地獄の佳景
幾らそのつもりがなくても女子の家に身を寄せた挙句にお風呂まで使わせてもらうのは単純に恥ずかしかった。余計な事を考えないようにして入浴を終わらせなければ良からぬ想像をして長湯する所だった。川箕がせっかく先に入れてくれたのにそんな身勝手な理由では長湯は出来ない。
ガレージに戻ってみると入り口が閉められており、見た目的にも少しは安心出来るようになっていた。彼女の姿が見当たらないのは、着替えを用意して帰ったからだろうか。
「…………」
何処に男物の着替えの用意があったのかという疑問は残りつつも、それはわざわざ叩き起こしてまで聞くような事ではないだろう。割り当てられた部屋に戻るといよいよベッドに入るしかやる事がない。とりあえず寝転がった。
――――――透子、心配だな。
この町を悪戯に危険で悪い人間ばかり集まる町と決めつけるのは良くないという話はしたが、それにしたって彼女の無防備っぷりは常軌を逸している。危険を危険とも思っていないというか、本当にこの町に住んでいるのかと疑わしいレベルだ。こんな言い方はしたくないが、危機感だけが箱入り娘になっている。
しかしこの町に詳しいのも事実だから、俺は透子の発言が嘘とは思わない。ただどうしても……見ている情報と齟齬があるだけだ。尤もそれは……透子がというより、この町自体にもない訳ではない。
コンコン。
「……川箕か?」
「うん。あ、もう寝るならいいよ。私も寝るから。ただちょっと……様子を見に来ただけ」
「いや、考え事をして眠くなるのを待ってた。お前こそ眠そうだっただろ。いいのか?」
「お風呂入ったらすぐ寝るつもりだし、別に大丈夫。それよりどう? やっぱり狭くて落ち着かない?」
「……いや、寝る為の場所って考えたら悪くはないよ。何だろうな、冬に布団を頭から沢山被ったら重いけど眠くなる感じに近いかも。文句はないよ」
「そっか。なら良かったよ……仕事は本来朝からあるんだけど、夏目は初めてだから部活終わってからでいいからね。テスト返却もあるし、気合い入れないとっ」
「テスト返却なんて先生のチェックが合ってるかどうかの確認くらいじゃないのか? それより朝からって……少し気になったんだけど、こんなに治安が悪いのに一か所に留まってて大丈夫なのかな」
大きな組織に所属する人間は……いや、そうだとしても。その時の攻撃は避けられないだろう。恨みを買って乗り込まれた時、そいつは後々報復で殺されるのだとしても自分が殺されたら無意味な話だ。仇を討ったかどうかは関係ない、死なない事が一番なのに、住所が固定されていたら誰しもが常に襲撃のリスクを考えなければならない。
「お前はなんか、商売してるっぽいからあれだけど……普通これくらい治安が悪かったらリスクケアの為に住所を転々とするんじゃないかと思ってさ。そこがアジトみたいになってるならまだしも」
「あ~そういう事ね。それは私も小さい頃に気になったけど、大丈夫なんだ。人間災害がこの町に居るからね」
「それは、人間災害が誰か分からないから手出し出来ないって話か? でも仮にここの人口が十万人くらい居るとして、十万分の一がババでもそれ以外は大丈夫なんだぞ。抑止力にしては無理がないか?」
「人間災害は手を出されたら暴れるんじゃなくて、本当に何がきっかけで暴れるか分からないから災害って呼ばれてるんだってさ。手を出したら明確に暴れるってだけだから……お父さんは何度も災害に遭っては壊れていく町を見た事があるんだよ。その時は正に夏目の言う通りで、住所が割れると毎日襲撃されるような日常だったんだって。それも私達みたいに組織に属すとかじゃない普通の人が。まあ冷静に考えたらそうなんだよね。組織の人って絶対武器持ってるから、それよりは武器持っててもグレードのしょっぱい私達襲った方が勝てるっていう」
話の流れ的にはそんな事が続いたら人間災害が暴れる日々が続いて略奪したい側も学習したという事だろう。必要とあらば凶器を簡単に用意出来る世界で『手を出すな』と言われる災害の強さはおよそ人間の範疇に収まる物じゃない。多勢に無勢の原則を覆し、全てを破壊してしまうからそんな了解が生まれるのだ。
