望んだのは『安心』
「どれどれ……ちょっと待ってね」
「コンセントはあるんだな」
「夏目が来る前はこことガレージを行き来して色々な機械動かしてたから、自分で取り付けたんだ。割と大きいテレビだから部屋がもっと狭くなっちゃうと思うけどそこは勘弁してよっ。家の増築なんてやってもいいけど時間かかるんだからさ!」
「やっていいのか……」
「昔から何か作るのって好きなんだよねっ。流石に増築作業を一人でやろうとしたら凄い時間かかっちゃうけど、出来る自信はあるよ。夏目さ、この町の何処かに家買ったら私に増築させてよ! 安くしてあげるからさっ!」
現状作業にとりかかる彼女の背中しか見えていないが、声音の高さからも分かるようにきっとその目は輝いているのだろう。手伝いたい気持ちはあったが、素人が下手に手伝っても作業が遅れるか大変な事になるだけだ。見守っている方がいい。
「……俺はこの町にどれくらい居るんだろうな」
「へ、永住じゃないの? 変な意味じゃなくてさ、本当の名前が使えないまま外の世界で暮らしていけるとは思えないんだけど」
「……うーん。意外となんとかなるんじゃないかなとは思ってるよ。かばね町の犯罪者達って経済活動をここで完結させてる訳じゃないだろ。大半は外国人で、治外法権が生まれたって事はここは本部というより支部の一つだ。この国では飽くまでここを拠点に手を広げてくって感じなら、外と中を行き来する方法もある筈だろ。戸籍の偽装とかさ」
「何処かの組織に身を売るって事? やめた方が良いと思うけどなあそういうの。生きる為に仕方なくどころじゃなくて、本当に犯罪の片棒を担がされちゃうし。そんな事するくらいだったらずっとうちに居てよ。一人より二人の方が沢山仕事出来るよ!」
川箕はドライバーを工具箱にしまうと、テレビの側面にあるボタンを押して電源を入れた。
「おお、ついた!」
「オッケー! 一応ネジで留めておいたから多少の揺れくらいだったら落ちてこないでしょ。いえーい完成! ぴーすぴーす!」
テレビなんてもう何年も見ていない。ニュースはつまらないし、バラエティはネット配信されている物を見れば良くて、それ以外の情報も大抵ネットが解決してくれたからだ。決定的だったのは両親のテレビの独占。
子供の頃、勉強で悪い点数を取るとテレビを見せてもらえなかった。それは単なる罰なのだが、次回以降はなんと『テレビを見ていたらまた点数が悪くなるから』という理由で最初から禁止されたのだ。
良い点数を取ったら解除されるのだが、勉強のモチベーションに対して一々テレビの閲覧権を交渉材料にされる事が鬱陶しくて―――その内関心がなくなってしまった。思い通りに操られるくらいなら、そんな報酬は要らないという逆張り精神である。
「画質も問題ないし、受信も大丈夫っぽいね。それじゃ約束通り、私を労って!」
「す、凄い! 天才! え、えーと。凄い! 頑張ったと思うから、俺がマッサージしよう!」
「褒めるの下手かっ! でも気持ちは伝わったからいいよ。ベッド借りるね」
テレビが見える方向に彼女はうつぶせになって寝転がり、背中の上に俺を乗せた。乗せたというか……乗ったのだけど。
「じゃ、じゃあ触るぞ」
「はいはい~よろしくねー」
以前にマッサージをした時は肩だけだったが、それこそ今度はもっと力を入れて色々な場所を揉み解した方がいいだろう。少し緊張する。透子も居ないし、誰が俺の正気を担保してくれるのだろう。侵入思考を排除し、背中に掌を置いた。
「かった!」
「いやあ……寝る時も身体が痛い時もあるくらいでさ。何とかだましだまし頑張ってるんだけど、そうなんだよねえ。やっぱり固いか」
「……まさか女子にマッサージする日が来るなんて思わなかったな」
「私も~まさかマッサージの上手な同級生が居るなんて思わなかったなあ」
川箕は俺が何かするなんてちっとも危惧していない。マッサージ上仕方ないが、ブラホックに手が当たっても何も言わないくらいだ。本当に真面目にやるならホックを外した上でやった方がいいのだろうけど……そんな勇気はないし、俺も自分がそんな真似をしていつも通りで居られる自信はない。努めて避けて、それ以外の場所を―――そうなると肩周りは非常にやりやすかった。
「ん~♪ あー………………いい、じゃん。気持ちいいよぉ~……」
「さ、流石にあれだな。テレビのニュースは人間災害が起こした災害の事ばかりだ」
「そりゃ、当然でしょ~。かばね町ってもう世界的にも有名な犯罪都市だからさ~。調べれば分かるけどー、マーケットと『鴉』は色んな国が要注意団体としてマークしてるしぃ、ここでは大きくない組織でも例えばイギリスの方で幅を利かせてる組織みたいなのもある訳でさ…………」
「そのかばね町が事実上拡大したからニュースにって……報道の内容に繋がる訳か」
余程衝撃的な事件だったのだろう、リモコン(付属してなくて川箕が自作したらしい)で何処にチャンネルを切り替えても特番放送としてこの話ばかりやっている。だからニュースは好きじゃなかった。子供の頃は、バラエティが全てだったから。
