雨音と、肩が触れる距離で
異世界から来た少年は、肩が触れる距離にいる美少女に、胸の鼓動が高鳴っていた。
異世界転移で神より授かったスキル。
ネット通販と、それを扱う「タブレットPC」というスキルで、食べ物や物品を得られるのだ。
「ミカさん、近すぎませんか?」
「嫌かな?」
今、タブレットPCを二人で覗き込んでいる。
タブレットPCはハジメが手に持つ必要があり、彼女がお金をハジメに渡して購入したのは、まさかの映画だった。
タブレットの画面にお金をかざすとスキルにお金がチャージされ、異世界の通貨の単位で、地球の物品などを購入できるスキル。
「ん」
見ているのは、居合いと極道みたいな時代劇。盲目の剣士が、悪党を切り裂く物語だ。
今は雨が降っており、ミカの持つマジックボックスに入っていた一人用の野営道具、テントみたいなそれに、二人で雨宿りしているのだ。
ハジメは前日、異世界転移した。
自己紹介してすぐに気を失うた。
目を覚ますと、隣に美少女が眠っていた。
(距離感がおかしくないですか?!)
ハジメは年頃の男である。
こんな距離感で接されれば、気の迷いを起こすことだってあり得るのに、初対面でこの距離感は、異世界で普通のことなのだろうから。
すごく良い匂いがして、頭がくらくらする。
「あの、やっぱり近すぎませんか?これが、この世界の普通なんですか?」
「静かに、今いいとこだから」
「……っ」
異世界の映画なのに、ミカいわく音声は翻訳して聞こえているらしい。
肩から感じる温もりは、女性耐性の無いハジメには、かなりクリティカルヒットしていた。
実のところを言えば、ミカは別に男にベタベタするタイプではない。
しかし、久しぶりに人と接して人恋しさがあったのと、ステータスで「剣神の悪戯」とある通り、わずかに親しみを感じるよう印象操作の効果があったのだ。
もちろん、実はミカはその効果を受けるほど弱くないのだが、知り合い(剣神とは殺し合う関係)の思惑にあえて乗ったのだ。
いかにも純情そうな少年には申し訳なかったが、悪い奴ではなさそうだし、エルフ的な時間感覚で十年くらいは共に旅をする予定でいたので、距離を詰めて親しみを与えるのも悪くないと思ったのだ。
ちなみにハジメの知るよしの無いことだが、ミカは誰かと男女の関係になった経験はなく、娘というには歳を取りすぎているものの、生娘であった。
しかし、肌が触れた程度で恥じらうには長い歳月を生きすぎており、無闇に肌を晒すような非常識はなくても、仮に今さら見られたところで感じる羞恥心など持ち合わせてもいなかった。
過去に従軍経験もあり、一刻を争う着替えに同僚たる男性が近くに居たこともある。
話はそれたが、ハジメ少年の純情を弄ぶエルフには、桃色の感情は欠片もなく、映画の中の剣劇に夢中だった。
例えそれが、魅せるだけの演舞であっても、ある意味では初めて知る剣の流派の一端を求めた故である。
それと、単純に世の中に娯楽が少なく、異世界の映画を楽しんでいた。
「面白い。この剣は買えないのかな?」
「刀の事かな。多分ないと思いますが……いや、あった。帝国金貨30枚、古代共和国金貨なら3枚って書いてあります。どうします?」
「私に敬語はいらない。あとは名前も呼び捨てでいい」
微笑みながら、間近で視線を向けられると、ハジメの心臓は鼓動を速めた。
「ハジメ、教えておく。帝国金貨、それは今の世で流通する一般的な金貨で、一定の金の含有量が認められれば、他国の通貨でも帝国金貨と等価と見なされる。古代共和国金貨というのは、800年前くらいに流通した金貨で、単純に大きさが10倍、金の含有量が10倍の古い通貨のことだ」
金貨1枚で銀貨100枚、銀貨1枚で銅貨100枚。
平民の収入は、月に帝国金貨2~3枚だという。
「ただ、最後に人里へ寄ったのが50年前だから、相場が変わってる可能性があるけど」
ハジメは、50年という単位に驚いてミカの顔を見る。
「ミカさんって、年齢どれくらいなの?」
「ミカでいい。歳は……2000より先は数えてない」
ミカは軽く、エルフについて説明をした。
エルフは長命種であり、寿命は個体差はあるが、長い場合は数千年は生きるという。
