ただ幸せでありたかった
一階は俺達が半壊させてしまったので間違っても下りてはいけない。いや、目星がついているなら行くべきなのだが無用なリスクは抑えたい。三階にそのような逃げ道がない事は何となく分かっていたがそれでも一応探さないといけない。隠し通路の入り口が何処にあるかなんて誰にも分からないのだから。
「なの子! 外で動きがあったら教えてくれよな! 遊びで一発ぶち込まれたらうっかり死ぬんだ俺は!」
「分かったの!」
現代の最先端技術を正確には把握していないが、ワープ装置なんてものは恐らくまだ実現していない。だから現実的な隠し通路としては地下に続く道しかないとして……クソ、駄目だ。話している時間が長かった。生き残った青年が逃げていたとするなら、範囲は全く絞りこめない。この建物の何処にでも行ける。
大抵秘密の通路なんてのは普段使わないような場所や隠しやすい場所―――つまり物置きなんかに入り口を作ると踏んだが空振りだった。例えば三階の片隅にある一室は名だたる美術品の贋作で溢れかえっていたが、溢れかえっているだけで何かを隠している様子はなかった。
「ちっ……」
なの子を責めたい訳じゃないが、まだ生きていたら場所を聞き出せたりしたのだろうか。こんな事態想定していなかった。電話が最初から繋がっていた事自体が一種の不意打ちだ。結果論で語っても仕方ないとはいえ。
もっと危惧するべき事がある。電話している内に包囲出来たのだ。この包囲を突破するまでの間に透子に何か仕掛ける事だって十分可能である。電話では準備がまだ済んでいないような言い草だったがそれが本当とも限らない。そして透子が危ないという事は川箕やニーナも。
「…………どこだ! どこに逃げやがった! あの野郎!」
幸せに生きていたのに。ずっとあんな状態が続くなんて都合が良かったのか? いいや、絶対にそんな筈はない。俺はこれからも彼女達と一緒に暮らすんだ。そして、守らないといけないんだ。男は俺一人だから。
「お兄ちゃん! 外の人達近づいてくるの!」
「全員で突入するつもりか!?」
「一部だけなの! でも……来ちゃったらもう一階を探せないの! なのが一階を探すからお兄ちゃん二階を探すの!」
「わ、分かった!」
階段を降りるのもドキドキする。こうしている間にも外の人間は距離を詰めてきているのだろうか。最初から詰めてこなかったのは良心か、或いはなの子の正体を知っていて警戒したのだろうか。彼女は最悪自爆するとも言っていたし、たとえ俺を確実に詰ませていたとしても自爆によって人手が道連れになるのは避けたかったとか?
二階は事務所らしく多くのデスクやコピー機が並んでおり、秘密の通路があるようには全く見えない。窓から射線が通っている可能性が高いので身を屈めて這うように部屋を回っていく。
拳銃が、落ちていた。
椅子の下に落ちているし、誰かがうっかり落としたのを蹴り込んでしまったとかだろうか。俺の来訪に慌てて対応した様だしおかしな話じゃない。これでも元々は良識ある人間だったから銃なんて使う機会はないと思っていたけど、念の為に拝借し、懐に隠した。知識はゲームでしか得ていないが安全装置がかかっているなら俺に危険はないだろう。使う機会が来なければそれでいい。後で処分するだけだ。
粗方探して、やっぱり見つからなかった。廊下に戻ろうと背中を翻した瞬間、凄まじい衝撃が轟音と共に俺を吹き飛ばした。
「うおおああああああああ!」
戦車の砲撃だろうか。事務所の壁は容易く崩れ、近くにあった備品もまとめて粉砕され、諸共剥き出しになった廊下に叩きつけられる。背中を打ちつけ、身体のいたるところに尖った瓦礫で腕を切ったくらいで済んだのは奇跡だ。俺の近くにあったデスクがたまたま壊れず守ってくれた。何故急に、砲撃を……。
心当たりは、扉の開閉くらいだ。
誰かが扉の開閉を目撃して当たりをつけて砲撃したというところか。そんな事をするくらいなら通話終了と同時に一斉砲撃すればいいものを完全に弄ばれている。或いは当初危惧した通り、時間を多く稼ぎたいのかもしれない。
『知り合いが日毎に死んでいけば、奴も理解するだろう。自分は災害などではなく、ただ無力な死神に過ぎなかったとな』
こうして俺をいたぶる事で透子の心をどうにかしようというつもりがあるなら許せない。何としても抜け出さないと。
「……くっ」
骨が折れたとは思わないが、打ち付けた背中の痛みが身体の動きを鈍くさせる。今は二階に大きな風穴があいているから素早く離脱しないと今度こそ目視して砲撃されかねない。
ポケット越しに今度はもう一つのボタンを押そうと思っていたが―――まるでそれを予期していたようになの子が階段からひょっこり顔を出していた。
「なの!? お兄ちゃん大丈夫なの?」
「なの子! 戦車狙撃してくれ! 破壊しなくていいから……とりあえず行動不能にしてくれないと話にならない! センサーとかあるだろ!」
「あの戦車元々うちのだから知ってるの! センサー元々壊れてるから意味ないの! お姉ちゃんのお家にずっと砲撃してたら怒られて壊されたの!」
「透子が? いや、直してるだろ!」
「直す度に壊しに来るから直すのやめてる筈なの! センサーが無事ならなの達とっくに吹き飛ばされてるの!」
そう……なのか?
