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青春は日傘を差すくらいが丁度いい  作者: 氷雨 ユータ
TRASH 1 人間型災害
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台風の目

「え、え、こ、こっちは駄目だよ透子さん!」

「さん、なんて堅苦しい呼び方はしなくていいのよ。それよりこっちは駄目って何? 橋が怖いの?」

「そ、そうじゃなくてここは……」

 小さな橋を越えた先は俺達の間でかばね町と呼ばれるエリアに入る。正式な名称は剣呑さのない至って普通の名前だが、こう呼ぶのにも相応の訳がある。それはこの地域全体が外国人の受け入れを推進した数年前に話を遡るのだが、俺も細かい事情は知らない。分かっているのは受け入れを推進してから一部市町村の人口が逆転し、外国人が幅を利かせるようになってしまった事だ。かばね町とは漢字に直すと『屍町』であり、殺人、自殺、強盗などの事件があまりに多発する事からついた恐怖の名前である。

 警察は……良く分からない。働いてないなんて事はないだろうけど、でも小さい頃はとにかくあそこには近づくなと言われていたから、とにかく怖い場所として知れ渡っている。俺だけじゃない、少なくとも同じ高校に通う全員が同じ教育を受けている筈だ。ちょっと髪を染めたり深夜に出歩くようなワルい学生も、この橋だけは渡ろうとしない。

「……かばね町? 死体が沢山出るから? それとも逮捕される割には全然罰されなくて事実上の治外法権が働いてるから? 初めて聞いたわね」

「そ、そうなの……? と、とにかくこっちは行かない方が良いって。い、行っちゃダメだって。何もなくても、お、怒られるよ」

「誰に?」

「父さんとか……警察の人とか」

「そう。じゃあ行きましょう」


「ええ!」


 透子さんは俺の手を引いたままずかずかと橋を渡っていく。ここで手を振り払って反対側に逃げられたらどんなに良かっただろう。強制はされていない。力も入っていない。逃げようと思えばいつでも逃げられる。

 けどそれが出来たなら、あんな所で蹲って泣き続けるような真似はしない。いつだって俺は無力で、情けなくて……今は自分の意思を見せる気にならない。もしこれで殺されるようなら、その時はその時だ。

 本当に好きだったから。

 橋を渡ると早速何人かの人間とすれ違う事に。ここにも住んでいる人は居るからそれ自体は不思議じゃない。ただ、昔からそうだがやたらと刺青があったりタトゥーを入れていたりピアスを開けていたり全身黒ずくめで殆ど顔を出していなかったり……この町の人間はそういう人ばかりで、怖い。人間味を感じない。

「…………あ、あれ」

 遠巻きに彼らを見るだけでも大声で怒鳴られる事もあったというのに、今回は様子がおかしい。全員、透子さんから目を逸らすように俯き、心なしか進路も開けてくれている。

「こっちこっち」

 至る所の窓が割れたただならぬ雰囲気のマンションに透子さん共々足を踏み入れる。壁の落書きはむしろされていない場所を探す方が難しく、ボロボロの張り紙からエレベーターは随分前から故障している様子。屋内に入っても日傘を閉じる様子はなく、彼女は階段の方へ。

 その手前でたむろするニット帽とマフラーで顔周りを隠した青年達に声をかけた。

「邪魔だからどいて」


「……」

「……」

「……」


 三人組はすぐに透子さんから視線を外して俺を睨もうとしたが、それもすぐに彼女の身体で遮られる。

「你们别挡路」

「え? なんて?」

 三人組は互いに顔を見合わせると、渋々と言った様子で右に寄って進路を譲ってくれた。透子さんはお礼も言わずその場を抜けようとしたので、代わりに頭を下げておく。

「い、今の誰なの?」

「まあまあ、気にしないの。ここを上がったらもうすぐだから」

 そうして連れていかれたのは小さな店看板の張り付けられた、一見すると住居にしか見えない部屋だが、看板曰くここはカフェらしい。個人経営という事だろうか。

「ここは私のバイト先でね。今日は休日なんだけど、たまたま偶然私が鍵を持ってるから」

 古いタイプの鍵を差し込み、開錠。透子さんは俺を先に入れて、後から日傘と共に入ってきた。あまり突っ込まないでいようとは思ったけど、この人はいつ日傘を閉じるのだろうか。もう日差しなんて入ってこないのに。

 店内は道中よりも遥かに清掃が行き届いており、微かにコーヒーの香りがするのは営業をしている証だろう。入ってすぐ、左手にはカウンターと幾つかの席。そして奥の座敷にはテレビと机と―――沢山のゲーム機が並べられていた。

「す、凄い……こんな場所見た事ない……」

「ここなら落ち着けるでしょ? 貴方の泣いてる所を茶化す人は居ないし、暖房だってあるわ。ブランケットの方が好きならそっちを出すけど……どっちに座る?」

「じゃ、じゃあカウンター……で」

 おずおずと丸椅子に座ると、透子さんはようやく日傘を閉じてカウンターの裏側に回った。壁に備え付けられた棚には様々な形のカップが置かれており、注文したメニューによって変わったりするのだろうか。こういう場所には縁がなく、何が起きるか分からない。

 そわそわしていないのは、偏に彼女が貸してくれたトレンチコートが暖かいからだ。直前まで着ていたせいか、抱きしめられているような繊細な温もりが残っている。コートの手前を握りしめて、身体を隠した。

