泡沫の君へ
「すぅ……すぅ……」
「あんなに騒いでたのに嘘みたいに寝ちゃったな」
「誕生日を初めて祝われたんでしょう、舞い上がりもするわよ。この様子じゃ朝まで起きそうにないわね」
お風呂にも入らず、なんて無粋な事は言うまい。泣き疲れる気持ちは良く分かる。沢山食べて沢山飲んで、沢山泣いた。体力なんて残っている筈がなくて、五分だけ寝るつもりになったらもう夢の中だ。
「楽しかった時間も終わりかー。それとも第二部に行っちゃう? 大人だけの時間って事でさ!」
「高校生は大人なのか?」
「大人として振舞わないといけないし? 子供は誰かにいいように操られて搾取されるだけなんだからさ」
「後片付けは貴方にお願いするわ。ジュード君、マーケットの所へ行きましょうか。君のお友達に会わなきゃ」
「え? ああ確かに、ニーナが起きてる間に行きたくはないな。川箕、頼めるか?」
「勿論っ。用事があるんでしょ、帰ってくるまでに綺麗にしとくよ」
「川箕も知ってたのか」
「一応、仕事仲間でしょ。パシってるみたいなんて思わなくていいから行ってきなよ。絶対そっちの方が厄介だから!」
「……そっか。じゃあ片付けついでにお土産を一つ先に渡しとくよ」
「な~に? そんな申し訳ない感じを出さなくても大丈夫なのに。何なら二人が来てから掃除とかするようになったくらいでもう全然―――」
車に積んであった紙袋は部屋に置いてあった筈だ。外へ向かうついでに部屋へ立ち寄り、中の小箱を渡す。川箕は興味を引かれたように瞬きをし、恐る恐る手に取って箱を開いた。
「―――――え」
「……他のお土産はまあ適当にって感じだけど、それは川箕の為に買ったんだ。お前が居なかったら俺は職を手に入れてないし、安心して生活する事もままならなかったと思う。変ないざこざのせいで最近は仕事出来てないけど、まあその。これからもよろしくお願いしますって事でさ」
箱の中に入っているのはルビーのネックレスだ。手持ちのお金で買えるくらいの、ギリギリの大きさだ。こういう贈り物を学生の内にする事になるとは夢にも思わなかったが、もう学校もなければ平和な世界にも居ないし、常識に囚われる必要はないと思った。
「お金、無くなったでしょ。どうすんのさ、また稼がないと」
「そうだな。でも俺は、これからもお前と一緒に居ると思うしいいかなって」
買ったのはほんの軽い気持ち。だけど伝えたいのは深い感謝。川箕は左手で力強くネックレスを握りこむと、背中を向けて部屋の隅に逃げた。
「…………………………も、もうさ。や、やだな。私、そんなつもりで……は、早く行きなよ! いいから!」
「お、おう。あ、その。喜んでくれたか?」
「―――ジュード君。その感想はまた後。行きましょう」
「え? あ、うん。分かった……」
せめて感想は一言くらい聞きたかったけど、でもマーケットはきっと待ってくれないからしょうがない。透子がここまで急かすのはきっとあれだろう、真司の処遇が決まっていて、あまり時間をかけるといなくなってしまうからかもしれない。あの虚言癖を買いたい人間が居るなんて、ちょっと思いつかないけど。
「君にもう正体は教えちゃったし、車は使わないで行きましょうか」
「ど、どうするんだ? お前が俺を簡単に持ち上げられるのは知ってるけど、まさかお姫様抱っこされるのか? なんか、子供扱いされるみたいで複雑だな」
「私からすれば殆どの人間は子供みたいな弱さだし、銃弾もポップコーンを投げつけられてるような物だから気にしないわ。君ももう評判なんて気にしていないのでしょう。大悪党の十朗さん?」
「周りからの評判とお前からの評判は別なんだけど」
「可愛い君も好きよ?」
透子は悪戯っぽく笑って俺をひょいと持ち上げる。見た目はこんなに可憐なのに、一体何処からここまであり得ない膂力を発揮しているのだろう。
