最初で最期の兄弟喧嘩
「かわ…………」
「…………おねえ、さま?」
何故この男を心の底から味方だと信じていたのだろう。ずっと俺達を待っていたから? 血縁関係のある兄弟だと言われたから? 透子の幼馴染だから?
或いはその全て。そして、全ては妄想に過ぎなかった。俺だけではなく川箕もまさか自分が刺されるとは夢にも思っていなかっただろう。理解出来ないまま前に崩れ落ち、俺に手を伸ばしそうとして動かなくなった。
「ふぅ、危ない危ない。僕の筋書きが台無しになるところだったよ。トーコも幾ら仲良しだからってそんな物持たせるなんて正気じゃないな」
「お前! 何で川箕を刺した!? 俺達はただ、透子を助けようと……」
「刺したけど、彼女は別に死んではいないよ。ホログラムが人を殺せる訳ないじゃないか。これはちょっとした手品、ただコードを使わせたくなくてね」
「お姉様! お姉様! うわああああああああん!」
「お前は何がしたいんだよ! コードを使わずにどうやって助ければいい!?」
「まずは落ち着いて深呼吸。話はそれからだ」
泣きじゃくるニーナに寄り添うように俺も冷静ではいられない。川箕もまた俺の大切な存在に変わりはない。災害の力に下駄を履かされた俺とは違って単なる一般人。リスクを承知でここまで来てくれた恩人を刺されて冷静でなどいられるか。
「記憶消去プログラムを起動させたのは僕だ。寂しいけどトーコにはこのまま災害だった頃の記憶を忘れて新たな人生を歩んでもらう。彼女の呪いを解くにはもうそれしかない」
「……お前は人間災害としての彼女を否定するのか!?」
「肯定しても、その先にあるのは無常の破滅だ。君はトーコに自分を災害として見てほしいと言われたからそんな事を言うんだろうけど、本人の意向に添えば何でも幸せになるとは限らない」
「分かった風な口を利くなよ!」
未来が全部視えるからって、この男は何もかも知っているかのようにこちらを見下してくる。血が通っている兄弟ならこの気持ちが分かると思っていたがとんだ間違いだった。自分が刺した女性の事も気に留めず、泣きわめく少女の声に耳を傾けず。
クロウには血が通っていない。透子以外はどうでもいいと言わんばかりに。
「例えば……十朗。僕の見た未来では君が両親に愛されていた世界もあったよ」
「何?」
「僕達は兄弟として正しい時間を過ごし、家族に愛されて過ごす世界は存在した。ただし、その世界では君が最終的には不幸になる。夏目一心に真の愛情は理解出来ない。君は愛されず育ち、愛されたいとずっと思っていただろう。トーコ、川箕燕、アイオニーナ・ジェニフィア。サマンタ。君を愛してくれる女性と出会えたのは、君が愛されずに育つ世界だったからだ。彼女たちのいずれも、君が少しでも愛された世界では名前を知る事もかなわない。たとえその時本人が不幸になったとしても……望まなくても。幸せになれる選択肢が存在するんだよ。この場合もそうなんだ」
「記憶を消すのが最終的に透子を幸せにするなんて認められるか! それにお前、俺がまるで幸せみたいな言い方だな!」
「幸せを、感じなかった?」
「幸せだったよ! 最高だった! でも今じゃない! 透子が居ない! 連れ戻す為にここまで来て、そんな事する必要はないなんてあんまりだろうが!」
怒りに身を任せて拳を振るいたい。けど幾ら強くてもホログラムを殴るのは無理がある。やり場のない感情と力の暴走をただひたすら拳に溜めていると―――不意に、視界がぐらりと傾いた。反射的に近くの机によりかかったが、その机は呆気なく粉砕される。
「な……んだ?」
「―――僕にも見えているよ。十朗、君には時間がないんだろう。正確に言えばまだもう少しあったが、あり得ぬ未来に憤ってその猶予を失くした。そんなつもりじゃなかったが……どうか僕を信じてくれないか。迷うくらいなら託してほしい」
