孤独は崇高なる猛毒
「はぁ……はぁ…………」
「ここなら問題ないぞ。私がたまたま通りがかって良かったな」
一人で逃げる事も可能だったかもしれないが、体力を温存できたのはレインがわき道から声をかけてくれたお陰だ。それで難なく逃れる事が出来た。助けてくれた理由は単に知人が追い回されていたからというだけであり、もっと言えば昼食を一人で食べるのが寂しかったから相方が欲しかったとの事。凄く平和な偶然だ。
「で……なんか変なお店に入ったな」
「無国籍料理をコンセプトとした個人店だ。無国籍は良い。形式や固定観念に囚われず食材の可能性を追及するからな。例えばこの鶏ガラの炊き込みご飯は、普通に食べても美味しいが店主が厚意でつけてくれるスープを少しかけて食べるとまた風味が違う。日替わり魚介のオイル煮は、まあたまに相性が悪くて美味しくない時もあるが、噛み合った時は絶品だ。それと―――」
「わ、分かった分かった。じょ、常連なんだよな。うん」
「しかしお前まで追いかけられるとは少し狙いが分からなくなったな。てっきりあのビンゴブックに載ってる奴限定かと」
「レイン、話を勝手に終わらせないでくれ。俺はどんなテンションで今の話に付き合えばいいんだ」
「…………すまない。メニューは自由に選ぶべきだと考え直してな。じゃあ仕切り直しだ。改めるぞ」
「改める必要はないよ。でも何の話をしてるかだけ教えてくれ。主語が抜けてて良く分からない」
「追いかけ回されていただろうに、その件以外で私に心当たりなんて生まれないぞ……ああ、えっと。そうか。ここが抜けているのか。追いかけ回されているのは何もお前だけではないんだ」
「何?」
かばね町自体はトラブルの絶えない町だ。特に理由も事情もなくても追いかけ回される人間なんて探そうと思えば死体くらい直ぐに見つかるだろう。とはいえ自分がその立場になるとは全く想定していなかった。透子のお陰で他の人よりずっと安全に暮らせる。そのアドバンテージはかなり前から感じていたし。
―――確かにどの料理も美味しそうに見えるな。
「俺以外に誰が追い回されてるって言うんだよ。あれは単なる自業自得で……」
「昨日あのカフェに居た一人が殺害されている。今朝の事だ。そうそう。このお店、意外と虫料理も美味いぞ」
「いいよその話は! 何でその話に繋がると思った? 殺された奴は……知り合いじゃないよな。あんまり顔が浮かばない」
レインの顔は……包帯塗れなので良く分からない。別人が偽装する事も可能だろうが、あの時も同じ格好だったし、何よりこの勝手に話が終わったと思って別の所に逸れる感じは本人にしか出せない味だ。これで本人確認をするのもどうかと思うが、とりあえず彼女の事は信用していいだろう。
「私も二時間程前に追いかけられたばかりだ。いや、銃撃されたと言うべきか。近くの車を奪って逃げたはいいがかなりしつこかったぞ。KIDの方に顔は出せそうになくてな……仕方なく休暇を貰った所なんだ」
「……その襲ってきた奴って、勢力がどのあたりか分かったりするか? 俺が知らなくても大丈夫だ、勿論、着る服なんて幾らでも変えられるから完璧な特定ってのは無理かもだけど」
「ふむ…………あまり服装に統一感はなかったな。だが連係は出来ていた。少なくとも場慣れはしているな。カフェに居た奴にはKID経由で知り合いが居たから話を聞いたよ。全員狙われたか、探されていると答えてくれた。本格的な狩りが始まったのかと思ったが―――修理屋。お前はあそこに載っていなかったのに狙われたな」
「俺は別の事情だよ。でも本格的な狩りって言うけど期間は一週間もあるんだろ。そんな二日目にして本腰を入れる事なんてあるのか?」
「たわけ。私達は初日から安全を欲してあのカフェに来たんだ。狙われていると最初から分かっていてどうして目立つ場所に居続ける。私も含めて全員見つけ出されたんだ。それもピンポイントにな。誰かが情報を流したとしか思えないぞ」
