汚らわしきは罰する
出発の前にニーナとの早めの夕食を取る事に決めた。いつまで経っても放置じゃやってる事がマーケットと変わらない。川箕に食事を作ってもらい、ぬいぐるみを抱きしめるような姿勢で背中から少女を抱きしめながら食べさせる……起きている時はとにかく、俺が触れていないと不安で仕方なくなるから離れるなと透子にきつく言われた。
「補聴器には慣れたか?」
「は、はい。しゃべり、方。変じゃない、ですよね」
「まだちょっとぎこちないけど、それはそもそも君が日本人じゃないからだろうな。それを踏まえれば、変じゃないよ」
「あ、ありがとうございます。ジュード様は……日本人なのですか。名前が、そのように思えず」
「本名を名乗れない事情があってさ。ニーナは日本語を何処で学んだんだ? こういう言い方もどうかと思うけど、日本語なんて世界に広まってないから勝手に覚えるのは難しいと思うぞ」
「……じょ、女性の方が、商品として生かされていた私、を、えっと。教えていただいて」
喋り方が少しぎこちない程度なら問題ない。それより用意された食事が一々熱々なので冷まさないといけない方が問題だ。大抵は温かい方が美味しいから悪意がないのは分かるが、俺も含めてやっぱり配慮が上手くいかない。俺が良くてもニーナには料理を探知する手段が嗅覚と触覚しかないのだ。あまり熱いとびっくりさせてしまう。
息で少し冷まさせてから食べさせると非常にテンポが悪く正直言ってうんざりするが、背中越しでも美味しそうに食べるので何も言えない。
「……事情を聞く訳じゃないんだけど、男の人の存在は怖くないのか?」
「こわい、です。でも、怖いのは……もっと、声のくぐもってる人が、怖いです。ジュード様は、怖くなんか…………」
「怖くてもいい。いつまでも君をこんな町に居させたくないんだ。何処か安全な場所があればいいんだけどな」
「私は、お邪魔ですか……?」
「お邪魔じゃないけど、いつ誰に何が起きるか分からない町なんだ。ニーナはここに居たいのか? こんな、危ない町に……」
「…………」
食事を終えると、ニーナは背中から伸びる俺の手を掴み、自分の顎に引っかけるように引っ張った。
「……ジュード様、入浴、したいです」
「え…………」
誓って言うが、俺に年端も行かない少女に性愛を抱く趣味はない。この誤解だけはどうしても避けたい為に明言するが、胸の大きい女性がタイプだ。だから透子や川箕が相手だったら言い訳の余地もない。
ただ、それはそれとして俺がニーナをお風呂に入れるのは問題だ。本当に二歳くらいなら問題ないと思うが、見た目からして十歳くらいだし、見た目が危ない事になる。目が見えないからって警戒心がなさすぎだ。
―――だけど、俺が信頼されてるんだよな。
だから透子も世話役を俺に一任している。彼女が変わってくれるのはニーナが眠っている時のお世話だけだ。他人の目が気になる状況はそうなのだが、そんな下らない事よりも俺はニーナの心をケアするべきなのでは。
「いけませんか?」
「……そうだな。いや、入ろう。それで今日は早く寝よう。そしたら今度こそ事情を聞かせてくれ」
「……はい」
考え方を切り替えた。何とかウルフ・バレットがカチこむ前にニーナを落ち着かせないと。それで透子にお世話を任せてようやく俺の仕事は終了だ。今回は危険が伴っているが絶対にアイツには力を借りない。まるで兵器みたいな使い方をするなんて……幾ら強くても、彼女は俺にとって大切な人で、守らなきゃいけない女の子なのだから。
ここに来るまで碌に食事を与えられていなかったのだろう、抱き上げると人間とは思えない軽さに俺の方が思わず転びそうになってしまった。階段を下りて、出発準備中の川箕にことわってから風呂場に向かう。
「……くすぐったいかもしれないけど、我慢してくれよな」
「は、はい……」
お湯は温いくらいがいいだろうか。冷たすぎてもそれはそれで肌をびっくりさせてしまう。考える事が多すぎる。少女の服を脱がせたところで俺はある事に気が付いた。
「川箕っ! これ、補聴器って水に浸けても大丈夫か!?」
「えー駄目だよ! そこまで考慮してないもん!」
らしい。両耳の補聴器を外す前に声を掛ける。
「これからまた耳が聞こえなくなると思うけど、熱かったり冷たかったりしたら身体を叩いてくれ。それで対応する」
「……長く」
「ん?」
「長く、入りたいです。お風呂に」
「……分かった。傷が痛むなら言ってくれ」
自分には中途半端な優しさしかない。およそ聖人と呼ばれる気高さもなければ、それこそ騎士に抱くような高潔さも持ち合わせていない。ニーナを助けたのだって、このままでは人生をまもなく終えてしまうような子を目の前で見てしまったからに過ぎない。目の前に来ないと、助けたいとならない偽善者が俺だ。今だってそう。
服の下に隠された悲劇の傷跡に、俺は涙を流す事しか出来ない。
「ほら行こ、ジュード。いつカチコミするか分かんないけど、もう向かわないと」
「ああ、装備はばっちり……だよな」
「うんっ。この天才技術屋さんに任せなさいっ。色々持ってきたから逃げるくらいは絶対余裕だからね。どんと任せなよ!」
