夢より素敵な現実を
「おはよっ、夏目」
「おはよう…………俺達の喧嘩、聞こえなかったか?」
「うわ、何でそんな元気ないの。透子ちゃんに嫌われでもした?」
「いや……むしろ逆、かも。透子は寝てるしな」
元々仲違いしていた訳でもないが、夜まですすり泣くのも中々体力が要るというか、全く関係ないところで人間災害としての力を見たような気がする。その反動で今はすっかり眠っているから、あれは多分昼が過ぎても目覚めないだろう。
―――ギャップで可愛かったなんて言ったら怒られそうだよな。
過去の話を聞くに、透子は元からお姉さん気質というか、誰かを守ってあげる立場だったようだから、俺と出会った時はその気質が出ていたのだろう。しかし事情は変わってついさっきまで俺が彼女を守っていた様なものだ。泣き腫らした顔は普段からは想像もつかないくらい幼く、それだけで彼女を年上とは思えなくなった。たとえ人造人間だったとしてもだ。
「ま、とにかく川箕も黙ってなくて大丈夫だぞ。ちゃんと俺に正体を話してくれたから。でも多分そっちが知ってる以上の事も話してくれたんだけど……教えた方がいいか?」
「ん? 別にいいよ。私は気にならないし」
「本当か?」
「詮索屋は嫌われるんだよ? もし互いに思想が少し違ったとして、互いにそれを知れば殺し合うしかなくなるかもしれないけど、知らない間は協力出来る。友人でいられる。透子ちゃんの事をこれ以上知っちゃったら私はもしかしたらもう友達でいられないかもしれないから言わないでよ。夏目だけが覚えてればいいよ」
「…………はは、そうだったな。なんか、本当の意味でその言葉の意味が分かった気がするよ」
流石は本当の住人か、川箕はよく心得ている。他人に立ち入る事の軽率さとその危険さを。
「……川箕は、透子を羨ましいって思った事あるか?」
「そりゃ、勿論。透子ちゃんくらい強かったら誰にも邪魔されず機械いじり出来るだろうし……」
「何で俺の方を見るんだ?」
「夏目の事、守ってあげられたよねって」
「…………今でも十分守ってもらってるよ。毎日ホテル暮らしより遥かに幸せだ」
ホテルは全く安全ではない。俺の安全を保障してくれるのは透子の存在か川箕の家だけだ。半分気遣い半分真実のつもりで言ったが、彼女は渋面を浮かべて首を傾げていた。
「本当に安全なのかな。マーケットの人が平然と来るし、ちょっとそうは思えないんだよね」
「ニーナが発送されてきたのも住所が割れてるからだしな」
「そろそろセーフハウス作らないとね」
二人でそんな話をしながら朝食を終える。こうして何となく二人で過ごしていると、透子が何故川箕を羨んでいるのかが何となく俺にも分かってきた。こういう普通の事を普通にやりたいのだ。人間災害にはそれが許されない。まるで呪いのように、この町に居る限り災害で在り続けないといけなくなっている。
けどやっぱり、比較するような事ではない。
どちらかがどちらかの上位互換でないといけない理由はない筈だ。強さを競っている訳じゃない。俺にとっては同じくらい大切。透子は俺に初めて手を差し伸べてくれた恩人で、川箕は二度目の人生を支えてくれる恩人。それは立場を逆転させようとすると決して成立しない不可逆の好感度だ。
「俺が指名手配犯らしくなるのと引き換えに騎士も全滅したし、そろそろあれ、やるか?」
「何かしたい事があるの? じゃあ行ってきなよっ。あの事件、流石に大事になってるみたいだから今は治安も荒れてないと思う。警察が大量に巡回してるっぽいよ」
「え、そうなのか?」
「幾らここがやりたい放題の場所でも、外で慈善団体として名高い騎士団が全滅したらねえ。形だけの巡回だったとしてもやらないとみんな納得しないっていうか。今回の一件で夏目や透子ちゃんに反感を持ってる住人の存在も可視化されちゃったし」
急に不安になってきたので、川箕にやりたい事を伝えてみる。彼女は驚いたように口をぽかんと開けると、胸の前で拳を握って伏し目がちに見つめてくる。
「夏目って危機感あるのかないのか分かんないよ……私達でやった事忘れたの?」
