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二つ目の願いを聞き届けたアンジェは満足そうに頷き、さてどうしましょうかと小首を傾げた。先ほどまでの悪魔的な笑みはなく、そこらの村娘のようにあどけない微笑みにオーランドは頭がくらつくのを感じた。
「今の貴方ならやる気を認められそうな気もしますが?」
「まさか、父上は形から入るのが嫌いなタイプなんだ。結果主義だよ」
身ぎれいになったオーランドを眺めての発言だったが、肩をすくめて却下された。
「陣形魔術で結果を出すっていうのも無し。父上は根っからの政治家なんだ」
「ふむ、この街をあなたならどの程度好きにできますの?」
「判子は一緒だ、形式だけなら父と同じことができる。怒られるかもしれないけど、緊急措置は許可されているよ」
家令も当主も王都だからね、オーランドは悪びれることなく言い、アンジェは皮肉っぽい笑いがもれた。案外肝は座っているのかもしれない、と期待値をやや上に修正する。この世界での社交界の事情をあまり知らないのが問題だが、アンジェは人からどう見られるか、どう評価されるかを考えるのは得意だ。
「なるほど、では社交界で話題になるぐらいに政治的に成功すること・・・今回の願いのゴールはあなた個人でのわかりやすい功績、と言ったところでしょうか」
「って、そんな簡単なことじゃないよな」
「ええ、簡単ではありません。戦時中でもありませんから」
ですが、と続ける。
「ここらに貧民街はありまして?」
「あるね。ないほうが珍しいんじゃないか。ここらだと西の草原近くだ」
「ちなみに何故?」
「あそこは魔物がでやすく、乾燥しやすい。よく火事になっている場所だ。でも川があるから水の確保はできて、且つ橋を渡れば観光地が近い。だから貧しい人が集まりやすい」
オーランドはアンジェが貧民街について聞いてきた時に、貧民街をなくせば功績になると言い出すのだろうと予想していた。だが当たり前だが長期的な計画になるし、乱暴は手段はとれない。いろんな人が手を尽くそうとしたが、今も存在している。そういう難しい計画だということだ。オーランドはため息をつかないために紅茶を一口飲んだ。
「なるほど、私そこを見てみたいですわ」
「君が?!危ないだろう、君はどれだけ変装したって令嬢だぞ」
「ええ、ですから堂々といきます。あなたもついてきなさい」
「え、いや、僕だって肉体派じゃない。護衛が必要なら、あ~、家伝いで雇う、とか?」
「そうね、是非交渉してみてちょうだい」
これも勉強です、とアンジェはそう言い残し、話は終わりだと席を立った。確かにもう夜も更けていて、結構話し込んでしまったなと思った。だがオーランドは結局なにをする気なんだ、や余計なことをいってしまったかもしれない、と煩悶してしまい、横になっても中々眠ることはできなかった。
そして約三日後の早朝、慣れないながら視察という名目で護衛を雇うことができた。今まで家の名前を使ってなにかしらの手続きをすることもなかったので、オーランドはまだ外にも出ていない時点で疲労感でいっぱいだった。アンジェはあらあらと笑いながらも厳しくエスコートのチェックをしていく。
「この橋を渡ったあたりからだよ」
馬車の窓から見下ろせば、橋の下には粗末な小屋やテントのようなものが並んでいる。そもそも空気が変わった。腐ったドブのような臭いにアンジェは上品に扇子を広げ、こっそりと風魔法で悪臭を防いだ。
「・・・あの汚い川で水浴びは病気になりそうなものですが」
「思ってたよりひどい・・・」
汚い布を敷いて寝転がっている人や焚き火を囲んでいる姿、思っていたよりもずっと人はいた。川沿いの道は水捌け悪く泥だらけ、アンジェとオーランドは前後に護衛を配置して歩いていたが、何度も足をとられて転びかけた。
「道の補修をするべきだな」
「もとは石畳だったんでしょう?どうしてむき出しなの」
「割れたところから勝手に持っていくやつが現れましてね」
「石を?どうして」
「自分の家を作るんですよ」
勝手に、と護衛の一人が笑った。貧民街の出身ではないが、警備などで関わることも多いらしい。オーランドは複雑そうな顔をしながら、川から少し離れた住宅を練り歩く。アンジェは微笑みを絶やさず、オーランドの付き添いですと言わんばかりの様子だった。だが彼女が抜け目なく観察をしていることはオーランドだけが理解していた。なんなら行く方向はさりげなくアンジェに誘導されていた。
「川の近くは湿気ていて不快でしたけど、このあたりは乾燥してますわね」
