異世界の料理
サイトウ・ハジメは悩んでいた。
異世界には、電子レンジが存在しない。
スキル経由で、お金と引き換えに『地球の物品』が取り寄せられるとしても、あまり凝ったものが頼めるとは思えなかった。
『ネット通販 残高:金貨2080/銀貨45/銅貨50
・食品Lv1
・書籍Lv1
・映画Lv1
・家具Lv1
・武器Lv1
・防具Lv1
・(ロック中)
・(ロック中)
・(ロック中)
ETC……
』
火は使える。
「ミカさん、水って使える?」
「水を出す魔道具がある」
部屋を見渡すと、鍋は小さめのものがある。
スキルで『食品Lv1』から選べるものは、つい数時間前に食べたポップコーンなどの袋のお菓子、レトルトや冷凍食品などだった。
「鍋と、パックご飯、二人分の食器……あとは、これにしようか。鍋に水をください」
ハジメが選んだものは、湯煎して食べられる食品。
たった今購入した大き目の鍋を用意して、暖炉の石板の上に置くと、ミカがそこに水を注いでくれる。
空の瓶のような道具をカバンから取り出し、何か光ったと思ったら、中に水が満たされていた。
(これが魔道具なのか)
初めて見るものに心の中で密かに興奮しながら、ハジメは鍋の水が徐々に暖かくなるのを眺め、購入した食品を投入していく。
「これは肉なのか?」
沸騰してから10分、ハジメは火から鍋を離すと、机の上にそれを置く。
机といっても、木材から掘り出されたような形をしていて、この家の家具はどれもそんな見た目をしている。
(異世界では、これが標準なのかな)
どこか落胆した表情を浮かべるミカに、ハジメは火傷しないよう注意して、中身を取り出す。
鍋と一緒に購入したお玉を使って、ちょっと手間取りながら、お湯からパックのライスとおかずを取り出した。
「これは、レトルト食品って言うんだ。俺のいた世界の、保存食みたいな感じ」
「ほう」
まずは、ライスの包装を取りだすと、白く輝くお米の粒が湯気をあげる。
「良い匂いだ」
ちょっと期待したような表情を見せるミカを横目に、今日のメインを張るおかずを開けるハジメ。
熱を通した醤油の香り、甘い味を連想させるトロトロの肉。
目の前の女性が、喉を鳴らすような気がして、ハジメは思わずニヤリとする。
「これは、豚の角煮って言うんだ」
多くの説明はいらないだろう。ハジメは、銀色の食器をミカへ渡す。
自分自身は箸を持ち、プラスチック製の容器に浮かぶ茶色の肉の塊へ、そっと力を込める。
油身の断面は、まるで溢れ出す肉汁の暴力によって、口の中は食べる前から唾液で一杯になる一品。
「……!」
驚いた顔を見て、ハジメはこの選択が失敗ではない事を確信した。
味わうように咀嚼するミカは、続いて穀物の方へ興味を向ける。
「ミカさん、この切り取った肉を、お米に乗せて……」
ハジメは箸で器用に、一切れの肉をライスに乗せて、それを一緒に口の中へ入れる。
見よう見まねで、スプーンですくったミカは、白いライスを口に入れた。
「お米……それ自体はこちらにもあるが、こんなにも美味しくは無いぞ」
胃袋を掴む。
ハジメはそれを意識した訳ではないが、異世界転生の物語で、地球の食品で現地の異世界人を虜にする作品は、たくさん知っていた。
それが、あながち間違いではないのかと、目の前の女性を前にして実感していた。
(次は、何を出そうかな)
以降は黙々と、そして購入した角煮のパックは4パックもあったので、それぞれ2パックずつを食べてしまった。
前日から、大したものを食べてなかった二人は、夢中でライスと角煮を行ったり来たりしていた。
「ミカさんは、甘い物は好き?」
「苦手ではないが」
ある程度のところで、ハジメはアイスクリームを選ぶ。
棒のついた、チョコでコーティングされたアイスクリーム。
