災いか救済か
「ああ、お前か」
虚無僧の男が立ちはだかっている。キョウの居る場所まではもうすぐだ。奥の……資料室にその気配がする。エリちゃんをやり過ごしたように男の脇を抜けられたら良かったが、切り離された腕の再生が少し遅い。やはりなの子を構成する科学の粋と災害の血では後者に軍配が上がってしまうのか。
とはいえ、ナノロボットにはその機能を低下させる物質が恐らく存在しない。一概に下位互換とは言えないし、今の俺は正にそのロボットに生かされている。文句は言わず回復まで待たないと。
「報告によると、既に貴方は殺されている筈ですが」
「人間災害は死なないんだよ。知らなかったか?」
「ここから先は通せません。お引き取り下さい」
「アンタはKIDの側だった筈だ。俺がキョウを殺す事は都合がいいと思ったけど」
「側とはまた人聞きの悪い。私はより勝算の高い勢力を見極めているだけです。貴方がKIDの要求を呑んで下されば命運はそこで決まっていたというのに。今は全く逆の結果が生まれてしまったようですね」
「へえ。こっちはかつての三大勢力が手を組んでお前達を潰そうとしてるのに、勝ち目がまだあると思ってるのか。まずはその……笠を外すところからだな。すっかり周りが見えなくなってるみたいだ。臆病なつもりがあるならそういう勝ち馬センサーは研ぎ澄ましておかないとな」
「……貴方は何も分かっていない。キョウという女の強さを。あれは災害に負けずとも劣らずの逸材です。手段を問わず勝利を掴む……その為ならば何を犠牲にしようとも構わない。悪党の世界ではそれが何より大切」
「そこそこ心酔してるみたいだけど、そのキョウがなの子を俺にぶつけて処分しようとした事実から目を背けるなよ。俺が居なきゃなの子をどうする事も出来なかったんだ」
「ですから手段を問わずと言った訳です。最終的に勝てれば過程などどうでもいいでしょう」
「その手段を問わない勝利だけど……俺とのタイマンはどうするつもりなんだろうな。なの子を倒してきたんだが」
この男も気づいていない。なの子の密かな裏切り―――或いはノットの指示。お陰でまだ生きていられる。タイムリミットを一秒でも長く伸ばし続けるんだ。ナノロボットが回収されないまま残存してくれるなら、一々血を活性化させる必要がなくなって多少便利になる。多少というのは勿論、俺に残された命の減少速度が減るという意味。
「私が何故ここに居るかと問われたら、それは貴方のような存在を切り伏せる為です。以前の貴方とは別人のような強さを持っている、それは分かりますが……果たして私も同じだと、どうして考えなかったのでしょう」
綺麗な断面を見せていた両腕が出血から腕の型を取る。細胞は型に沿って腕を作り直し、何事もなかったように神経が繋がった。一口に再生と言ってもやり方は違うらしい。今ので怪しまれたら危なかったが、目の前に居る相手は人間災害にもなの子にも詳しいとは思えない。セーフだ。
「…………とりあえずもう一回聞くんだけどどいてくれないか? あの時はニーナを守る為ならと思ってたけど、今は殺す理由がないんだ。どいてくれるならお互い血を見ずに済むんじゃないか?」
虚無僧の男が刀を抜いた。抗戦の意思を見せるならそれ以上の行動もない。切り刻まれた恨みとやらは……忘れている訳じゃないがそこまで優先度の高い物じゃない。けれどこうなったならば、やるしかないようだ。
あの刀が俺の身体を切断出来る事実は直前で確認出来た。有限の不死身である以上悪戯な消耗は避けるべきだが刃物を防ぐ手段が俺にはない。ナノロボットを操作出来るならともかく、ただ回復してくれるだけだ。
見るべきは手首。今の動体視力なら惑わされる事はない。挑発するように紙一重で太刀筋を見切り続け、肉体が傷つかない様に動き回る。透子の血が活性化した時からずっと、この身体は満たされる事のない飢えを覚えている。まだ、もっと。身体が壊れると確信して尚、更なる力を引き出したいという欲望。タイムリミットなんてこの血は望んでいない。死して尚、生ける屍として暴虐の限りを尽くさんとしている。
この血が自由意思を持っているとは言わないが、溢れる力が性格を歪ませてしまう可能性は大いにある。なの子と戦っていた時がいい例だ。あの時は認めたくなかったが―――戦っていて楽しいという感情が、俺にもあった。
そして、今も。
「お前の攻撃はもう当たらないよ。戦うだけ時間の無駄って思わないのか?」
「馬鹿な……このような事が。貴方の体内では因子の活性が抑制されているのでは」
「何言ってっか分かんねえけど、抑えられててこれなら絶望的だな」
