて平気な程度には鍛える」
昨日は新しく購入したベッドに二人で眠った。どうも、ミカはハジメで暖を取る方向で考えているらしい。
恥ずかしくて別々だと言ったが、寒いので近くで寝ようとミカが迫っていた。嬉しいのに嬉しくない冷や汗を浮かべながら、ハジメは寝つきの悪い夜を過ごす羽目になった。
肉体的に17歳というのも、性欲を持て余す年齢であり、二人が今後どのような関係になるかも気になる所である。
「外へ行こうか」
「分かった」
稽古の初日は、ミカへ斬りかかるという内容だった。振り方も握り方も、基礎が何もできてない状態だった。
「<創剣>」
ハジメはミカから貰った剣、色は違うが形状が同じ剣が手渡される。
「これは、刃が潰され斬れない剣。抜剣から練習するのに、それは斬れすぎるから」
鞘の色も違う刀。抜いて刃の部分に触れてみれば、丸く斬れないようになっていた。
「今日はまず、それを腰に下げた状態で走ってもらう。抜くのはその後だ」
「素振りとかしなくていいの?」
「振るも、抜くも、そもそも基礎が足りない。さらに持久力も筋力もない。後で素振りをしてもいいが、見てるから勝手にやりなさい」
それから、朝露が光る時間から、日が真上に上る時間まで走るよう指示された。ハジメの体感としては、異世界へ来てから三日ほど経過したが、日が昇る速度は地球での日本と同じに思えた。
「はぁ……はぁ……」
早々に、汚れるのも構わずハジメは地面へ横になっていた。
一時間も走り込んで、衣服が濡れるほど汗をかいていた。
横になると、地面から体温を奪われていく。ひんやりとして気持ちよく感じたのは少しの間だけで、徐々に寒くなっていく。
「清浄の魔法で、汗を飛ばさないと体温を奪われるぞ」
「清……浄……」
余裕が出てきて地面に座って休んでいると、ミカがそう言ってきた。
「もし素振りをしたいのなら、今しなさい。そして残りは、拠点へ戻ろうか。無理をしても意味はない」
「分かった……」
どうにか気持ちを奮い、両足で立ち上がる。
刃の無い剣に手を掛けて、ミカの指示に従って抜いてみる。
「素振りは、七日に一度くらい手本を見せよう。どうせ筋力が無ければ、教えた所でまともに振れない。それよりは振る筋力をつけてから、構えを修正していく」
目の前に、ミカが立つ。
同じ剣が再度、生み出される。その剣(刀)を両手で持ち、上段から下段へ振り下ろす動作をしていた。
「この剣の流派は知らない。であれば、私が教える事はひとつ」
何度も振り下ろす。最初はゆっくりと、軌跡が分かるように。次第に早くなり、風を斬る音が聞こえるように。
「剣の軌道を見なさい。私の剣は、寸分違わぬ場所を斬っている。上げる動作も、振り下ろす腕も、剣先も」
ハジメが見ている先で、ゆっくり振り下ろす際も、素早く振り下ろす際も、ミカの剣は同じ軌道を描いていた。
「独学の剣。旅先で剣の流派に触れることはあったが、その果てに得たのは己が理想とする剣筋をなぞること。想像した動き、同じ剣筋を通すこと。それが基本にして究極だと考えている」
「……」
「魔物を相手にするか、人間を相手にするか、大きい敵、小さい敵、蠢く敵もいて、それに有効な戦い方は教える。しかし、まずは想像した動きができる事が絶対に必要になる。横に薙ぐ、縦に斬る、下から斬り上げる、突く、捻る、溜めて斬る、浅く斬る、押しつぶす」
ミカは手本となる動きを見せていく。
「最初は、振り下ろすだけで良い。これを体に覚えさせる。その剣で脳天を叩けば、私以外の人間や人型の種族を相手にする分には、刃があれば斬れ、刃が無くとも頭が割れる。魔物相手だって、頭に重い金属の塊で叩けば動きは鈍り絶命も狙える」
ハジメはその言葉に従って、ミカの動きを意識するように剣を振る。
重心……体や武器を合わせた力の中心は、素人のそれ。剣を途中で止めようとしても、剣を手放してしまいそうな遠心力に、握るのが精いっぱいの様子だった。
「剣を使わないとしても、金属の棒を振るのは、何の武器を扱うにも必須の能力だ。槍か斧を使うとしても、それくらいの剣を振れるようになるのが、最低条件だと思いなさい」
「分かった」
「怪我をしたり、痛みがあれば治療魔法がある。私には適正が無いので最低限しか扱えないが、腕や肩を痛めても治療する事はできる。すぐ言いなさい」
「そうする」
「それと稽古の時は『はい』と短く答えなさい。余計な事に意識を割かなくていい」
「はい!」
この日、ハジメは五十回くらい素振りをした。
――全身の筋肉痛で、翌日は立ち上がることができなかった。
普通の人が百年未満しか生きない世界で剣に千年以上かけたとしたら、その狂人は何を目標に剣を降るのか。
剣を変え、想定を変え、技を変え。
魅せる剣、見せる剣、殺しの剣。
きっと一通り極めたはずだ。
人間からドラコン、魔物から神、全ての敵に通用する必殺技など思い付かない。
であるなら、ただ斬るを極めた先にあるものは何か。
剣の道も術も、格闘技すら知りません。
弓を少し触っただけの武芸未満。
筆が多少動くだけの未熟者。
そんな私が考える究極の「斬る」を見せたい。




