屍たる者、平伏せよ
サイトウさんからの連絡がいつあったかって?
深夜三時の事だ。
絶対に眠っているような時間帯に電話をかけてくるのは悪意としか言いようがない。幸いだったのは透子をベッドで抱きしめながら眠っていたお陰で勝手に悶々としてあまり眠れていなかった。
今日、初めて彼女が眠っている所を見た気がする。前は間違いなく俺が先に眠っていたから。
視線を少し下に落とすだけで、サラシから解放された豊満な柔らかさが俺と彼女の間で押し潰されるように隆起している。この感覚を初めて味わった訳じゃない。訳じゃないけど……狭い部屋だからという理由で正当化する自分は、控えめに言っても最低だと思った。
だから連絡が来てくれたのはある意味、救いだ。救いと書いて余計な邪魔と読むかもしれないけど。
『ビデオを見終わったぞ。私の趣味ではないな』
『俺達も好きで見た訳じゃないですよ』
『そうか。観賞の間に色々部下に調べさせてそれも終わった所だ。車を出してやるから今すぐ支度をしろ。待ち合わせ場所は……そうだな、人目のつかない場所が良い。斎場前に来い。黒い車があればその車だ』
『い、今から?』
『一人で来い。元々お前のようなガキを連れて行く場所ではないんだ。今回はただ調査を頑張ってくれた報酬……いや、私からの気遣いだな。真実を見届けたいだろう? 誰にも言うなとは言わん。そこまでの秘密ではないからな』
また一方的に電話を切られた。透子はまだ起きていない様子。
「…………」
特に理由はなかったがベッドの外側で眠っていたのは大正解だったようだ。これが逆なら透子を起こさず抜け出すのは難しかった。最後にもう一度彼女の手を握って、声なき声で外出を伝える。本当に名残惜しいのだ。出来る事ならその柔らかさに夢中なまま眠っていたかった。
ガレージに出ると、いつの間にか電気が点いており、奥の方で川箕がネジを回している所だった。まさか彼女も起きて作業をしているとは思わなかったので普通に音を立てたが、それ以上に集中しているらしく気づいていない。
何を作っているかは分からないが、工具を軽々と扱う川箕の背中は素人目にも格好良く見えた。今回作業着を着ていないのは寝起きだから? パジャマ姿で作業しても大丈夫な工程なのだろうが。
今度は注意して外に出ると、一目散に斎場の方へと向かった。勿論日傘は用意しておく。当人は寝ているが、差しているだけで何となく、傍に居る様な気がして。かばね町の夜はそれはそれで別の喧騒が広がっており、昼間に比べると何段階も治安が悪くなっている。少し視線を端に向けるだけで金絡みのトラブルか殴られている男がいるし、夜にだけ開くタイプの客引きもごまんといる。酔い潰れている人も居れば、単なるホームレスも居る。
「…………」
ビビらない。ビビっていると悟らせない。これはかなり重要だ。真夜中に日傘を差した俺の姿は傍から見て相当おかしい類の人間だろうが、それを意にも介さないフリ。そう、フリだ。
だから道を間違えて、怪しいお店の並ぶ通りに出てしまう。壁に沿うように並んで携帯を見ている女子の目的は……流石にその煽情的な恰好から想像出来る。俺の近くを歩く男性が捕まったり、そもそも声をかけにいったりしているので間違いなかった。中には明らかに中学生か高校生くらいの女子も居たけど、手を差し伸べられるような余裕はない。だってここは、かばね町だ。
何とか通りを抜けて斎場の方に到着すると、木々の陰に隠れて車が停まっているのを発見した。近くには防弾チョッキを着た男が立っており、俺を見つけるや近づいてくる。
「ジュードだな」
「え、あ、はい」
「車に乗れ」
俺の倍くらいはあろうかという大きな手が肩を掴もうとして―――止まった。
「…………失礼。つい普段のやり方をする所だった。ボスからは指一本傷つけるなとの命令が下っている。ついてこい」
「それは…………どうして?」
「…………」
答えてはくれなさそうだったので言われた通りについていく。後部座席に乗ると、サイトウさんが既に乗り込んでいた。あの時着ていたコートはお気に入りなのか今日は羽織っていて、それから眼鏡をかけている。だから最初は、別人かとも思った。
「約束通り来たな。貴様らの家に乗り込んでも良かったが、あまりリスクを取る趣味はないんだ。特に利益もないしな」
「…………何処に向かうつもりですか?」
「それはついてからのお楽しみだ。早く乗れ。私を待たせるな」