太刀筋に多少変化が生まれても、見てから躱せる範疇だ。なの子とは違う。目が慣れたとしてもあの子を相手にして同じように回避出来たかと言われたら不可能だ。この町の中で彼女だけは限りなく人間災害に近い。裏を返せばそれ以外は、どのような強者であっても例外はない。
剣戟の隙間を縫って笠を蹴ると、男の身体がきりもみ回転をしながら吹っ飛んだ。
「おっ」
手応えは小さく、致命的とは言い難い。しかし人間災害の蹴りが掠るのはアクセルを踏み込んだ車が身体を掠める様な物だ。顔を隠していた笠は千切れ、左耳から右目の横にかけての皮膚は目を覆いたくなる程削られていた。
「ぐうううううううう…………! うあ、うあああああああが……ッ ぐ、ぎぎ! ぎぎぎぎ……!」
「だからやめておいた方がいいんだ。お前じゃ相手にならないよ。じゃ、俺は行くからな」
一歩踏み出した瞬間、鋭い痛みが杭のように重心のかかる足を貫いた。見遣るとふくらはぎから足首にかけて無数のナイフが突き刺さっており、それはのたうち回る男があの状況から正確に投げた投擲物だった。
―――マジか。
痛みにやせ我慢を張れるような傷ではない。現に男は今ものたうち回っており、視線はとっくに俺から外れている。不意打ちなんて何処からでも仕掛けられるくらいだが、それでも足止めを果たそうとした心意気は目を瞠るモノがある。
構わず、歩き出した。
体内のナノロボットが自発的に足の異物を排除してくれる。俺は何もしなくて構わない。一度活性化させた力は俺が死ぬまで唸りを上げるが、その唸りを最低限に控える事は出来る。キョウと戦うその瞬間まで、徹底しないと。
「<その先の部屋だ。資料室のようだが、資料に配慮するような奴じゃないぞ。お前も手加減するなよ>」
「分かってる」
扉に足をかけ、勢いよく踏み抜いた。
「……ここの刑務所は犯罪者を無から作る為に利用されていたの。知ってた?」
部屋に押し入るなり、キョウは手に持っていたファイルを読みながら一人喋り出した。多分、俺に話しかけている。
「……何の話だ?」
「刑務所にあるべき資料としてこれらのファイルはあまりに不適切だって言いたいだけ。罪のない人々の個人情報を集めて、脅して、搾取する。私はずっと昔からこの町で潜入捜査をしてきたけど、貴方達犯罪者の発言はいつも一緒。必要悪。俺達は存在して当然の裏側なんだって得意げに話すんだ」
「……この町が法律の制限を受けないお陰で上手く生きられてる人間が居るのも確かだろうけど、俺も必要悪とは思わないよ」
「そう。必要な悪とは国家が用意するモノ。国とは天秤。善に載せるも悪に載せるも天秤次第。この町に巣食う悪党は……人間災害を楯に勢力を伸ばし続けていたクズはおよそ必要悪とは呼べない存在。かばね連合こそ真の必要悪なんだ」
「人の振り見て我が振り直せって言うことわざを知ってるか? アイツらは違う俺だけが特別って発言は、悪党が一番しそうなスタンスだって思うぞ」
「でも私、公安だし。貴方からコードを奪えば必要悪のポジションは完全に埋まる。悪党共の陣取りゲームにはもううんざり。人間災害には私の武器になってもらわないとね」
キョウはファイルを床に放り捨てると、いつぞや武器にしていた槍を手に取った。話し合いで解決する段階など存在していない。こうなった時から……最終的な運命はどちらかの死で以て決められる。
「公安っていうのさ、兄ちゃん知ってたのか?」
「知ってる訳ないでしょ。元々は単なる踏み台―――夏目一心の研究成果が何処に隠してあったのか知りたくて近づいただけなんだ。一心が死んでからは貴方に取り入る為の材料に……したかったんだけどなあ。なんで不仲なのかなあ、貴方達」
「…………さあ、本当の兄弟じゃないからかな」
奇しくも敵対関係になったお陰で互いに隠す事などなくなった。泣いても笑ってもここでどちらかの願いは潰える。キョウの口が軽いのはそのせいだろう。
「献身的な彼女を演じてあげたのに何の成果もなかったのが本当に辛くてさ、しかもあの人、最終的に弟を救うとか言って貴方に身体あげるとかさ。私の気持ちにもなってよね、もう全部、上手くいかない」
「公安は何のためにそんな事を? そもそもこの町に滞在してほしいって願ったのも公安だろ。国家権力も一枚岩じゃないのか? 俺の兄ちゃんは、そんな連携も碌に取れないようなクソ組織の意向に振り回されて恋心を弄ばれたってのかよ!」
「ちょっと前までタダの高校生だった貴方に口出しされる謂れもないけど、強いて言えば方針の転換かな。公安が祀火透子に接触した事実を知ってるなら教えてあげる―――計画の最終地点。全国にかばね町が広がった時、たった一度の指示に祀火透子は従いこの国を完全に破壊する。国としての用件を満たせないように……かばね町に生きる『犯罪者』全てを殺す」
………………え?
