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2/20

2.次の休日にでも

「マズいマズい!」


 自室でドタバタとメイド服を脱ぎ捨て学生服を踊るように身に纏いつつ、器用にも通学用の靴をつま先に引っ掛ける。


 ウィナは先ほどとは打って変わって、知らぬものが見れば別人ではないかと思うような軽快なステップを踏み、その勢いで踵を靴に押し込めた。


 なぜこんな騒々しいことになっているかといえば、フィロメニアとの朝食を終えた後、食器を下げる道中にメイド長に捕まったせいだ。


 使用人が主の自室で食事を取るなんて、といつものお説教が始まり、ギリギリの時間までたっぷり絞られた。決して遅刻確定まで引き延ばさず、けれど時間的余裕を潰しにかかってくるやり方がイヤらしいとウィナは思う。ただし、炊事場に食器を戻してからでは間に合わないとみたか、「これは私が返しておきます」と引き取ってくれるところはなんだかんだで優しい。


 ベッドの上に散らかったメイド服を背に、学生としての身なりを整えたウィナは考えを巡らせた。


 今から広い館の廊下を通って外に出るのは相当な時間の浪費になる。絨毯の上を全力疾走できれば短縮できるだろうが、そんなことすればメイド長どころか多方面から苦情が殺到することは間違いない。ならば、館の中を通らねば良いのだ、とウィナは扉に踵を返した。


「いってきます!」


 誰ともなく言い置き、ウィナは自室の窓を開けて——その体を投げ出した。


 数秒の自由落下に対し、淑女としてスカートの裾を押さえることを忘れない。下は柔らかい土だが十分に怪我の可能性のある高さである。それでも恐怖心はない。むしろ髪をなびかせる風を心地良く思う程度には慣れていた。


 両足が地面につく。だが、音はほとんどしない。


 しなやかに膝を折って着地に成功したウィナは、立ち上がって服に土などが撥ねていないかを確かめた。問題はない。ロングスカートのメイド服と違い、膝丈のスカートである学生服は汚れにくいのだ。


 ウィナは館の裏庭から玄関に抜ける道を駆け出しながら思う。もし自分が人より優っている点はどこかと訊かれたら、この運動神経とお茶の淹れ方くらいだろう。特にお茶は使用人の中でも一、二を争う腕前だ。身体能力など魔法でいくらでも覆されるので、やっぱりお茶が自分の得意分野になるだろうか。


 ふと気づくと視界の端で、庭師が目を丸くしてこちらに視線を寄こしていることに気づく。といってもウィナの身長が生垣と同じくらいの高さのため、首から上しか見えない。おそらく向こうからは頭に結んだリボンくらいしか見えないだろう。


「メイド長にはナイショでー!」


 片手を挙げて声をかけると苦笑が返ってきた。


 ウィナは迷路のような庭園を軽やかに駆け抜け、花壇や生垣を飛び越えて建物の正面へと回る。門の前に佇むフィロメニアの姿を見つけて、走る速さを抑えてから声をかけた。


「ごめん! 遅くなった!」


「玄関は向こうだが?」


 フィロメニアが明らかに玄関とは別方向からやってきたウィナを怪訝そうな顔で迎える。


「実は玄関は二つあるのよ」


「館の玄関を勝手に増やすな」


 フィロメニアはウィナの詭弁に苦笑を漏らした。二人は学院に足を向ける。


「いや、ほんとメイド長がしつこくてさー」


「すまないな。私の我儘で……」


「様式美みたいなもんだからいいんだって」


 城壁に囲まれた館の敷地を出ると景色が広がった。


 城館はこの都市の一番高い場所にあり、この長い坂をまっすぐいけば学院に辿り着く。視線を上げれば広大な土地のほとんどは田畑に覆われ、その中心にあるこの街の外周を高い壁が囲んでいた。ウィナたちの育ってきた街、ライニーズである。


