在りし家族はいつかの跡地
「…………………ん、ん」
「……! …………える!?」
「…………んう」
「夏目君。起きて。起きるの。お願い」
「……とう…………こ? 透子っ?」
その名前を自分で呼ぶと、意識が跳ねて覚醒する。目が覚めたら保健室の天井と―――二人の友達の顔。
「夏目、良かったぁ~目が覚めたんだ! 透子ちゃんの言う通り大した怪我は負ってなかったんだねっ」
「信じてなかったの?」
「い、医者じゃないじゃんっ! 幾ら透子ちゃんでもその診察はちょっと半信半疑が限界だよ……!」
透子がベッドに寝込んだ俺を見つめている。記憶が確かなら彼女は車に轢かれて…………何度も何度も。最終的に車の下敷きになったまま爆破されて……
傷一つ。汚れ一つ負っていない。
「透子お前……車に轢かれた筈じゃ」
「え?」
「……記憶が錯乱しているみたいね。私と君はギリギリ轢かれなかったのよ。君が気を失ったのは私の落ち度。突き飛ばしちゃった時に頭を打たせちゃったの。ごめんなさい、力加減を間違えたみたいで……」
「……さく、らん?」
でも、やけに鮮明だ。気を喪う前後の光景なんて曖昧な筈だと思ったのに、気を失っていなかったように思い出せる。ぐったりとした彼女を俺の父さんが……何度も何度も。
気のせい、だったのか?
「ま、まあまあ。気は失っちゃったかもしれないけど頭にたんこぶが出来た訳でもないならいいじゃん! 私が学校来たら大騒ぎで怖かったんだからっ。何があったの? 色んなクラスで話題が持ち切りだったよ。不審者が突っ込んできたって」
「不審者?」
あれは確かに俺の父さんだと思ったが、思い返してみるとそう判断したのは声であり、姿はキャップ姿にサングラスに黒マスクと不審者その物だった。もし個人を判別出来るならそれは親族以外になく―――他の人から見れば不審者で括れるか。
「あんな速度で突っ込まれたら二人共良くてミンチだったから、本当に幸運だったわね。 私も、傷一つないから君を保健室に運べたのよ」
「…………そう、なのか。でも確か車は火をつけられて炎上したんじゃなかったっけ」
「良く覚えてるのね。でもそれは証拠を残さない為でしょう? 炎上して爆破した車から痕跡を見つけるのは大変だから……ナンバーによる特定も、ここはかばね町に隣接する町だから盗難車って可能性もあるし」
「……」
色々と納得いかない気持ちはあるが、確かに一〇〇キロは出ていたくらいのスピードで突っ込まれたら二人共五体満足では済まされない。体感でも車に吹き飛ばされたというより強く吹き飛ばされた感覚が身体に残っているので透子が嘘を吐いているとも思わない。というか嘘を吐いているなら彼女はバラバラ死体になっている。
「…………今、何時だ? ここからじゃよく見えなくて」
「一応、昼。ほんと、心配したんだよっ? 私と透子ちゃんでずっとここに居て、本当に不安だったんだから!」
「…………君を死なせない為だったとはいえ、突き飛ばした責任が私にはあるわ。責められても、何も言わない」
「責めないよ! 死ぬかどうかだったんだし……気を失うくらい何でもないって。それより……聞いてほしい。不審者の正体について。声が聞こえただろ?」
二人には全てを話した。確信を持っている訳ではないが、あの声は自分の父親の物だったと。『俺の息子を返せ』みたいな発言をしていた事も。川箕はどんな顔で受け止めればいいか分からない様子で、ただ必死になって布団の下の手を握ってくれたが、透子は深刻そうな顔で明後日の方向を向いていた。
「………………正直に言うとね、私は君の家族に出来れば干渉したくなかったわ。嫌いでも喧嘩ばかりでも、家族には違いなかったと思うから。一パーセントでも可能性があったなら仲直りしてほしかった。けどもしそれが本当なら……気が変わったわ。君を家族に渡したくなくなった」
「ど、どうするの? 透子ちゃん、今から確かめに行くとか?」
「答案返却があるから今は行かない。けど放課後に三人で確かめに行きましょうか。まさか自分の子供を殺そうとする親がいるなんて信じたくないけど……」
「でも言葉的にはお前を殺そうとしてた感じに近いと思ったけど」