「この住宅街を抜けたら草原が広がっていて、ちょうど谷間になるから風が冷たいんだ」
オーランドが遠くに見える山を指さし、アンジェの知らない山の名前を教えてくれた。アンジェは護衛にどんな魔物がでるの、と尋ねたり住宅の素材などを触って確認したりと結構な時間をかけて、小さな貧民街を歩き回った。当然目立ってはいたが、護衛を引き連れた豪奢な格好の貴族など触らぬ神に祟りなし。貧民街の人間はほとんどが引きこもって、ゴーストタウンもさながらな静かな視察となった。
「うーん、住民の素の生活もみたかったものですが」
「仕方ないよ、それこそお忍びでくるべきだ」
二人はこれ以上刺激しないでおこうと詮索するような行為はやめて、おとなしく馬車へ乗り込んだ。護衛には謝礼を包み、またお願いするかもしれない旨を伝え、屋敷の結界をくぐった。目隠しなる庭のアーチも抜ければ、肩の力が抜けた。アンジェは澄まし顔だが、疲労感はあるらしく足取りは遅い。
「ごめん、ヒール大丈夫?」
「えぇ、平気ですわ。歩幅を合わせる努力もみえましたから及第点かしら」
エスコートの点数らしい。
もはやさっさと自室へ戻ってベッドに寝転んでしまいたいところだが、そうもいかず二人は昼食兼お茶会とした。
「さて、やることは見えてきました」
「・・・道の補修とか川の治水とか?魔物が入ってこないよう結界とかかなぁ」
「まぁそれも必要でしょうけど、それはご当主にお願いしたほうがよろしいですわね」
オーランドは至極真っ当なことを言ったが、アンジェはしらっとした様子で丁寧に紅茶へミルクを注いだ。くるくるとスプーンとともにミルクも円を描くのを眺めながら、アンジェは今日見かけた貧民街の住人たちを思い出す。アンジェの世界を基準に予想をしていたが、こちらの世界でも同じだったようだ。
「やはり魔力のない人たちばかりでしたね」
「え・・・見ただけでわかるの」
「わかりませんの?」
「わからないよ!むしろ何で判断してるんだ?」
本当に知らないようで、瞠目したオーランドは立ち上がってアンジェへ迫った。いつもならば容赦く行儀が悪いと扇子を振るが、アンジェも不思議だったので仰け反ったまま考えた。異世界というには同じすぎる世界だったが、ここではじめて違いがあることを知り興味深く思ったのだ。
「私の世界では魔力の有無はみんな判別できましたわ。わからないのはその総量ぐらいなもので・・・そうですわね。オーラのようといいましょうか。輝きのようなものをその人が放っていると魔力があると判断しています」
「そ、そうなの?そんな話聞いたことない。魔力の有無は魔力測定機で数値が出るか否か、それだけだよ」
「ふむ、それではどこかの貴族のご落胤も中々見つからなさそうですわね」
「君の世界ではむしろ見つかるのかい」
「ええ、オーラの輝きが似ている気がする、なんて理由で」
なので魔力は遺伝だと判断されておりますわ、なんてアンジェは澄まし顔だ。オーランドは興奮が抑えられずもっと深堀をしたがったが、圧力のある美しい笑顔に負けておとなしく席へ腰を下ろした。
「・・・・魔力がない人ばかりだから、なんだっていうんだ?」
「あら、こちらの世界では魔力のない人たちの生活はどうしてますの」
「どうって・・・」
何かを言おうとして、言葉につまる。オーランドは魔力のある生活しかしたことがない。自分が杖や杖代わりの万年筆やらをひょいと振ってやっていることを、魔力のない人は手でやっているというだけだろう。だがこの家には魔道具が溢れていて、あれもこれも道具ひとつでできる。だがそれには魔力がいる。それは、この家だけのことだろうか?と想像もできなかった。
今日みた川辺の人たちは泥だらけで汚ならしかった。とてもではないが杖や魔道具はなく、生活に必要な道具さえ持っていなさそうだった。
「どうやって生活してるんだろう・・・」
なぜ想像もできなかったのだろう、とオーランドは呆然と呟いた。
「そこで陣形魔術です」
「え?いや、今魔力がないって話を・・・?」
「あるでしょう?魔石を利用する陣形魔術が」
オーランドは衝撃を受けた。驚愕の表情で固まってしまい、何か言葉を絞り出したいところだったが、上手くいかない。アンジェが言うように魔道具には直接魔力を注入せずとも魔石を使用することで扱えるものがある。その魔石をはめる周囲には模様として陣形魔術が使われていることがほとんどである。だがそれをオーランドが思いつきもしなかったのは、その技術が既に失われた技術の一つだったからだ。模様をマネしても上手くいかず、陣以外の何か・・・素材であったりインクあったり、そういうものが要素として必要なのではと言われて、未だ解明できていない。
