不変の変化
レインの案内を受けてやってきたお店は、銭湯の見た目を模していた。本当に料理を出すお店なのかと確認したが本当にそうだというならそうなんだろう。そして一見して信じがたい見た目なら情報を知らないと訪れないだろう。人が銭湯に隠れるかどうかという話もある。服を脱がないといけないのに待ち伏せや籠城をするにはあまりにもではないか。
「…………」
心理的な抵抗の問題だが、女湯の暖簾を潜らないといけないのは凄く躊躇われる。この町でそんな事を気にするのは俺だけなんて信じたくない。本当の本当に、この先がレストランになっている……のだろうか。
「……よし」
言葉で踏ん切りをつけないとどうしようもない。意を決して中に入ると、特に仕掛けがある訳でもないのにドキドキした。家でもこんな真似をした事はないのに、公衆浴場でなんて……
騙されていたら俺は一気に変態の烙印を押されるが、そのような不安は杞憂に終わり、本当に料理店が隠れていた。見分けられたのは店の看板があったからで、カウンターに人が居てもまだ俺は信じられなかったと思う。
それと、知ってる人間が居た。
「……君は」
制服を着た中学生が、廊下で携帯を弄っていたのだ。その制服を見て学校を特定する事は出来ないが、ついさっき成り行きで助けたばかりの人間は流石に忘れられない。俺の声を聞いた彼女は嬉しそうに立ち上がると、遠くから深々とお礼をした。
「お兄さん、さっきはありがとうございました! ここの常連さんですか?」
「人を探しててさ、ここに居るかもって話を聞いただけだ……まさかまた会う事になるとは思わなかったけど」
さっきの別れ際、レインにもう一度リストを見せてもらったがそこに彼女の姿はなかった。いや、当たり前だ。一般人が載るようなリストじゃない。だから兄ちゃんには直接事情を聞きたいのだが。
「まだ逃げてるのか?」
「それが……そうなんですよ。しつこくて……こんな事なら学校休めば良かったかなって……」
「何を言ってるんだ? この町に学校なんてないだろ」
廃校はあるらしいが、それはここ最近の話じゃないし、透子が木っ端微塵に吹き飛ばした訳でもない。もしも学校がまだあったならそこに通っていたのだろうか。制服に未練はないが、透子や川箕の制服姿はもっと見ていたかった。
「あ、私、修学旅行でこの町に来たんです。だから外側の学校ですね」
「何言ってるんだ!?」
修学旅行は学を修めるという言葉がある通り、その目的は集団生活の在り方を知ったり文化や自然に触れて見聞を広める事だ。単なる旅行にしか見えなくても学校的には勉強だし、少なくとも俺は『修学旅行は決して遊びじゃない』と事前に言われていた記憶がある。
目的に当てはめると、確かにかばね町でしかありえない集団や銃社会に触れられるという点では修学旅行になり得るのかもしれないが、そもそも学校には生徒の安全を考える信念もあるだろう。だから、信じがたい。
「すみません。ここじゃ何だし、私の個室に来ませんか? 安全って聞いたんですけど一人じゃ不安で、守ってほしいんです」
「……用心棒出来る程強くないけど、話を聞くまでの間ならいいよ」
「やった!」
見かけ上は銭湯だったが中はしっかりとお店であり、壁が新たに作られそれぞれ個室になるように並んでいる。廊下の突き当たりは階段になっており、二階はまた別の個室があるようだ。
少女が通された個室は一階の階段手前。電波が繋がりにくいからさっきは入り口に居たらしい。修学旅行のグループや個人チャットで連絡を取ろうとしているのだが繋がらない、との事。
「さっきから何回も先生に連絡してるんですけど、居場所聞いてくる割に教えても来ないんです。その内不審者の方が私を見つけちゃって」
「……あんまり言いたくないけど、先生は多分携帯を奪われてる。もしくは死んでるよ」
「えっ―――」
俺に出会えて少し安心した様子の少女は、その言葉を聞いた途端にサッと顔が青ざめる。ここが現実だと思っていたのだろうか。残念ながらここは現実ではない。死体ばかりが闊歩する影の世界だ。法律に守られた世界に生きている人にはそれが実感しにくいのか。