所在地が明らかなら期間の残りに拘らず本腰を入れる、か。確かにハンターが一般市民と考えたら一刻も早く悪党なんて掃除した方が良いに決まっている。三大組織にとってはゲームかもしれないが、彼らにとっては違う。効率重視で最終日付近まで泳がせるような戦略よりも、手近な安全を欲して見つけ次第悪党を狩るという発想をした訳だ。
―――で、何で兄ちゃんが載ってるかは分からない、と。
「あのリストだけどさ……全員悪い奴だから載ってる、でいいんだよな」
「ああ」
「悪い事してない人は、絶対に居ないのか?」
「絶対とは言い切れないが……この町は正にその絶対ではないに悩まされている筈だ。私達は悪党だが、そこに住む外の法律を守ろうとする彼等は……」
「まあ、そうだけどさ」
かばね町に住んでいるなら、一括りに悪党である。そんな図式が罷り通っているからこそこの町は国の中の外国とも呼ばれていて、善良な住民は俺達に矛先を向ける。一緒にするなと。お前達が悪者だから割を食っているんだと。
「……あのリストに映ってる人の連絡先をレインが全部知ってるって事はないか?」
「流石に難しいな。特に夏目十朗の兄は誰も連絡先を知らなそうだ。この町に居るのか? 良く分からんが、あんな事をする奴が弟なら仮に悪党でも町の外で潜むと思うぞ」
「だよな。恰好の割にまともな事言ってくれて安心したよ」
「この格好は……好きでしている訳じゃない。あまり突っ込まないでくれ」
「ごめん」
「許す。そろそろ楽しい食事の時間だ。奢ってやるから一緒に食べようじゃないか」
レインは包帯の隙間から微かに見える眼を細めて笑いながら、それとなくメニューは決まったか? と首を傾げた。何処までこいつは食事を急かしてくるんだとは思いつつも、俺は自分の身勝手で勝手に昼食の機会を逃したばかりだ。あそこで食べられなかった分、しっかり食べないといけない。
「『鴨肉の低温スパイス焼き』ってのを頼もうかな。鴨自体あんまり食べた事ないし純粋に興味がある。どんな味わいなんだ?」
「何と言っても肉の味わいが深いな。柔らかくて歯切れも良いし、軽くかけられたハーブとスパイスが味わいに癖のある刺激を与えてくれる。名前には書かれていないがソースがついているだろう。肉にはあえてスパイスのかかっていない箇所がある。そこを切ってソースにつけるんだ。それもまた違った味になる。私的にはこのグレートソースという店主独自のソースが、酸味を効かせてきて堪らないな」
「……随分推してるな。成程。誰かを捕まえて一緒に食べたいのは要するに布教活動だな」
「美味しい料理は、誰かと食べた方がもっと美味しくなれると思っている。実を言えば正に今日、別の奴と食べる約束をしていた。人と話すのに慣れておきたくてな、食事があればそれも簡単だと思ったんだ。まあ死んだが」
「……」
「何を気に病んでいる? よくある事だ、悲劇でも何でもない。お前を誘ったのは単に、他の奴よりは死ににくそうだと思っただけだ」
死ににく、そう。
俺がそう見えるのはどう考えても透子のお陰だ。アイツが居てくれるから俺は強気に生きていられる。だけど違う、そうじゃなくて。
「レイン。そんなにお店に詳しいなら、隠れ家みたいなお店を知らないか? こんな危ない店でも一般人が安心して食事出来るタイプのお店」
「……近くにはないな。町の端に行く事になるぞ。」
「実はに―――夏目十朗の兄に話したい事があるんだ。あれは女好きっていうか、惚れっぽいっていうか。女性と絡むのが好きなタイプで、もし隠れてるなら彼女と一緒だと思うんだ。 この町は危険だらけだけど、安全に食事出来る場所があればそこを避難所代わりにしてる気がするんだよ」
町の中に居るのなら。今すぐ出ていくべきだと教えなくちゃいけない。あまり考えたくないけど―――もし町の中に居なくてはいけない理由があるとしたら、それはきっと俺が絡んでいるだろうから。
「……分かった。多くは聞くまい。ただ、ここで腹ごしらえをしてからだ。まずは食事を楽しもう」