某英語テストの世界にトリップした件
初のヒューマンドラマ、日常ジャンルの投稿です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
私、佐藤 心愛は、25歳。入社3年目のOLだ。
私が勤める会社は、サービス業を営んでいる。
どんな時もお客様に真摯に笑顔で対応する姿は、入社前、私にとっては憧れの象徴だった。
私が入社した頃、グローバル化やツーリズムの強化、世界的なスポーツの祭典などがあり、やりがいを得れる、そう思っていた。
しかし、パンデミックにより、私の企業は入社前のような業態ではなくなった。
時には業務委託で人手の足りない企業に行ったりすることもあり、不定期かつ変動的だった。
企業に戻れば、いかに企業を存続できるかと頭を悩ませる役員や社員ばかりで重い空気を感じながら雑務をこなす日々。
同期や上司との関係も希薄で、会話をするのは画面越し。
友人と会うのも、ままならない。
たまに会う友人から聞く会話は、パンデミックの影響を受けながらも、前向きに楽しく頑張る話ばかり。
彼氏もいない私は、友人の彼氏とどこへ行った、何をしたという話も苦痛になってきた。
「心愛は最近どうなの?」
親友の亜紀が無邪気に笑いながら、そう尋ねた。
親友の亜紀は、一流企業に勤めており、学生時代から長く付き合っている彼氏と半同棲生活をしている。
留学経験もあり、英語だけでなく、フランス語もペラペラ。
趣味はカリグラフィーで、独学で展示会に作品を飾られるまでの実力を発揮した。
要は、私と比べて亜紀は天上人なのだ。
たまたま、所属しているサークルやゼミ、取る講義が一緒で仲良くなることができたのだ。
性格も優しく、非の打ち所がない彼女。
いつもは、ただ尊敬と友愛の気持ちだけしか感じないのに、今はモヤモヤしている。
私はその会話に、口角をなんとかあげて、ぼちぼちかなと言うのが精一杯だった。
学生時代は大人になれば、お金も余裕ができ、やりがいもある仕事に就き、キラキラしたキャリアウーマンになれると思った。それなのに……
……今の私には居場所なんてない。
そして、私は決めたのだ。転職をしようと。
「……とはいえ、私なーんも武器がないんだよなぁ。」
学生時代は、成績を落とさないよう、ある程度勉強も頑張っていた。
部活やアルバイト、ゼミやサークル活動でリーダーシップを取っていたということで、なんとか入れたが、資格は何も持ってない。
サービス業の経験を活かすとすれば……英語かな。
パンデミックも一時的だろうし、日本のホスピタリティと英語が流暢に話せたら、雇い先もあるかもしれない。
そんな考えから、私は本屋に行き、語学のコーナーで、日本でメジャーになっている某英語テストの対策本を手に取った。
海外の人とコミュニケーションは取れていたし、英語は嫌いじゃない。
意外と良いスコア取れるんじゃないか?
勉強を始める前、私はそんな気持ちでいた。
しかし、それは甘かった。
私のスコアは平均点スレスレ。
転職活動で有利とされるスコアより100点も足りなかった。
「これは……ちゃんと勉強しなきゃなぁ。」
翌日、過去問しか買っていなかった私は、単語帳、文法の本、リスニングの本を買い足した。
そして、通勤中や合間時間に英語の勉強を始めた。
在籍している業務に加えて、転職活動、英語の勉強……と時間は当然足りず、睡眠時間を削らざるを得なかった。
そんな日々が続き、聞き飽きたダイレクションを聴きながら、何回も刷りなおした解答用紙に鉛筆を置く。
視界がぼやける。
睡眠不足だからだろうか。
転職活動は相変わらず最終面接までいかないし、書類で落ちることも多い。
そういえば、食欲もだいぶ落ちた。
今日もコンビニで買ったスティック野菜とカットフルーツしか食べてない。
無駄な時間を省きたくて、会社と家の往復しかしていない。
SNSはいつしか勉強用のアカウントになり、何時間何をやったか自分を律するためのものとなった。
「私、何してるんだろう……」
こんなことして、何になるんだろう。
資格を取っても、この状況は変わらないんじゃないか。
そもそも、点数も上がるのだろうか。
手が震えたのか、力が抜けたのか、鉛筆を落としてしまう。
私は鉛筆を拾おうとして、意識を失った。
「……ココ……ココア!」
……これは誰の声?
