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正道、サキュバスを救う

 俺の名前は、仲村(なかむら) 正道せいどう。大学時代に小説投稿サイト『小説家になっちゃおう』に投稿した『俺の妹が薬屋でひとりごとをロシア語でつぶやくなんて可愛いわけがない』が人気になり、ラノベになり、コミカライズされ、アニメ化から大ヒット。社会現象になって、先日、10年にわたる連載を完結したばかりだ。今は次回作の構想を練っている。

 担当編集から、次回作は異世界モノでお願いしますといわれている。世間で流行っているのは知っているが、異世界モノはアニメで見たぐらいの知識しかない。初心に帰って『小説家になっちゃおう』の投稿作を読んでみるか。




 『小説家になっちゃおう』


 俗称、なちゃお系。多くの作品がここから世に羽ばたいている。かくいう俺もそのひとりだ。

 俺は、ランキング1位の作品を読み始めた。現代人が中世ヨーロッパ風の異世界に転成する。Lv.1の勇者から努力しレベルを上げ、仲間を集めて魔王討伐を目指す。内容は今時、珍しいくらいオーソドックスな内容だ。




 仲村正道が、小説家になっちゃおうに小説を投稿し始めたのが大学在学中20歳だった。大学卒業後、就職するが、小説が人気になり、アニメ化をきっかけに原作がヒットして収入が爆上がりする。それを機に会社を辞め専業作家になった。29歳11ヶ月で連載を終える。編集からは引き延ばしを懇願されたが、作品としてまとまったので終了することにした。

 それから一ヶ月の間、次回作の構想を練っている。もっとも、当分の間生活できるだけの収入は得たし税金も納めた。あわてて次回作を書く必要も無い。しかし、パソコンに向かって文章を綴っている生活習慣がなかなか抜けない。意味も無くパソコンをつけて、短編とか、短歌とか、好きな作品のアナザーストーリーとかを書いてみる。不思議なくらい文章を綴るという行為が自分に馴染んでいることを実感し、とにかくなにか書いてみたくなった。


 もう時期6月6日午前0時になろうとしている。彼の30回目の誕生日だ。童貞が30歳になると魔法使いになれるというが、彼の場合『神に逆らう者』になるといったほうがいいだろう。


 彼が小説を読みながら、時計が時を刻む。秒針が頂点を越えたとき、彼は、パソコンの中に吸い込まれた。




 彼が次に気がついた時、目に映ったのは中世ヨーロッパ風の田舎の街並みだった。吹く風は暖かく麦穂の香りをなびかせてくる。麦畑の向こうに、城壁に囲まれた街がある。


 俺は夢でも見ているのか?


 改めて身なりを確かめる。着ている服は、アニメでよく見る軽装の剣士。ただし、腰に差しているのは西洋の剣ではなく、日本刀だ。

 これについては意味がわかる。俺は時代劇が好きで、昔のチャンバラを動画配信サイトでよく観ていた。実際に日本刀で斬るアクティビティには足繁く通った。袈裟斬り、薙ぎ、切り上げ、唐竹割り、突きなど、一通り楽しんだ。

 流浪の剣士か。悪くない。さて、どこへ行こう。とりあえず、街へ行ってみるか。


 街は人で賑わっている。服装も中世ヨーロッパ風だ。こういう時はギルドへ行くんだっけか? 街を散策していると、ギルドはすぐに見つかった。木戸を開けると、テーブルで食事をしている者、カウンターで酒を飲んでいる者。テーブルで飲んでいる男達の集団が大声をあげる一方、陽の注ぐ窓際のテーブルで、金切り声をあげてさえずる女性達など、さまざな人が午後の一時をくつろいでいる。

