地獄への道は善意で舗装されている
俺は暴力が好きじゃない。痛いのも相手を痛がらせるのも正直嫌いだった。
「おい、殺せてねえぞ!」
「なんだこいつ……胸を撃たれてんのにピンピンしてやがる! 殺せ! 邪魔させんな!」
けど人造の血が入ってから、自分とやらが揺らいでいる。暴力に快楽を見出しているつもりはないが、抵抗がなくなった。まるで相手を同じ人間と見なせなくなったように。
この町で生きる事に満足していて自分が善人などと言うつもりはない。そして実際、あらゆる殺生を徹底して禁じているつもりもない。何処かで蟻は踏んでいるだろうし、蚊は痒いのが嫌だから間違いなく殺しているし、ゴキブリは見た目が不愉快だからやっぱり罠にかけて退治している。
人と虫は違う。違った。今は身体がそれを区別できない。相手は同じ人間だと分かっているのに、俺が少し力を出すだけで簡単に殺せてしまう。持っていた銃を無造作に発砲すると、既に俺の頭を斧で勝ち割っていた女性の方に命中。
「ぎゃっ、あああああああああっ!」
「殺せ!」
「こいつは怪物だ! あの人間災害の仲間に違えねえ! なんとしてでも食い止めろ!」
銃は、手加減だ。そうしないと死んでしまう。俺にはそれがハッキリと分かっている。命の鼓動、その動きを完全に停止させる力加減。身体が殺されていく度にその精度が上がっていく。
背中を刺され、石で殴られ、油をかけられ燃やされて。人間としての身体が消えていく程に、人造の血が俺という人格を掌握していく。
「………………」
「う、嘘だろ……!」
「いや、でも動きが鈍いぞ、効いて―――!」
透子は一体どう思っていたのだろう。俺はただ死なないだけの怪物、たったそれだけでもここまで拒絶されているなら、彼女はどれだけ寂しい思いをしていたのだろう。そして俺と過ごした日々がどれだけ楽しかったのか……あまり自分で言うような事ではない? それはそうだ。でも本当に……気持ちが分かるから。
視界に入った肉の的を淡々と撃ち抜いていく作業の傍ら、思考を埋めていたのは人の温かさを求める飢えた自分。もう一度誰かに抱きしめてほしいという願い。同時にこんな自分が願うには不相応だとも思っている。
「や、やだぁ……いや……助けて……! ごめん、ごめんなさい……!」
「芳美に触るなあああああああ!」
体を勢いよく突き飛ばす蹴り。プレハブ小屋に身体が叩きつけられる。ヨシミと呼ばれた女性は俺が肩と足を撃ち抜いたので身動きが取れず命乞いしていた。それを助けたのは……恋人なのだろうか。
「お前や人間災害みたいな奴が居るからこの町はおかしくなったんだ! 俺達はただ幸せに暮らしたかっただけなのに……お前らのせいで…………!」
「…………」
透子にもう一度会いたい。それだけを願いに俺は生き返った。たとえ寿命が近かろうとも、それさえ果たせれば。その為なら何だっていい。自分がどこまで腐り果てても構わない。
「…………透子が居たから、俺は幸せだったんだ」
「な、なに言ってんだ……?」
「……好きだったんだ。大好き、だった。どんな過去を持っていても関係なかった。本当に、大好きだったんだ…………」
「い、意味わかんねえ! 死ね!」
眉間を見事に撃ち抜かれる。脳髄が吹き飛び、瞬間、思考を空白が満たした。早く透子を見つけないと。その為には彼らを殺さないと。難しい話じゃない。それだけだ。俺なら出来る。この身体は死なない。人が死んでも死ななくても俺の心が揺らぐ事はない。誰一人俺の反撃で即死していないのは単に腕前のせいだ。銃なんて使った事がないから。
「……透子の為に、死んでくれ」
「は、は? お、おま……!」
「ちょっと待て。この大馬鹿野郎が」
構えたリボルバーを握りしめ、俺の覚悟を止める人物が居た。ジャックだ。体躯に似合わぬ威圧感が視線だけで俺の動きを抑え込んでいる。
「俺はお前の味方だ。けどそれ以上にトウコの味方だ。調子に乗ったクズを分からせるのは結構だが、殺すな。出来たとしてもだ」
「…………なんで」
ジャックは俺から銃を奪い取ると、目の前に居た二人をためらいなく撃ち殺し、それを契機に突っ込んできた何人もの人間を軽々しく斬殺した。頭部を破壊し、部位をもぎ取り、身体を縦に両断し。俺とは違って、傷一つ負う事なく。
「……俺もトウコも綺麗な存在じゃない。俺は復讐の為に、そしてトウコはそんな俺を止める為に奮闘した。周囲の事なんてお構いなしにな。俺達はとっくに戻れないんだ」
「…………あ?」
「怪獣映画を想像するといい。怪獣と怪獣が戦えば足元の人間は踏み潰されるし、周辺の建物は簡単に壊れるだろ。同じなんだ、それと。人を殺しすぎた。罪悪感がある訳じゃない。どれだけ加減しても壊れる存在なんか知った事じゃない。けどな、夏目十朗。お前はトウコが好きなんだろ。トウコを愛してるんだろ」
「…………あ、あ……ああ」
