3.助けられたのは
同輩の生徒たちが鋭い声で呪文を唱えている。
ウィナは学院の修練場で行われる攻撃魔法の反復練習を眺めていた。
当然ではあるがウィナはこの練習に参加できない。形式上は免除という形を取られている。
とはいってもやはり見ているだけというのは退屈だ。鬱憤をあくびという形で漏らしていると、芝生に降ろしている腰にずんと重い揺れを感じた。
見れば人間の背丈の十倍はあろう巨人が歩いている。
魔装だ。
魔法を幾倍にも増幅し、その巨躯から繰り出される膂力で敵を打ち砕く、神話の時代の兵器である。
その横で剣を振っている彼らは、あの巨人に乗り込んで戦う者――騎士になるべく期待された者たちだ。先ほどまで同じ授業を受けていたナタリーやバルネットもそこに交じっている。
彼らはいずれ、どの場所においても敬慕の対象となるだろう。そういうものだ。騎士が身近な存在だったウィナは、それをよく知っている。
「ふぇ~……。ふらふら~……」
聞いているこちらが力の抜けるような声に、物思いに耽っていたウィナは顔を上げた。
「おつかれ、ミレーヌ」
ミレーヌが切っ先の潰れた細剣を持って歩み寄ってくる。彼女が魔法を放つ順番は終わったようだ。ゆらゆらと体が揺れているのは魔力を多く消費したためだろう。
「えへへ~……。結局一回しか当たらなかったよ~」
「当たってる方が珍しいんだからいいじゃん」
「いや~、でも……」
ウィナの横に座ったミレーヌは交代で修練に入った生徒たちに目を向ける。
教諭の掛け声を合図に生徒たちは魔法を発動させた。
「【炎撃矢】!」
呪文と共に細剣を振り上げ、一本の炎の矢を生み出し、繰り出す。飛んでいった魔法はいくつかが的に当たって弾けたが、大半は的の後ろに盛られた土に吸い込まれていった。
ただし例外がいる。フィロメニアだ。
彼女が弧を描くように振った細剣の軌跡から生み出された炎の矢は三つ。それらは一斉に前方に飛んでいき、ほぼ同時に的に命中し、派手な爆炎を広げていた。
周囲で拍手が沸き起こる。
「すごいよね~」
「フィロメニアだからね」
当たり前のように言うとミレーヌが苦笑した。
フィロメニアは幼少期から館で教育を受け、修練を行っている。それに加え、公爵家の血と彼女のプライドが他者に劣ることを許さないだろう。
それよりも、とウィナは話題を変えた。
「アタシからすればミレーヌだってすごいよ。街で流行ってる化粧品、ミレーヌが作ったんでしょ」
「仕入れたもので作ってみたら、たまたま流行っただけだよぉ」
ミレーヌは顔の前で手を振って恥ずかしそうに笑う。
彼女が化粧品を作ったきっかけが、日々修練に励む友人の肌荒れを心配して始めたものだと、ウィナは知っている。市場に出る前にこっそりとナタリーに渡していて、彼女の肌の艶は格段に良くなっていた。
「あっ」
喧騒の中で上がった短い声に、ウィナは首を巡らせる。一人の生徒の魔法が、誤って高い角度で放たれたのが見えた。それはウィナの【眼】には赤く示されていて、咄嗟に腰を浮かせる。
魔法は的のはるか上を通過し、盛られた土をも飛び越して学院の壁に浅い角度でぶつかった。本来ならば爆散するはずのそれは、壁を跳ね返っていくつかの火球に分散する。
「ウィナちゃん?」
「ここにいて」
不思議そうに見上げてくるミレーヌを手で制し、ウィナは駆け出していた。
◇
「距離が離れていることを考えない方がいい。その認識に引っ張られると的に当たらん」
フィロメニアは順番を待つ女子生徒たちに助言する。
熱心に聞いている彼女たちだが、魔法の行使によるめまいの影響で立っているのがやっとの状態だった。
無理もない。彼女たちは学院に通える程度の家の生まれではあるが、魔法を得意とする血筋ではない。生活魔法ならともかく、攻撃魔法を連発すればこうもなるだろう。
フィロメニアは腕組みをして息をつく。
「危ない!」
突然、声が上がった。フィロメニアは振り向く。見れば、火球がこちらに向かって降り注ぐところだった。
避けるのは無理だ、と判断して左手を掲げる。
「【氷防――】……!」
しかし、魔法が発動するより早く、何かがフィロメニアの前に躍り出た。大きく風になびく水色の髪が見えて、その正体を悟る。
――ウィナ……!?