発音的に海外の人だ。
「起きて、ココア!もう始業時間よ。」
英語だ。始業時間?
職場では英語で話すことなんて、お客様と話す時しかないのに。
目を開けると、そこには見知らぬ女性。
「……あなたは?」
「何を寝ぼけているのよ?リンダよ。」
リンダなんて人、知らない。
「ここは?」
私がそう言うと、リンダは少し呆れたように笑う。
「相当、深い夢を見ていたのね?私達の職場よ。ABC Corporation。忘れたの?」
周りを見渡すと、オフィスカジュアルな服を着た人々がデスクに座っている。
一角に、天井からボードが吊り下げられており、そこには営業第一部と英語で書いてあった。
あれ、私、転職したの?
じゃあ、さっきまでのは……?
定刻になったのだろうか、オフィス内にスピーカー音が響き渡る。
『みなさん、おはようございます。9時になりました。今日も頑張りましょう。』
「この声……!」
私が何度も聞いたリスニングパートのダイレクションの声!
ああ、そうか。
これは夢か。
どうやら、私は疲労により、某英語のテストにトリップしたらしい。
「ココア、目が覚めた?コーヒーいる?」
別の女性がそう尋ねる。
ああ、パート2のセクションでこういう質問あったな。
「ええ、いただいてもいいかしら。」
私はそう答える。
「ヨウコの淹れるコーヒーは最高よね!私にも淹れてもらえるかしら?」
リンダがそう言うと、ヨウコは頷き、給湯室らしき部屋に向かう。
「さあ!今日は新しいチームメンバーになったココアの歓迎会のパーティーだ!ランチは12時から、マヤがアレンジしてくれている。みんなが席を外すから、電話の留守電設定は忘れないように。場所は僕たちのオフィスの向かいにあるDEF Cafeだ。イタリアンが絶品なんだ。オススメはトマトとチーズのパスタ。改めて、ようこそABC corporationへ、ココア!」
まるで、パート4で出てきそうな内容だ。
というか、歓迎会パーティーをランチタイムにやるんだ。
しかも、顧客の電話は受け付けないと言わんばかりに留守電設定までするのね。
よく見ると、みんなが社員証を首からぶら下げている。
この人はデイビッド課長らしい。
先ほどのリンダは係長らしい。
英語の夢を見るなんて、私の英語力は少しは上がったのだろうか。
というか、そもそも仕事は一体何をしたら良いのだろう。
どこか、足が地面についていないようなふわふわした気持ちで、私の席で様子を見た。
「はい、コーヒー。今日は朝刊の確認、メールの確認した後に、今度の商品の広告記事を確認してくれる?」
ヨウコは私のOJT担当をやってくれているようだ。
ああ、なるほど。
今度はリーディングのパートでやる内容をやるのね。
「そういえば、ティムが来ていないわね?」
リンダ係長が周りを見て、そう口にする。
「ああ、彼は妹の結婚式があるんだ。だから、今日は休みだよ。」
デイビッド課長がそう答える。
すると、リンダ係長が困った顔をする。
「ええっ、今日は大事なクライアントとの打ち合わせなのに。」
「それは来週じゃないのかい?」
「先方の都合で今日になったのよ。メールで見たから確かだわ。」
「それは困ったね。今日は新しい価格表の説明についてだったね。これは僕のスケジュール管理ミスだ。僕が代わりに出るよ。」
リスニングパートでよく出るやりとり。
いつも思うけれど、この世界のスケジュール管理って杜撰だよな。
自分の割り振られた業務、もといリーディングパートをやりながら、周りのやり取りに聞き耳を立てる。
「エアコンが故障して、修理を依頼しているのだけれど、もう30分も過ぎているのにまだ来ないの。」
そういえば、よく故障するよなぁ、この世界。
時間もよく遅れるし、ルーズだよなぁ。
