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秋桜のように強く~私たちの共生婚~  作者: 香田紗季


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2-4 新しい道へ

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 美月は書店に行って数冊本を買った。就職関連の書籍の傍に履歴書もあったので、一緒に履歴書も買った。更にはその書店の片隅には証明写真の機械も

あったので、サイズを確認して撮影した。


 帰宅すると、書店の紙袋を見た母はほっとしたようだった。まさかその紙袋の中に、家を出るための履歴書と証明写真まで入っていたとは思わなかっただろう。部屋に戻ると美月はすぐに書類を揃え、履歴書を書いた。


 翌朝、美月は朝食も食べ

ずに朝一番の新幹線に乗ると、3つ県を挟んだその県の県庁所在地に降り立った。


 初めての土地。それだけでわくわくする。スマートフォンで道を確認しながら県庁に向かい、教育委員会を訪ねた。


 昨日電話した相手は、鈴木という職員だった。鈴木によると、教育委員会で勤務している職員は行政職だけではなく、教育職、つまり教員も相当数いるのだという、


「私も、本来は高校の教員なんですよ。3月までは教壇に立っていたんですが、人事異動でお役所勤めになりました。現場にずっといた人間としてはつまらないですよ、子どもの声が聞こえないというのは」


 鈴木はそう言いながら、美月から履歴書や教員免許状などを確認し、コピーした。


「講師が見つからず困っている高校のリストです。知らない学校ばかりでしょう」

「はい、この県に来たのが初めてなので」

「一人暮らしも初めてだということなのですが、自動車の免許は?」

「持っていません。ずっと運転手が……」

「運転手!?」


 机にかじりついていた職員たちの目が一斉に美月に注がれたが、次の瞬間には職員たちは元の態勢に戻った。


「ご家族は了承していらっしゃるのですか?」

「妊娠できない私は不良債権らしくて、どうやら取引先の高齢男性の所へ、介護要員として再婚させられそうなんです」


 再び職員たちの目が美月に注がれ、気まずそうな空気が流れた。


「大丈夫ですか?」

「先手必勝、です。いえ、先行逃げ切り?」


 美月の表情に悲壮感が無かったことに安心したのだろう、鈴木はしばらくリストを見た後、ある高校を指さした。


「それほど大きな町ではありませんので、住宅費も安い。過疎地域ではないし電車も通っていますから、何かあった時に外にも出やすい。新幹線の駅まで電車でもバスでも行ける街です」

「生活するのは問題なさそうですね」

「ええ。東城さん、教育実習は普通科でしたか?」

「はい、母校でした」

「どんな学校でしたか?」

「中高一貫の、私立の女子校です」

「ん~そうですか。カルチャーショックはあるかも知れませんが、お勧めは農業高校なんです」

「農業高校?」

「ここだけの話……教員からは絶大な人気があるんです。産休育休代替の講師をとなると、教諭を異動させて補充するわけにもいかない。10月から産休に入ったので、今在籍している教員が授業を分担していますが、元々週15時間平均の授業数があったところにプラス5時間とか7時間とかやっている。そうすると授業準備も滞るし、総合学習やロングホームルームの時間などは授業時数外ですからね。

 週36時間のコマ数があってそのうち15時間の授業というのは少ないと思うかもしれませんが、授業はいわばコンサートの本番、客がいる状態です。その前にホールを押さえたり、チケットのデザインを決めて発注したり、チケットの販売があったり、曲目を決めたり、その曲を練習したり、演奏するだけでは泣くトークをどのタイミングでどんな内容で入れるか考えたり……コンサートを行うためにはいろんな準備が必要なのと同じで、授業も準備に最低でも3倍の時間がかかるんです」

「教育実習の時も、教材研究は大変でした。それ以外にも、部活だとか、分掌とか、保護者対応とか、いろいろあるんですものね」

「ええ。ですから、どこの学校でも代替講師とのつなぎの時間は少しでも短くしたいと、講師を捜し回っているんです。とはいえ、未経験の方にいきなり難関校の受験を控えた生徒たちを指導してほしいというのも、お互いに不幸になるだけですからね」

「そうですね」

「その代わり、農業高校の生徒たちは勉強が得意な子たちではありませんから、興味を持たせる工夫がないとあっという間にそっぽを向かれます。ある意味、シビアですよ」

「授業をする力は付きそうですね」

「東城さん、ポジティブでいいですね。東城さんが行ってくれるなら、本当に助かります。いやあ、10月という時期なので、常勤講師や非常勤講師を専門にしている人も他校での勤務が決まっていて、困っていたんです」