羨ましいとは思わないけど。
「ほら、履歴を遡ると君も応えてるけど何回も無事な奴は返事してくれって呼びかけてるだろ。最初はこんなに多いのに、段々少なくなってる。君はこれを見て、先生が救助したからって思ったんじゃないか?」
「は、はい」
「残念だけど、そうじゃないな。不自然に位置バレして追い回されてるならこの先生は先生のフリをした敵だ。個人チャットで連絡をしてきてる子も、グループチャットでは反応してないだろ。この子は多分気づいてる」
「そんな…………」
そしてやたらと居場所を聞いてくるこの子も怪しいと思われているのか、既読はつくにしても連絡を返さない人間もいる。自然な反応だし、外の人間なら完璧な対応だ。逆の立場なら俺はどちらかと言うととっくに捕まっている側。
「……嫌なら言わなくていいけど、なんでここの修学旅行にみんな賛成したんだ。人間災害も居るし、普通に危ないって分かりそうなもんだけど」
変な事を言ったつもりはないが、何か訝しげに見つめられている。かばね町が危ないのと危ない場所に行きたくならないのは自然の道理だ。動物が火を怖がるくらい説明不要だと思っていた。
暫くの沈黙、不意に少女は納得のいったように手槌を打った。
「あ、そっか。お兄さんはこの町の人だから分からないんですね」
「何が?」
「今、町の外って凄い規則とか法律が厳しくなってるんですよ。万引きって悪い事ですけど、そんな懲役何十年も渡される程じゃないですよね?」
「俺も詳しくないけど、まあそうかもしれない。一概には判断出来ないけどな。その仕事があるから裁判官が成立してるんだし」
「教師に口答えしたら停学ですか?」
「ん? ん……まあ、悪質だったら……うーん」
「授業で忘れ物多すぎたら退学勧告ですよ!」
「…………やりすぎ、かもしれないな」
少し自分の携帯でも調べてみたが、彼女の体感的な話ではなく、本当にかばね町の外では犯罪が厳しく取り締まられるようになっている。警察のデータを見てもここ数年は特に酷いように見える。殆どはかばね町を根城にした外国人の仕業かもしれないが、軽くニュースを見てもニュースバリュー(何の犯罪をしたか)に対して刑が重すぎるのではないかと思う事案が多々ある。というか最近のマスメディアの傾向はこの異常なレベルでの検挙に対して治安を憂う見出しが多いらしい。
「なんでそんな厳しいんだ?」
「私の学校だと、かばね町との境界線が近いから、犯罪者にならないように、ですね。軽い校則違反でも見逃し続けると悪い事をする抵抗がなくなるからって。世間は分かりません」
「あー……だったら猶更こんな場所に旅行に来ないでくれよ」
「ある時先生が言ってくれたんですよ! 色んなルールに縛られて息苦しいかもしれないけど、かばね町の中なら自由にしてよくて、何をしていても先生は怒らないからって。だから私達の中では息抜きっていうか、先生が用意してくれたサプライズだと思ったんです! 二年生で反対する人、誰も居なかったみたいですし。学校も認めてるならいいのかなって」
「安全に入る方法があって、ガイドが居るから自分から危険な目に遭おうとしなければ大丈夫って言ったのに……バス、違うとこに行っちゃって」
「騙されたって事か。ガイドもグルか?」
「は、はい」
倉庫みたいな場所に連れられて、ホテル代わりとガイドに説明されていたが自由に歩き回りたくて仕方ない男子の一部が指示に従わなかった事で銃殺。それをきっかけに全員が逃げ出して―――
「俺が助けた場面はともかく、ここにはどうやって」
「あ、それは親切な人が教えてくれて……なんか、知り合いを呼んでくるとか言っていなくなったんですよ。で、入れ違いでお兄さんが―――」
その時、個室の扉が開かれ、親切な人とやらが帰ってきた事を悟る。最初に目が合ったのは俺だ。そして互いに、目が離せなくなった。
「…………十朗!?」
「にい、ちゃん?」