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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

露子

作者: 梅の木
掲載日:2025/10/30

R15としております。

読み手を選ぶ内容かもしれません。

ご了承ください。

京都・桂家。五百年続く土地持ちの名家は、古都の象徴のように重厚な佇まいを見せていた。

その一人娘、桂 露子は、幼いころから「お嬢様」と呼ばれて育った。庭の梅が咲くころには茶道の稽古に出かけ、夏には浴衣で舞踊を習う。まっすぐに伸びた黒髪と白磁のような肌は、彼女の存在そのものを清らかに際立たせていた。


春。高校入学を目前にしたある日、父の口から持ち上がったのは政略婚約の話だった。

相手は東京の財閥・桐生家の三男、桐生三郎。端正な顔立ちに加え、都会的な空気を纏った青年である。


「桂家と桐生家。互いの業務を提携するにあたり、婚約は最も堅実な手立てであろう」

父の言葉に、露子は小さく頷いた。彼女にとって結婚は家のための務めであり、まだ恋を知らぬ心に反発は芽生えなかった。

だが――三郎にとっては違った。



三郎にはすでに心を捧げた人がいた。

ララ。中学時代から共に過ごし、貧しさの中でも懸命に生きる少女。笑えば陽射しのように周囲を照らすその存在は、三郎にとってかけがえのないものであった。

「政略の婚約なんて、時代錯誤だ。俺にはララがいる」

そう親に抗議したが、父の冷酷な声は揺るがなかった。

「別れろ。財閥の三男が、場末の娘など連れて歩けると思うか」


――けれど、時代錯誤だと切り捨てたはずの婚約相手が、想像以上の存在感を持って現れることを、彼はまだ知らなかった。



私立・鳳凰学園。都内屈指の富裕層の子女が集う学校。

桜が散り始めた四月の朝、校門をくぐった露子は、たちまち周囲の注目を集めた。

しとやかに歩を進める姿、淡い藤色のリボンを結んだ制服。京都から来た「桂家のお嬢様」は、その一挙手一投足が品格に満ちていた。


初めて言葉を交わしたのは、入学式から数日後のこと。

「あなたが……桂露子さん、ですね」

声をかけたのは三郎だった。

「ええ。桐生三郎様」

互いに深々と会釈を交わす。形式的で、少しよそよそしい挨拶だった。


だが時間が経つにつれ、露子は気づく。

――彼は、ただの「財閥の御曹司」ではない。


授業の合間、ノートを貸してくれたり、落ちたペンをさりげなく拾ってくれたり。ほんの小さな所作に、三郎の誠実さがにじんでいた。

彼の笑みは決して華美ではない。けれど、不思議な温かさを持っていた。


一方の三郎もまた、露子の姿に心を揺さぶられ始めていた。

昼休み、校庭の片隅でひとり本を開く彼女。静かに指先でページをめくり、ふと風が髪を乱すと、そっと耳にかけ直す。その何気ない仕草に、胸が高鳴った。

(どうしてだ……俺にはララがいるのに)


近づいてはいけない、と頭では分かっていた。けれど心は、彼女を追っていた。


春から夏へ。季節が移り変わるごとに、二人の距離は少しずつ近づいていった。

文化祭の準備で同じ班になったとき、露子は率先して意見をまとめ、控えめながらも芯の強さを見せた。

「桂さんって、思ったより……頼れる人なんだな」

「そうでしょうか。ただ、皆が気持ちよく動けるようにしたいだけです」

小さく笑ったその顔に、三郎は言葉を失った。


またある日、雨に降られた帰り道。

三郎が差し出した傘の下で、二人は肩を寄せ合った。濡れた制服の袖が触れ合うたび、心臓が跳ねる。

「……ありがとうございます」

露子の声はかすかに震えていた。


その夜、露子は机に向かっても勉強が手につかなかった。


(どうして……あの方のことを、考えてしまうのかしら)


三郎もまた、ララへの想いと、露子への新たな感情の狭間で苦しんでいた。

「俺は……何をしてるんだ」

ララの笑顔を思い浮かべながらも、脳裏には露子の横顔が浮かんで離れなかった。


やがて、夏が訪れる。

学園のプールサイドで、仲間たちと笑い合う露子の姿を遠くから眺める三郎。

白いワンピースに包まれた彼女は、陽射しの中でひときわ輝いて見えた。

そしてふと視線が合った瞬間――露子は驚いたように目を見開き、すぐに視線を逸らした。


胸の鼓動が止まらない。

互いに言葉を交わさなくても、その心の奥底に芽生えた「揺れ」を、二人は確かに感じていた。


やがて、夏が訪れる。

学園のプールサイドで、仲間たちと笑い合う露子の姿を遠くから眺める三郎。

白いワンピースに包まれた彼女は、陽射しの中でひときわ輝いて見えた。

そしてふと視線が合った瞬間――露子は驚いたように目を見開き、すぐに視線を逸らした。


胸の鼓動が止まらない。

互いに言葉を交わさなくても、その心の奥底に芽生えた「揺れ」を、二人は確かに感じていた。




夏の終わり、学園の噂は一瞬にして広がった。

――ララが妊娠した。


その知らせは三郎を震え上がらせた。

「本当に……?」

「うん。お医者さんにも言われたの」

ララはか細い声で告げる。その瞳には、希望と不安がないまぜに浮かんでいた。


だが現実は非情だった。ララは十七歳。身体はまだ出産に耐えられず、やがて流産という悲劇に見舞われた。

泣き崩れるララを支えながら、三郎の胸には深い傷と、言葉にできぬ迷いが広がっていった。


その噂は露子の耳にも届いた。

「桐生様……」

夕暮れの教室で彼女は初めて感情を露わにした。

「あなたがどのような事情を抱えているか、私には分かりません。ただ……私に隠していたこと、それが何よりも……残念です」


冷ややかに聞こえる声。だが瞳の奥には、確かな失望があった。

三郎は胸をえぐられるような痛みを覚えた。

(俺は……なぜ隠してしまったのだろう)