「同じ事でしょ。あの時は私の傍に君が居たのよ。家族とすれ違っても、距離を置けば分かり合えるって……思ってたのに。君には、心の底から危険な目に遭ってほしくなくて、家に帰れるならその方がいいって思ってたのに」
「確かに私の家も絶対安全って程じゃないもんね。でも私は、夏目なら町の中でも生きられると思うけど……な。一緒に居たいだけとか、お、お、思ってないよ!? そりゃ友達だけど……で、でもさ。町に来ると夏目の顔が明るくなるのも事実だったじゃん!」
「…………失望した。家族、家族って。家族なんて……他人の存在一つであっさり捨てられるようなちっぽけな繋がりだったのね。失望した」
透子は欝々とした表情のまま保健室を去ってしまった。後には川箕だけが残される。彼女は思い出したように鞄から数枚の紙を取り出すと、俺のお腹の上に置いてきた。
「あ、これ。夏目の答案ね。私が回収しておいたけど点数は見てないから、部室で報告し合おうよっ!」
「……残りの答案は俺が自力で受け取らないと、か」
「うん、夏目は頑張ったんだから点数もきっと大丈夫だよっ。じゃ、私もそろそろ行くね!」
こんな事があっても勉強、勉強、テスト、テスト。全ては将来の為、進路の為。
………………醜いよ、そんなの。
かばね町の全てを拒絶しないと開けないような未来なんて、俺は要らないのに。
「よお十朗、大丈夫か?」
「た、大変だったね!」
「俺らが逃げられたのはお前のお陰だよ。あ、ありがとな?」
机の近くに来て話しかけてくれる同級生の声がこんなにも遠くに聞こえた事はない。話しかける話題が欲しくて、今朝の事件が正にそのきっかけになったという事だろうか。
真司だけは話しかけてこなかったが、そんな事はどうでもいい。華弥子と付き合っていた頃はいつか仲良くなれそうな気もしていた男子とか、華弥子の次に気になっていたが接点のなかった女子とか、それこそ俺の方からはきっかけを掴めなかった人間が次々と話しかけてくる。ちょっと前なら嬉しかった。
でも、もう曖昧な返事しか返せない。
「…………」
自分でも何がこんなにショックを与えているのか分からないから、何を言われても上の空。なんとなく会話っぽくなるような返答をしているせいでクラスメイトは仲直り出来たと思っている様だが、今はそんな事どうでもいい。
―――父さんが、俺を殺そうとした?
勿論反りは合わなかった。何より価値観が合わなかった。俺はかばね町が危険と知っていてもその中で暮らす人は個別で判断すべきという考えで、親はかばね町に関わっているというだけで関与を辞めろという考え。分かり合えないと思ったから、家出した。透子や川箕を当てにするのは情けないと思ったけど……あれ以上は耐えられそうになかったから。
「………………」
放課後になったら二人に話そう。俺の決意を。じゃないと俺は、いつまでも引きずってしまう。泣き顔を餌にされてしまうような情けない自分のままでは居たくない。
「…………よっしゃ」
午後に返却された科目は化学と地理で、それぞれ七六点、八〇点だった。三人で頑張ったテスト勉強は無駄じゃなかったと分かり、途端に胸が熱くなる。家での勉強は一々口を挟まれてやる気をなくす事が多かった。リビングで勉強するのをやめれば『人に間違いを指摘されるのが怖いからって』と陰口を言われる始末。そのせいで点数が悪かったとは言わないが、精神的にはどれだけ勉強しても足りないような気がして……その時良い点数を取ってもたまたまだったかもしれないという気持ちにばかりになっていた。
それが今回はまるで感じない。勉強中は川箕が沢山褒めてくれて、透子は一緒に考えてくれた。どんな点数を取っても多分後悔はなかったと思うし、良い点数が取れたなら純粋に嬉しい。
ああ、そうか。
失望ってこういう気持ちか。
家族に求めていた物がここにあるなら、後は無償の愛だけだ。けどそんな物はないし、きっと俺の人生に現れる事はない。華弥子に弄ばれたあの日から、まるで過去の自分が死んだように全てが大きく変わってしまった。戻りはしない。戻そうとも思わない。
気が付けば何処に居ても、心はあの町の中に。