「忘れてないけど……でももうニーナに危機は去ったんだ。してあげたいなって思ってたんだよ」
「…………はぁ。もう、しょうがないなあ。じゃあ私が送ったげるから、準備してきて! こういうのは即断即決した方がいいし!」
呆れたような、嬉しそうな笑顔に背中を押され俺はニーナの下へ向かった。補聴器には慣れ、一人で部屋に置いても情緒不安定にならない程度には安定してきた。朝食は川箕が既に済ませてくれた筈だ。
「ジュード様ですか?」
「まだ扉を開けてないんだけど」
「ジュード様の足音くらいは覚えませんと! うふふ……!」
扉を開けると、縫い包みに囲まれて幸せそうに笑うニーナの姿があった。これから近づいてくる人間に対して微塵の警戒心もない。出会ったばかりの頃からは想像もつかない変化だ。俺達が頑張ったとも言えるし、それでも一か月すら経過していないんだからもっと慎重になるべきとも言える。簡単に気を緩めすぎだなんて言うのは簡単だが、俺に言わせれば人を信じ続けない事には尋常ならざる体力を求められる。
目も耳も使えない状態から始まって、信じない事に疲れていたとしても不思議はない。これは、その反動だ。
ベッドに足を乗せると変化を感じ取ってニーナはその方向に顔を向けてくる。意地悪のつもりで手を伸ばしマットの他の部分を沈ませると今度はその場所へ顔を向ける。一部の感覚が使えないと代わりに他の感覚が鋭敏になるらしいが、彼女の触覚は十分その状態に達しつつある。
「ニーナ。騎士は死んだ。もう不安はない。元々はマーケットに言われて君を治せって言われてたけど、治したとしても引き渡す気なんてないからな」
「はい、存じ上げております。ジュード様は私の親愛なる騎士様でいらっしゃいますから」
「その表現は今使うと誤解しか招かないけど。とにかく君はもう外に出ても大丈夫なんだ。目が見えないのは不便かもしれないけど、俺と一緒に出かけてみないか?」
「まあ、お出かけですか? でも、ジュード様は私の為に世間に顔を晒してでも悪役を……」
「晒してないけど」
「ですが私の偽物を用意したのでしょう? 私が外に出てしまえば同じ事なのではないでしょうか」
「そう言うと思って、今回向かうのは町の外だ。法律に守られてるってだけでもう安心安全。君を傷つける人なんて居ないよ」
まさか悪名高き夏目十朗が街の外に居るとは誰も思うまい。川箕の車は正規の検問所ではなく龍仁一家が用意した裏道に向かった。直接俺達と確執がある訳ではないが利用を拒絶されても仕方ないような事をしたのだが……裏道の門番を務める者曰く「オヤジは気にしていない」「むしろこれを機に懇意にしてもらいたい」など、穏健派のような姿勢を崩さなかった。
「こりゃ利用するモン全員に言ってる事ですが、俺達ゃ抜け道を用意するだけで、その後の事に手は貸せません。あっちでサツにしょっぴかれても、そりゃ自己責任ってもんでお願いします」
「分かってます。注意事項はそれだけですか?」
「ええ、では良い旅を」
裏道は当然検問所ではないので車で通り抜ける事は出来ない。かばね町と外を分けるのはベルリンの壁よろしく巨大な壁だ。裏道というのは壁付近の住宅を買い漁って通報リスクを極限まで減らした穴の事である。この穴を抜けて暫くは龍仁一家の関係者が買い占めた住宅街になっており、そこからがようやく本物の外である。
「ジュードっ。もう行って大丈夫だよ」
「行こう、ニーナ」
盲目の少女の手を引いて、壁の外へと歩き出す。目隠しの柄も変えたからこれですぐ気づかれるって事はないだろう。猿轡もしていないし、そもそも夏目十朗は町の外に居ないし。ちょっと似ているだけだ。
「お土産、よろしくねっ」
「そんな余裕あるかな……」
「お土産買ってこなかったら、今度は私と二人っきりで外に行ってもらうから大丈夫! そんなの嫌でしょ? はいじゃあ、そういう事で!」
むしろ大歓迎だけど、言わない方が良いのだろうか。ひしと服の裾を掴むニーナを気にかけつつ、俺はジュードとなって初めて、町の外に出た。
そこはかつて、俺の居た世界。




