登校防戦
寝る直前まで働いていたからだろうか、仕事が終わってから寝るまでの記憶がハッキリしない。そこまで大変な作業をしていたつもりもないのだけど、思ったより部活動で疲弊していたのかもしれない。
どれくらい疲れていたかというと、ベッドに入った記憶がない。だから目が覚めた時、横に透子が居るという現実が受け入れられなかった。自分でも気づかない内に一線を越えてしまったのかと慌ててしまったくらいだ。
「お、俺。何もしてないよな?」
「何かしたかったの?」
「おい、そんな言い方はずるいぞ! 真面目に答えてくれよ」
「大丈夫、何もされてないわ。何かする暇もないくらい君は疲れてたみたい。ベッドに崩れ落ちた瞬間寝ちゃって……」
「…………やっぱりそうか。仕事はきちんと終わらせた記憶があるからそうじゃないかとは思っていたんだ。これで今日も学校なんて狂ってるな」
「明日は休日よ。尤も、休日だって部活はやらないといけないけどね」
時刻は七時を回ったばかりだ。ベッドに寝転がったままの俺と、スペースを気遣って反対側の角に背中を預ける透子。取り留めのない会話をしているようで、俺達は多分同じことを考えている。
どの町のどの場所にすんでいようと、俺達は学生だ。
学校に通わないといけないが、今日、何事もなく登校出来る保障は誰もしてくれない。父親が車で突っ込んでくるなんて凶行に及んできたくらいだ、逮捕されてなかった以上、次があると考えるのが自然だろう。町の中に居るような想像だが、学校は町の外だ。これは外で繰り広げられる狂気なのである。
「……前回は運が良かっただけだ。例えば油をかけられて火をつけられたらどうする? もうあの人は正気じゃない。俺達二人を何が何でも殺しそうだ」
「……正直これといった策は思いつかないのよね。別々に登校すれば狙われないと思うけど」
「そうなったら誰かが殺されるだろ! 二人で協力しないと駄目だよ。俺は自分が殺されるのも嫌だし、透子が殺されるのも嫌だぞ!」
「夏目君……」
「それに川箕だって狙われない保障がないだろ。俺達のやれる事は限られてる」
一つ。そもそも登校しない。
だがこれは有り得ない。俺達がかばね町で行っている活動はれきとした部活動であり、部活にだけ出席して学業は疎かになんて話にならないからだ。犯罪者として生きる気はないが、仮に犯罪者として生きる道を選んでもやっぱり学は必要だろう。裏『社会』なんていうくらいだ。ルールが違うだけで根本的な部分は表社会と変わらない。
二つ。こちらも車に乗って登校する。
しかし相手が襲撃してくる前提ならこれはむしろ自殺行為になる可能性を秘めている。例えば相手が爆発物を用いてきたら? 車を降りるまでに爆発して全員死ぬ。また、そもそもの問題として学校での立ち位置も悪くなるだろう。元々悪いのが更に悪化して……まあ、最悪それでもいいけど。俺はクラスメイトをまるっきり信用していない。敵と認定してくれるならいっそ気が楽だ。許す準備なんてしなくていいから。
三つ。先にお父さんを殺す。
出来たとして、やるのか?