「それって、一般人の生活を人間災害が守ってるって事なのか?」
「微妙だと思うなあ。災害の余波に巻き込まれた事は何回もあるし、本当に分からないんだよ。でも恨みさえ明確に買わなければ襲われる事はなくなったかな。私の予想だけど、多分何度か色んな組織が災害に立ち向かったんだよ。それで全員思い知らされたんじゃないかな。お父さん、昔、借金で色んな所に狙われてたらしいけど今は全部の組織が消滅したんだってさ。一体どんだけ借金したんだろうね。あはは」
人間災害の正体は未知数だが、一つ分かっている事は俺に投げてきたコートが女物だったという事だ。全く同じコートを着た女性が居たから間違いない。つまり少なくとも女性ではある。
あるが……聞けば聞くほど人間的ではない。本当に、何者なのか。
「で、何。そんな事聞いちゃってさ。この町に引っ越したいとか?」
「それはまだ考えてないけど……この国って世界的に見たら治安が良い方だと思うからさ。かばね町の中に居るとギャップが生まれて何とも違和感を覚えるってだけだよ」
「普通の感覚でしょ? だから……夏目は少数派なんだよ。この町の中に居る人と知り合いになろうなんて普通は思わないんだから。危ない目に遭いたくないなら猶更」
「…………仕方ないだろ。この町の方が俺に優しいんだから」
家族が俺を拒絶した。
家族が、俺の価値観を、俺の恋を認めなかった。
不満が爆発しなかったのはきっかけがなかっただけだ。恋は盲目とも言うだろう。華弥子と交際していた頃は見て見ぬふりなど簡単に出来た。だが一時の夢はとうに終わり、受け入れてくれない現実だけが相変わらずならもう、耐えられない。
「……ありがとね、私と友達になってくれて」
「友達になる事を感謝される謂れはないよ。泣きそうになってる姿が見てられなかっただけだ」
「ううん、それでもありがとね。自分の出身地を隠してまで友達として付き合うの、後ろめたかったんだよ。打ち明けるのも怖くてさ……でも夏目は私を助けてくれた。見返りなんて期待しないで。大袈裟かもしれないけど、あの時はヒーローみたいに感じちゃったっ!」
…………!
扉越しに、川箕は自分自身の発言に動揺する。
「な、なーんてねっ? 同級生をこんな風に言うなんておかしいよね。あ、はは。じゃ、じゃあ私お風呂に行かないと! お休み!」
ばたばたと去っていく足音を心の中で見送ると、満ち足りた感情と共に俺はベッドに背中を預けた。あんな風に褒められたのは初めてだ。泣き顔がいいだとか、優しいだとか、そういう風に言われた事はあっても、ヒーローか。
「はは…………俺が、ヒーローね」
俺に対する透子みたいな事が出来たなら良かった。川箕みたいに元気な女の子はいつも笑顔で居るくらいが丁度いいし、俺もその方が嬉しくなる。口に出されると恥ずかしいが、これからも助けられたらいいな。
「…………」
目を瞑る。
家族と評価が違えば違う程嬉しくなっている自分に嫌気が刺す。物差しがないと、基準がないと喜べないなんて失礼だ。彼女は俺を嬉しくさせたくてそんな事を言ったんじゃないのに、俺は嫌いな家族の嫌いな基準を、いつも尺度にしてしまっている。
血の繋がりを否定するなんて、不可能なのだろうか。
最近夢を見ないのは、よく眠れているからかもしれない。いや、実を言えば深夜に一度目覚めたのでその理屈は通用しないか。
だがあれで目覚めない人間が居たら何となく長生きしそうにない。震度五はありそうな地震が起きたのだ。幸いこの部屋の家具は全て固定されているので多少本が崩れたくらいで済んだが。
ガレージに出ると入り口が開いており、大量の朝日が全身に浴びせかけられる。寝ぼけ眼どころか今すぐ消し飛びそうな勢いで照らされ、一瞬何も見えなくなる。
そんな目覚めの町に似つかわしくもない声が聞こえたのは、その直後だった。