「本当は私にしがみついてくれた方が楽なんだけど、このままで行く?」
「しがみつくって……ど、どうするんだ? 背中にくっつくのか?」
「正面から私の上半身にしがみつくの。胸の間に顔を入れてくれたら緩衝材になるから多少力を込めても問題―――」
「このままでいいって!」
好きな女の子相手にそんな情けない姿を見せたくなかった。お姫様抱っこが一番マシなんてふざけている。どれだけの速度で走るつもりだ。
「因みに。因みにな。本気で走ったらどれくらいでつくんだ?」
「さあ、本気を出した事ないから分からないわ。多分そんな日は来ないし、気にしても仕方ないわ。君が無人島でも買ってくれたら話は別だけど」
「クリスマスが近いからってサンタさんは土地なんか持ってこないぞ! ていうかこの流れだとサンタ役は俺なのか? 何が欲しいんだよ」
「指輪」
「ネックレスに張り合うなって」
「うふふ」
そういえば透子は俺に優しくするのをやめたんだったか、少し強引だ。そこがまた可愛いというか、実際渡したらどんな反応をしてくれるか気になってしまう。無関係の話は程々に、目を瞑って全てを委ねる。
瞬間、とてつもない力が身体を反対方向に引っ張り、危うく吹き飛ばされる所を透子の身体にせき止められる。近い感覚はジェットコースターだ。コースターが速すぎて身体が後ろに持って行かれる時の感覚に近い。とすれば安全装置は彼女の腕であり、手を離された瞬間に即死するだろう。
「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
「はい、ついた」
目を開けると、そこはまだ硝子窓に幾らか灯りのついているマンションだった。正面玄関には複数の監視カメラと銃で武装した黒服が立っている。
「ここが、マーケットの本拠地か?」
「本拠地はビル。ここは中が改造してあって、それぞれの個室が商品の置き場所になってるわ。既に彼女を介して私達の来訪は伝えてあるからフリーパスで行ける。部屋は五〇二ね」
透子の手から降ろされてホッとする。足が地面についているという現実に安心した。
「う、撃ってこないよな。突然射殺されるのは嫌なんだけど」
「大丈夫、何処からどう撃たれても君の身体に穴が開く前に割り込めるから。二人きりで話したいでしょうから私はここで待っているわね」
よくよく見ると俺達の通ってきた場所の地面は全てめくれ上がっている。あんな一瞬でどういう走り方をすれば通った場所が全てめくれるのか甚だ疑問だが、今は透子よりも真司だ。
「…………疑う訳じゃないけど、俺とお前が不仲だって思われてたら安心じゃないよな。喧嘩っぽい事もしてたし」
「もしあれが喧嘩だったら夫婦喧嘩よ。なんてね。大丈夫、マーケットもそこまで愚かじゃないわ……そんな事しようものならそこにある時計の秒針が一周回るまでの間に世界中の拠点を壊すだけだから」
「で、出来ないよな流石に」
「君がどうしてもって言うなら、頑張るけど」
…………やめておこう。
嘘か本当か分からないが、彼女の全力を見る日なんて無い方がいい。マーケットの味方をしているんじゃなくて、ただ漠然と―――もし出来るならミサイルのボタンを押したようなものじゃないかと思ってしまったから。
「よう」
「…………十朗?」
かつては何でもない部屋だったのだろうが、今はまるで牢屋のようだ。畳の部屋に傷だらけの男が転がされている。見覚えのある顔、記憶の中の制服姿からはかけ離れ、傷だらけのまま俺を見つめている。
「また会ったな。久しぶり」
鉄格子を挟んで再会する事になるとは夢にも思わなかった。もう二度と会う事はないとさえ思っていた。けれど、全ては幻想。俺達はこうして会ってしまったし、立場はすっかり対等とは言い難くなってしまった。
