夜迷い 真宵 蚶貝比売
『そっちは大丈夫か!?』
『ジュードさん! 早く来てくださいよ! あたい一人で避難させるのは大分厳しーッス!』
『……悪い。それは出来ない』
このマイクとイヤホンは無線機を通してティルナさんに繋がっている。だが今はどうやらティカが持っているようだ。彼女が出たのは意外だったが、話がスムーズに進むならこれでもいい。
『実はメーアに頼まれてマーケットの本部に行く事になった。俺はそっちに行かないといけない。それが透子に近づく為なんだったら、優先するしかないんだ』
『え~マジッスか! そりゃ、貸し借りはちょっと前に解消されてっかもですけど、あの怪物はともかくあたいまで置き去りは流石に酷いッスよ~! せめて迎えに来てくれたら……』
『置き去りじゃない。お前には、守ってほしいんだよ。その二人を』
『つっても、銃一本でどこまでやれますかね。こんなクッソしょぼい家で籠城なんてしたくないッスよ。碌に装備もなきゃ強度もない。ジャックさんじゃないんですから無茶ぶりしないでほしいッス』
『それに関しては心配要らない筈だ。メーアが近くで戦ってる。どうもここでの騒ぎに巻き込まれたみたいなんだ。最悪、そっちに合流するつもりで脱出すればいい。どうせ個別で連絡とる手段はあるんだろ?』
かばね町に大量の銃火器が持ち込まれているせいだろう、ここで暴れる警察も武装の程は規定を遥かに超えている。なりふり構わずデータを取り返しに来ているという事だ。籠城するよりは合流しに行った方が生存率も上がるだろう。
『お人よしなら、こういう時も真っ先に助けに来てくれるもんだと思ってましたよ』
『……俺は、お前を信じるよ』
『―――勝手な事ばっか言って、参っちゃうッスよ~。ま、でもジュードさんの頼みだったら断れないッス! やるだけやりますね』
『…………』
『謝りたいって沈黙ッスね! へへ! いいッスよいいッスよ、そんなの。そっちから頼ってくれんのは凄い嬉しいッス! つー訳で頑張るッスけど、生きて帰ったらご褒美とかないッスか?』
『……そういうのは、帰ってきてから考えたらどうだ? お互いこれが最期の会話なんて思ってないだろ』
『……Ti voglio bene』
『ん?』
『なんでもないッスよ。幸運を』
かばね町に根を張る人間の殆どは……もっと言えば悪党に分類される限り、その殆どは外国人だ。普段は気を遣ってくれているのかきちんと日本語で話してくれるが、こういう時に限って自分の国の言葉を使うのは卑怯だと思う。俺に伝わらない。だが、決して悪い意味ではないような気がした。彼女を信じて、俺も目的を果たそう。
寿命を減らす事には最早何の抵抗もなかった。命が削れる程この身体は速度を増す。透子に近づける。近づく程、彼女の孤独が理解出来る。祀火透子を守るとはどういう事か。ずっとその問いを体に突きつけられたまま進んでいる。マーケット本部手前に着地するまでには十分もかからなかった。龍仁一家に向けて押し寄せているのだろうか、警備は確かに手薄だったし、付近に住む住民も抗争に巻き込まれまいとして引きこもっていた。監視カメラだけは避けようがないものの俺は個人だ。存在が割れたところで都合の悪さはなかった。
「…………そこに誰かいるのか?」
透子を撃退した事により町の玉座に手をかけたマーケット・ヘルメス。本部も相応に豪華で目を奪われそうになるが、俺が視線を向けたのはその片隅にある草むらだ。小さな吐息が確かに聞こえた。それが気のせいだとは思わない。だから敵だとも思っていない。家に帰り損ねた子供とかその辺りだと―――
「…………ジュード様、ですか?」
「…………! に、に……ニーナ?」
おずおずと草むらから顔を出したのは、真っ黒いバイザーをつけた少女。髪を太く編んで結んではいるが、その子を見間違える筈などない。ニーナ。ニーナ。アイオニーナ・ジェニフィア。
「ニーナ!」
「きゃっ!」
一瞬、自分がここに来た目的を忘れてしまった。死んだと思っていた子が、どう前向きに考えても無事で済んでいるとは思えなかった子が、五体満足で生きていて俺の前に居たら。それでもう。十分だ。
「ニーナ、ニーナ、ニーナ! 生きてた生きてた生きてた! 良かった、本当に良かったああああああああ!」
