現実にハッピーエンドはない
暫くは、ニーナを補聴器に慣れさせるための生活が続いた。騎士達への対応が決まったとて、それは一日二日でどうにかなる物じゃない。何故なら騎士達は暴れ回ってはいるものの、まだ大きな組織のいずれかに目をつけられるような真似はしていないからだ。
俺達の計画は、大きな組織が騎士達を目障りに思った所で介入する作戦。それなら自然と力を借りられる。俺達から頼みに行くのは足元を掬われるのでダメだ。マーケットなんてそれこそ利用されてしまうかもしれない。
だからその時が来るまでは気長に、普通の生活を送る方針になった。透子はバイトに行くし、俺と川箕は修理の仕事をする。幸い騎士達は俺達の家を把握しておらず、ニーナから事情を聞いた日からおおよそ四日が経過したものの、生活は実に平和だ。
「お、いいね。ラジオくらいなら直せるようになったんだ?」
「まあ、これは大した故障じゃないし……」
手先が器用という程でもないが、やれば慣れていくし上達も起こる。機械修理の片手間でニーナの為にお洒落な目隠しを作ってみた。星柄とか、兎の模様とか、猫の模様とか。彼女からすれば目が見えないので関係ないが、柄があるだけでも外から見た印象は変わる筈だ。それで誰かが、お洒落で可愛いとか思ってくれたら、それだけでもかなり気持ちが持ち直すと思うけど。
「車、修理出来たんだな?」
「まあ後ろは剣が突き刺さっただけで、前がちょっとぐしゃっただけだしね。もし駄目そうだったらなの子ちゃんのとこから車借りてきてたかも。あ、そうそう。あの剣だけど、やっぱり信号を受けたら爆発する仕組みみたいだよ。だからあの時はやっぱり、スイッチを押せなかったんだね」
「……何処にスイッチを仕込んでるのか知らないけど、故障したって可能性の方が俺はあると思う。高圧電流が流れる警棒使ってたし。あの時スイッチを押せない瞬間なんてなかったし」
ここ数日は平和なものだが、気を抜いているつもりは一ミリもない。透子が居ない今、あの少女を守れるのは俺達だけだ。
「耳が健常だから想像もつかないんだけど、いつになったらニーナは慣れるんだろうな」
「細かい音量調整とかは本人がやらないとねえ。どう聞こえてるかなんて私達には分からないし。ずっと目隠しするのもどうなんだろう。義眼造りに行きたいけど、外に出しちゃうと騎士がなあ」
「義眼がないと不都合があるのか?」
「ニーナちゃんまだ小さいし、これから成長する訳じゃん。目が入ってないと顔の形がさ……義眼を作るのは正直医療の分野だから私が自作するのは厳しいし。単にモノ突っ込むだけなら簡単だけど、それ義眼じゃないから」
「うーん」
そういえばผีさんも義眼をしていたっけ。あれはオーダーメイドだったりするのだろうか。応急処置の中に義眼挿入を含んでくれていたらこんな悩まなくても良かったのに、そこまでするほどの価値はなかったという事だろうか。
「おっけーっ。じゃあ私これを納品してくるからちょっと出かけて来るね……日中でも騎士って襲ってくるんだっけ」
「アイツらは弁えないからな。気をつけろよ」
「……はぁ、物騒な町になっちゃったなあ」
それは今更だろ、というツッコミは野暮なのだろうか。
川箕を見送ると、俺は一息ついてから部屋に戻り、透子に電話をかけた。多分休憩時間だから、電話には出てくれる筈。
『……どうかした?』
『前みたいに押しかけたかったけど、ニーナを放っておけないし』
『ええ』
『声だけでも聞きたくてさ』
『…………』
暫く、声が聞こえなくなった。
『……川箕さんがいる横でそんな事言っていいの?』
『え? 川箕に何の関係があるんだ? そもそも居ないけど』
『そう……だったら良かったわ。私も、君の声が聞きたかったから」
『対抗しなくていいんだぞ?』
『いいえ、最近は君と二人で過ごす時間が少なかったから……ちょっと寂しくてね。やっぱり私は君と出会うべきじゃなかったのかもって』
『卑屈になり過ぎだろ! し、仕方ないじゃないか……ニーナの安全を誰かが確保してないといけないんだから。まあ確かに俺も、ずっと二人に助けられる立場で居られるとは思ってたよ」
まさか俺以上に助けを必要とする存在が現れるなんて思わなかったのだ。ニーナが現れて初めて、俺は自分がここで末っ子をやろうとしていた事に気が付いた。実際の家では甘えられなかったから、二人に沢山甘えようとしていたのだと。
『…………そうだ、透子。お前の所に騎士って来たりしないのか? 一応暴力禁止だから、ひょっとするとその中なら安全に会話出来るんじゃ?』
『トラブルを持ち込むなってだけ。実は私が居ない間に来てたみたいなのよね。問題なく対処されたみたいだから特に気にしてないけど』
『姫は何処だ』
『あー。甲冑を着ないって選択肢もあったのね』
『えっ』
透子からの電話が途切れる。彼女の正体を知った今心配は要らない事なんて分かっているが、身体がどうしても向かいたいと急かしてくる。しかしその一方でニーナを放置も出来ない。
「ど、どうしよう……」
「俺がここに残ってやるよ」
まるでこのガレージに住んでいますと言わんばかりの自然さでペストマスクの少年が姿を現した。
「お前! 何処から……」
「んな事気にしてどうなる? よく考えろよ、ここは誰にも見つかった事のない秘密基地か? マーケットの奴らがここにガキ送り込んだ時点で一部の奴等にはバレバレだぞ。人間災害がおっかなくて近寄らないだけだ。後は……アンタ等をわざわざ襲う程の脅威がないって事かな」