「わ、脇腹とかも揉むな?」
「うひ! あはは……くすぐったいかもぉ。でも、うん。おねがぁい」
語尾がぐずぐずに溶けた川箕の声は甘ったるく、たった一言のおねだりが耳に強くこびりついて離れなかった。両手でウエストをがっしり掴むようにして、親指を軸に凝りを解していく。
妙な事は何もしていないのに、いけない事をしている気分になってきた。
「ニュースにはするのにかばね町が浄化される気配って全くないよな。真に遺憾、真に遺憾って。マスコミも正義ぶって町の浄化がどうこうとか言うけど、全然変わってないし」
「まあそこはさ~ルールを守る人と守らない人の違いっていうかあ。守る人は守らない人に勝てないしぃ…………弱味を握られてるんでしょぉ」
かばね町の事実上の拡大は二度とあるかないかの大事件だ。それで外の世界がこの町に秩序をもたらそうと働きかけないのなら、きっとこれからも町が変わる事はないのだろう。今日も明日も明後日も、ここは変わらず無法者の楽園。
『……人間災害が何故この町に居るのか知っているか?』
レインの何気ない一言がフラッシュバックした。透子はどうしてこの町に居るのか。元々住んでいたから……ではないのか? もしそうでないとしたら留まる理由は確かに分からない。だって、彼女を縛れる力なんて存在しないから。
この町は所謂最後の漂流先だ。持たざる者の行きつく場所。拠り所―――或いはそう書いてラストチャンスと読むタイプの町。法に支配されない代わりに自由と暴虐が入り混じるような場所に留まる理由。多くの人はその『法』に触れたせいで暮らせなくなったから来ていると思うが、透子は『法』では裁けない。彼女が抵抗すれば、それだけで破綻する。
『いやあアイツはね、人格破綻者ですよ』
テレビから聞こえるボイスチェンジャーに視線が向かう。独占取材という名目で、その番組スタッフは現在名前だけで指名手配を受けている夏目十朗と親しかったというクラスメイトに対して顔出しNGを条件に取材をしている所だ。
貴方は人間災害について知っていますか?
「人間災害? いやいや、人間災害の顔を知ってる奴は殺されるらしいですから俺は知りませんよ。ただねえ、夏目から強面の男とは聞いてたかなあ! アイツ、普段から変な奴だと思ってたけど、まさか人間災害と協力して国を壊そうとするなんて思いませんよ! これあれですか? 外患誘致罪とかになるんですかね? それとも内乱罪とか??」
夏目十朗について教えてください
「仲は良かったっすよ。家庭環境にも恵まれてましたね。そんな奴がまさか犯罪者と手を組むなんて思わないでしょ。何が不満だったんだ? って話ですよ。アイツはねえ、勉強も出来なくて運動も普通で、写真は……あー、焼け落ちたからないけど、虫も殺せなさそうな女々しい奴でねえ。すぐ泣くんですよ」
「…………これ、もしかして」
「―――真司の奴だ」
アイツ、生きてたのか…………!
良心は捨てたからハッキリ言おう。アイツには死んでいて欲しかった。透子を、川箕を滅茶苦茶にしようとした最悪の人間だ。俺が反論出来ないのをいい事に人物像を捏造してメディアに引っ張りだこという訳か。
夏目十朗には捕まってほしいと思いますか?
「そりゃあ勿論。ただね、難しいと思いますよ。こんな事を成功させたからにはどこの犯罪組織がバックについてるか分かりませんけど、相当な役職を与えられてるんじゃないんですかね。もしテレビを見てたら―――早く自首しろ! お前の居場所はそこじゃない! って言わせてほしいですよ」
居場所がそこじゃない、とは?
「だって一般人ですよ? 絶対に違うでしょ。親友として、絶対に戻ってきてほしいですよ。こんな事したら死刑は免れないかもしれないけど、俺の中では今も友達です。だから毎日面会だって行きますよ!」
気づけば川箕がリモコンを奪い、テレビを消していた。
「見なくていいよ夏目。あんなの外から好きに言ってるだけなんだから」
「……案外、人間災害もこんな風に好きに悪く言われた結果だったりしてな」
「え?」
「何でもなし。足もやるか?」
「あ、お願いっ。え、あ。夏目さ。あの、私は女々しいなんて思ってないよ? 恩人っていうか……頑張り屋なところが、凄くかっこいいと思う!」
「―――慰めないでも大丈夫だぞ。自分でも分かってるからいいんだ」
「え、そういう風に受け取るっ? あ、じゃあえっとえっと…………夏目さ! マッサージしたでしょ! 二回も!」
川箕は仰向けになると、前後不覚を表すようにあちこち視線をばらつかせながら耳まで赤らめて叫んだ。
「男性として有り得ないみたいな、さっぱり意識してない人なんかに身体触らせないから!」
それだけ言い残し、またすぐうつ伏せになる。そして布団に顔を埋めながら両足をはげしくばたつかせた。
「~~~! マッサージ! 早く! 凝った! 取れる! 捥げる!」
「…………わ、分かった。分かったから…………」
すぐうつぶせになってくれたのは、思わぬ幸運だった。
鏡なんて必要ない、見なくても分かる。自分の顔が赤くなっている事は。




