死人の顔も三度まで
幸せな人生を歩みたかった。それは悪党となり果てても俺が望む最初にして唯一の願い。世の中にはもっと多くの不幸を抱えた人間が居ると言われたとしても、やっぱり俺は家族の下では幸せを感じられなかった。
『家族は素晴らしいんだよ ! 家族の居なかった俺には分かる! 居たお前と違って! 血の繋がり程尊い物はないんだ! だって、無条件で味方だって分かるじゃないか!』
誰かがそんな事を言った。けど羨ましがられる意味は最後まで分からなかった。嘘で覆い尽くされた真実も、今何を考えているのかも。誰も俺の言葉を理解してくれなかったように、俺も彼等の気持ちなんて分からない。分からないまま全てが終わってしまった。
―――後悔がないなんて、嘘でも言えないな。
まだ色んな事をしてみたかった。俺の人生は……たとえ名前が変わっても続いて、これからも続けようと思っていたのに。どうしてこんな事に。
『君の人生に幸あらん事を。出来ればトーコも一緒に、未来を楽しんでくれ――――――』
あの声は一体何だったのだろう。結局誰だったのかも分からないまま人生が終わった。けど、優しい声だった。だからその約束を果たせない事は凄く申し訳なく思う。俺が弱かったばかりに……マーケットを侮っていたばかりに。どうせ透子に手なんか出せないって。そんな風に考えて。
「ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーし~んぎょう~」
…………?
「かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたー」
「じーしょうけんごーうんかいくーどーいっさいくーやくー」
お経が、聞こえる。というか唱えている? 死後の世界があるのかとか、そんな物はなくて無に還るだけなのかとか、そんな疑問を考える前に、耳が聞こえている事について考えないといけない。音だ。声だ。子供達が唱えている。合唱ではなく、順番に。仲良く、絶え間なく。
「………うっ。うう…………」
視界が開けていく。身体がまだある事が驚きだが、それ以上にここは何処だろう。俺が眠っている場所はベッドで、前方には机と……銃火器。そして壁に手書きで書かれているのは無数の祝詞。
一度気づいてしまうと落ち着かなくなってしまったが身体は到底動かせない。存在しているが、しているだけだ。まるでいう事を聞いてくれない。お経を唱える声はこの部屋の外から聞こえるから、せめてその子供達だけでも話しかけたいと思っていたのだが。
―――何で、生きてるんだ?
そんな俺の疑問に答えてくれると言わんばかりに遠くから足音が近づいてくる。扉を開けて入ってきたのは、ペストマスクの少年だった。
「……よう。目が覚めたみたいだな」
「…………お、おえ……あ?」
上手く、喋れない?
「やめとけ。潰されてぐちゃぐちゃになった状態から戻れた事自体が奇跡だ。助けたのはこれで三回目か? 手がかかる奴だなあんたは。ああお礼なんて必要ないぞ。厳密に言えばあんたを助けたのは近くに落ちてたジャンクロボットだ。あれが覆いかぶさってたお陰でギリギリセーフだったんだからな」
………なの子。
そう言われると思い出してきた。真上の天井が崩れる直前、急に飛び込んできて―――それから記憶はないけど。
「ん? そのジャンク品は何処へやったのかという顔をしてるな。安心しろ、適当に預かっているからな……心が読めるのかって顔をしてるが、分かりやすいからな」
少年はペストマスクを外すと、子供とは思えない端正な顔立ちを俺に見せた。見覚えがある訳じゃないが、顔を隠す必要性はいまいち感じられない。顔バレ対策は結構だが、ペストマスクはそれだけで目立つだろうに。
「ここは『鴉』のアジトだ。元々はなんてことのない教会だったが全部ぶっ壊れちまったんでね。人間災害が……祀火透子に全部壊された。あんたはアレの恋人だったらしいが、男前が台無しだな。見る影もないぞ」
「あ、え、ああおえうあ……あーあ」
「あれからどれくらい? あんたが死んで生き返るまで三か月って所だよ―――っと、ボス、俺のストーカーするのは止めて下さい」
「クハハ。偉大なる私の道案内ご苦労だったな! まだ帰るなよ、この私にも話したい事があるというだけで二人の会話を邪魔するつもりはないんだ」
プラチナブロンドの髪を腰まで伸ばした、左右がそれぞれ朱と黒のオッドアイの女性。身長はおおよそ一九〇を超えている。ただそれだけで圧力のある女性は偉そうに笑い、自分の正体に胸を張って高らかに告げた。
「また会ったな、少年! あの時はお互いに単なる客としてだったが、今度は違う。改めて自己紹介をしよう。私はメーア・スケルコ。偉大なる偽名をよく覚えておくといい!」
「…………あ、あ?」
「覚えていないのか、だが私が覚えているので忘れても構わないぞ。同様に……我が神の力の一端すら知るべきではない」
「我が神ってのは人間災害の事だぞ」
「それでも知りたいというのなら少しだけ……かばね町はこの日本という国の一割まで拡大。死者は二万人と少し、だ」
二万…………?
桁が多すぎて、ちょっと頭が理解を拒んでいる。透子の力を見くびっていたつもりはないが、それにしても……その規模はもう、歴史に残る大地震ではなかろうか。
「これにより我ら三大勢力と呼ばれた組織の基盤は完全に崩壊。様々なインフラがストップし、町の外はますます犯罪規制が強まるようになった。三か月もすれば少しは回復するがな、切り分けられたパイの、再びの取り合いだ。全く平和だった頃に比べればあまりにも乱世だな! クハハハハハハハハ!」
「皮肉なもんだよな。人間災害をあんだけ糾弾してた奴らがあの日からずっと人間災害を探してる。全員気づいたのさ、透子が秩序を担っていた……無法なりの秩序って奴を担保してたのはあいつの力なんだって。アイツが居なきゃ文字通りルール無用。何処かの組織に首預けなきゃ、もう誰に何をされたって不思議じゃない状態だ」
「………おう、おあ?」
「あんたの恋人は絶賛行方不明だ。マーケットがぶちころしたって噂もあるが、ま、俺は真実を知ってるよ」
少年が屈んで俺に視線を合わせる。額に指を置いて、勢いよく小突いてきた。
「マーケットの奴らは何処で知ったのか透子の弱点を知っていた。恋人のアンタなら、当然知ってる筈だ」
「…………」
知らない。透子の弱点なんて、物理的に存在するのか?
少年は溜息を吐いて、人差し指を持ち上げる。
「―――アイツ、眩しいのが苦手って言ってなかったか?」
「…………あ、ああ」
「アイツは光が苦手なんだ。苦手って言っても、吸血鬼みたいに焼かれる訳じゃない。アイツの身体は大量の日光を浴びると活性化率が急上昇する。あー……待て。お前、何処まで正体を聞かされてる? まずはそれからだな」
「そもそも! 我が神の想い人はまだ身体がボロボロで喋る事も出来ないのだぞ。話は後日、今は身体の再生を待つべきだ。我が神が見つかったとしてもこのような姿ではなあ? 偉大なる私に免じてここは一つお開きにするべきだ。何故なら私がそうするべきだと思ったからな!」
「また気分屋な…………そうです、か。だったら言う通りにしますけど、最後に一つだけ。自己紹介をしてなかったな?」
少年はペストマスクを横に置くと、無気力な瞳に生気を灯して、俺にハッキリと告げた。
「俺の名前はジャック。もう一人の―――人間災害だった」