「すみません、本日受注した商品をいただいたのですが、個数と色が合わないので連絡いたしました。」
誤発注も多いよな。
でも、みんなギスギスしてない。
聞き取りやすい声で淡々と話している。
これがあるべきビジネスマンの姿なのだろうか。
私だったら、こんなことばかり続いたら、たまったものじゃない。
「ここにあった予算に関わる資料どこに行った?」
「マヤが持っていたはずよ。」
「資料更新されると言ってませんでしたっけ?古いバージョンだと思って、処分してしまいましたよ。」
「なにか手違いが起こっているようだ。少なくとも僕が置いていた資料は最新版だよ。」
重要な書類も捨てられる。
よくこんなミスばかりで会社の存続ができるものだ。
でも、失業とか不況とかのニュースってこのテストに出ないよな。
どうなってるんだろ、この世界。
こっそり、この企業の採用のページをウェブサイトで見てみる。
大卒、トリリンガル、デジタルリテラシーのある人……すごい経歴の持ち主達しか入れない会社なのに、なんというか、ゆるい。
「そういえば、ジェイムズ部長は?承認してもらいたい資料があるんだけど。」
「彼は出張中だよ。でも、先ほど秘書から電話があって、悪天候でフライトが欠航して、今日は戻れないらしい。」
「なんてこった。今日中にこの書類は承認が必要なのに。」
「権限を確認してみたらどうだい?午後から営業第二部のティム部長が外出から戻ってくる。代理承認が可能かもしれないよ。」
「確認してみる。ありがとう。」
悪天候やフライト欠航もしょっちゅう出るよなぁ。
トラブル続きなのに、なんだろうこの平和な感じ。
何が起こっても、最終的になんとかなる、その確信が彼らにはあるような……
すると、社用携帯からチャットの通知音がした。
どうやらグループチャットにメッセージがあったらしい。
『ねえ、明後日の仕事変わってもらいたいのだけれど。実は久しぶりに祖母がこちらに来るの。』
『悪い、その日はバスケットボールの試合があるんだ。』
『ごめん、私もその日はバカンス中よ。』
席数を見る限り、15人もいない部隊だが、どれだけの人数休み取ってるんだ、この人たち。
しかも、みんながっつりプライベートの予定を言い合っている。この言い合いは、当たり前のようで、顰蹙は買わないようだ。
『その日の13:00から広報部とのミーティングがあって、内容をシェアして欲しいの。誰かいない?』
『私が元々出る予定だから、何かあったらシェアするわ。事前に引き継ぐ内容はある?』
『ありがとう、ミア。あとで少し時間をもらえないかしら。引き継ぐ内容をシェアしたい。コーヒーも奢るわ。』
『分かったわ、15:00にGHI Tearoomでどう?』
『完璧よ、ありがとう。』
なんか、すごくアットホームだよなぁ。
皺寄せが来るとか、腹の探り合いとかしてなさそうで、楽だ。
……みんな、互いを信頼してる。
平和なオフィス環境を目に、そう気がついた私は、自身の社会人生活を思い出しながら、深く椅子に腰をかける。
ああ……そうか。
私は居場所が欲しかったんだ。
学生時代までは上手くいっていた。
嫌いな人とは関わらないで済むし、やりたいことだけやれた。
足の引っ張り合いはコミュニティを選べば避けられた。
今は、ギブアンドテイクとか助け合いとか言いながら、表面でチームワークを築いて、裏では文句の言い合い。
いかに楽ができるか、業績を出し抜けるか。やりたいことをやれるか。
厳しい環境下で限られた仕事。
その仕事を取るための奪い合い。
そんな一見、綺麗に見えて、中ではドロドロしている環境に疲れていたんだ。
でも、周りを見渡せばキラキラ生き生きしている同世代を見て、疲弊して。