実は、スキル『ネット通販』というのは、その場で食品が届くように思えるが、食品の輸送には『手数料』がかかり、実際の金額より二倍となっていたのだが、ハジメは気づかなかった。
ただ、初期の手持ちのお金から、ミカが支援したお金があったので、それを実感するような金額だと思っていなかった。
「甘く、冷たく、美味しい……」
ハジメが、アイスクリームの包装を剥すと、真似するようにミカも包装を剥く。
硬い食感で、パリっと音が鳴ると、中からバニラのアイスがねっとり冷たく口内を流れていく感覚。
「どうだった?」
「すごく美味しかった」
どこか、口調が柔らかくなったミカは、アイスに夢中で二個目へ食いついていった。
ミカは無言で、ただ
「明日のことは、明日考えよう。どうせ時間はたくさんある」
歯磨きをし、トイレは洞窟から出て壁面から掘り出したような個室。雨水が入らないよう段差あり、鋭く四角に抜かれた底の見えない穴、燭台が置ける棚がある。
どこか、全体的に神殿を思わせるような、鋭利に切り抜かれた石造り、木造の建物に、日が暮れて夜になると不気味な雰囲気が漂っていた。
「じゃあ、寝ようか」
その後、なぜかミカと同じ布団で寝ることになったハジメ。
悶々とした夜を過ごした少年とは対照的に、ミカは静かに寝息を立てて無警戒だった。
「寝具もあるんだね。これ購入していいか?」
「昨日、買えばよかったね……」
翌日、ミカはハジメのスキルで購入できるものを眺めていた。
特に興味を示したのは、映画と刃物、木刀を一本だけ購入して振り回していた。
「今日から剣を振ってもらう。あの剣を出せ。稽古をつけよう」
「分かった」
ハジメが一日ちょっとミカと一緒にいて分かったことは、このエルフの女性は、あまり言葉は多くなく、思い立ったら速攻で行動に移すような、気まぐれな人だということだった。
ゆったり過ごしていたと思えば、木刀を振り回したり、映画を見ていたと思ったら、ハジメに稽古をつけるという。
「貸して」
ハジメはミカに貰った剣をアイテムボックスから取り出す。念じるだけで、異空間にある剣は実体化される。
それを受け取ったミカは、撫でるように鞘から抜いてハジメに持たせる。
「私を斬ってみろ」
「え?」
「切れ味は良いぞ。素人でもそこの木を倒せる。やってみるか?」
背後にまわり、手取り足取りで真横にあった頑丈な木に押し付けると、豆腐に包丁を入れるかのように刃が入っていく。
「ぇぁ」
構えを取らされるハジメ。
真正面に立つミカ。
「振り下ろせ、私に」
「無理ですよ!」
手が震えても、フィクションのようにカチカチと鳴るような、安物の剣じゃない。押し付けただけで木が斬れる剣を、見目麗しい女性に振り下ろせそうにない。いや、荒々しい野蛮な男だとしても、振り下ろして平気な日本人はそうそう居ない。
「大丈夫。君に殺せるくらいなら、私はこの世界で数千年も生きていない。この世界には、どんなに瀕死でも生き返える秘薬もある。とても貴重なのだが」
寝る前に、ミカが数千年を生きるエルフだと聞いた。人肌の温もりが分かる距離で、昔話を聞かされた。
ミカが、腰のベルトにある小さなポケットから、澄んだ青の小瓶を取り出して地面に置く。
「ここには、殺せる相手はいない。まず、人型を相手に刃物を振れるようにする。それが最初の稽古。力を込めて握りなさい」
息を飲む。
するとミカは、半袖の腕を伸ばして斬りやすく示す。
指で関節の部分にすっとなぞる。
「その剣ならどこを斬っても変わらないけど、普通の剣の切れ味なら、骨の間を斬らないと痛いんだ」
「……」
青白くなるほど強く握るハジメ。
まるで映画の感想を語るような気軽さで、人を斬ったり斬られたりのレビューをするミカ。
「っ……できません」
「この世界は、君の世界ほど安全じゃない。二ホンだと丸腰で夜間に治安の悪い場所を歩いて、五体満足で帰れるのだろう? こちらなら、夜にスラムを歩けば身ぐるみを剥され、バラされ魔物の餌にされる」
