偽りの本音
「いや~おいしかったっすねー!」
「ありがとな、邪魔しないでくれて」
「え、何の事ッスか? あたいはラーメン食べてただけッスよ」
「…………」
兄ちゃんは俺を何処かに連れて行きたかった様子だが、ティカが悪者だと伝えると大人しく引き下がってくれた。やはりここには法の支配が及んでいるのか大声を上げて騒ぎを大きくするような常識外れの真似もしてこなかった。ただ去り際に心配そうに俺の名前を呼んだだけ。
夏目十郎という名前には最早何の意味もない。その意味を兄ちゃんが知る日は永久に来ないのだろう。勿論来てほしいとも思わないから、それでいい。町を脱出する手筈が整わないだけかもしれないが……そんなに俺を案じるなら、まず自分の身を安全な場所に逃がしてからだろうに。
「お前にそんな気遣いが出来るなんて思ってなかった」
「えーあたいだって多少気は遣いますよ。先輩、三か月寝てたんスよ。知り合いに会えたら嬉しいじゃないッスか」
「…………ああ、そうだよな」
会いたい知り合いとは会えていない。死んだなんて思いたくないけど、でも状況的に……
―――やめよう、この話は。
「それなりに歩き回ったけど、透子の情報を知る人は見かけないな」
「空振りだったッスね~。要人の話は今日の話じゃないッスからあんまり凹む事ないッスよ。気長に……あ、いや。限度はあるんスけどね」
夕方から出発したせいもあるが、そろそろ周囲も暗くなってきた。季節は三月。春と呼ぶにはまだ寒く、夜も更けるのが速い。地域の問題もある。お互いの息はすっかり白くなっていた。
「んー…………こりゃ制服だけじゃ限度があるッスね。そうだジュード先輩、さっきそこでいい屋台見つけたッス。温まりましょう!」
「引き上げないのか?」
「成果がなかったら帰れなんて命令も無いッスよ。もうちょい踏ん張りましょう。買ってくるッスね?」
ティカは上目がちにウィンクすると、俺を路地裏に引き込んでから自分はまだ明かりの灯る商店街に飛び込んでいった。その場にしゃがみこんで暫く待っていると、口に肉まんを加えたティカが片方を差し出してきた。
「ふはははひっはあほほほはあ」
「……ありがとう」
ティカは露店で買ってきたのだろう、マフラーを俺に半分渡すと、自分の首と一緒に回して、肩を寄り添わせた。
「…………あったかいッスねー」
「これがやりたかっただけだろお前。もしくは肉まんを食いたかっただけか」
「どっちもって線もあるッスけどね。まあ落ち着くッス。大事な話があるんで」
熱々の肉まんはかぶりつくように食べようものなら内部で膨張していた熱が爆発する。猫舌の人間はまず食べられないだろうし、そうでなくとも少しは動きを止めるしかない。自分の息かもしくは外気か。いずれにしても熱をそのまま受け入れるのには限度があった。
だがこの熱が、身体にまとわりつく寒さを忘れさせてくれる。
「警察っぽい人の動きが妙でした。何か探し回ってる気配ッスよ。撤退命令は出てないッスけど、ここで面倒起こすのも嫌なんで逃げた方がいいかもしれないッス」
「俺達は何もしてないぞ。その程度で逃げるのは存在が後ろめたすぎないか?」
「思い当たる節があるんスよね。その」
「お前達、何処のモノだ」
いつの間にか路地裏から出る二つの入り口を、警察服を着た男達が塞いでいた。手には警棒、そして拳銃。耳を澄ませると続々と車がこちらに集まってくるような音もしている。
「マーケット・ヘルメスか? それとも『鴉』か? ただの学生ではないと通報が入ったばかりだ」
「あーもう先輩のせいッスよ!」
「え?」
「先輩のお兄さんが通報したんですよ! あたいを悪者だって言いましたよね? じゃなきゃこんな手際よく固められないでしょうが!」
「…………」
兄ちゃんも悪気はないのだろうけど、今度は顔を見かけても逃げた方が良さそうだ。迷惑をかけられる事は何とも思わないが、仮にも恩人である「鴉」に迷惑をかけたくない。それと、今は俺の寿命問題もある。
肉まんを押し込んで食べ尽くすと、立ち上がって改めて状況を確認した。直線状の区画で左右を塞がれ囲まれている。双方向を塞いでいる関係上拳銃を使われる事はない(貫通して反対側の味方に当たるのは避ける筈)が、数で抑え込まれたら逃げられそうにない。俺はともかく、ティカはどうだ。
「…………逃げるか?」
「殺してもいいッスよ」
「言葉が違ったな。逃げるぞティカ。俺には龍仁一家や警察と喧嘩してる余裕なんてないんだ」
「確かにそッスね。じゃあ逃げ方は任せるッス」
ティカは俺に身体を預けると、されるがままにお姫様抱っこの状態になる。何かを察知した警官達が一斉に駆け込んでくるが、それより早く俺は横の壁に足をかけて真上に飛び上がった。
―――上から逃げりゃ、追いかけられないだろ。
屋根から屋根に飛び移る。瓦を踏み潰しながら活人会の広がるエリアを抜けんと全力で外側へと走り続ける。息は全く上がらず、けれど心臓は激しく拍動し、俺の全身に人ならざる血を巡らせていく。
遥か後方から騒がしい声が聞こえる気もするが振り返ってやる道理もない。後はこのまま振り切ればそれで。
「よう、十朗!」
え。
一瞬、記憶が飛ばされた。
屋根を疾走し拠点に逃げ帰ろうという策が潰されたのだ。それもたった一人の人間が。空を駆ける俺を蹴り飛ばして。
「ごほ、ごお…………ぐぶ……!」
体に注がれた血はほんの僅からしいが、それを正に実感しているところだ。回復している気がしない。体の強度こそ段違いだが、それでも肺が傷ついたのだろうか、呼吸をしようとすると上手くいかず吐血ばかりしてしまう。
「お前なら生きてると思ってたぜ! あの女がお前を殺す筈ないからな!」
「………………」
俺を見下ろすように目の前で立ちはだかっているのは、この町を代表する人間災害、その後任。一葉真司。透子の血を体内に受けた影響だろう、身体の殆どがぐずぐずになって崩れ落ちそうだがその膂力はたった今、俺が喰らった通りだ。動けないし、回復もままならない。
ティカは何処で、手放した?