やりたくない。家族じゃなかったとしてもだ。俺のやる事為す事全部比較してきて、兄ちゃんばっかり褒めてしまうようなどうしようもない父親かもしれないが、それでも殺したくない。それは相手を気遣っての事じゃなくて、俺が犯罪者になったら人として大事な物を失いそうだからだ。
大体そんな勝手な理由で人を殺すなんて、透子や川箕に嫌われても文句は言えない。友達に嫌われたくないと思うのは、人間としておかしい事ではないだろう。
「……そうね。少し無理やりな方法で良ければ案がない事もないけど」
「何?」
コンコン。
「おはよ、二人共。昨日はお疲れ様っ」
「川箕。丁度良かった。お前も混ざってくれ」
運んでくれた朝食には与りつつ、さっきの話を繰り返した。彼女はどうも初回の状況から他人事と思っていたようで、朝から不健康なくらい顔を青ざめさせて目を背けた。
「そっか。そうだよね。私も夏目を攫った一人だし狙われてもおかしくないか……」
「繰り返すようだけど、無理やり行く方法ならなくはないわ。川箕さんの家で近道を通ったでしょう? 同じ要領で学校に行けばいいのよ。要するに、校舎についてしまえばいいんだから」
「校門を介さないで登校するって意味で大丈夫? 確かにそれなら待ち伏せもされづらいね」
「目立つだろうけど、まあそれは仕方ないよな……」
校門を通りたいなんてのは我儘だ。学校にさえ入れればいい。およそ普通の学生から遠ざかった方法だとしても。
多数決を取った訳ではないが、何となく三人の中でその方法が一番現実的だろうという空気になった。しかしそこでも問題になってくるのがかばね町を出る為のルートだ。
この町の外に出るにはどの方向にしろ橋を経由する必要がある。陸の孤島とか監獄とかネットで好きに言われる理由の一つだ。封鎖が起きれば町の人間は外に出られない。橋を封じられるだけでこの町は小国となってしまうのだ。
それは裏を返せば橋の近くを監視すればそれだけで俺達の存在を感知出来るという意味でもある。一回目は不意を突かれてまんまと殺されかけた訳だが、二回目以降は正に予測可能で回避不可能。校門を経由しようとかいう話以前の問題だ。
「ど、どうやって橋を出る? 見られてたら終わりだぞ」
「車を使えばいいじゃない。川箕さん、運転宜しくね」
「……いいけどさ。バレないかな。私の顔だって割れてるでしょ?」
「あの時使った車はなの子ちゃんの所で借りた物で、車自体が特定された訳じゃないから大丈夫よ」
「そうじゃなくて、顔を見られたら―――」
「無理よ。だって今、朝だもの」
朝だから、なんて適当な理由に納得した訳じゃないが、遅刻する訳にも行かず、俺達は透子の発言を信じて思い切って車を使う事にした。爆発物を使われる危険も、そもそも俺達と分からなければ使われないとの話。
その通りというか、初回だって俺達以外に被害者はいなかった。お父さんが殺したいのは飽くまで俺達、他の人間はかばね町の住人だろうと巻き込みたがらない筈だ。
「……帽子を被ったはいいけど、こんな気持ち程度の変装って効果あるのかな」
「夏目君は堂々としてていいのよ。横の窓は暗幕がかかっているから見られる事はないわ」
「……全然分からないんだけど、これに朝とか昼とか時間帯が関係するとは思えないぞ」
「関係は大いにあるわよ。町の外から橋を眺めた時、太陽は向かい側に位置するわ。逆光になれば運転席は見えにくいでしょ?」
「……そうか!」
今日の天気が晴れだからこそ出来る事だ。太陽の位置関係なんて気にした事もなかったが、逆光で少しでも視認が遅れれば攻撃するかどうかの判断も遅れる。その間に走り抜けてしまえばいいのか。
「それで、車は何処まで走らせればいい?」
「学校の裏側まで。飽くまで道路に沿ってね。通勤の関係で交通量が多い事はネックだけど……ギリギリ遅刻は免れる筈」
だから普段より早く登校させたかったのかと納得した。早く出ようが遅く出ようが橋さえ見張っていれば登校を察知出来るから、お父さんにとって見ればこれは駆け引きも何もないワンサイドゲーム。
勿論、橋を必ずしも見ている訳ではないだろう。最適解を全員が選ぶならこの世に騙し合いなど存在しない。だとするなら最初の時のように校門を見張っているかもしれないから、その為の大回りだ。
「警察に止められたらどうしよーね! 一応これでも一般人だから無免許運転で学校に通知行っちゃうかもっ」
「………………」
「何か言ってよ! もう、警察が居ませんように、警察が居ませんように……!」
学校に通うのも命がけ、部活を行うのも命がけ。家族を捨てた事で俺が得た物は……かけがえのない友人二人。釣り合っているかどうかなんて、言うまでもない。
「明日が休日で良かったわね。今日が月曜日だったらあと四回はこの駆け引きを繰り返さないといけないんだから」
「言い出したのは透子ちゃんなんだから他人事みたいに言わないでってばー!」
「―――――ありがとな、二人共」