「ふっ……!」
短く入れた息が聞こえた。小さな体が宙を舞う。すると、風を切る音がして、火球は無数の小さな火花となって四散した。
ウィナが自分の身長よりも高い位置に飛んできた火球を蹴ったのだ。
続けて二つ目の大きな火球が迫る。だがウィナは動じる様子はない。バネのように着地の反動を利用して、さらなる回し蹴りで二つ目を撃ち落とす。
派手に火花が散って、どこからか感嘆の声が上がった。
「フィロメニア、火傷してない!?」
振り向いた幼馴染は焦った表情で尋ねてくる。
「あ、あぁ……」
フィロメニアは言葉に詰まった。もっと他に言うべきことがあるはずだろうに、心に引っかかるものを感じて言葉が出てこない。
それが何なのかに気づかぬまま、上がった悲鳴に意識が向かう。
「ウィナちゃん燃えてる! 足燃えてる~!」
「え? ――わああぁぁぁ!? 水! 水ぅ!」
ウィナの足元を見れば靴に火がついていた。すぐさまジタバタと地面で消火しようとするが、そんなことでは消えないだろう。フィロメニアは呪文を唱える。
「【水よ】!」
生み出された水の塊がブーツに当たり、じゅわっと音がして火は消し止められた。残ったのは表面を炙られた水浸しの靴と、焦げ臭い煙だけだ。
「助かった……。ありがと、フィロメニア」
うずくまって足首を確認しながらウィナは礼を言う。
「いや、助けられたのは……」
「ウィナフレッドさん! 大丈夫ですか!?」
フィロメニアが言い切る前に、教諭が駆け寄ってきた。
「靴が焦げてびちょびちょです」
「魔法を足で蹴るなんて……」
「手で払うよりマシかなって」
へらへらとした答えを遮るように、教諭はウィナの靴に氷結の魔法を軽く当てる。「冷たい!」と声が上がった。
「医務室で診てもらいましょう。誰か手を貸してください」
周りを見渡した教諭にミレーヌが手を挙げて進み出る。
「はい! ウィナちゃんなら私、抱っこできます!」
「肩貸してくれるだけでいいんだけど!?」
などとウィナは抗議の声を上げるが、左右両方から半ば担がれるように医務室へ向かっていった。
「フィロメニア様? 本当にお怪我はありませんか?」
女子生徒たちが気遣って声をかけてくる。
しかし、答える気力もなく、残されたフィロメニアはただそこで肩を落とすだけだった。
◇
日が沈み始めた空は赤く染まり、薄い雲の裏に砂をまぶしたような模様が描かれている。
ウィナは学舎の廊下でそんな光景を見て、そういえば記憶の夢では太陽にあんな模様なかったな、と思いつく。
魔法の修練の後、ウィナは医務室での診察を受けた。
特に足は火傷を負っているようには見えず、痛みもなかったのだが、時間が経ってから異常を自覚することもあるようで、この時間まで休んでいるように指示されたのである。その間、フィロメニアやミレーヌは一つの授業が終わるたびに様子を見に来てくれていた。
既に授業は終わっているが、中々フィロメニアは出てこない。教諭や他の生徒と話し込んでいるようだ。
校庭を見ると騎士候補組の修練に使っていた魔装が、えっちらおっちらと倉庫に向かってゆくのが見える。あまり扱いに慣れていない生徒が乗り込んでいるのだろう。今にも転んだり、何かを足に引っ掛けそうで、見ているこちらが不安になる動きだ。
「授業は終わったか」
横から唸るような声に首を巡らせてみれば、バルネットが額の汗を拭きながら近づいてきた。
川にでも落ちたんかい、とでも言いたくなるような汗だくの姿に、ウィナはわざとらしく距離をとる。
「汗臭い」
「あぁ……今日のは中々堪えた」
こちらのあからさまな態度に抗議する元気もないのか、声に疲労が滲みでている。手が血豆だらけでタオルにも血が滲んでいるのを見て、ウィナは鞄をまさぐった。