エルフは筋力が付きずらく、弓や魔術の適性を持つ者が大半であること。
食事は菜食主義の者が多い傾向はあるものの、通常の人類と同様に雑食であり、ミカは何でも食べるらしい。
「ポップコーン食べる?」
試しに、映画繋がりでポップコーンをネット通販というスキルで購入すると、即座に容器とともにポップコーンが召喚された。
それをミカがひとつまみしてみると、気に入ったのか、ぽつぽつと食べていた。
「ん。これ美味しいな」
神が用意してくれたのは、ハジメのスキル『アイテムボックス』という空間魔法の中に、金貨2枚が入っていた。衣服などは、着衣済みのものしかなく、着替えなどは無かったものの、この金貨で食べ物や衣服をネット通販で購入しろということなのだろうか。
閑話休題。
「ハジメのスキルの中で、これとこれ……あとこれは、誰にも言わない方がいい。あとは、流れで私が見る事になったが、通常はよほど信頼を寄せる人物だとしても、スキルや称号は他人に見せてはいけない」
「分かった」
ミカは鑑定スクロールによって書き写されたハジメのステータス、『アイテムボックス』『ネット通販』『不老』というスキルを指さして、誰にも口外すべきではないと言った。
特に、エルフなど種族特性ならともかく、人間でありながら寿命が長いと知られたら、権力者に殺されたり、女性であれば誘拐されたうえで子を成す道具にさせられ、男なら殺される可能性が高いという。
元々が長命種は子供を授かりにくい特性があり、更に異種族との間ではさらに子を成せる可能性は下がる。この世界には、寿命が異なる異種族とのハーフというのは、ゼロではないが皆無らしい。
ただし、寿命が近い場合にはその限りではない。
獣の特徴を持つ『獣人』は人間との寿命差が少なく、ハーフ種族といえば、人間と獣人との間に生まれるのがほとんど。
何が言いたいかといえば、亜人の一部、エルフや吸血鬼、半精霊(人型)などは寿命が長くとも権力者から露骨に狙われるリスクは少ないものの、人間のまま長寿となると狙われるのだという。
それに、長命種は個人同士の争いには介入しないし、個人が殺されても問題になる事はないものの、種族を根絶しようとするような姿勢を見せると、数世代に渡って国が亡びるまで執拗に攻撃を仕掛けてくるようになる。
「特に人間のスキルは遺伝しやすい。それが有用であれば、権力者から狙われやすくなる。大人しく言いなりになれば生かされ、抵抗するなら殺されやすい。ただし、命を狙われても跳ね返せるほど強くなれば、知られても問題はなくなる」
ミカは、ミカが持つ白い肩掛けバック、蒼い刺繍が描かれた上品なそれから、金貨を何枚か取り出して、ハジメの持つタブレットへ投入していく。
その刺繍には、広葉樹の葉と、それに刺さるよう剣が交差して描かれた紋章となっていた。
「これはマジックバック。ハジメの持つスキル『アイテムボックス』よりは劣るけど、誰でも空間属性の魔法を扱う事のできるアイテム。主に商人の輸送に使われたり、容量の大きいものは国が管理して軍隊の兵站に使われたりもする。まあ、これは国宝級……だけど」
操作方法を覚えたのか、ミカは異世界の商品から『映画』を選び、指先でスクロールさせながら次に見る作品を適当に選んでいく。
船か……?とつぶやきながら、某宇宙戦争を題材とした作品を購入していた。
「このマジックバックは、もう千年くらい前、とある国に従軍していた時期がある。そこで騎士団総長という役職に就いた際に、国王から下賜されたの。まあ、国土を広げすぎた結果、内乱と反乱によって勝手に滅びてしまったのだけど」
ミカはその当時、最強の騎士団として諸外国の戦場を荒らしまくっていた。
王族には、これ以上の欲は自らを滅ぼすと何度も注意したが聞き入れられず、ミカが首都から離れすぎた国境に軍を動かしている最中、反乱勢力と反戦貴族による斬首作戦によって王国は滅亡。
「あ、これも剣なのか?」
雨によって、寒さを感じるくらい外気温が下がっていたのに、ハジメの腕にはミカが絡みつき、柔らかな感触に顔が熱くなっていた。
(出会ってから、まだ1日しか経ってないよね!?)