『ふはははははははははははははは! 偉大な私が直々に求人を伝えてやろう! 根無し草の野良犬共、或いは自らをゴミと信じて憚らぬ者、死にたいと願う者は我が黒羽の下に集え! この町が浄化される日は近い! 否! 私が浄化をしたいと思ったんだ! 浄化はされるべきなんだ! ふはははははははははは』
「…………な、なんだ?」
目が光に慣れてくると、門扉の手前に川箕を発見した。視線の先の道路にはゴミ収集車のような大型車がゆっくりと動き回っている。
「川箕、おはよう」
寝起きだからかもしれないがまだ髪を結んでいない。それだけで判別する俺もどうかと思う。
「―――あ、夏目。おはよう! 昨日はよく眠れた?」
「地震をのぞいたら熟睡だよ」
「あははっ。それは私も! びっくりしたよね~」
人差し指を立てて意見の一致を喜ぶ川箕。ゴミ収集車を見ていたのは、ゴミを出し忘れたとかだろうか。俺の興味が車に向いていると知ると、彼女は複雑そうに苦笑いした。
「……あれが気になる?」
「気になるっていうか、ゴミ収集車だろ?」
「ゴミっていうか……まあ、ゴミ扱いはされるんだけど」
「え?」
見ていると、車が止まる。こちらからは死角になった場所にゴミでもあったのかと思えば、運び込まれたのは女性だった。女性が車の背面から放り込まれていく。
「な、何だあれ? ゴミって、あ。死体か!?」
「死体……じゃないんだよね。あれは『鴉』がたまに行うなんか……気持ち悪い商売っていうか。関わりたくないモノっていうか。今、放り込まれた人もそうだけど、あの車に入れられる人は身ぐるみ剝がされていく所のなくなった人とか、薬物中毒で自我が曖昧になってる人とか、深夜に強姦されて動こうにも動けなくなった人とか、単に死にたい人とかが集められるんだよ」
「……………要するに外で夜を明かすしかない人か?」
「まあ、そんな感じ」
川箕は真っ青になりながら俯いて、ゆっくりと話を続ける。
「…………商品価値が高いのはやっぱり女性でさ。その……無理やりされるっていうのは……押さえつけられてってレベルじゃなくて、ボコボコに殴られたり骨を折られて抵抗する気力をなくさせてからって意味なんだよ。だから……一番集まるのはそういう、人で」
「――――――な、何、するつもりだ。そんな人を回収して」
「知らないよ! 知りたくもない! さっきの放送は夏目も聞いたでしょ。町内放送は定期的に乗っ取られてあんな風に『鴉』に使われるんだ。多分、上の人なんだろうけど名前は不明だし規模も不明だしで、だから『鴉』って怖いんだよね」
ティルナさんもその点は良く分からないと言っていたっけ。夜に起こる犯罪は全部『鴉』のせいだとも言っていたような。今はもう明け方だが、この様子だと夜からずっと回収作業は続いていたのだろう。俺達は正にその終わり際を見届けたという事だ。
マーケットとも一家とも接点はないが、『鴉』の悍ましさは一目で分かった。三大組織というだけあって、やる事の悪質さは群を抜いている。気が付けば、正面から彼女の手を握っていた。
「だ、大丈夫だよ川箕! お前はそんな事にはならない! 俺が絶対に守るから!」
「……え、え? う、うん。ありが、とう?」
「大丈夫…………大丈夫だから」
透子は、大丈夫だよな?
大丈夫、なんだよな?
「そ、それより朝ご飯にしない? 一緒に食べようよっ!」
「いいのか? じゃあお言葉に甘えて……」
「変なの見せちゃったお詫びだから気にしないでっ。こういうの、修学旅行の二日目みたいでなんか楽しいし!」
家の中に去っていく川箕を見送ると、俺はすかさず専用携帯から透子に電話をかけた。信じていない訳じゃない。でも。もしかしたら。或いは。いや。そうじゃなくて。
『私は無事だから心配しないで』
『え』
もしもし、と言うより早く先に告げられて通話が終わった。超能力者を疑う察しの良さだが、よくよく考えればさっきの放送は町内放送だ。透子にだって聞こえているし、それから電話がかかってきたなら用件も察せるか。
しかし一瞬だけ奥からお経が聞こえた気もするが、何処に居たのだろう。