「……」
「私は死なない。それを信じて振り下ろしてみなさい」
腕を上げ、目を閉じて力を込めるハジメ。
「目を閉じるな。狙いを外すぞ」
「ぅぅ……」
薄目を開けて、歯を食いしばる。そして力を込めて振り下ろした。血が出るを見るのが怖くて、目を閉じてしまった。
目の前で人が動く気配がした。
手応えがあった。
目を開けると、ミカは首を傾け首元をさらしていた。
肉に食い込む手応えで、骨に当たって止まった刃が見えた。
「あっ……あぁ……」
「危ない」
手から剣が離れて落ちた。刃が滑ってするりと落ちる。
ミカの服が裂けて、右胸が見える。ズボンの留め具が斬られて、ほぼ全裸になってしまう。
ハジメの目から涙が溢れてきた。
「よく頑張ったな」
抱きしめられる。柔らかく、甘い匂いがして、ハジメはそこで、目の前の女性の無事に傷をつけたのではないかと、正気に戻らされた。
「ミカさん! 大丈夫なんですか……っっ???」
気付くと剣が鞘に納められていた。
そしてほぼ全裸に近いミカを見て、また気が動転しかけた。
「ほら、見てみろ。剣は首に落ちたが、傷はないだろう? そこから滑って落ちたが、どこかに傷でも見えるか?」
確認しろと、目線で訴えかけてくるミカに、思わずみてしまったハジメだが、下着もない白い素肌を見て、美しさで固まってしまう。
「ほら、手で触れてみろ。傷はない。大丈夫。分かったか?」
「あっ」
涙など吹き飛んでいた。
しなやかな柔らかさに、興奮しそうになる自身を必死に抑える。
そして心配した内容を思い出して、首筋に触れて傷が無いことを確かめる。手汗が気になって、すぐ手を引っ込める。
「言い忘れてたが、私に刃物は通らない。昔、剣の切れ味を片っ端から自分で試していたら、剣では斬れない身体になった」
もちろん、わざと言わなかった。
人を斬る経験、殺す経験。
そういうのをさせる目的があった。
「すまない、怖かったな。だが……これで遠慮なく、剣を振れるだろう?」
「恥ずかしいので……そろそろ隠してください」
「ああ、そうだったな。見苦しかったか?」
「ぃぇ……(美しかったです)」
ミカは、少し離れた場所に置いてあったミカの肩掛けバックから、代わりの衣服を取り出して着替える。
「さて」
ミカは振り返ると、木刀を握りながら、鞘に納めた刀風の剣をハジメに放り投げて渡してきた。
「今度は捨てても良い服を着ている。存分に切りかかってこい。躊躇えば叩く」
――結局、ハジメは何度も木刀で叩かれたのだった。
「人型を相手に、躊躇いなくなるまで。私に斬りかかってもらう」
剣を振れた回数も三十回くらい、それ以上は腕が震えて危険と判断したミカのストップがかかった。
こんな稽古をつけるのは、異世界といえどミカしかいないが、人を斬るのにこれ以上の経験はない。
出会って一日くらい、それでも異邦の地で、親切にしてくれる美少女(年齢はともかく外見は少女)に斬りかかれるのなら、他で躊躇うような事はなくなるだろう。
そして斬れなくとも、肉に当たる刃の感覚は少年の脳に強く刻まれた。
直後の恥ずかしさと、ミカの女性らしさを意識したことで、人を斬るトラウマを無理やり乗り越えたのだった。
それで人が殺せるかはともかくとして、斬りかかる事への最初の一歩は踏み出すことができた。
・スキル通知『ネット通販』
使用金額・利用回数に応じて、機能が解放されました。
生鮮食品(肉)、フードコート機能(ラーメン・お好み焼き)が解放されます。
(それまでの食料品は、インスタントやレトルト、袋菓子や冷凍食品しか購入できませんでしたが、制限が解除されます)
次回予告、条件解除するとシアターモードが解禁されます。
(次回、明日18時予定)