真司はボロボロの身体を引きずって鉄格子の前まで這ってくると、鉄格子の外から手を伸ばしてきた。
「今なら…………まだ戻れ、る。十朗、俺と一緒に、この町を出よう。お前はここに居るべきじゃないって、だろ? なあ……」
「テレビに出て好き放題してたんだ、当然俺が何してたかも把握してるだろ。お前が知ってる頃の俺なんてもう居ない。もう立派な悪人だ」
「…………へ、へっはははは!」
鉄格子を梯子代わりに掴んで立ち上がる。血塗れで大きく晴れ上がった顔をそれでも歪ませ、真司は揶揄うように大声を上げた。
「嘘が下手だなあ! 俺には分かるぞ、お前は何にも変わってない! あの頃の……泣き虫のままだ! 悪人なんてお前には無理だよ十朗! 俺と、俺とこいいいいい! それがお前の両親の最期の願いなんだぞ!」
「……死んだのか、あの二人」
「そうだ、人間災害のせいでな! お前を連れ戻す事は二人からの最期のお願いなんだよ。俺はお前の親友として叶えてやらなきゃならない! 目を覚ませよ、この大馬鹿野郎! お前は騙されてるんだ!」
「透子にか? 俺は一体どんな風に騙されてる?」
「アイツは人間じゃない! 人造人間、怪物になるべくして生まれた人間なんだ!」
「それで?」
「作ったのはお前のお父さん! つまりお前を介して恨みを清算する可能性があるんだよ!」
珍しくこの男は嘘を吐いていないようだ。可能性の話はさておき、透子の話も合わせて父さんが息子の俺ではなくこんな良く分からない奴に真実を教えたのは間違いない。死に際だから正直になれたと?
相手がどんなろくでなしでも死人を悪く言う気は起きない。人として最低限のラインのつもりで、これがもしマーケット相手でも俺はこの流儀を貫いたように思う。両親だって例外ではないが、しかし言いたい事がない訳でもない。
「だから、何だよ」
「は、は?」
「父さんも、お前も、いや世界中が透子を誤解してる。お前達は透子の事を何一つとして分かってない。アイツは、世界で一番優しい女の子だよ。主語が大きいか? でも俺はそう思ってる。どんな存在も力で捻じ伏せられるのにそれをしないんだ。たったそれだけで十分そう思える。アイツを人間じゃないって言うのは勝手だけど、それなら人間より人間らしく生きようとするその心が俺は好きだ。人造人間だから気持ち悪いって俺が言うと思ったのか? 俺を介して恨みを晴らすって、それは俺が父さんに大事にされてないとあり得ない仮定だろ。お前の言ってる事は滅茶苦茶だ」
「お前は! 大事にされてたんだよ十朗! 親の心子知らずって奴だ、お前を大事にしてなかったら、じゃあ何で二人は死に際にお前を託した!? 俺はお前の親友で……お前に人間災害の傍に居てほしくないからだろ!?」
「愛してるっていえば愛してる事になると思ったら大間違いだ。伝わらなきゃ何の意味もない! 俺に伝わったのは俺じゃなくて兄ちゃんを溺愛してた事だけで、それ以外は何にもなかった! 俺の人生の邪魔ばっかりして何が家族だよ!」
「家族は素晴らしいんだよ十朗! 家族の居なかった俺には分かる! 居たお前と違って! 血の繋がり程尊い物はないんだ! だって、無条件で味方だって分かるじゃないか!」
無条件の味方。
それは、ああ正に。
「…………祀火透子は、俺の大切な人だ」
「あ?」
「男の泣き顔なんてみっともない。お前が笑って話のネタにするように、誰からも受け入れられる感情じゃない。アイツはただ一人、俺の声に気づいて手を取ってくれた。俺の人生で最初に、弱さを包んでくれた人なんだ。人造人間のせいか若干反応がズレるとこも、俺を心配するあまり子供みたいにあたふたするところもまとめて、全部可愛くて仕方ない。毎日毎日ドキドキさせられる」
