さいごの鍵
「町のセキュリティを全部無効化ってのは、一体どういう理屈なんですか?」
「別にそのままの意味だ。厳密にはこのかばね町に存在する全てのセキュリティに対するキーを持っていると言った方が正しいが、君はその辺りを気にする技術的な人間ではないだろう。そもそも、これは科学技術と呼ぶにはあまりに未発達だ。何せ殆どの人間が触れない技術だからな」
「はい?」
「技術の極地というのは、誰しもが簡単に触れて、その恩恵すら分からなくなる状態だ。携帯が正にいい例だろう。一方でその技術は研究者として前線に立っていたか、その研究を横で見ていたであろう人間型災害にしか再現出来ないものだ。僕の言いたい事が分からないか? これを作った川箕という人間は未知の技術にすら対応出来てしまうという事だ。人間型災害の協力を得て作ったのなら、その人間こそ真に災害をどうにかする手段を知っているかもしれない。狙われるんだよ」
だから生きていても姿を現せない、まして『鴉』に保護された俺の下には、という事か。けれど今の俺が透子を探せているのは間違いなくそのお陰だ。もし川箕が生きているなら…………まだ、もう少しだけ待っていて欲しい。絶対に迎えに行くから。
「それは、この機械を作る上で透子が自分について話してるから、とか?」
「そうだな。実際話してあるかどうか、これと人間型災害に使われている技術が全く別物かどうかなんてのはどうでもいい話だよ。そう思われる事に危険性がある。探しに行くつもりがないなら君にも無関係だがな」
そんな言い方をするという事は、ノットも黙っていただけで透子の正体は知っていたのだろう。もしくは推察。先程彼はなの子とその機械にしか出来ないと言っていた。なの子が透子と似たような経緯で作られたなら……そこから確信を得たという可能性も考えられる。
「……二人は行く当てがあるんですか?」
「なの子は二人なの!」
「なの子は数えない」
「意味が分からないの!」
「まあ、上手くやるさ。川箕燕と同じくらい、僕も表に出てはいけない存在だからな。君とも二度と会わないのが一番いいかもしれないが……」
ノットは途中で言葉を濁すと、分かるだろう? と言わんばかりに目配せをした。なの子のストレスの話をしているのだろう。引きこもるだけなんてストレスが溜まる、それは学生時代に俺も経験した事だ。長すぎる休みに対してやる事がなくなって、惰性で携帯を弄ったりするだろう。彼は娘であるなの子が暴走する事を何より恐れているから、その選択肢だけは取れない。
「さて、そろそろこちらも報酬を貰いたいな。安全に出られるように協力してほしい。戦いたくない」
「あ、はい。それは勿論」
その後は俺が後ろからついていく形で二人を教会の外まで導き、市街地に出るまでその背中を見送らせてもらった。誰もなの子が二人いる事に突っ込まなかったが、やっぱり言及されたら双子と言うしかなかった。
「…………で、メーア。もしかしてあの人の正体を知ってたりするのか?」
「おや、どうしてそう思ったのかな」
「……ボスであるアンタは見知らぬ人間に対してもっと警戒するべきだ。それなのに逃げの一手……いや、逃げ道を塞ぐように建物の外に出て、部下にここを包囲させた。あの人を警戒してないと出来ないと思って」
「少年、中々鋭い考察だな。ふむ……日向ぼっこも飽きてきたところだ、退屈しのぎに教えてやってもいい。偉大な私に感謝を湛えよ…………」
普段の口調ではあるものの、少し眠いのだろうか。声音が浮いて全体的にぽやぽやと頼りなさそうに表情が緩んでいる。いつの間にか俺の傍に戻っていたティカもボスの腑抜け具合に驚いていた。
「偉大な私は今でこそこの日本支部を任されている『鴉』の幹部だが、その経緯は地道に積み上げられた活動によるものではない。その昔は、ロシアから中東に攫われたいたいけな少女だったのだよ」
「……なんかあんまり想像つかないッスね」
「もう二五年以上も前の話だ。私が攫われた理由など今となっては取るに足らない事情なのだろうが、当時は実に運が悪かった。中東において子供は貴重な資源となっていたんだ」
「はい? 人的資源って事ですか?」
「どういう言い方をすればいいのやら。人的資源には違いないが、国が国として成立するには人口が必要だろう。そして人口とは畑から取れるのではなく人から生まれなければならない。子供とは未来の人口だ。そういう意味ではやはり人的資源なのか? とにかく、子供は殆ど存在しなかったんだ。見つかったら即刻殺されていたよ」
……え?
