淡い恋の旅
「ああ……平和の匂いがする」
ショッピングモールにやってきた。洋服屋に入るだけなら個人店があるのだが、そこで扱っている洋服は殆ど若者向けというより年配向けのものでニーナが着るにはちょっとどうかと思うような品揃えだったのだ。俺のファッションセンスが疑わしいと言われたら返す言葉もないが、実際入っている客が年配の客ばかりだったから間違いではない。
かばね町は無法故に栄えているが、その外は都会とは程遠い田舎……決して田園畑が広がっていたりはしないものの、世界には田舎と都会の間に大きな間隙があり、ここは正にそんな場所だ。何か揃えるとなったらショッピングモールに行く。これ一択である。
「匂いですか?」
「ごめん、比喩。あーたとえ話だよ。実際に匂いがする訳じゃない」
「そうでしたか。てっきりあちらとこちらでは匂いが違うのかと」
その話をしだすとあながち間違いでもないのがややこしい。あっちはあっちでマーケットのお陰で平和的な場所にはなっているが結局駐車場には死体が転がっているし、根本的な部分が大きく違う。ここでは死体なんて転がる余地もないし、もし転がっていたら警察がすぐに回収してくれる。抗争とも死体とも血とも無縁な場所―――それだけで心が洗われるようだ。
「洋服屋に向かおう……エスカレーターは難しそうだし、エレベーター使うか」
「お気遣い頂かなくても、私、頑張りますよっ」
「移動くらいで頑張る必要はないよ。エレベーターが安全に上がれると思ったら大間違いだしな。隙間に杖を引っかけないように注意してくれ。行こう」
マップは確認済みだ。スリに気を付ける必要もなければ拳銃に怯える事もない。周りの人を見ろ。ながら見で携帯を見ている人間、財布をお尻のポケットに半分だけ突き刺す人間、親から離れる子供。あの町を知っているならあまりにも無防備ではないか。
だがこれでいい。ここはかばね町じゃない。秩序ある国、日本だ。銃をぶっこ抜いた奴が強いとか、組織の庇護下にない奴は潰されるとか、あまりにも非現実的な危惧。ファンタジーだ。そういう差し迫った状況に夢を見る人間は今すぐあの町の中に入って暮らしてみればいい。一瞬でその夢は覚めるから。
「ジュード様は、よくこちらの施設に?」
「よくは……ないな。そこまで買いたい物がある人生でもなかったんだよ。俺の半生は、透子に出会ってからの方が余程波乱万丈さ。後悔をしてる訳じゃない、刺激的な人生が最高って思想もないからな。俺が欲しかったのは…………」
こういう、日常。
やってもいい、やらなくてもいい。選んでも選ばなくても、そこには自分の責任があって、誰も口を出さない自由。無法を求めて訪れるかばね町は現実を教えてくれるかもしれないが、無法故、俺は運命の出会いをした。その非日常に救われた。
「…………いや、何でもない。白昼夢だ」
「ジュード様は……あの町から離れたいと思われているのですか?」
「そんな事はないよ。ただ……この平和な空気に当てられて想像しただけだ。今もここに居られたらどうなっていたかなんて。俺にとって悪い夢なのはこっちだから、目を覚まさないといけない。ま、それをするのは君の服を買ってからだけど」
洋服屋に到着したが、そろそろ最大の問題と向き合わなければならないようだ。目の見えないニーナが服を選ぼうとすればその基準は肌触りとかになってしまう。色も、組み合わせも、何も知覚出来ない。だから選ぶのは俺になるし彼女もそれを望んでいるが、当の本人がファッションセンスを全く信じていない。
「…………すみませーん。ちょっといいですか?」
「はいはい。いらっしゃいませー」
「相談に乗ってくれませんか。少し複雑な話で―――」
女性の店員にしか話せない事情だとは思うものの、頼るのは少し恥ずかしい。けれどニーナの為だ、恥じらいなんて怖くない。あからさまな目隠しのお陰か目が見えていない事はすぐに理解してくれたが、女性は難しそうに眉を顰めていた。
「お洒落って自分の為にする物ですからね。この子が好きな洋服は?」