意識はまだ覚醒しているが、身体が言う事を聞かない。今にも体中の血液が爆発し、飛散し、この研究所を海の藻屑にしてしまいそうだ。細かい制御が出来るとは思わない。動けば次の瞬間、向こうの壁を貫き深海に飛び込んでいる確信があった。
「……ざけん、な。お前なんか信じられない。未来が視えるからって……勝手に決めつけて……人の気持ちも……知らないで! 俺は俺の手で……透子を…………………助けるんだ!」
コードさえ使えれば。使い方は……一回使った後も良く分からないが。でも手段はそこにある。すぐそこにあるのに届かない。
「急に出てきたかと思えば……俺の意向は全部無視して…………兄ちゃんのが、マシだったな。お前より……ずっと」
「君は頑張ったよ十朗。言いなりの道具となるか何を為す事も出来ない一般人にしかなれない中でよくここまで頑張った。後は僕に、お兄ちゃんに任せてくれ。きっと君を幸せにする。約束するから」
ああくそ、身体がどうしても力を制御出来ない。まるで夢の中に居るみたいだ。いっそ全部夢なら良いのに。透子は失踪していなくて、ここは川箕の家で。でもそんなのあり得ない。ここは現実で、何もかもうまくいかない世界だ。
「…………兄貴面なんて、するな。俺は……俺は夏目十朗じゃない! かばね町の悪党、ジュードだ! 自分の願いは自分で叶える! 透子を返せ!」
「<よく言った、ジュード。それでこそトウコの好きな男だ>」
身体がスッと軽くなったのは気のせいではない。俺ではない誰かの意思が介入し、体内活動が健全に再開する。腕を床に立てて、次に膝を起こす。力が暴走する心配はない。もう一人が制御をしてくれているから。
「<遅れてすまない、ジュード。まさか所内で危機に陥っているとはな>」
「ジャックか。丁度いいところに来たね。君にも是非協力してほしいんだ。ハッピーエンドを迎える為の最後の準備をしないと」
「<断る。俺はこいつの覚悟をずっと傍で見てきたんだ。最終的に死ぬと分かっていても、自分がどれだけ苦しむと知らされてもそれでもトウコの為にこいつは文字通り死ぬ気でここまでやってきたんだ。未来が視える? 俺の言う通りに動けば上手く行く? お笑いだな。話はずっと聞いていたが、トウコの未来を変えた程度で他全ても上手く行くというのは思い上がりだ>」
「……君が僕の能力を否定するなんて妙だな。そもそも僕達は一人の人間を想定されていたのに」
「<お前がトウコの自我を守れたのはマツリビに解読不可能のプログラムを組んでもらったからだ。マツリビが居なければそれすら許されなかったというのに、まるで自分が万能かのようじゃないか。能力もそう、お前は未来が視えるだけ。俺の力がなかったら碌に変える事も出来ない無能だ。そんなもんなくてもこいつは自分の未来を作ってきた。悪党に身を堕とそうが人間災害の力に蝕まれようがただ自分の願いの為に生きたんだ。お前とは違う。お前の筋書きなんぞなくてもこいつはトウコを助けられる>」
ジャックは俺の身体を操って己の首を切りつけると、大量の血を川箕にぶちまける。半狂乱になって喚くニーナもこれには少し驚いていたが声をかける余裕はない。
「ジュード! 貴様に俺の過去をくれてやる! 探し出せ、トウコの生きる道を! 見ず知らずの兄に! 過去の亡霊に見せてやれ! 自分の道は自分で決める、好きな女の一人くらい、てめえの力で救ってやるってな!」
「一体どうする……待って。それは!」
クロウがその意図に気づいた時にはもう遅かった。ジャックに乗っ取られた川箕がロジック・コードを起動する。進捗バーは九九%。だがコードによって乗っ取られたのはポッドではない。そう気づけた理由はただ一つ。幽体離脱のように、俺は自分の身体を背中から見つめていたから。
筋書きを変える。未来を創る。舞台から退場した操り人形はその糸に引かれて四次元の彼方へ―――。