「じゃあ……あれだ。砲身壊してくれ! 乱射されても堪ったもんじゃない! お前の持ってる銃なら出来るだろ!」
「そうなの!? 人しか撃った事ないから知らなかったの! やってみるの!」
直後、意識の共有がなし得る驚異的な連絡の速さが間髪置かずの狙撃に繋がった。現場が見えている訳ではないが爆発のような発砲音が外から次々と聞こえてくる。
砲身が破壊され、更には伏兵の存在も明かした。これで暫くこちら側には撃ってこないが。
「全員撤退させた方がいいぞなの子! 俺らはその間に逃げ道を探すんだ!」
「もう逃げてるの! 後、入り口見つかったの! 早く行くの!」
秘密の入り口は一階のトイレのタイルに隠されていた。分かる訳がなかった。幸いにも通路としては十分幅が広く武器がつっかえるような事はなかったが、それにしても横に持たないといけないのは不便だ。なの子には殿を務めてもらっている。
「あんまり地下道って良くないの。お姉ちゃんが起こす地震で崩れた道は幾つもあるの!」
「透子は平和に過ごしてるから今そんな心配をする必要はないよ。それよりはこの道が何処で続いているのかを気にした方がいい。そこも多分示月会の仕切ってる場所なんだろ。全然敵地だし、警戒しないとい―――」
空間が揺れた。
いや、地面が激しく揺れている。
「ちょ、ちょっと待て! 地震!? 嘘だろ、透子はだって……」
「走るの!」
準備とやらがもう済んだのか、やはりフェイクだったのか俺には分からない。分からないがこれだけ大きな揺れを起こせるのは人間災害を置いて他には居ないし、透子が襲撃を受けたという事は川箕達も。
「む、無理いいいいいい!」
「お兄ちゃん!」
大きな揺れを前に人はまともに立つ事すら出来なくなる。それは地下道に居ても同じだ。なの子には振動補正でもあるのかもしれないが、人間にそんな機能は用意されていない。
「クソ、クソ、クソ、クソ! なの子、先に行け! 俺なら大丈夫だから!」
「嫌なの! 困ってる人を見捨てるのは悪い事なの! なのは良い子なの!」
「君が死んだらノットに怒られるのは俺だろうが!」
「お兄ちゃんが死んだら悲しいの!」
なのは対物ライフルを横に置くと、俺の隣によりかかって、無邪気に笑った。
「だから、最後まで一緒に居るの!」
「――――――」
酷い割り切り方だ。助けようともせず、見捨てる様な事もせず、最後に一緒に居るだけなんて。
「ここでなのが壊れても他になのは沢山居るの! だから大丈夫なの!」
「…………は、はは」
呆れかえって、笑いが込み上げてくる。今まで焦っていたのが突然馬鹿らしくなった。でも、確かにそうだ。こんな状況はどうしようもない。遠くの音を聞き取るには集中していないといけないらしいから、何か透子に有効な対策があった時点で彼女は集中を削がれてしまうだろう。俺の安否なんて分からないし、むしろ近くに居ない分安全とさえ思っているかもしれない。
命って、呆気ないなあ。
来年も、クリスマスをみんなで過ごしたかった……いいや、色んなイベントを皆でずっと、この指輪に誓って永遠に、幸せでいたかった。
「なの子、地球最後の日に何をするかっていう仮定の話をノットとした事あるか?」
「やった事ないの! というか考えた事もないの。でもなの、お父ちゃんと遊ぶの。その方がきっと楽しいから!」
「……そうか」
「お兄ちゃんは?」
「―――そうだな。俺は……………」
崩落する道の途中、俺達はある筈のない未来を語り合った。死にたくないと言えば嘘になる。けどどうしようもないと悟ってしまったら……案外、割り切れてしまうらしい。
「卒業式でも、挙げようかな」