「あうあうあうあうあうあああああ! じゅ、ジュード様、か、身体を揺さぶるのはおやめください! あ、足が浮いて、こ、怖いです……!」
「生きて、生きてた! よか、よかった…………よか……ぅぅぅぅ! うううううう!」
弱音を吐けるうちはまだ追い詰められていない。それはかつて俺の両親から聞かされた言葉だ。まるでそれを証明するように今までの俺は心を殺し、透子の為に命を削ってきた。それが何だ。馴染みの顔一つ見ただけでこんな、突然心が耐えられなくなるなんて事が。
「じゅ、ジュード様。え、えっと。その。どうしてそのようなお姿に……? 私の目には、その。ジュード様の身体が随分、ボロボロに……」
「川箕は!? 川箕も生きてるのか!?」
「え、あ、えっと…………お姉様……は。お姉様…………は」
ニーナは暫く悩んだように首をかしげると、首飾りのようにかけていた無線機を外し、俺に渡してきた。普通に考えれば生きている事の証明だが、どうして彼女は表情を曇らせているのだろう。たとえバイザー越しでも、この行動が本意でない事くらいは分かる。
―――まさか。
いやだ、考えたくない。考えないようにしていたのに。妙な発明品を貰ってからずっと、その安否については出来るだけ答えを出したくなかった。だって考えたらきっと……透子どころじゃない。俺の心は機械よろしくそれはそれと分けて考えられる程器用ではないのだ。
無線機を取って、口を開いた。
『…………か、川箕?』
『………………夏目?』
静寂が、闇に反響する。
お互いが、沈黙を続けていた。先に沈黙を破ったのは俺の方だ。我慢なんてとっくに、やめていた。
『生きてたんだな! 無事なんだな!? 頼むそれだけ聞かせてくれ! それだけでいいから!』
『や、や。そ、そんなに? そんなに切羽詰まらなくても教えたげるのに。生きてる。うん、無事だよ。透子ちゃんのお陰で傷一つない。ちょっと身動きは……取れないけど。ほら、でも夏目を助けた事もあったでしょっ? 真司に腕を捥がれた時に、そっちまで運んであげたじゃん?』
『……だ、だから俺が生きてる事にもそんな驚いてないのか! 俺は…………あ~もう! ほんっとに心配してた! 透子も居なくなってお前も死んだんだって認めたくなくて、ずっと現実逃避してて…………ああ、まずい。また泣く。泣きそうだ』
「ジュード様! ハンカチをどうぞ!」
ニーナにまで慰められるようになるとは全く情けない。こんな酷い姿、透子以外に見せたくなかったのに。
「ていうか! 何だったんだよマジで! ニーナが凄い重苦しい顔で渡してくるから俺はてっきり、お前の最期の録音でも聞かされるのかって……」
「そ、それは……ジュード様があまりにもやつれておられるので、お姉様の声を聞いたら満足してそのまま倒れてしまうのではないかと思って」
『あははっ、ニーナちゃんにそこまで心配されるなんてどんな顔してるんだろっ。見てみたいけど……今は無理かな』
『何処にいるんだ? 後で迎えに行くから教えてくれ』
『今はそんな場合じゃないよ夏目。私の事はいいから早く中に入って。ニーナちゃんを向かわせたのもその為だから。前のボスのさ、あの怖い女の人の嫌がらせなんだろうけど奥の部屋がトラップハウスになってるみたいなの。ま、それは別にどうでもいいんだけど。目当ての物を探すにはニーナちゃんのバイザーが必要だと思うからさ。もう私があげた奴は使ったんでしょ? あれでちゃちゃっと無効化しちゃって探しちゃってよ!』
『……元からそのつもりで来たんだ。二人と出会えたのが想定外だっただけで。それより川箕、お前は本当に大丈夫なんだよな? 一之介から聞いたぞ、ロジック・コードを持ってそうなのはお前だって。透子を制御する唯一の方法。実際どうなんだ? 持ってるのか?』
『…………ああ、えっとね? 実際私が誰にも会えないのはそのせいで狙われてるからなんだけど。それ、なんだよね』
『え?』
『だから、それ。夏目の持ってるそれ』
携帯を模したデバイスに視線を落とす。それ、それ。それ?
『その中にロジック・コードが入ってる。最悪、私が死んじゃってもそれなら透子ちゃんを助けられると思ってさ』