言葉が出ない。
出来るか出来ないかで言えば、出来る。透子なら特に難しさもない。だがかばね町における犯罪者とはこれまでの扱いで分かったように犯罪をしたかどうかの事実は関係ない。この町で生きているだけで外側から見れば一括りに犯罪者だ。言い方を捻っているだけで、要するにこの国は犯罪経歴のある移民を世界中から集め、自国民もろとも消し去る気だったのだ。
「な、な、な」
正気の沙汰ではない。犯罪者だけを殺すなら理屈は分かるが、どうして無関係の人間まで巻き込む必要が? 透子の力加減が幾ら上手くても犯罪者だけを狙って殺すのは不可能だという現実的な道理も分かるが、それならこんな非現実的な計画はそもそも始動するべきじゃない。
「国の偉い人はどうするんだよ!」
「勿論、脱出するんだよ。国を囮にした盛大な罠で犯罪者を一網打尽にし、自分達は英雄として他国で余生を過ごすって訳。彼女に接触した公安の人間はそんな腐った政治家の息がかかってた。一枚岩じゃないのは当然でしょ、スパイだって居る世の中なんだしさ。かばね町だって悪党と一括りにされてるけど、実際は勢力があったでしょ」
「じゃ、じゃあ。お前は―――!」
「祀火透子をコードで制御下に置いて、そんなバカげた計画を完全に凍結させようとしてる。だっておかしいでしょ? 無関係な人を勝手に巻き込むのは違うってさ。それが出来たのは潜入捜査の都合上単独で動けた私だけ。この町に政治家の息はかからなかった―――災害の買収は不可能だからね。これでようやくお互いの立場が理解出来た? 私は正義の味方で貴方は悪党その一。この国を救えるのは貴方が持つコードだけなのに、貴方はそれを頑なに渡そうとしない。どうして?」
ロジック・コードが効力を発揮する範囲に透子が居ないから渡す意味がない。それは詭弁だ。範囲に居ようと居まいと渡さない理由にはならない。俺にこの国を救う気がないのなら、救える力のある人間に手段を託すのが善良な市民の務めだろう。
「……どうしてって言われても」
「因みに私が全部打ち明けたのはここに貴方と私の二人しかいないからだよ。今、私達は包囲されてる。かばね連合は滅びるだろうね。けどもしコードがこの手に渡るなら―――私だけでも逃げ切ればそれで国は救われる。渡す気がないのは表情で分かる。だからこうして武器も手に取った。けど理由くらいは教えてもいいんじゃない?」
「<代わりに俺が言ってやろうか>?」
「……いや、俺が言うよ」
「ああ、体内にもう一人居たんだ」
ジャックと気持ちは共通している。けどこの気持ちは、俺が口にしないと駄目なんだ。せめてそれが、これから殺し合う者に向けた誠意。最初にキョウが見せてくれた真心の、返礼。
「俺は、気に食わない」
「何が?」
「透子を災害としか見ない世界が気に食わない。誰もアイツを普通の女の子として見やしない。人間災害で女の子。それでいいのに、この町の始まりから終わりまでずっとアイツに期待されていた役割は超常的な役割ばかりだった。災害だの怪物だの化け物だの、誰か一人くらい居なかったのか? 友達になってほしいとか、一目見た時から好きだったとか。俺の知る限り、透子は誰からも人間として必要とされた事がなかったよ。そんなだから……最初に俺を助けてくれた時から暫くの間、ずっと正体を隠してたんだなって。今は思う」
身体が無敵でも、心はそうとは限らない。心が死んでも体は死なない。ありとあらゆる手段を尽くしても、死ぬどころか傷一つ満足に残す事も出来ない。そんな地獄の中で生き続けた彼女の心労は……想像を絶している。
「お前もそうだ。正義の味方は皆を救うって? 透子は救わなくていいのか? 生まれた時から怪物だったなら、そいつは最初から悪党なのか?」
「……」
「俺さ、泣くのは男として情けないって教わって生きてきたんだよ。でも泣いた。情けなくて、悲しくて、惨めでさ。誰の目にもつかないような場所で泣いたんだ。透子はそんな俺に手を差し伸べてくれた……あの時はお互い他人だったのに。心配してくれたんだよ」
誰も手を差し伸べなかったとは言わないが、情けない男なんかに近寄る人間はいないとも教わっていたから俺の方から全てを遠ざけるつもりで泣いていた。助けを求める声をあげながら、あらゆる人物にその声を無視してほしいと願っていた。矛盾している。矛盾していた。その心を、救われた。
「だから俺は助けたい。今度は俺の方から手を伸ばすんだ。理由なんてこれ以上考えてない。お前の事情に心を動かされたつもりもない!」
槍の穂先が動くと同時に走り出す。正しさなんて分からないが。
互いの正義を貫く為に。
「決着をつけるぞ!」