「教員からは人気があるっておっしゃいましたよね? 農業高校って、生徒指導が大変だって聞いたことがありますが」

「昔の話ですよ。先ほども言ったように、勉強はあまり得意ではないかもしれません。ですが、土に触れているからでしょうか、荒れた子はそれほど多くありません。実習で育てたものや作ったものを買えるし、普通科の高校よりものんびりしているので、教壇に立つのが初めてならば丁度いいかと。それに」


 鈴木は続けた。


「荒れたように見える子もそうですが、心が傷ついて勉強に取り組めなかった、そういう子もいるんです。あなたなら、そういう子たちの気持ちが分かるのでは?」

「はい、やってみます」

「では、校長に連絡します。せっかくこちらに来てもらったのですから、できるだけいろいろ決めてしまいましょう」


 鈴木が電話すると、校長からはすぐに面接すると返事があったらしい。美月はすぐに向かうことにした。


 教育委員会のある県庁所在地から電車で1時間ほど移動した先に、その農業高校があった。話は行っていたので、すぐに校長が対応してくれ、講師としての採用が決まった。穏やかな話し方をする人で、自分の教科は農業なのだと教えてくれた。


「明日からでもと言いたいところですが、引っ越しなどもあるでしょう? いつから来られそうですか?」

「来週はどうですか?」


 今日は水曜日。離婚して引っ越す時だって、翌日には出てきたのだ。引っ越し業者の手配をすぐにすればなんとかなるだろう。


「住むところは?」

「あ……」

「官舎に空きはあったかな?」


 校長が事務室に確認に行っている間に、美月は近隣のマンスリーマンションを探した。駅から学校まで10分くらい。駅から近いこともあり、物件はいくつかありそうだ。近隣にスーパーもある。


 マンスリーマンションなら、ガス水道電気代にWi-Fiも込み。いろんな契約をせずにすむし、家具家電もついている。退去も難しくない。自分で部屋を借りたことはないが、大学在学中に住み替えをするという友人と一緒に物件探しをしたことがあった美月は、その時のことを思い返しながら物件の間取りや備品などをチェックした。校長が戻ってきた。


「官舎に空きがないそうだ」

「近場のマンスリーマンションをお借りしようかと。採用試験に合格できれば異動するんですよね? そうしたらまた引っ越しになるので」

「そうだね。1つのやり方だね」


 事務室の職員が、美月が1番良さそうだと思ったマンスリーマンションを管理している不動産業者に連絡を取ってくれ、迎えに来てくれることになった。


「この書類に記入して、できれば明後日金曜日の午前中までに、これとこれだけ先にFAXで送ってください。残りのものは、来週月曜日にお持ちください」

「分かりました」

「教科主任と学年主任の手がちょうど空いたから、顔合わせしてほしい」


 国語の教科主任と学年主任と顔合わせし、教科書だけ渡された。


「本当はすぐに授業をと言いたい所なんですが、教壇に立つのは再来週からにしましょう。来週は教材研究してもらいながら授業のことを私から説明します」

「学年は2年。担任副担任でもなく、学年付きの扱いになる。その分負担は少ないはずだから、頑張って欲しい。共通理解が必要な生徒については、来週、私と教育相談の担当者から説明するよ」

「はい、よろしくお願いします」


 高校を出る時、校長がイチゴジャムをくれた。


「この県の農業高校の食品科なら必ず作るんだが、高校毎にレシピが少しずつ違うが、それぞれにおいしいジャムだ。これと同じで、私たち人間は、1人ひとりに違った良さと生きる意味があるはずだ。あなたを不良債権と言った家族を見返してやろうじゃないか。この学校は、あなたを必要としているからね」

「はい!」


 涙が出そうになった。挨拶して、迎えに来たマンスリーマンションの担当者の運転する車に乗った。車なら3分ほどの所にある物件に到着した。セキュリティーもしっかりしている。日勤ではあるが、管理人もいるらしい。部屋を内見させてもらえた。10階まであるマンションの4階。部屋は思ったより広く、10畳の1DKで、偶然にも角部屋だ。


「西日が当たるって嫌がる人もいるんですが、学校の先生なら西日が差す時間に帰ってくることもないでしょうから。それよりも、採光と換気という点ではいいと思いますよ」


 部屋を即決し、持っていたクレジットカードでとりあえず3ヶ月分を払った。このクレジットカードは父に取り上げられるかもしれないが、採用試験に合格すればすぐに新しいカードを作れるだろう。それまでは、低所得でも持てるカードを探して、家賃の支払専用として1枚作っておこう。親が作った銀行口座ではない、自分の銀行の口座も開設しなければならない。