「軟膏あるから塗ったげる」
「いい。まだ座学の続きがある」
「それかんけーないでしょ。はやく手出して」
ウィナはバルネットの手を取り、取り出した軟膏を塗り始める。ごつごつとした手の上を、ウィナの白く柔らかな指が滑る。バルネットはされるがままに、潰れた豆が痛むのか呻いていた。ちらりと見たバルネットの顔が紅潮しているように見えたが、夕日に照らされているせいだろう。
「剣を握ればこうなるのは当然だ」
「だからなに」
頭上からかけられた脈絡の乏しい話に、ウィナは気に留めず反対の手にも軟膏を塗る。言いたいことがまとまらない様子を見せた後、バルネットはぽつりと零した。
「剣を握るのは俺だけでいい」
ウィナの軟膏を塗っていた手が止まる。意図を理解する前に、心の不快感が広がって反射的に言葉が出た。
「それってアタシが騎士になれないから?」
はっとしてバルネットの顔がこちらを向くが、目をそらした。表情は見ない。見たくない。見れば今の自分がどんな顔をしているのか、鏡のようにわかってしまう気がしたから。
「そうじゃない。俺はただ……」
「もういい」
バルネットが弁明しようとするのを遮って、ウィナは避けるように窓に体を向けた。肩を掴もうとして、バルネットの手がむなしく空を切る。
乱暴に軟膏入れを鞄に押し込むウィナに、何かを言いかける気配がしたが、バルネットの喉が空気を震わせることはなかった。
やがて静かに足音が去っていく。ウィナは鞄を強く抱き込んだまま、立ち尽くしていた。
「ウィナ……?」
どれくらいそうしていただろう。振り返れば、教室の扉を開けたフィロメニアが憂わしげな表情で様子を伺っていた。
なんでもないとウィナは首を横に振る。
今は誰にも痛む胸の内を晒したくない。それはフィロメニアも例外ではなかった。むしろ、近しい人ほど知られたくはないのかもしれない。
ウィナは影を落とす心を振り払って、フィロメニアに普段通りの笑顔を装った。
「帰ろ。暗くなっちゃう」
「……うん、そうだな」
フィロメニアは困ったように笑って、玄関に足を向ける。恐らく何かがあったことは気づいているだろうが、お互いの気持ちを察せないほどの浅い付き合いではない。
「痛みはないか?」
フィロメニアの視線はウィナの足に注がれていた。
「ぜーんぜん?」
言いながら、何ともないことを示すためにぴょんと跳ねてみせる。だが、逆効果だったようでフィロメニアの眉は厳しくなった。
「……無茶をするな」
「ほ、ほんとに痛くないって」
「そうじゃない」
わざとらし過ぎて疑われたと思い、言い改めたが、フィロメニアは足を止める。
「もし、あれが私を殺す気で撃たれた魔法だったら、お前は死んでいた。そうでなくとも大火傷を負う可能性だってあったんだ。なぜ庇った?」
鋭い目つきで問われ、困惑しつつ首を捻った。
「なんでって……。そのためにアタシが一緒に学院に来てるんでしょ。何言ってんの」
そう答えると、フィロメニアの表情が曇る。
ウィナにとってその問いは論ずるまでもない話だ。何か危険があれば身を挺して主を守る。館に勤めるに当たってそう教育をされてきた。そして、館に勤める前から自ずとそうすることが自分の義務だと思っていたのだから。
「私は……そんなことは求めていない」
下を向いたフィロメニアが消え入りそうな声で言う。
「それとこれとは別」
「そうやってお前はまた……」
「また?」
前にも同じことがあった風な物言いに、ウィナは途切れた言葉を聞き返した。だが、フィロメニアはそれきり黙ってしまう。
「フィロメニア?」
「いい。とにかく帰るぞ」
呼びかけると、この話は終わりらしく、彼女は足早に先に行ってしまった。
ウィナはその態度に違和感を覚えつつも、フィロメニアの後を追うのだった。