「なあ十朗。どうしてお前はそんなに家族を蔑ろにするんだ? 俺はお前を連れ戻す為なら何でもする。その真心が伝わらなかったのか? もうあんな人間災害なんて気にする必要はないんだ。お前の両親……死体はまだ保存してある。墓を作ろう、そしてお参りしようじゃないか。俺と一緒に、さ」
「…………ご、ごお、おま。お前、何で……外に、出られてるんだ?」
「取引だよ。俺はお前の事をよく知ってるからな。祀火透子を排除するにはお前という存在をどうにかするのが最も手っ取り早い。言ってる意味が分かるか? つまり、お前の目を覚まさせる為にはお前と同じように悪党にだってなれるって事だよ。怪物になって悪党の手先に堕ちてもお前を助けたかった…………そろそろ、分かってくれよ」
顔を上げた瞬間、真司の爪先が俺の顔を蹴り飛ばした。それで済めばよかったが、ほんの少ししか血を受けていない俺の身体は衝撃に耐えられず崩壊する。顔の下半分が剥き出しになるほどバラバラに破壊された。
その一瞬で見えた光景は信じがたい物だった。こいつは泣いているのだ。泣きながら、俺の身体を破壊している。
「何で分からないんだよ十朗! 家族に愛されてる事を認めろ! 認めろ、認めろお! お前は俺にないものを持っておきながら、自分から捨てるような真似して俺を怒らせたんだあ! ううう……俺って偉いよな。怒りを堪えて、お前の両親の遺言に従ってるんだから!」
「………………っ」
「お前は俺に対して嫌がらせばっかりしてよお……それが友達のする事なのかよ。おかしいだろ、どう考えても! もう十分、羨ましかったのに。それを捨てるなんてのはさあ! 度が過ぎてんだお前は!」
「―――がぎゃああああああああああああああああああああ!」
胴体を抑えつける足。両腕を引っ張られ、もぎ取られた。痛覚なんてとっくに限界値を超えて脳は今すぐにでも意識が千切れそうだ。でもそうはならない。ジャックの血が、そうなる事を拒絶している。
「―――ほら、お前は酷い奴だよ十朗。普通の人間はとっくに死ぬのに、お前って奴は俺に嫌がらせをする為だけにまだ生きてる。血だ。血をよこせ。お前を蝕んでる毒を全部俺が引き受けてやる。お前だけは、悪党にさせない!」
ちぎられた両腕の断面を口につけて血を啜るかつての同級生をどうして見たいと思うだろう。しかし抵抗の出来ない今、俺にはその悍ましい光景を見届ける事しか出来ない。無敵ではなく、死なないだけ。この苦しみを、一生味わい続ける。
パパパパパパン!
真司が血を吸い尽くした腕を捨てた直後、何処からかリボルバーの銃声が響き渡り、彼の頭から腕にかけて計十発程が叩きこまれる。真司も同様に無敵とは程遠く、頭に受けた銃弾のせいで大きく仰け反り、視界から外れるように崩れ落ちる。間髪入れず視界に入ってきたのは、ティカの顔だった。
「ジュードさん! 大丈夫ッスか!?」
「ご、ぐべほっ! あ、げぼっ!」
「あたいは別に大丈夫ッスよ! ジュードさんに比べたらなんとも……それより早く逃げるッスよ! 銃弾がまだ効くなんて知らなかったんスから! 奇跡ッス!」
上手く喋れない。
俺なんて置いて、逃げろと伝えたい。
確かに俺は透子に会うまで死にたくないけど、それとティカは無関係だ。だから逃げて。逃げないと。俺が死んでないなら、真司はもっと死んでいない。いつ反撃してくるかも分からないのに。
「立てるッスか? 立ってください! 余裕ないです! そっちの車に、早く!」
借りた所で使える肩はないが、何とか抱き起こされ、遠くに止められた車に運ばれる。車内から様子を窺っているのはメーアだろうか。荷台に立っているのは『鴉』の一員で、ガトリングガンを構えて、俺達の背後に照準を合わせている。
「―――待てえ十朗! お前は、お前だけはここで俺が救うんだ! お前の両親の気持ちを、俺に伝えさせっ―――!」
振り返る余裕はなかったが、背後からボンッと凄まじい爆発音が聞こえ、それきり真司の声は聞こえなくなった。その間に俺の身体は車に持ち込まれ、全てから逃げるように発進する。
「…………緊急手術だ。これでは我が神に顔向けできん」
「ボス、連絡済です。向こうでは既に準備を整えているかと」
「ああ、十分だ。私が神の恋路を邪魔するものか。黒羽の名に懸けて死なせはしない―――!」