 時間があったので、駅前の地元の銀行で口座を作った。とりあえずは実家の住所で登録し、身分証明書をもらったらすぐに住所変更すればいい。他県の住所に窓口の担当者は不審そうな顔を見せたが、来週から近くの農業高校に勤務するのだと言って渡された書類を見せれば、多少警戒されたが口座は作れた。マイナンバーカードがあってよかった。


 帰りの新幹線の中で、引っ越し業者の予約サイトを確認した。自分があの家から持ち出せるものなんて、衣類と自分のお小遣いで買ったアクセサリーやバッグが少々。学校の教員にパーティー用の着物やドレス、それにバッグやアクセサリ-が必要だとは思えない。ならば、家具家電も付いていたあの部屋でしばらくお金を貯めよう。スーツだって先生らしいものにするなら、○ニクロで上下1万円程度のものが2~3着、それを着回せばいい。そんなことよりも、採用試験の対策本を買って試験に備えよう。


 美月は帰宅すると、父に声を掛けた。


「お話があります」

「どうした?」

「私、この家を出ます」

「出るって、どうするつもりだ」

「就職先を決めてきました」

「どこだ!」

「場所は言いませんが、高校の講師の仕事です。来年の採用試験に向けて仕事しながら勉強して、先生方にもフォローしてもらって、再来年度から正採用される計画です」

「何を言っているんだ、お前にはもう」

「再婚の話ならお断りします」

「……どうして」

「大きな声でしたから、よく聞こえました。私は絶対に再婚しません。東城の家の重荷にもなりたくありません。だから、1人でも生きられる教育公務員になります」

「話が進んでいるんだぞ!」

「私の人生は、私のものです。私という存在はこの世にたった1人しかいないのに、お父様もお母様も、自分たちの都合でどうとでもなるモノとしか私のことを見ていない。それが分かった以上、私を唯一無二の存在として認めてくれない人たちと一緒にいることはできません」


 沈黙がその場を支配した。美月がここまではっきりと反抗したのは初めてだ。父にはそれがショックだったのかもしれない。


「……反対しても行くのだろう?」

「はい。二度と東城の家の敷居は跨ぎません」

「お母さんや私が死んでも、か」

「はい。法律上できないとは分かっていますが、絶縁してもらって結構です」

「逃げ場がなくなるぞ?」

「この家は私にとって逃げ場ではありませんでした。処遇に困る出戻り娘などいない方が、弟の結婚にも障りがないでしょう?」

「いつ行くんだ?」

「金曜日に」

「明後日じゃないか! 住むところは」

「決めました」

「当面の生活費は」

「先日渡されたお金を手切れ金と思っていただければ」

「相続は」

「放棄します」

「クレジットカードは」

「置いていきます」

「料理1つしたことのないお前に、一人暮らしなどできるのか?」

「できるできないではなく、するのです」


 父は目を閉じた。美月の覚悟が固いものだと理解したようだ。


「決めたんだな。ならば、行きなさい」

「はい。今までお世話になりました」


 美月は部屋に戻ると、最低限のものだけボストンバッグに詰め始めた。東城の家にあるべきものは全て置いていく。持っていくのは、わずかな着替えのみ。大好きだった本も、全部置いていく。翌日は市役所に行って転出届を出して転入先に出す書類をもらい、ついでに教育委員会に顔を出して、農業高校の常勤講師に決まったと報告した。


「いいなあ、農業高校」


 教員から見た、職場としての農業高校は、この県でも高評価のようだ。自分の世界は思った以上に狭いものなのだと美月は実感した。


 金曜日の朝、美月は朝食を家族だった人たちと食べた。母の瞼は赤く腫れていたが、見なかったことにした。食後、弟から声を掛けられた。


「姉さん、父さんからの伝言。スマホとクレジットカードは、正採用されたら返しなさい、それまでは保険として持っていなさいって」

「保険ね。分かった。それまでお借りしますと伝えてくれる?」

「本当に行くの?」

「うん。1人で生きる。コスモスの花みたいに、何度でも立ち上がってやるんだから」

「本当に困ったら……死ぬくらいなら、僕に連絡して。父さんたちには言わないから」

「大丈夫。もう、東城のお荷物は卒業よ」

「姉さん! 誰もそんなこと、思っていないよ!」

「私ね、初めて自分の考えで、自分の意見を押し通したの。だからね、わくわくしているの」

「わくわく?」

「そうよ。だから、応援していて」

「わかった」

「じゃ、元気でね」

「姉さんも」


読んでくださってありがとうございました。

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