「さあ、ここなら存分に泣いていいわよ。私は笑わない。この事を誰かに言ったりもしない。友達居ないから、言えないけどね」

「い、居ないの? 凄い……美人なのに」

「ふふ、同級生をそんな褒め方して、恥ずかしくないの?」

 実際、透子さんは友達がいない事など信じられないくらいの美人だ。見た目で人間関係が全て構築される訳ではないが、それでも下心ありきの友人すらいないのはおかしい。余程人格に難があるかと思えば、俺を笑わず、暖かい場所を用意してくれるだけの優しさもある。


 ―――ちょ、直視出来ないな。


 目と目が合う事がもう恥ずかしい。こんな綺麗な同級生が居た事にも驚きだが、何より二人きりなこの状況にドギマギしている。今は泣こうにも泣けず、むしろ恥ずかしさで顔が赤くなるばかりだ。どうすればいいか分からなくなって俯いていると、カウンターにソーサー付きのカップが差し出されていた。

「……これ」

「ホットココア。ま、気にしないで。私が好きで作ったから。猫舌なら私が冷ましてあげようか?」

「いや、そ、そこまではいいや。ありがとう……ふー。ふー」

 一口呑み込んだ瞬間、甘さの中に溶け込んだ温かさが五臓六腑に染み渡る。ゆっくりゆっくりと飲み進めていく。随分熱いが、中のミルクが舌触りをマイルドにしてくれているから味を失わない。こんなに美味しいココアは初めて飲んだ。

「美味しい?」

「…………か、彼女が居たんだ」

 誰もそんな事は聞いていない。事情なんて知りたくない。たった一言そう言ってくれるだけで良かったのに、透子さんは肘を突いて耳を傾ける姿勢を見せるから。つい口が、滑ってしまった。

「俺、彼女が大好きでさ。彼女の為なら何でも出来たよ。笑ってくれるならそれでいい。喧嘩とか一回もした事なくてさ。俺にとっては自慢の彼女で…………ほ、誇れるような事なんて何もなくても、一緒に居てくれたらそれだけでいいって思ってた」

「夏目君にそこまで想われるなんて、素敵な彼女さんだったのね」

「…………うん。素敵な彼女だったよ。でも、俺にはもったいないくらいって言わなきゃよかったな。きっとそんな事言うから、奪われたんだ。お似合いの人に」

「…………振られたの?」

 声が震えてきた。ああ、駄目だ。やっぱり思い出そうとすると喉が急に詰まって身体が震えてくる。せめてもの強がりでカウンターを掴んで力を込めていると、透子さんの手が優しく上から被さって―――握りしめられる。

「振られた、なら良かったよ。他に好きな人が出来たって言われたら良かった。泣いたけど。泣いたけどさ。こんな風には泣かない……急に屋上で呼び出されてさ、見せられたんだよ。こ、恋人の……恋人だけが出来るコト」

「…………ええ」

「お、俺の恋人に何しやがるんだ! って攻撃出来たらきっとそれが良かったんだろうな! でも駄目だった! だってあんなに楽しんでる彼女の顔を見たら水を差せなくなった! 今度こそ本当に嫌われて振られるんだって思ったら! 頭が真っ白に…………うわああああああ!」

 バタン、とカウンターの方から回り込んでくる音。机に突っ伏して泣きじゃくる姿なんて誰にも見せたくない。だけど俺の身体は、既に一度見られた泣き顔のせいで耐えるべきじゃないと訴えている。悲しい。辛い。泣かない。耐えたい。死にたい。生きる。消えたい。

「私と夏目君は今日会ったばかりだけど、君がそこまでされるような悪い人じゃないのはもう分かるわ。ねえ、仕返ししたいと思わない? 君を振った事を後悔するような、それくらいの仕返し」

 背中から抱きしめられると、想定以上の柔らかさに身体が思わず前のめりになった。そういえば、彼女とはハグもした事ない。キスも。そういう行為を自分から求めると嫌われると思って言わなかったのだ。

「た、例えば?」

「例えばじゃなくて、君を振らなきゃよかったって人生で一生後悔し続けるような仕返しをするの。だって今回の事で君が立ち直って新しく恋人を作っても、今回の事は一生引きずるわよ。それでまた破局したら……その子のせいじゃない」

「…………」

「それだけその子の事が好きだったなら猶更、忘れるなんて出来ないでしょ? だから仕返しして、やり返したぞって記憶に上書きしないと」

「……思いつかない。どうやるのか」



「私が手伝うわ」



 耳元で囁きかけられるクラスメイトの声。今は何故だか、悪魔の誘いにも聞こえる。

「私が手伝ってあげる。君を傷つけた子が死ぬまで後悔するように」

「り、理由がないよ。俺と透子さんは……今日出会ったばかりだし。何でそんな事―――」

「誰かを助けるのに理由なんて要らないでしょ? 私は誰も居ない場所で泣いてる君に手を差し伸べたかったの」

 隣の椅子に、透子さんが座る。

「手始めに、復讐が終わるまで私が恋人を演じてあげる。だから、学校内では透子ってちゃんと呼び捨てにしてね」

「…………ふ、振られてすぐに恋人作ったら嫌われないかな。そ、それにもし俺が先に浮気したからなんて言われたら―――!」

「大丈夫」

 透子―――の人差し指が俺の口に差し掛かり、音もなく当てられる。悪戯っぽく微笑んでから、視線を座敷の方に向けた。




「そんな弱気にならないの。ほら、辛い話は一旦やめてゲームでもしましょう? 二人でするゲームもある事だし、もし息がぴったりだったら……ふふ。私達がお似合いなのかもね?」

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― 新着の感想 ―
ん~ん~、黒幕系彼女の方と同じくらい、素敵なヤンデレと、素晴らしい男であってくれると嬉しいですねぇ。
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