大きな鞄を車に積んで川箕が運転席に乗り込んだ。俺も合わせて助手席に乗り込み、ガレージから車を動かす。川箕が参戦する話は一切していないので、彼女には軽く顔を隠してもらった。マスクに帽子のセットは誰でも使える簡単な変装だ。ぱっと見は誰か分からない。服装で見破られる可能性は低いと思ったが念の為にチューブトップの上からコートも着てもらった。
……タンクトップだけで川箕と判断する奴が居る訳ないと思うけど。
「さ、出発出発。何も起こらないわけないし、鎧を回収出来たら御の字かな~。でも無茶だけはやめてね。もしジュードが死んだら、私、透子ちゃんに一生恨まれちゃう」
「十分に気を付けるよ。つっても俺に任せられるのは邪魔が入らない為の監視くらいだからそこまで危ない目には遭いそうもないけどな。でも、透子に一生恨まれるってのは大袈裟じゃないか? ここじゃ簡単に人が死ぬのに」
「透子ちゃんがずっとジュードを気にかけてる事くらい分かるでしょ? 一回目覚めなかった時を思い出してよ」
信号で車を止める。治安が悪いのに妙な所でマナーが守られるのが面白い所だ。
「……ニーナ、何処で生きるのが幸せなんだろうな」
「へ?」
「お風呂に入ってる時、凄くリラックスしてたんだ。俺とご飯食べてる時も楽しそうで……なんか、変じゃないかな。目は昔から見えてなかったんじゃなくて、後からなくなったんだ。耳はストレスで聴こえないんだとして……昔、幸せに暮らしてたならもっと過去の話が出ると思ったんだよ」
「そんなの、律儀に日を改めるのを待ってるんじゃないの?」
「や、詳しい情報を出さなくてもいいんだ。お父さんがどうとかお母さんがどうとか。この料理、お母さんのが好きだったみたいなさ……なんていえばいいんだろうな。日常の一風景を思わせてくれるような言葉が全然出てこなかった」
あったのは俺に離れないでほしいというささやかな願いと、機嫌を損ねる事を極端に恐れるような徹底的な従順。何かが、おかしい。
「…………体の傷跡を見たんだ。お風呂入ったから当たり前だけど。本人の口から違うって言ってくれたらいいけど、あの傷跡って多分……この町に来る前からつけられてたんじゃないかな。古かったし…………マーケットの言い分とも辻褄が合わない事もない。この町の外で酷い目に遭ってたなら昔の話が出ないのも納得出来るんだ。幸せだった時間が……戻りたい場所がないって」
「ちょっと、やめなよ後ろ向きに考えるのは。そういう今後の生き方みたいなのはみんなでゆっくり考えればいいんだって。学生生活から解放されちゃったのはちょっと残念だけど、その代わり時間は沢山あるんだからさっ。今は目の前の事に集中しよ?」
「……そうだな。今は騎士達が何だってそんなニーナを悲しませるような場所に居るのかを見届けないとな」
地図からお店の近所と断定し、車を隠すように止める。冬は夜が早く、八時にもなれば十分真っ暗だ。町の電気が届かないような場所に駐車したら、持ってきた暗幕を車全体に被せて更にカモフラージュ。車の後ろを開けておく事で最悪同乗者は後ろに飛び込むだけで発進できるようになっている。
「おっけ。じゃあここで待ってるね。透子ちゃんには私から連絡入れとくよ」
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
何かの間違いで騎士に襲われた時の対策として川箕が用意した特殊警棒とスタングレネードと単なる煙幕。これが俺の生命線だ。他の装備はまだ車に積んである。こんな装備は使わないに越した事はないとして、日傘を片手にウルフ・バレットの集団に近づいていく。
「お、おーい」
「おいあの日傘」
「……ジン! お前の言ってた奴だぞ!」
丁度良さそうな場所で立ち止まると、昼間に話した男が懐中電灯を片手にやってくる。
「おう、来ねえんじゃねえかと思ったが、タマはあるようだな。見直したぜ」
「俺が乗り込む訳じゃないから度胸をはかるのは難しいと思うけど」
「てめえはここのビルの上から様子を見てな」
「屋上って事か?」
「違うな、三階の部屋ん中だ。誰のモンでもねえ低層ビルだが夜までに俺らで人を追っ払ったとこだ。今日一日は自由に使える。そこで見てろ」
「…………分かった。もし外から誰か来た時はどうやって連絡すればいい?」
「この無線機を使え。充分だろ」
オオカミのエンブレムが書き込まれた無線機を受け取る。彼らは早速作戦に取り掛かるようで俺は早々に追い返された。これ幸いととんぼ返りして川箕に俺のポジションを伝えに戻る。
「……ちょっとその無線機調べさせて。あ、ジュードは先に行ってていいよ。後から私も行くからさ」
「貰い物だからバラすなよ?」
「うーん。それは向こう次第かも。あ、鞄はちゃんと持ってってね」
透子を介さず、生き残る。単に頼りたくない一心で始まった状態ではなく、ある意味で最善の選択肢だ。
ニーナの安全を最優先に確保している。透子があの家にいる限り、ミサイルが飛んできたってきっと安心だ。




