トカゲの亜人
正道はアルキオネと共に、霧の中を歩いている。来たときと変わらず視界は晴れないが、踏みしめる足元は土の感触が柔らかい。樹の香りで満ち、静かだ。
何分、歩いただろう。霧が晴れて、眩しい太陽の光が射す。
「外に出ました」
「案内、ありがとう」
「これからどちらへ?」
「元の世界へ戻る方法を探す」
「元の世界?」
「なんでもない。世話になった」
「また来てくださいね」
アルキオネは手を振って別れた。
アルキオネが里に戻ると、遠くで火の手が上がっている。
「なに!?」
正道は、里の近くにあった街で、現実の世界に帰る方法を探した。街の人や露店の店主。冒険者が訪れそうな武器屋や道具屋、ギルドなど。皆この世界の人物であり、現実の世界の存在すら知らない。ひとつの物語で描かれる登場人物の数は、主人公を含めて数えられる程度。しかし、物語の中では、登場人物を支える数多の人が生活している。正道もまた、その中のひとりに過ぎない。
街を一回りし終わる頃には陽が西に傾いていた。街の入り口まで戻り、宿を取ろうと考えていたとき、街に向かって歩いてくるアルキオネの姿が見えた。うなだれながら重い足取りを運ぶ彼女の姿は尋常ではない。正道は駆けよる。
「どうした?」
泣きはらした目をうっすらと開ける。
「家が…」
「家が?」
「襲われて…。父さんと母さんが殺されて、家が燃えた」
「なんで?」
「トカゲの亜人に襲われた」
アルキオネはその場に崩れ落ちる。
「なぜ襲われるようなことになった?」
「わかんない…」
アルキオネはまた、泣き出した。
ポタポタと流れ落ちる涙に、かける言葉は見つからなかった。正道もまた、泣いても叫んでも、だれも助けてくれない子供時代を過ごしたから。
「お兄さん冒険者ですよね? お願いがあります」
「なんだ?」
「ギルドに依頼できるほどのお金はありません。それでも、これで、仇を討ってください」
少女の手に、子供のお小遣い程度のお金が載っている。
お金を取って正道は言う。
「そのクエスト、受けよう」
夜の帷が下り、歓楽街に火が灯る。店の中から、酔客の楽しげな笑い声や怒鳴り声が轟いてくる。男も女も、人間も亜人も混じって夜を楽しんでいる。
客引きが、行き交う人に声をかけて気を引く。気に入って店に入る者。客引きを袖にする者。無言で通り過ぎる者。夜を楽しもうという人であふれている。
正道は、客引きと話しながら人を探している。
「羽振りの良いトカゲの亜人だ。知らないか?」
「それなら、あの店に入ったよ」
「ありがとう」
言われた店のドアを開けると、広い店内の中央に陣取り、大盤振る舞いをしているトカゲの亜人がいる。正道は彼の正面に座る。
「お兄さん。ずいぶんと羽振りが良いじゃねぇか。なんか、良いクエストでもクリアしたのかい?」
「まあ、そんなモンだ」
トカゲの亜人は、ジョッキを煽る。
「うらやましいねぇ。俺もそんなクエストにあやかりたい」
ぷっはー! と息を吐く。
「お兄さん、良いクエストを見つけるコツを知ってるか?」
「いや」
「自分でクエストを作るのさ」
「作る?」
「例えば、この近くにエルフの里がある。エルフは森にこもって外に出ない陰湿な奴らだ。とはいえ貯えぐらいはあるだろう」
「それで?」
「奪う」
「ほう」
「森の肥やしにするくらいなら、俺様が使ってやろうって親切心さ。どうだ? 良いクエストだろう」
「ああ」
「あんたも冒険者だろう。ギルドのクエストだけこなしてたんじゃ稼げねぇぜ。俺様の助言だ」
「ご高説、ありがとう。ところで、俺にも一杯、ご馳走してくれないか?」
「はっはっはっは! 突然来ておごれってか。ずいぶんと図々しい奴だ」
「あなたの武勇伝に興味があってね」
「武勇伝?」
「エルフの里を攻略した武勇伝を、是非、聞かせて欲しい」
「しょうがねぇな。聞かせてやるよ。まず飲め!」
「ゴチになります」