「おはよう。フィロメニア、ウィナ」


 二人は下る坂道の途中、畑の中からかけられた声に首を巡らせる。見れば修道服に麦わら帽子という、変わった出で立ちの女性が手を振っていた。


「アイナ様。おはようございます」


「おはよー。先生」


 フィロメニアが丁寧に頭を垂れる横で軽く手を振って返すと、アイナの頬が嬉しそうに緩んだ。それから何かに気づいたように目を丸くする。


「あら……ウィナ、少しだけ顔を見せてくれますか?」


「え?」


 手招きしながら言われ、ウィナは途惑いながらも従うと、アイナは農作業用の手袋を外した手で顔を包んできた。


「目が充血していますね。寝不足かしら。またあの夢ですか?」


「まぁ、でも大したことないし……」


 ウィナの下瞼を開いて目を覗き見るアイナに曖昧に答えながら、ついその瞳に視線を奪われてしまう。理由は彼女の細めた目の奥に見える、その白い輝きだ。それはウィナ達とは異なる存在であることを示していた。


 彼女はギアードと呼ばれる、神に近い種族の一人だ。人の何倍もの寿命を持ち、神話の時代から生きているらしい。


 特にライニーズでは彼女の農業における知恵によって繫栄したといっても過言ではない。故に領主よりも尊崇されるべき人物であるが――。


「ウィナの頬は柔らかいですね」


「いやいや、先生。遅刻しちゃう遅刻しちゃう」


 彼女はこうして民と対等に接することを好む。


 興味がいつの間にか頬へと移っていたアイナは、抗議の声に「あら、残念ですね」と手を離した。


「近いうちにまたお話をしましょう。生活に支障が出るならお薬という手もあるんですよ」


「あ~……。アタシって薬あんまり効かないから……」


 弄られていた目を軽く擦りながら言うと、アイナは少し寂しそうに頭を撫でてくる。


「……そうでしたね。さぁ、気をつけていってらっしゃい」


「は~い」


 そうウィナは生返事をして踵を返した。待たせていたフィロメニアに並ぶと彼女は心配そうに顔を覗き込んでくる。


「夢の話か?」


「うん。またお話しましょうって」


「アイナ様に診てもらえるのならそれがいい」


「病気ってわけじゃないから、難しいよ。これ」


 あっけからんと言ったウィナにフィロメニアは苦笑した。


「随分他人行儀だな。昔は身体が弱かったじゃないか」


「よく熱出してたなー」


「だから心配なんだ。アイナ様も」


「大丈夫だって。ここ数年は風邪もひかないし、逆にアタシ頑丈なんじゃないかと思えてきたわ」


 ウィナは袖をまくり上げ、膨らみのない上腕をペシペシと叩く。フィロメニアはそれを見て不敵に笑った。


「調子に乗っているとしっぺ返しが来るぞ」


「その時は看病してくれる?」


「とびきり甲斐甲斐しく、な」


 そこまで話して、フィロメニアの視線が前を向く。それを察してウィナも口を閉ざした。


 気が付けばいつのまにかに学院についていたようだ。高い壁に覆われ、敷地に入るための門には兵が立つなど、厳重な警備が敷かれている。


 それもそのはずで高度な教育を受けられる場所は周辺地域においてもここしか存在しない。通う者は平民、貴族問わず集められた才ある者たちだ。フィロメニアの侍女として仕えていなければウィナ自身も通えることはできなかっただろう。


 校舎の中に入ると、二人の距離は自然と離れてゆく。まるで別々に歩いてきたかのように。廊下を歩いていると同じ制服を着た娘たちが次々とフィロメニアの周りに集まってきた。


「本日もお美しいですわ。フィロメニア様」


「先日お取次ぎ頂いた件、本当にお見事な手腕でした。おかげさまで軌道に乗せることができました……!」


「今度のお茶会が待ち遠しいですわ。最高級の職人に作らせたお菓子をご用意しております」


 フィロメニアが廊下を歩くだけで感嘆の声が上がる。十歩ほどの距離置いて聞いているが、誰も彼も会えばフィロメニアを褒め、機嫌を取った。よくもまぁそんなに話題が出てくるものだと感心する。肝心のフィロメニア本人は飄々と受け流しているが。