 俺はギルドのカウンターに向かった。

「今日、初めて着いたんだが、宿を紹介して欲しい」

「ギルドカードはお持ちですか?」

 ギルドカード? 服のポケットをまさぐると、木で出来たカードが出てきた。

「セイドウ様ですね。宿のご予算はおいくらですか?」

 ポケットには巾着袋があって、中にコインが入っている。

「安めで頼む」

「ギルドの近くに安宿があります。設備はあまり良くありませんが、どういたしますか?」

「それで頼む」

「貴重品をお預かりします」

 俺は少額の現金をポケットに残して、残りを預けた。酒の飲めるカウンターへ行って、酒と串焼きを頼んだ。日本のビールや焼き鳥と、同じ味と香りがする。食べ物の味がして、香りまでするとは、夢としては良くできている。


「帰ったぞー!」

 その時、ひときわ大きな声をギルド中に轟かせながら、一組のパーティが入って来た。盗賊衣装の男は若い日本人に見える。青くて長い髪の女性がキンキン声で今日の成果を発表する。とんがり帽子にマントを羽織った小柄な女の子は魔法使いかな? 後ろに立っている鎧に身をまとった屈強な女騎士は、タンク役なのかも知れない。

 彼らのパーティは、ギルドでは人気らしい。パーティの凱旋を大声で褒め称えた。あれがこの小説の主人公か。すると、俺は本当に、小説の世界に転生してしまったのか?


「お兄さん、見かけない顔だね?」

 俺に声をかけてきたのは、隣に座っていた妖艶な女性だった。

「今日、初めてここに来てね」

「そう…。じゃあ、あのパーティは知らないね」

「ああ」

「この街、一番の功労者にして実力者さ。この街のピンチを何度も救ってくれた」

「それはすごい。あやかりたいね」

「あなたは剣士? ここへは何しに来たの?」

「決まってるだろう。君と会うためさ」

「あっはっはっは! おもしろい人ね。泊まるところは決まってる?」

「君の部屋さ」

「ふふ。ますますおもしろい人ね。あたしの店に来ない?」

 彼女はカードを差し出した。カードにはこう書かれている『あなたにお望みの夢を提供します サキュバス』

「サキュバス?」

「待ってるから」

 そう言い残して、さみしげに彼女は去って行った。


 周りの客が噂する。

「あのサキュバス。妹が例のならず者に捕まったらしい」

「あいつらにも困ったもんだよなあ。冒険者の間ではサキュバスに手を出さないのが暗黙の了解だったんだが」

「お世話になってるからな」

 俺は会話に割って入った。

「その話。詳しく教えてくれないか?」




 仲村正道は、ならず者が拠点としている元貴族邸にやってきた。

 貴族邸はとはいえ荒れ果て、門も塀も朽ちて崩れ、庭は鬱蒼と雑草が生い茂り、屋敷の壁には蔦が葉を茂らせている。

 空には厚い雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうだ。生暖かい風が吹いて、雑草をなびかせている。

 彼は警戒して近づいたが、門番はおろか、侵入を防ぐトラップひとつかけられていない。屋敷の一室だけ皓々として明るい。賊は三人。藁束を斬ったことはあるが人を斬ったことはない。斬れるか? ここは異世界。あるいは夢の中。なんとかなるだろう。彼は敷地の中へ踏み込んだ。




 屋敷の一室では、男三人がトランプカードに興じながら酒をあおっている。

 ベッドに16歳ぐらいの女の子が、手に鍵をかけられ鎖で固定されている。彼女はサキュバスのご多分に漏れず、露出の多い衣装を身にまとっている。憔悴した様子の彼女は、これからおとずれる惨劇に絶望していた。