子供が、殺されるような事態に?
「少年兵がそこまで嫌われていたんですか?」
「そうではない。子供というだけで最早信じられなかったのさ。そら、お前達、元の位置に戻れ。これは二人だけの大切な話だ」
「あたいもッスか?」
「聞かれて困る話だ! 誰が、は秘密でな」
「あの少女は最低最悪の兵器だよ。知っているか? あれは他人の顔に化ける事が出来るんだ」
「他人の……顔?」
「いや、顔だけじゃないな。姿形をそっくりそのまま写し取る事が出来るんだ。あの子の事を少しでも知っているならもう分かっただろう。理屈はこうだ。ガキを一人攫って一緒の部屋に閉じ込める。後はそのガキに成りすましたアレが情報収集のために走り回ったり、破壊工作を仕掛けたり、都合が悪くなれば人間爆弾となって自爆したり」
「…………」
そんなの。
分かる訳ないじゃないか。誘拐がよくある事だというのはかばね町に暮らしていなくとも、ニュースを見ていれば何となく分かる。ニュースは別にテレビでなくとも、SNSですら見られる訳で。
自分の子供が攫われて、ようやく帰ってきたと思ったらただの爆弾になっていたなんて。攫われたその時点から疑心暗鬼が始まるではないか。更に言えばなの子は壊れても再生する。一人だけでも十分悪質なのに、彼女は何人いた?
青ざめた俺の顔を見て、メーアも察したように話を続ける。
「見分ける方法なんてのはなかった! 制作者なら分かるかもしれないが、少なくとも誰一人見抜く事は出来なかった。そうなれば後はもう、死ぬだけだ。子供を本物だと思いたければ誰にも存在を知られないように隠すしかない。攫わなくても、存在を知られていればいつの間にかすり替えられているなんて事もある訳だな。お陰様でその子供テロを受けた国は人口という側面からボロボロ。子持ちだったというだけでその人間まで丸ごと迫害される……これが最悪でなくて何という?」
「……」
「私は、その秘匿された子供だよ。元々の出身国が違うから少なくとも爆弾ではない事だけは明らかだった。クソ共の中で私はおよそ人の尊厳の届かぬ扱いを受けていたよ。少年には刺激が強すぎる故、ここでは控えてやろう」
「た、助かります……?」
「当時、救済を騙る偽りの教えに対して敬虔な信徒でしかなかった私にとってはあまりに辛い出来事だった。そうだ、そこで全てを悟ったのだ。この世に一切の救いなし、神が救う事もなければ奇跡も起こらない。私を誰より愛してくれた父も母も、或いは神父様も…………一筋の光も届かぬ場所にはやってこない。二年間、じっくり、たっぷりと絶望を教え込まれた。私がそのような目に遭ったのは偏にあれが起こしたテロのせいだ。私はただ一人、『真実の子供』としてクソ共に弄ばれた。警戒するのは当たり前だ。あれが『子供』という存在を変幻自在の危険物という認識に変えなければもっとマシなクソが待っていただろうに」
メーアの乾いた瞳に感情は戻らない。その日を懐かしむような影もなければ未来を夢見る光もない。ただ自分の置かれた状況を淡々と俯瞰し、諦めている。
「…………殺さなかったのは、対処法が分からないからですか?」
「…………殺す気が、ないからだ。偉大なる私には使命がある。過去の怨恨に心を揺さぶられている場合ではないのだよ。今は今で昔は昔。在りし日の少女はあの日に囚われ、今の私は生を謳歌している! それでいいじゃないか。尤も、『鴉』がこの町を掌握した日には排除させてもらうが」
ノットは自分の行いを悔いていた様子だったが、そうなっていた所で恨みは消えたりしない。ここには見えない巨大な爆弾がある。いつ起爆するかも分からない、大きな、大きな。
「……………………………は、は」
爆破した時、俺がどちらの肩を持つかは見当もつかないが。いや……解決なんてせずに、末路を見届けた方が良い事もあるのかもしれない。どちらも知っているからこそ。過去を悔いていると知っているからこそ。
「―――そうだ、メーア。その、ティカから連絡を受けてると思うけど、パソコンを」
「既に済ませてある筈だろう?」
「え?」
「偉大な私が何のために人払いをしたと思っている。少年に退屈な時間を過ごさせない為だ。礼拝堂に行ってみろ、私は…………………過去に微睡んでいるとするよ」