「『鴉』とは関わりがなかったと思うけど」
「関わりがなかったとしても、人間災害に気に入られている只一点でお前達は探りを入れられるぞ。安心しろ、ガキ一人攫って思い通りにしようなんて思う奴は居ない。人間災害に人質は無意味だって知ってるからな。俺も……単純に助けに来ただけだ。当ててやるよ、人間災害の事が気になって仕方ないって言うんだろ? 会話は聞こえなかったが顔にそう書いてあるぞ」
「…………」
「行けよ。『鴉』の名に誓ってここは守ってやるからさ。お前が戻ってきたのを見計らって俺も消えてやるから」
「タダなんて信じられない」
川箕の真似をするように、つい口をついて出てしまった。そうだ、この町で純粋な善意なんて物は信じるべきではない。透子がおかしかっただけなのだと……まして相手が無所属の人間ではなく『鴉』の傘下と判明しているなら猶更。
人質は無意味だからやらないという言葉の裏を読め。何かしらの手段で操れるなら操ってやりたいと言っているのだ。
「タダじゃねえよ。あんたは俺にもう対価を支払ってる」
「なんだって?」
「教えてやる義理はないがな。お前が悪党にあげた利益って奴は考えりゃすぐ分かるだろ。ほら行けよ。人間災害が心配なんだろ」
背中を押されて無理やりガレージの外に押し出される。俺が、既に対価を支払っている? 少し考えたが、かばね町を広げた事くらいしか分からなかった。あれは透子の仕業だが、報道では俺が主犯格のような扱いを受けていた。真司も何故か嘘を吐いて人間災害の正体を隠していたから、そういう意味では俺の手柄という事になる。
―――まあいいか。
マーケットが動きを見せない時点で、人質が無意味というのは共通認識だ。信じよう。実感は湧かないけど。
「透子!」
店を訪ねると、透子と数人の客が視線で俺を迎えてくれた。あまり客入りは良くない……って、そういう事じゃない。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませじゃないだろ。だ、大丈夫だったのか? さっき襲われて……」
「ここで働いて間もない頃はよくあった事だし、大丈夫。そういう君は、家から出てきて大丈夫だったの?」
「……か、代わりに留守番してくれる奴が居てさ。信じたくなかったけど、そいつ、思い返すと二回も俺の事を助けてくれてたし……し、信じてもいいかなって」
「警戒心がなさすぎないかしら。そんな理由で信じたの?」
でもきちんと説明しようとすると透子の正体に言及しないといけない。それは駄目だから、たとえ間抜けに見られようとこの説明で貫かないと。
「お前が心配だったんだよ! ………………慣れてるかもしれないけど、それでも」
「…………人生で、ここまで私を守ろうとしてくれた人は生まれて初めてよ。でも、それはきっと……私の事を何も知らないからなんでしょうね」
「知ってるよ!」
カウンター越しに、彼女の手を掴む。そう、俺は知っている。知らないフリをする前から、知っている。
「お前の優しさを知ってる。暗い場所で泣いてるしかなかった俺を純粋に助けてくれた、世界一優しい人だ。この町で、無条件に優しく出来る余裕が、心の強さがある事を知ってる。でも、だからこそ心配なんだよ。そうやってタダで誰かに優しく出来るせいで、色んな人に優しくできるせいで―――自分に向ける優しさがなくなるんじゃないかって」
人間災害と呼ぶには、祀火透子はあまりに慈悲深すぎる。このかばね町が生まれた理由と同じくらい、何故彼女が災害呼ばわりされなければならないのかは不明だ。力が強いだけで災害なんて。そもそも透子は理由がなければ力を振るわないのに。
「――――――ジュード君」
「な、何だよ」
透子がお店の裏へと消えていく。ついてこいと言っているのだろうか。周囲の視線は気になるが、背中を追うようについていく。マンションの中に無理やり作られたお店らしく扉の先には廊下があり、そこから三つほどの小部屋に別れている。透子の入った場所は更衣室だった。
「透子?」
「自分に向ける優しさがないのは君の方なんじゃないの?」
「え?」
「自分が弱いって分かってるのに飛び出して、責任を取ろうとして、幸せを探して。そんな君が、私に自分に優しくなれって言うのならいいわよ。その代わり、君に優しくするのやめるから」
「ん、ん…………?」
「選んで。今まで通りの関係を続けるか、それとも、私に優しくされるのをやめるか」
「な、なにいって…………ますか? 透子、さん?」
思わず敬語になってしまう。どうも様子がおかしい。
「もうずっと…………ずっと、ずっとずっと。我慢の限界だったの。自分の醜さが嫌で、君が幸せだったらそれでいい筈なのに……私は、私は……けが……ばに居たいって……」
空気が震えている。いや、比喩じゃない。本当に震えているのだ。肌がありありとその感覚を伝えてくれる。身体が異常を検知して、総毛立っている。
「よ、よく分からないけど俺にはもう優しくしなくて大丈夫だから! 俺は、もう守ってもらうだけの人間じゃなくてたいと―――!」
それ以上喋る事は許されなかった。彼女の指が今までにない力強さで俺の首を後ろから掴んだかと思うと―――まるで吸血鬼が牙を立てるように、食んだキスを、していたのだから。
―――今日は一緒に帰りたい。
或いは本当に眷属になったのか。俺には頷く事しか許されなかった。