「これで勝ちだ!」

 テーブルに広げた5枚のトランプカードは、ロイヤルストレートフラッシュ。

「また親分の勝ちかよ」

「いかさまじゃないでしょうね?」

 親分は子分の胸元を掴んで頭より高く持ち上げる。

「だれがいかさまだって?」

 子分は苦しさで声にならない悲鳴をあげるが、ゴホゴホと喉を鳴らす程度の抵抗しかできない。

「親分。冗談ですよ。その辺で許してやってください」

 別の子分にたしなめられて、親分はそいつをテーブルに投げ出した。カードや酒瓶、グラスが飛び散ってテーブルが歪む。


「チッ! しらけちまうぜ」

 ふと、ベッド上のサキュバスに目を移す。ノシノシと歩みよって彼女に覆い被さる。

「昨夜は気持ちの良い夢をどうもありがとう」

 被さる酒臭い顔に思わず顔をそむける。腕をねじってなんとか鍵をはずそうとするが、聖なる力が腕を伝わる。全身を走った魔力が、電撃の様にビクビクと体を震わせる。

「まさか俺のパーティに聖属性の拘束魔法使いがいるとは思わなかっただろう」

 親分は、彼女の掌から腕にかけ手を滑らせ胸元で止まる。

「今度は実際に良い夢を見させてもらおうかな? ぐへへ」


「ぎゃー!」

「いてー! いてー!」

 下卑た顔は、子分の悲鳴でかき乱される。

「おまえらうるせーぞ!」

 振り返るとそこには、手足を斬られた子分が床に転がっていた。

「もうちょっと、罪悪感があると思ったが、そうでもないな」

「だれだっ!? おまえは」


 だれだ?


 その時、初めて気がついた。俺は何しにここへ来たんだ? 人助け? 正義感? 勇者になりたいから? 嬉しいことに、この物語には既に主人公がいて、俺がやっていることは作品の設定にも無いことだ。

「俺は子供の頃から時代劇が好きでね。勧善懲悪も嫌いじゃないが、俺の性に合わない。どっちかっていうと、闇に紛れて悪を撃つ。義賊っていうのかな。そういうのが好きなんだ」

「おまえ、いったい何を言っていやがる」

「だからこれは、俺の勝手だと思って欲しい」

「ふざけやがって。みてろよ」

 親分は一瞬で消えた。

「ぐふふ。俺のスキルは潜伏。こうして部屋の死角に潜伏して、てめぇの背中を串刺しにしてやる」

 正道が部屋を探し歩く。

「ここに近づいた時がおまえの命日だ」

 親分の潜む死角に足を踏み入れる。今だっ!


 飛び出そうとした瞬間、死角に剣が刺さった。


「俺も潜伏のスキルを持っていたらしい。今気がついたが」

 急所を一突き。うつ伏せに倒れると、血だまりが床に広がる。




 正道はベッドで拘束されているサキュバスに近寄った。彼女は涙を流し、小刻みに震えながらおびえている。刀を振り上げる。彼女は目をそむける。刀を一突きして、鍵が壊れる。

「君は自由だ。お姉さんが心配している。家へ帰りな」

 止まらない震えを懸命に抑えながら、震える唇を一所懸命に動かして言う。

「どど、ど、う、も、ありがとう」

 それだけ言うと、彼女は家の外へ出て行った。


 俺は生まれて初めて人を斬った。異世界なのか夢なのか知らないが、手応えはあったし、目の前で血を流し、漂う血の臭い。実にリアルだ。悪人とはいえ、現代日本の法律に従えば、死刑になるほど重罪ではない。しかし、俺が彼を殺さなければ、まちがいなく彼女は犯されていた。