ララの存在を巡り、両家は騒然とした。

「ララという娘は愛人として扱えばよい。婚約は予定通り進める」

「桂家には負担をかけぬよう取り計らおう」

桐生家の親族は、冷徹に処理しようとした。


桂家もまた、娘に「耐えること」を求めた。

だが露子は毅然と声を上げた。

「私は……政略婚約を見直したいのです」


その一言は、保守的な親族たちを驚かせた。

父母は娘を守ろうとしたが、周囲の圧力は大きかった。

一方で三郎は、露子の決意を「自分を追い詰めるためのもの」だと勘違いした。

「結局、君も同じなのか。俺を利用するために」

その言葉は、露子の心を深く切り裂いた。


高校卒業の春。露子は留学を選んだ。

「自分を見つけるために、異国へ行きたいのです」

母は涙を浮かべたが、その決意を止めることはできなかった。


パリの石畳を歩く露子。言葉も習慣も違う土地で、最初は孤独に押し潰されそうになった。だが彼女は毎日必死に学び、少しずつ世界を広げていった。

舞踏会で着物を着て立つと、その気品は異国の人々の目を奪った。

その名はやがて社交界でささやかれるようになる。


少女から大人へ。露子は、痛みを抱えながらも洗練されていった。


そして、婚約者のことを忘れた頃、実家より、婚約解消の連絡があった。情勢が変わったのかもしれない。



二十二歳の春。露子は京都へ戻った。

幼さを脱ぎ捨て、背筋を伸ばし、淡い色の着物を着こなす姿は、誰もが振り返るほどに凛としていた。



やがて、桐生財閥が主催する晩餐会。

煌めくシャンデリアの下、露子が入場すると会場がざわめいた。

その場に――桐生三郎もいた。


彼は以前よりも逞しく、都会の空気を纏った男へと成長していた。

「……露子」

「ご無沙汰しております、桐生様」

淡々とした一礼。だが三郎の胸はざわついた。


その夜、何度も彼女に声をかけようとしたが、露子は冷ややかに距離を保った。

別れ際に告げられた言葉。

「どうぞ……お健やかに」


その一言が、三郎の心に深く突き刺さった。


晩餐会の後、三郎は眠れぬ夜を過ごした。

ララとの関係はすでに限界を迎えていた。執着にすがられる日々、責められる声。

「どうせ私より仕事が大事なんでしょ?」

三郎の心は摩耗し、愛情は義務と同情に変わっていた。


ついに別れを告げたとき、ララは泣き叫んだ。

「……露子さんのせい、だよね?」

「違う。これは俺自身の問題だ」

「嘘だ! あなたは私を捨てるの!?」

狂気じみた叫びを背に、三郎は初めて彼女の手を振り払った。


数か月後、ララは別の男と結婚を前提に暮らし始めたと聞いた。

「……そういうことか」

安堵と虚しさが同時に押し寄せた。



やがて三郎は自分を磨く決意を固めた。大学を卒業し、父の会社で成果を上げ、社交界でも注目を集める存在となった。

だが心の奥では、露子への想いが薄れることはなかった。


そして、ついに彼は行動に出る。

晩餐会の後、露子を食事に誘ったのだ。

露子も警戒はしていたが、最近の三郎の目覚ましい成長は社交界でも専らの噂。

…目が離せなくなっていた。


「君が京都を離れてから、俺の人生はどれだけ空虚だったか、知ってほしい」

「桐生様……」

露子の頬にかすかな赤みが差す。

やがて二人は、かつて抱き合うことを許されなかった夜を取り戻すように、熱に包まれて体を重ねた。


その一夜は幸福であり、同時に罪でもあった。


しかし、現実は容赦なかった。

桐生家の両親は二人の関係を許さず、露子もまた家庭と社交界の事情から身を引かざるを得なかった。


やがて露子には新たな婚約話が持ち込まれる。

相手は京都の老舗の御曹司、高峰雅哉。誠実で安定した人柄に、露子は次第に信頼を寄せた。


婚約披露宴で、雅哉は言った。

「露子さん、あなたを一生大事にします」

その言葉に、露子は静かに頷いた。


そしてほどなく妊娠が分かる。

三郎とのあの夜の記憶が蘇ってきたが、蓋をした。

一度きりの関係、三郎との子では絶対にない話だ。


結婚生活は穏やかだった。

露子は妻として、母として満ち足りた日々を送った。


だが社交界で三郎と顔を合わせるたび、二人の間には微かな緊張が漂った。

「ご無沙汰しております、桐生様」

「……ああ、高峰夫人」

礼儀正しい会話の奥には、誰にも知られてはならないときめきが隠されていた。


紅葉の京都。社交界の催しで再び視線が交わる。

一瞬の鼓動だけが、二人にとっての永遠の秘密だった。


露子は家庭を守り、三郎は会社と妻との生活を全うした。

けれど胸の奥にある「一度きりの夜」と「燃え上がった想い」は、決して消えることはなかった。


人生の表舞台では交わることはない。

だが心の奥底では、互いの存在がいつまでも響き合い続けた。


――それが、露子と桐生三郎の、秘められた物語だった。





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