俺だってリスクを取る趣味はないが、それ以上に一人だけ呼び出してきたのは気になっている。意を決して飛び込むと、何の事はなく車は発進した。
「そう縮こまるな。何も取って食ったりはしない。私はお前を……対等には見ていないが、感情を発散するだけの玩具とは思っていないよ。私の好みはそう、もっと幼さの残る子供だ。お前のようなガキではなく」
「ボス。向こうの準備は整ったようです。後は合図をいただければ」
「ああ」
「ボス? サイトウさんってボスだったんですか?」
「飽くまでこのかばね町の支部を任されているだけさ。それがどうした、所属してもいないお前には関係のない事だ。それとも本当の名前を教えてほしいか?」
「そうじゃなくて、さっき傷一つつけるなって命令をされてるって下りがあって……」
「不用意に人間災害の怒りを買いたくはない、という意味だ」
彼女の指先が何気ない調子で煙草を取り出す。車内喫煙なんて窓が開いていようがやめてほしいが、俺の心情など知った事かと言わんばかりにライターを渡してきた。
「……え? つけろって?」
「任意だ」
そう言われても、この状況で断れる度胸が俺にはなかった。昔見たヤクザ映画の見様見真似で煙草に火をつけると、サイトウさんは意地の悪そうに笑う。
「…………どんな人間も、弱みを見つければ殺す事が出来る。そうでなくとも言いなりには出来る。私はそう信じているが、現状、人間災害にだけはそれが出来ない。言語の壁があったとて、それでも力とは絶対的に共通する指標だからだ。故に、殺す算段が見つかるまで私は奴の機嫌を損ねない」
「殺す算段が見つかれば……殺すんですか?」
「私でなくともそうだろう。それだけ奴は暴力というただ一点で多方から恨みを買っている。災害を救いだと戯言をほざく存在以外はな」
「殺す以外の方法は検討しなかったんですか? 現実的じゃなくても、人間災害がまず現実的じゃないし。催眠術とか、洗脳とか」
「ではまず拘束方法を考えないといけないな! さて、ジュード、どう拘束すればいい? ビルを重しにでもすればいいのか? 成功しそうな気配は見えてこないな。その程度で拘束出来るならとっくに米共が拘束している。人質もそれに伴う脅迫も奴には無意味だ。過去の経歴の一切が不明、親族は多くの人間が調査して一人も見つかっていない。天涯孤独の女にどう脅迫する? 例えば、お前を使うか?」
「えっ」
「残念ながら不可能だ。人質は人質が生きているから機能するのに、生かすような判断をした直後に私達は全員殺されるだろう。マーケットは奴のせいで一度ここを撤退しかけた。此度の一件で人間災害の力をこの国は己の土地で大層思い知らされたかもしれないが、私に言わせれば全然奴は本気を出していない」
「……義眼も、透子との諍いのせいだったり?」
「先代の首と併せても安い代償だ。当時のマーケットは今よりずっと武闘派でな。やんちゃが過ぎたのだよ。毎日毎日隠れ場所を洗い出しては襲撃を仕掛けていれば歴史上聖人と呼ばれた人物も頭に血が上るだろう。奴が生きていて、私がこのザマなのが最終的な結果だ。あれは見た目こそ初心な小娘だが中身はド級の戦艦に引けを取らない。拳一つで船を沈めろと言われたら不可能だろう?」
心を折られた、という言い方は怒りを買うかもしれないがかばね町の均衡が安定しているのは透子のお陰なのは間違いなさそうだ。時系列は曖昧だが、そこまでアグレッシブに活動していたならそれを遠巻きに見ていた他の組織達も争うのはやめようとなる筈だ。
三大組織には手を出すなが鉄則なのに、その内の一つから仕掛けて惨敗しているのだから。
「………………透子、天涯孤独なんだ」
俺に優しいのは、誰かを甘やかしたいみたいな気持ちがあったりするのだろうか。
「そろそろ到着するぞ。窓の外を見ろ」
そう言われたのとほぼ同時期に厳かな雰囲気の門扉を通り、車が建物の近くで停まった。周囲には目に見える位置に大量の刺青を彫った人間が大勢、車を囲むように立っている。
「こ、ここは!?」
「龍仁一家の会合所の一つさ。私と話したい事があるらしい。さっきはああ言ったがこの会合が終わるまでは私のお気に入りという体裁を取ってもらうぞ」
「礼儀とか、分からないんですけど……」
「趣味の範疇だ。口出しされる謂れはないが……普段は幾ら弱気でも構わんが、今くらいは堂々としていろ。そうだな。私の肩に手を回し乳を揉むぐらいの度胸は見せろ。ヤクザは私ら以上に舐められればつけあがってくるぞ。たとえお前が人間災害のお気に入りでもだ」




