私が月になる★番外編 アホな奴
番外編ですので「私が月になる」本編を読後にご覧くださいませ(^^)v
この一か月くらいの記憶がない。
どんな生活をして、ここまで来たのか、実体のない虚無感が体中に纏わりついて、生きているのか死んでいるのかさえ、わからないくらいの居心地の悪さ。
まわりの現実が音もなく空回りしている中で、ただ息をしているだけの私。
普通に何事もなく、食べて寝て起きての動作がうまくできない。
大丈夫?って誰かが声をかけてくれる。
大丈夫だよ、って言ってみるけど、ぜんぜん大丈夫じゃない。
いっそゼンマイが壊れて動かなくなったブリキの玩具みたいに、乱暴におもちゃ箱に放り込んで忘れてくれないかなと思った。
どんなにネジを回しても動かない、そこからの一歩が踏み出せない、そんな物いらないよね。
何もかもが消えてしまえ、何度も叫んだけど、本当に消えて欲しいのは自分なのかもしれない。
ふとした瞬間にカイの匂いがした気がして、振り返ってみる。
頭で理解していても、身体が心が求めてしまう。
不思議だね、こんなに悲しいのに涙が出ないんだよ。
親身になって心配してくれるアパートの大家さんが残り物だと言ってお惣菜を届けてくれる。
「一人じゃ食べきれないから」
決まり文句のように、その一言を添えて立ち去る。
折角の好意を捨てられず、口に運んだ食べ物が命を繋いでいた。
その日も肉じゃがときゅうりの酢の物を持ってきてくれた。
「あなたに伝えたいことがあるの」
いつも言葉少なく、食べ物だけを置いていくのに珍しいと思った。
「私の勘違いかもしれないんだけど、、、」
ちょっと言い淀んで続けた。
「裏の川にかかってる小さな橋があるでしょ。あそこから、このアパートを見ている人がいて、毎日のように見かけるので最初は不審者かと思って様子を窺っていたの。で、よくよく見たら以前に宮下さんとこに来ていた人じゃないかって。覚えていたのはパチンコの景品のおすそ分けを頂いたから。その人に似ていたのよ。声をかけようかと思ったけど、間違えだったら嫌でしょ。それに見ているだけって、訳ありそうだし、一応報告しとくわね」
「わかりました、明日にでも確認します」
「そう良かった、気晴らしに散歩がてらに行ってみてね」
「はい、ありがとうございます」
たぶん、コウだと思った。
一日中いるわけもないだろう、今行ったところで会えるはずもない。
そう思いながらも、薄いジャケットを羽織り外に飛び出していた。
「何しているの」
欄干に背もたれてスマホを見ていたコウが慌てて振り向いた。
「おおおっ!」
「不審者って通報されるよ」
「もう、とっくにされたよ」
「・・・」
「安否確認、おまえ危なっかしいからな」
「余計なお世話って言いたいけど、ちょっとうれしかった。バカみたい」
「そうだな、確かにバカみたいだ」
「あんたみたいな究極のアホは見たことがない」
コウは真っ向勝負のように見えて、意外と不器用だ。
肝心な時に大事なことを隠してしまう悪い癖がある。
私に伝えたいことは山ほどあったと思う。
でも彼は寡黙だった。
「ここからベランダが見える。時々、洗濯物を干すのが見えた」
「黄色いハンカチでも干せば良かった」
「安心したよ。もっとガチ泣きしてるかと思った」
「泣いてばっかりだと心配するから」
「そうだな、なにかあったら電話しろ、話くらい聞いてやるよ。じゃあな」
コウは顔も見ずに、後ろ向きで片手をあげて軽く手を振った。
橋の袂にある花壇を右に曲がったところで声をかけた。
「たぶん、電話しない。もう大丈夫だから」
「ああ・・・それでヨシ」
なんだか、そのカッコつけた背中に思いっきり石でも投げつけてやりたかった。
もう陽が暮れかかっている。
薄暗かったから顔もよく見えなかった。
でも泣いた顔も見られなかった。
それでヨシ、、、だね。