「お前の命は残り短いかもしれない。だからって何をやってもいいとは思うな。お前は、お前だけは綺麗でなくちゃいけないんだ。こんな野蛮な町で潔癖なんて頭がおかしいか? そんな事は言わない。殴ってもいい、半殺しにしたっていい。一切手出しせずに物事が進む訳ないからな。けど殺すな。この町に住む人間が綺麗とは言わないが、せめて血で汚すな。頼む」
「――――――」
ジャックは一通り囲いの中を見回って生き残りを淡々と殺害していくと、また俺の下まで戻ってきた。
「トウコはお前に赦されたいんだ。だから…………頼むよ。お前までこっち側に来ないでくれ」
「………………それで透子が救えなかったら、俺は。後悔してもしきれないよ」
「何のためにあの女をお前の傍につけてる。代わりに手を汚してもらう為だ。一人殺すのも二人殺すのももう変わらない。事情は分からないがここでの殺しはお前がやったって事にしてもいいから、次からは周りを使え。お前の為じゃなくて、トウコの為に」
それを最後にジャックは建物の陰に入って姿を消した。暫くすると入り口を見張っていたティカがやってきて、俺の惨状に手で口を覆った。
「な、どんだけ反撃されてんスか!? ちょ、ちょっと待っててくださいね!? そんな状態でこっから出られたらゾンビが湧いて出たって思われるッスから!」
「うげ、傷の再生が滅茶苦茶早くなってる……ジュード先輩。大丈夫ッスか? あたいの事覚えてます?」
「……ジャック達に近づくと記憶が消えたりするのか?」
「そ、そんな話は聞いた事ないですけどね……なんか心配で」
無人になった家屋を一時的な隠れ蓑に、俺はティカから治療を受けていた。と言っても即死に至る傷はほぼ勝手に回復してしまって、残った傷だけを手当されている。
彼女はジャックがここに来た事を把握していないらしい。そういえば家に来た時も、透子が存在を把握出来ていなかったっけ。
「もっとこうパパって殺してもらわないとみてらんないッスよ。分かってます? そうやって死にかける度にジャックさんの血が体中に広がっていくんスよ? 貴方自身の血が侵食されるようになったら終わりなんですからね?」
「ああ、ごめん」
「本当に分かってるんスかね……」
「―――誰かを助けたいのに、自分だけ綺麗なままで居ていいのかな」
「はい?」
気が付いたら、そんな言葉が口から洩れていた。今更取り返しなんてつかないが、俺は彼女に聞いてみたかったのかもしれない。顔がタイプなんて軽薄な理由で、ずっと俺に付き合ってくれている彼女だからこそ。
ティカはマフラーを外すと、俺の首に半分だけかけてきた。ベッドの横に座り、肩を寄せてくる。
「あたいは、汚れたとしても気にしないッス。だって綺麗とか汚いとかって、そんなの周りが勝手に思ってるだけじゃないッスか。そんなのより優先したい人ってのが、要は大切な人ッスよね」
「…………」
「そりゃ、あたいだって銃ぷっぱなさず生きられたら良かったんでしょうけどね~。お世辞にも綺麗とは言えないッスけど、お陰でジュード先輩に会えて、しかも世話役じゃないッスか! タイプな人守る為ならあたいは喜んで何でもします。だってどんな事しても、その人が好きって気持ちは変わらないんだから。にひひ!」
「……顔がタイプなんて軽薄な理由の癖に、随分一丁前な理由だな」
「一目惚れとか最高峰のロマンチックなのに何言ってんスか? あれスか、現実的じゃないとか言うんスね? 恋に現実も何もないでしょ、好きは好きなんスよ! 血が回ってきて考え方までジャックさんスか? なんでこう、誰かを納得させられる大層な理由がないといけないみたいな事になるんです? 恋ってのは一対一の気持ちの通じ合わせじゃないですか! 好きだから好きでいいのに、そんなアホみたいに理由探してっからジャックさんもジュード先輩に女取られるんすよ!」
ティカは飽くまで、自分を汚い側と認めたうえで持論を説いている。けど俺に言わせると、やっぱり彼女は純粋だ。誰かを好きであるという状態に対して素直で真摯的。だから俺も、殺しの責任なんて押し付けたくないと考えているのかもしれない。
「――――――もし貴方が求められた全ての事を達成出来ず、誰からも見放されるような状況になったとしても、あたいは絶対的な味方ッス。きっとその時は死ぬ時なんで、死ぬまで一緒に居てあげるッスから。全然気持ちなんか分かんないッスけど、思いつめないでくださいね。先輩への恋に誓って、約束ッス」
「……透子に会いたい」
「はい! 絶対に会いましょうね!」
ティカの気持ちに、今は応えられない。
だって俺は、自分の事が嫌いで仕方ないから。こんな状況に陥ってしまった自分が、惨めで、醜くて。ここまで直球で好かれても、心のどこかで信じきれていない。
最低なんだ、俺は。
それでも、透子は。俺に………………。