ベロベロに酔っ払ったトカゲ野郎に肩を貸しながら、正道は夜道を歩いている。
「大丈夫かい?」
「らいじょうぶ、らいじょうぶ、うぇっぷ」
「吐くなら路地裏でしな」
トカゲ野郎を路地裏に連れ込む。
「兄さん。話に聞いたお宝とやらを見せてもらえないか?」
「えへへへ。良いぜ」
トカゲ野郎は、緑色に輝くブローチを取り出した。
「すごいな」
「だろう。辛気くさい森と同じ緑色だが、この大きさは他にねぇ」
「なるほど。クエストは自分で作り出すか」
「そうさ」
それだけ言うと、トカゲ野郎はうずくまって、飲んだ酒を吐き出した。
「俺も自分でクエストを作り出すとするよ」
トカゲ野郎の左胸を、背中から日本刀が貫く。刀を抜くと、酒と一緒に真っ青な血を吐きその場に崩れ落ちる。正道は、掌からブローチを奪う。
「これは返してもらうぜ」
焼け落ちた自分の家を見ながら、呆然としているエルフの少女がいる。正道が静かに歩みよって、優しく声をかける。
「手をだしな」
力の無い手を、力をこめて上げる。正道は、掌に緑色のブローチを置く。
「クエストはこなした」
「どうもありがとう」
少女は、喜びもせず、怒りもせず、涙も流さず、楽しそうでもない。
「あたし、ひとりぼっちになっちゃった」
「里に行き先は?」
「ない」
「なぜ? 人情に厚いのがエルフじゃないのか?」
「どうしてこの里が外界を遮断していると思う?」
「わからん」
「閉ざされた社会は異物を排除することで成り立っているの。異物に犯された者は排除される。里の掟。」
遠く。ずっと遠くを見ている。少女の目線の先に、喜びも怒りも哀しみも楽しみも越えたなにかがあるのだろう。
正道は黙って立ち去ろうとした。
「冒険者さん」
少女の言葉が歩みを止める。
「なんだ?」
「あたしも連れて行って」
「なぜ?」
「新しい世界を観ることができるような気がして」
「それだけ?」
「それだけです」
少し考える。
「良いだろう」
「ありがとうございます」
少女が正道の手を取ると、ふたりは光に包まれた。ふたりが再び現れたのは、正道の部屋だった。
「返って来たのか?」
目の前に、姉の律とメアがいる。
「ただいま帰りました」
ふたりとも、目が点だ。律が怒り声で放った。
「そうじゃねーだろー!」
さて、どこから突っ込もうか。
「この二日間、なにしてた?」
「異世界にいたよ」
「そうか。で、その娘は?」
「エルフだ」
「とうとう小学生を誘拐してきたか」
正道を問い詰める律の前に、少女は毅然と立った。
「始めまして。エルフのアルキオネといいます。今日から冒険者さんのお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
尖った耳。真っ白な肌。幼い手足とは裏腹に、毅然とした表情には強い意志を感じる。
「はじめまして。正道の姉で名前は律。よろしくね」
「あたしはサキュバスのメア。よろしくお願いします」
三人は笑顔で、自己紹介をした。
正道が姉に問う。
「俺がいない間、ふたりでなにしてた?」
「メアちゃんにこの世界で生きてゆく上で必要な事を教えていたんだ」
「アネキ、仕事は?」
「休んだ!」
「それは悪かったな。悪かったついでに、新しい同居人だ」
「どうしてそうなった?」
「小説の世界で出会って、一緒に来るからというから連れてきた」
「実際に目の前でおまえが消えて、現れるのを見たしな」
「実際、俺にもわけがわからん」
「だよな」
仕事もあるので、姉は帰ることになった。
「ふたりは預けるが、変なことするなよ!?」
「しねーよ」
「絶対だからな。フラグじゃねぇぞ」
「わかってるよ」
姉は帰って行った。
「アルキオネ。突然、異世界に来て、困惑していると思うが、ゆっくり馴染んでくれ」
「メアさんも、勇者様に助けられたんですよね?」
「はい」
「これから一緒に暮らすことになると思う。よろしくね」
「よろしくお願いします」