「川箕燕は、人生の恩人だ。川箕が居てくれるから俺は安全に暮らせる。比較的まともに、そして不自由なく。透子と一緒に、俺を自由な世界へ連れて行ってくれた人だ。その溌剌とした声を聞くだけでいつも元気が出る。お前よりよっぽど、俺は親友以上の関係で接していられる」
「………………」
「血の繋がりなんて俺には必要ない。家族の居た俺には分かる、居なかったお前と違って。この屍の町で何より優先されるのは損得の縁、だけど俺達は心で繋がってる。お前に何言われても、俺はあの二人を捨てる気にはならないよ」
「…………家族を捨てんのかよ、親不孝がよ」
真司にはかつて何かにつけてふざけたような余裕はもう見られない。虚言癖の自己申告に合わせて、彼は語りたい本音は絶対に口に出さないポリシーを持っているから俺には良く分かる。何があろうとこの町にしがみつく元親友に、苛立っている事が。
「へ、へへ。俺はしってんぜ。この町じゃあ、法律なんてクソだ。未成年でも平気で体を売るし……そこらで内臓も売ってる。つまりぃ、あれか。お前は、色仕掛けにハマったんだ。女二人侍らせて、盛ってんだ」
「好きに言えよ。とにかく、俺にはもう関わるな。父さんが死んだならそれでいい、もし生きてたらいっそ俺がこの手で殺したくなってる所だからな。それが約束出来るならこっそりここから出してもいいぞ。男は大した価値にならないって知ってるからな」
そのような許可は一切受けていないが、わざわざ連絡をくれたのだから処遇はある程度俺に任せられていると勝手に受け取った。本当に足元を見る気ならもっと交渉してくるだろうから、マーケットとしては俺の名前を出したか何かで関連を疑われた男の真相を確かめたいのだろう。
俺の知人なら改めて交渉に入り、そうでないなら売りに出す。
真贋の鑑定とそう変わりない。
「………………………諦めねえぞ、俺は」
「―――じゃあ俺も、助ける理由はないな。お前が何処に売られても俺の知った事じゃない。でも最後にもう一度だけ言っておくぞ」
振り返って、真司と正面から向き合った。意味のある嘘も意味のない嘘も等しくついて回るこの男とは友人だった訳だが、それも今日限りだ。切り捨てる意味でも酷い言葉を浴びせかけたくて色々考えたが、思い浮かんだ言葉は実に単純。
「人造人間でも人間災害でも、俺は透子を女の子として見てる。ずっと惹かれてる。華弥子に夢中だった時みたいに。お前がそうやってずっと貶めるなら、俺は永遠にアイツの味方で居る。恋に盲目だった俺の生き方を、お前はずっと横で嗤ってただろうに」
話す言葉はもうない。
手向けの言葉としては十分すぎるくらいだ。
背中に向けて『あんな怪物と子供作れると思ってんのか?』だの『お前みたいに頼りない奴は愛想をつかされる』だの、何やら男としての尊厳を傷つける方向で悪口をぶつけられたがちっとも気にならない。だって少なくとも、川箕も透子も俺を異性として意識してくれているから。
マンションを出ると、やっぱり彼女は地べたに座り込んで座禅を組んでいた。
「もういいの?」
「話しただけだし。もう帰ろう」
今度は自分から身を委ねてお姫様抱っこをされる。走り出す直前ふと気になって、彼女の顔に問いかけた。
「なあ透子。唐突になんだよって思うかもだけど、お前は子供って……産めるのか?」
「……考えた事もなかった。私を人間として見てくれる人なんて居なかったから。細かい差異はあると思うけど基本的には人間と同じよ。産める事に違いはないわ」
「そっか。や、何でもないんだ。ちょっと気になっただけで」
「――――――十人は欲しいわ」
「え?」
透子の足が、地を剥がす。
「十人も居れば、寂しくないと思うから」