ハジメは気づいていなかったが、ミカがハジメの至近距離にいる明確な理由があった。
映画を見たり、ハジメのスキルを経由してミカが映画を購入するには、肩が触れたり腕を絡ませるほど接近する必要があった。
そして、寒さ。
必要があるのなら、人肌で温もりを得ても良いだろうと思ったのだ。
ハジメが現在いるのは、標高が高く人里から離れており、時期も冬に近く、普通であれば人間が近づくことの無い秘境に分類されていた。ミカは定期的に、人間の居ない未開の地へ、数十年くらい山籠もりをする。
本当は拠点とする洞窟もあったのだが、ハジメが気を失って、移動させるには距離があったから野営地を作ったせいでもある。
雨だと火の起こりも悪いので、体温を奪われない合理的な判断でもあるのだが、ミカは人間の感情の機微をそれほど気にしないが故に、この状況に至っている。
――その状況を、天から見る者がいた。
「ふむ。こいつ、こんなに色気のある奴じゃったっけ?」
剣神。
剣の道を司る神は、ハジメを異世界に送り出した神である。
神は分身をたくさん生み出し、複数の世界を管理する上位の存在である。
本当はハジメを担当するのは、輪廻転生を司る神だったのだが、それが忙しかったので暇だった剣神が窓口となって対応をした。
「……」
剣神は思わず、首を撫でる。
そこはかつて、分身である自分が、とあるエルフに切り裂かれた場所である。
ハジメの持つ『剣神の悪戯』は、わずかに剣姫に対する幸福感を増長させる、ある意味で媚薬効果を持たせた。
しかし、剣神は奴にそれが効くとは思っていない。
なぜなら、創造神によって生み出された被造物、ただの地上を這うだけの存在が、神へ一撃を加えて撃退したのだ。
剣神は数百年前、神の世界の抽選に選ばれ、定期的に『神の威光を見せる』という役割を演じた。神が力を使えば、どれだけ善い神であっても、地上の被造物にとっては劇毒のごとき効果を発揮する。
剣神であれば殺し合いが生まれる。
戦神であれば世界規模の争いが起きる。
豊穣神なら実りがよくなり人が増えすぎ、いずれそれを抑止する疫病や資源戦争が起きる。
氷の神、炎の神、水の神など、神の種類は多岐にわたり、周期も数十年から数千年と、これは創造神の気まぐれだったりする。
神の現界には限りがあるので世界が滅びる前には、天変地異こそ収まる。
(稀に、神に至る被造物が現れる事はある)
それは人間の魔導より発生した魔導神、あるいはもっと別の世界において、機械神という機械から生まれた神が存在する世界もある。それらは、生前の人間や亜人、被造物のさらに被造物から生まれた概念によって発生することもある。
だが、剣神になるのであれば、剣神の座はミカに移ろうのだろうが、その兆候を感じない。
剣神には、自らの後継となる人格が現れれば、知ることができるが、そうでもない。
ミカ・ウェルカーヌスには、神の力を感じない。
であれば死後、肉体が朽ちて死に、神に至る事もあるが、地上にいる限り彼女を殺せる奴がいるのだろうか。
もちろん、人類種は糧となる食料を絶てば餓死するし、病気になって唐突に死ぬ可能性もある。
剣神はミカへの興味から、時々だがミカ・ウェルカーヌスを観測して暇つぶしする事がある。
「わしに未来は見えないが…………ん?」
ちらりと、遠距離を映した魔法鏡(魔法の鏡)の先、ミカ・ウェルカーヌスが剣神を見ていた。
そして寒気がして、急いで魔法鏡の映像を止める。最後に見た瞬間、剣に手を掛けていたが、視線が通る場所というのは魔法的な間合いに入ることになる。神同士の遊戯、あるいは争いにおいては、その駆け引きを間違えれば命を削られることになる。
(うわぁ……)
剣神は心に決めた。
次見る時は、もっと概念防壁を重ね掛けして、気付かれないようにしようと。
(次回、明日18時予定)