「失われた魔石利用の陣形魔術を復活させる・・・!それが僕のやることだね」
「より正確にいうならば、復活させた上で再び普及をさせ、貧民街の人間に仕事を与えること。それがあなた個人の功績となります」
自身の得意分野でできることがあるというのは嬉しいことだ。オーランドはふつふつと胎の奥からやる気であったり情熱といわれるような力が沸き上がるのを感じた。紅茶をぐいっと飲み干しカップを空にすると、こうしてはいられないとばかりに部屋を飛び出た。もう頭は貧民街や父親からの評価よりも、失われた陣形魔術の復活でいっぱいだった。
アンジェはやれやれと苦笑して消えていったオーランドを見送った。本当ならば研究の結果の扱いなど尋ねたいことはあったが、今のオーランドに話しかけるのは得策でないと判断して、暫くそっとしておくことにした。今のオーランドは我慢していた趣味に没頭するきっかけを見つけたとはしゃいでいる状態だ。
「こちらでは失われた技術でしたか・・・」
アンジェは小さくため息をついた。アンジェとしては魔石から魔力を抽出する際の効率をあげるであるとか、高価な魔石でなくても使える魔方陣であるとかそういった発展の話をするつもりだったが、どうやらこちらの世界では、そもそも普及していない貴重な技術であったらしい。
アンジェの頭は魔石を利用できないという一点の影響についてぐるぐると推測をいくつもたててシュミレートしていき、当初の「オーランド立派な次期公爵様計画」を見積なおしていく。
「ふぅ、私が陣形魔術に詳しければ正解を教えてあげれたのですが」
提示しておきながらだが、アンジェの世界であった魔石を利用する陣形魔術についてはよくわからない。魔力がない人はその魔方陣が施された魔道具を使用しているのが一般的だったことぐらいしか知らなかった。なぜならアンジェの周りには魔力のある人たちしかいなかったので、噂でしか聞いたことがない。
「・・・まぁ、楽しそうですし」
黙っておきましょう。そう思ってアンジェが召喚された埃くさい部屋の扉を一瞥し、部屋へ戻った。彼女は朝型なので、徹夜をして没頭しようという人間の気が知れない。
■
貧民街へ視察をしに行って幾らか経った。その間アンジェはほとんどを一人でのんびり過ごしていた。本当は外へ行きたいところだったが、庭の散策ぐらいに抑えている。やはりこの世界でも女が一人で行動するのは推奨されていない。ましてや令嬢となるとシャペロン(目付け役)がいないのは妙な噂をされてもおかしくない。
その日も木漏れ日の美しい窓辺で優雅に紅茶の時間を楽しんでいたが、恐る恐ると部屋から声をかけられた。定期的な掃除をしてくれている通いの女中で、オーランドを通してアンジェは客人として紹介を受けている。
「あの、お嬢様」
「何かしら、掃除が終わったようでしたら一緒にお茶をいかが」
「いえ、そんな恐れ多い。少しお尋ねしたいのですが」
掃除を終えたあとなのか、近づくのも申し訳ないとその身を縮こませて遠巻きにしている。口をもごもごとさせて尋ねにくい、と全身で主張しているので、アンジェは少し同情気味に先に話を切り出してやった。
「野ネズ・・・オーランドのことかしら」
「そうなんです。そうなんです。資料庫からなにやらうめき声が・・・坊ちゃまがいらっしゃると聞いていますが、大丈夫なのでしょうか」
うめき声・・・とアンジェは遠い目をしてしまう。不安に思う気持ちは理解できる。定期的に食事と風呂のために引きずり出しているものの、過集中状態の彼は常に考えを口にだしながら目が開いていてもどこを見ているかもわからず虚だ。病んだと誤解してもおかしくはない。自分の雇い主がそんな状態かもしれないとは考えたくないだろう。アンジェは取り澄ました顔で微笑み、安心なさいと狼狽える女中へ定期的に自分が様子を見に行っていることを伝えた。嘘ではないし、詳しい事情も教えられない。
女中は納得した様子ではなかったが、首を突っ込むべきではないと判断したらしく、頷いて自身の仕事に専念していった。資料庫以外はきっと完璧に掃除してくれるだろう。アンジェは彼女を中々優秀だと思いながら、問題の資料庫へ足を向けた。
扉を開く音が響いたが、中の人間がそれに気づく様子はない。彼女は慣れた足取りで中央の本の山へ近づき、扇子をひょいと跳ね上げさせた。その動きと連動して猫の子が摘まみ上げられるように人間が宙吊りとなった。驚いた様子のオーランドは浮いたまま手足をばたつかせている。