「ウィナちゃん、おはよ~」


「おはよう、ウィナ」


 声をかけられて振り向くと、顔馴染みの友人がいた。


「おはよー。ミレーヌ、ナタリー」


 学友のミレーヌとナタリーだった。


 二人ともこの学院に入ってから知り合った仲だ。ミレーヌはこの街でも規模の大きい商会の生まれで、ナタリーは騎士家の娘である。


「昨日のクッキー、ありがとう。美味しかった」


 ナタリーが愛嬌のあるそばかす顔をわずかに微笑ませ、「これお返し」と飴玉を渡してきた。


 ウィナは趣味の料理と菓子作りの成果をよく友人に配っている。元はといえばフィロメニアのために始めたのだが、練習しているうちに自分の趣味になってしまっていたものだ。


「そりゃよかった。また作ろっかな」


「え~、じゃあ一緒に作り方教えてよ~。私が作ってもあんな風にならないんだもん」


 有難くお返しを頂戴しつつ呟くと、ミレーヌが横から抱き締めてきた。


 ウィナは周囲と比べても一回り背が低い。そのせいでよく年齢も低く見られがちである。友人たちからこうして抱き締められたり、抱え上げらえたりするのは日常茶飯事だ。


「次の休日にでもキッチン貸してくれたらいいわよ」


「いいよぉ。うちのキッチン火力凄いよぉ」


「それで焼き過ぎなんじゃないの……?」


 怪訝な顔をしつつもミレーヌがじゃれつくのを好きにさせていると、不意に後ろから尖った声が投げられた。


「どいてくれないか」


 驚いた豊満な体がウィナから離れる。


「す、すみません」


「バルネット、もうちょっと優しく言いなさいよ」


 声をかけてきた相手をウィナは見上げる。


 長身で引き締まった体躯を持つ青年——バルネット・ヴァル・ボールドウィンは苦々しげな顔でこちらを見下ろしていた。ウィナとしては身長差がありすぎるので長時間見上げるのは首が痛い。フィロメニアと共に三人で幼少期を過ごした、いわば幼馴染だ。


「遊んでいないでフィロメニアのそばにいろ」


「いや、すぐそこにいるし……?」


「いつどこでフィロメニアが襲われるかわからんだろう!」


「アンタと違ってうっかりしないからいいのよ!」


「嘘をつけ! 昨日の菓子、砂糖と塩を間違えただろう! 食えたものじゃなかったぞ!」


「毎日汗だくで剣振ってるから塩辛いほうがいいかと思って!」


「わざとか貴様!」


 言ってやるとバルネットが憤慨した。なぜ顔を合わせて二言目から口喧嘩を開始し、ヒートアップし始めるのかは正直ウィナにもわからない。


「よく毎回喧嘩できるなぁ~……」


「犬猿の仲」


「ウィナちゃん子犬っぽくて可愛いもんね」


「共感してくれたのそこ……?」


 横ではミレーヌとナタリーは唖然として眺め、嚙み合っていない感想を述べていた。


「バルネット、ウィナ。そろそろ時間だ」


 そうこうしているうちに見かねたフィロメニアが言い争いをしている間に割って入ってくる。身内二人が喚き散らしているのを見かねたのだろう。


「お、おはよう。フィロメニア。すまない、ウィナがな……」


「お前が私を案じてくれているのはわかっている。ウィナの気が緩むようなことはありえないが、私も気を付けよう。もう教室に行け」


「……わかった」


 フィロメニアに諭され、バルネットはトーンダウンして引き下がっていった。


「嫌そうな顔で受け取っといて、クッキー食べたんだアイツ」


「お前もちょっかいを出すのが好きだな。まぁ、それは……」


 途切れた言葉にウィナが首を傾げる。フィロメニアは何やら視線を宙に這わせて言葉に詰まっていた。


「え? なに?」


「言わないでおく」


「なにそれ気になるんだけど!」


 と憤慨するウィナを置いて、先に教室に入るフィロメニアだった。

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