 似たような境遇で育ったからよくわかる。弱者はいくら声高に叫んでも救いは無い。ひたすら耐え忍ぶだけ。



 そう。どんなに叫んでも、だれも助けてくれなかったんだ。だから、悪い奴はみんな死んじゃえば良いんだよ。その気持ちは今も変わらない。




 翌朝。

 ギルドで朝食をとっていると、周りの冒険者の噂話が耳に入ってきた。

「あのならず者、死んだってよ」

「アジトでだれかに斬り殺されたらしい」

「あいつには獲物横取りされたり散々だったから、いい気味だ」

「奴らのせいで全滅したパーティもあったらしい」

「何人も死んでるだろう」

「これからは街を荒らされなくて済む」

「だれがやったか知らないが、感謝だな」


 その言葉を聞いて、胸の中に沈んでいた、重石のようの罪悪感が、少し、軽くなった気がした。




 ギルドを出た。昨夜の曇天はどこへ行ったのか、良い天気だ。とはいえ行くあてはない。どうやったら現実の世界に戻れるのかな。あてどなくさまよってみるか。

「お待ちください」

 仲村正道を呼び止める女性の声。振り返るとそこに、昨夜、卓を供したサキュバスがいた。

「妹を助けてくれてありがとう」

 彼女の後ろから、昨夜助けた女の子が出てきた。

「助けてくれて、ありがとう」

「俺は社会悪を切り捨てただけだ」

「これから、どちらへ?」

「元の世界へ帰る方法を探しに行く」

「その旅、永くなりそうですね」

「かもな」


 助けた女の子が駆け寄る。

「あたしも一緒連れて行ってください」

「男ひとり旅に付いて来るなんて、酔狂がすぎる。拾った命だ。大切にしな」

「お願いします! なんでもします!」

 俺はチラッと、姉を見た。既に納得の様子だ。

「名は?」

「メア」

「良い名だ」

 メアの頬が紅く染まる。

「あなたの名前を教えてください」

「仲村正道」

「セイドウさんですね。よろしくお願いします」

 メアは正道の手を取った。その時、ふたりを聖なる光が包み、光が消えると、ふたりの姿は無かった。



 正道のマンションに、ふたりはいた。

「これはどういうことだ?」

「ここはどこ?」

「とりあえず、現実の世界に帰って来ることができたようだ」

「ここが、正道さんの世界ですか?」

「ああ」

「不思議な空間ですね」

「一応、俺の住まいだ」

 どういう理屈かわからないが、メアと一緒に現実の世界に帰って来た。それは嬉しいが、彼女にとっては突然、異世界に連れてこられた。

「すまない。まさか俺の世界にメアを転移させるとは思わなかった。帰る方法を探そう」

 握った手をさらに強く握り返して、メアは言う。

「このままこの世界で暮らしちゃダメですか?」

「かまわないが、文字通り世界が違うから、水が合うかわからないぜ」

「水が合う?」

「その世界に馴染める事の例えだ」

「まだ水も飲んでませんよ」

 いたずらっぽくニヤッと笑った。

「さっそく、水を飲んでもらおうか」



 正道は食事を作ってメアに振る舞った。

「美味しい!」

「あり合わせで作っただけだが」

「あり合わせでこれほど美味しい料理が作れちゃうんですね。すごい」

 食事を供しながら、今の状況を整理する。


 時間は、異世界で暮らした分だけ経過していた。スマホに友人や編集から1~2件の着信があるが急を要する案件ではないだろう。

 食後にコーヒーを出す。

「良い香り」

 フーフーと冷ましながらコーヒーを飲む。

「苦い」

 顔が >< となってる。

「意地が悪かったな。砂糖とミルクを入れて飲んでくれ」

 カップに適量の砂糖とミルクを入れる。

「ふぅ。美味しいです」

 カップを置いて、メアは言う。

「あの…、おしっこに行きたい」

「ああ、部屋を出て右だ」

 メアは部屋のドアを開ける。左右を見て、頭に ? マークを浮かべている。

「こっちだ」

 俺はトイレに案内する。ドアを開けて中を見たメアがひと言。

「あの、どうやってするんですか?」

 なるほど。俺はくみ取り式のトイレに多少の知識があったから、異世界でも用を足すことができた。俺は便座に座ってみせた。

「終わったらこのスイッチを押すと水が流れる。わかったかな?」

「はい」

「パンツはちゃんと脱ぐんだぞ」

「はい」

 部屋に戻ってほどなく、トイレからメアの悲鳴があがった。

「どうした?」

「水が出ました!」

「それは排泄物を洗い流すためだ」

「あたしのお尻、汚物ですか?」

 そっちか。

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