「野ネズミに逆戻りねぇ」
「アンジェ!本が落ちた!とってくれ!」
「そろそろ休憩なさい」
呆れたアンジェの態度など目に入らないかのように本の魔方陣に夢中になっているオーランドを浮かせたまま部屋の外へ連れ出す。あ~と名残惜しそうな声を出すものの、無駄な抵抗だと脱力したまま紅茶の用意された席へ大人しく着いた。
「うん?紅茶?」
「スパイスティーにしたの、ケーキは女中に頼んで買ってきて貰ったわ」
「いつの間に・・・」
「あなたが引きこもっている間に」
それはそうか、とオーランドは大人しく独特な紅茶と茶菓子のケーキを口にした。夏ミカンのタルトらしいそれはさっぱりとした甘さで、スパイシーな紅茶とよく合った。糖分と香辛料のおかげで、ゆっくりと頭が鮮明になっていく。先ほどまで陣形魔術に夢中ではあったがどこかぼんやりしていたのだと自覚ができる。どうやら色々なエネルギーが足りなくなっていたらしい。オーランドは休憩って大事だな、としみじみ思いながら、やっぱり口からは陣形魔術について語っていた。
「あっあっ、その、えーとね。どこまで話したかな」
「落ち着いてくださる?何か新しい発見をしたのかしら」
「発見ではないけど、魔石に要因があるんじゃないかなって思って今試してる!」
夢中になって現在の研究段階を説明してくれるオーランドにアンジェは嫌な顔をせずに聞いた。アンジェは陣形魔術に詳しくないが、まったくわからないわけでもない。彼女は確かに公爵令嬢で、優秀な魔術師であった。だからこと生半可な男の添え物とされるのを嫌っていた。
「まず現在も残っている魔石を利用する魔道具に描かれた魔方陣を読み解いていっても全然統一性がないんだ。お湯を沸かす魔方陣だな、とか保存状態を保つ魔方陣だなってのはわかるけど、魔力の出どころの指定とか魔石については何も記載がないんだ!なら魔方陣を描くインクに細工があるのか思ったけど、今も使用されているっていうキルル国の国宝魔道具が本に載っていて、魔石をいれれば火を絶やさない暖炉のようなものなんだけど・・・これはインクではなく直接魔方陣が彫られているんだ」
立て板に水で語り続けるオーランドの話を纏めると、魔方陣が問題なのではなく魔石が問題なのかもしれない、そんなとこであった。アンジェは少し首を傾げて思案する。アンジェの知っている範囲では陣形魔術の一つであることは間違いない。そして魔石の加工云々は関係なかったはず、というひっかかりである。アンジェの世界とこの世界で細かな違いはあれど、魔術に違いはない様子なので、オーランドの考えは間違いとは言わないが遠回りな可能性が高い。
(・・・夢中になって実験しているのを水はさしたくありませんが)
どう軌道修正しようかな、と笑顔の下で考え、オーランドの話に区切りがついたタイミングで耳飾りに触れた。その耳飾りはこの世界へ召喚された時からつけているものである。それを片耳だけ外し、オーランドへ差し出した。大振りの宝石のついた艶やかな耳飾りにオーランドは何を求められているのかわからず。綺麗だね、と戸惑いながら言った。
「野ネズミ、あなたにこの耳飾りを一つ貸しましょう」
「何故?これは一体・・・」
「私の緊急用の耳飾りですわ、もしも魔力封印のような悪質な拘束を受けた場合に・・・魔石の魔力で結界を使用できるもの・・・」
その言葉を聞いて、耳飾りから視線を外してアンジェの顔を見つめた。
「じゃ、じゃぁこの耳飾りには魔石利用の魔方陣が刻まれているのかい」
「壊したら許しませんが、使用する分には魔石を入れ替えればもう一度使用できるので研究に使うといいでしょう」
「ありがとう!ありがとう!アンジェ、君は悪魔どころか天使なんじゃないか?!」
手渡された耳飾りを両手で掲げ持ち、オーランドは瞳を輝かせてアンジェを褒めたたえた。調子のいいひとだ、とアンジェは扇子で口元を隠した。そしてそのままオーランドが紅茶を一気に仰ぎ、ケーキも大きな一口で頬張ったのも見逃してやった。
再び部屋へ駆け込んでいったオーランドを見送ってから、アンジェは夏ミカンのタルトに舌鼓をうった。
(・・・美味しい)
アンジェ自身はやることがない、パーティも、王妃候補としての教育も、ここでは何もなかった。使用人も護衛も、周囲には誰もおらず、ただアンジェがアンジェとしているだけの、のんびりとした時間は妙に心地よく、アンジェの心を穏やかにさせた。
もう何日かでオーランドは耳飾りを片手に大発見を持ち帰って来る。