だから、私は資格を取って、自信をつけて、認められる環境に移って、私の居場所を作りたかった。
ぎゅっと目を瞑ると、別の声が聞こえた。
「……ここ……心愛!」
そして、目を覚ますと、そこには心配そうな表情をして、こちらを見つめる親友の亜紀の姿があった。
「亜紀……」
「LIMEしても返信ないし、最近、インステのストーリーの内容も気になったから、家行ったら倒れてたからびっくりしちゃった。この前あったよりも痩せてるし……なんで相談してくれないの!」
「……私の捉え方の問題で、もっと頑張らなきゃなって思って。」
「心愛は十分頑張ってるよ。学生時代からずっと。勉強もアルバイトもゼミも、サークル活動も、就活も、就職してからもずっと。そんな心愛に私いつも勇気づけられて頑張らなきゃなって思ってたんだよ。」
どうやら、私は栄養不足と睡眠不足、過労で病院に運ばれたらしい。
点滴が打たれている方の手を亜紀が優しく握る。
「だから、一人で抱え込まないで。もっと力を抜いていいんだよ。」
繋いだ手は暖かかった。
誰かと手を繋ぐなんて、いつぶりだろう。
「おじさんとおばさんにも連絡した。二人ともびっくりしてたし、今向かってるって。」
「そっか……迷惑かけちゃったね。」
「心愛は自分で何もかも背負い込みすぎ!」
亜紀が頬を膨らませてそう言う。
そして、なんでも話してと私に促した。
「そういえば、目が覚めるまでずっと今勉強している英語テストの夢を見ていたの。」
私が詳細を話すと、亜紀は困ったような表情をした。
「テスト勉強、やりすぎなんじゃない……心愛らしいっちゃ、らしいけど。」
「夢見るまでやったし、点数上がるかな?」
「この状況でその発言。点数は心愛なら、上がるだろうけど、また追い込むんじゃないか心配だよ。」
「大丈夫だよ、もう何が大切か分かったから。」
居場所がないと思っていたけれど、確かにあった。
あの不思議な世界で本来の世界を客観視できた。
私にとって、あの短いトリップは非日常体験を十分に与えてくれたし、冷静になった。
数日後、倒れる前に申し込んでいた某英語テストは、短いトリップのことを思い出して、この前より50点も低い点数を叩き出した。
それでも、この前より心中は穏やかだった。
そして、数ヶ月後、私は初めて受けたテストより100点上げることができたのだった。
「結局、転職活動はどうするの?」
気になっていたカフェで亜紀と季節のデザートを頬張る。
「パンデミックも落ち着いたし、もう少し今のところで頑張ろうかなって。出社もできるようになったし、課長に職場懇親会をランチタイムにやりませんかって聞いたら、賛成してくれたんだ。」
パンデミックも落ち着き、業績も回復したこともあり、職場の雰囲気は落ち着いてきていた。
少しずつ、入社した時に希望していた仕事もできるようになり、私はもう少し今の場所で頑張ろうと思ったのだ。
私の言葉に亜紀は笑顔で頷く。
「そっか!とにかく行動するところが、さすが心愛って感じだね。」
「私達、もうお互い入った企業で入社4年目になるけれど、片手で数えられるほどしか飲み会とか懇親会とか集まりないんだよね。もう少しみんなを知ってからどうするか決めてもいいのかなって。」
「応援してるよ!」
側から見たら、私のこんなストーリー、期待外れかもしれない。
でも、英語テストの世界にもストーリーはあるし、私にも私のストーリーがある。
私は、私らしく、ゆっくり自分の人生を紡いでいくことにしたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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