「ニーナ? 昔着てて好きだった洋服ってあるか? 色とか、タイプとか。例えばゆったりしてるとか体にフィットするとか」
「れ、レースの服を着ていました。少しでも大人に見られたくてつい背伸びを……子供と思われなくなれば、お父様も少しは対応を変えて下さると信じていたので」
「あー………店員さん。大人っぽく見えるような服って言ったら案内出来ますか?」
「はい、お任せください。ここだけの話、良い感じの服というご注文すらうかがった事があるのですよ。具体的すぎるくらいですね」
「そ、そうなんですか」
ニーナを連れて店舗の奥へと歩いていく。彼女の注文に沿ったところで選ぶのは俺だ。お洒落をしたいのは彼女なので、そういうところに罪悪感を感じてしまう。幾ら望んでいたとしても、これはちょっと……
「君は本当にこれでいいのか? 着せ替え人形みたいな扱いだけど」
「うふふ、構いませんよ。ジュード様を信じていますから。貴方の思う洋服を自由に着せて下さいませ!」
「…………」
いつまでも店員を独占する訳にはいかないともう帰してしまったが、悪手だったかもしれない。だけど年端も行かない少女を着せ替え人形にする光景なんてグロすぎて他人に見せられた物でもないから、やっぱり正解だったかも。
「わ、分かった。頑張ってみる」
パシャッ。
これが川箕や透子と一緒だったら俺は変化を楽しむだけで済んだのだろうなと、一人頷く。或いは彼女達とのデートなら心から褒めて、褒めて、褒めちぎって、幾らでも楽しめただろう。
「~♪」
ニーナは鼻歌を歌いながらひしと服の裾を掴んで俺の後ろをついてくる。純粋に喜ぶ彼女に対して俺はいまいち素直になれない。完全に俺の好みで服を選んでしまった。それを本人が望んでいたならいいだろうという声もあるが、そもそも望まざるを得ない状況にあると忘れてはいけない。目が見えないのだ。
「今日は、楽しかったか?」
「はい♪ 夢のような時間でしたっ! ああ、もっと早くジュード様に出会えていたら……私の目は、治らないのでしょうか」
「…………目を治せる技術があったとしても一日二日じゃ無理だろうな。後は多分、凄いお金がかかる。それこそ君のお父さんからお金を援助してもらわないと難しいかもしれない」
「お父様は……私を心配して下さらないのでしょうか。ジェニフィアの者として然るべき品格を備えよと口癖のように言っていらしたのに」
「マーケットが悪いよ、全部。俺達もちょっとは世話になってるけど、あの町に居る人間は全員もれなく悪党だ。遠慮なく憎んでいい。マーケット・ヘルメスさえいなければ君はまだ平和に暮らせていたんだよ」
「本当に、そうなのでしょうか。いずれは私、どこかに売られていたかもしれませんよ」
「どんなきっかけにせよ娘を売るって選択肢のある人間なら、そうかもな。けどここまで酷くはないと思う。目を失って、耳も悪くなって。最悪だ。今日出かけたのは、そんな君に少しでも幸せになってほしいからだったし、楽しんでくれたならこれ以上はないよ」
「…………優しいのです、貴方様は」
「フリをしてるだけだ。自分だけはまともだと言い聞かせないと頭がおかしくなるんだよ。本当に優しいならもっと君に色んな事をする筈だよ」
抜け穴へと帰ってきた。杖を貸してくれた男性にお礼も程々に返却すると、門番を務める一家の許可を受けて町の中へ。入り口の手前には川箕の車が停まっていた。
すっかり日も暮れているとはいえ、深夜とは行かない時間帯。何か作業をしていた直後だったりするのか、彼女は運転席で眠りについていた。軽く窓を叩くと目を覚まし、後部座席のロックを解除してくれた。先にニーナを乗せて、俺は助手席に乗る。
「二人共、お帰り~。ふぁー…………外の世界は、楽しかった?」
「はい、実に愛おしい時間でございました! いつまでも続けば良かったのに……」
「ちゃんとお土産も買ってきたぞ」
「えーほんとっ? ジュードってば気が利くじゃーん。じゃ、お家に帰ろっか! サプライズもあるし!」
「サプライズ?」
「私が送迎だけしてる暇人だと思った? ま、帰ってからのお楽しみ! 二人共絶対びっくりするよ!」




