13.血の為せる業
「ウィナお姉さまぁっ!」
ラウルと共にキャンプへと徒歩で戻ったウィナは、走ったままの勢いで飛びついてくる少女をなんとか受け止める。リタのスカートはあちこちほつれたり土汚れがついていたりと、ここに至るまでの過酷さが伺えた。
それでも抱き締めてくる力は苦しいくらいに強い。ウィナはそれに応えるように包み込むように小さな体を抱き締める。
「リタ……! 無事でよかった! 本当にごめん。怖かったよね」
腕の中から声にならない声が上がって、そこには涙と汚れでぐしゃぐしゃになった顔があった。
「生ぎてでよがったぁ……! お姉ざまぁ……!」
リタはそう言うと火がついたように泣け叫び始める。彼女のこんな姿を見るのは初めてで、ウィナは困惑しつつも頭を撫でた。
そうだ、とウィナは思い出す。死に瀕した際、送り出したこの子に悲しい思いをさせないために立ち上がったことを。もし自分が生きて戻ってこなかったら、彼女の心には一生消えない傷を残していたのかもしれない。
少女の体温と涙を吸った服が熱い。気を抜くと一緒になって泣き叫んでしまいそうで、リタの髪に頬を擦りつけて耐える。
「ラウル。本当に彼女が……?」
軍服を着た男が近くでウィナ達を傍観していたラウルに囁いた。
「嬢ちゃんの言うことを信じればな……。まぁ他にいねぇだろ」
「血の為せる業か」
「嬢ちゃんは養子だ。直接言うんじゃねぇぞ」
二人のやり取りを聞いて、ウィナは視線を向けずにむっとする。
本人たちは聞こえないように話しているつもりなのだろう――実際は丸聞こえだが。
このまま会話をされるのも居心地が悪いため、ウィナはあえて話を振った。
「他のみんなは? バルネットは無事?」
「ひよっこは全員、中にいたからな」
ラウルの返答にじゃあ外の人は、と聞こうとして思いとどまる。
ラグナに乗っての戦闘中、倒れている魔装を見たはずだ。
その時は気に留める余裕がなかった。あれに乗っていた騎士はどうなったのだろうか。
「そんな顔すんな」
悔しそうな声で我に返る。ラウルは大きく首を振って周りを見た。
「お前さんの魔装がなけりゃ俺たちは仲良くくたばっちまってンだ」
キャンプを見回すと綺麗に張られていた天幕は無残にも倒れ、離れた場所に煙が上がっている。ある兵たちは慌ただしく何かを運んでいて、別の兵たちは剣を抜いた状態で周囲を警戒していた。そして、ついさっきまでシチューの香りが漂っていたはずが、今は微かだが確かな死の臭いがあった。
「隊長!」
比較的若い兵が走りながらこちらに呼びかけてくる。反応したのはラウルと話していた男性で、息を切らした兵は彼に駆け寄った。
「報告です。ライニーズに向かっている忌獣は――」
「待てバカ野郎!」
突然、ラウルが怒号を上げる。その気迫に兵は閉口したが、ウィナは彼が言いかけたことを聞き逃さなかった。
「ライニーズ? どういうこと?」
尋ねると苦虫を嚙み潰したようなラウルが苦虫を嚙み潰したように顔を歪ませる。
報告に来た兵の様子はただ事ではないように思えて、さらにウィナは問い詰めた。
「ライニーズにあの化け物が向かってるの?」
「いや、違げぇんだ。嬢ちゃんが心配するこたない。まずは二人とも座って休んでな」
ラウルは顔の前で手を振って、リタと共に残っているテントへと移動させようとする。
「でも今――」
「ライニーズに忌獣が向かっている。準大型一体、中型三十以上、小型に関しては百以上だ。守備隊だけでは到底守り切れんな」
なおも食い下がろうとしたウィナに返事をしたのは隊長と呼ばれた男だった。
「てめぇ……」
唸るような声は決して大きくないが先ほどの怒号を上回る怒気を含んでいる。
隊長にラウルが詰め寄ると、ウィナはリタと共に距離を取った。
野生の熊のようなラウルに鼻先が触れそうなほどの距離に迫られても隊長は平然と話を続ける。
「ラウル。君にとってその子は孫娘のような存在なのだろうが、私には獰猛な獅子の類にしか見えない。少女とはいえ神格魔装に選ばれ、修練も無しに操り、あまつさえ三体もの忌獣を討ち倒したのだ。もはやただのメイドとはいえまいよ」
「隊長さんよぉ。すまねぇが引っ込んでろ! 領主様から嬢ちゃんのことは俺に一任されてンだ!」
「できるだけ彼女の好きにさせろと、だろう?」
ウィナが間に入ろうと体を動かすと、ウィナのスカートを握る小さな手に力が入ったのがわかった。
目の前で怒鳴り散らすラウルは自分を庇ってくれている。それはライニーズが襲われているという事実から生じる不安と恐怖と――戦いからだ。
隊長の言うことの全てが本当なのかはわからない。もしかしたら忌獣はライニーズに行かないかもしれないし、仮に襲撃にあっても街の軍隊が撃退できるかもしれない。
でも、とウィナの脳裏にフィロメニアの顔が浮かんだ。
もし彼女の身に何かあればウィナは生きる意味を失う。フィロメニアだけではない。自分を気にかけてくれた人、言葉を交わした人、共に時間を過ごした友人が街にいる。
考えられる最悪の結末――それを回避できる可能性がウィナにはある。
「二度と嬢ちゃんはあれには乗せねぇ。てめぇみたいな汚ぇやつの思い通りにはさせねぇぞ」
「なんとでも言ってくれていい。あそこには妻と子がいるのでな。それに私の思惑など意に介さんだろう。――そういう目をしているぞ彼女は」
隊長の目がこちらを射抜いた。
不快な視線だ。わかったような事を言って、人を動かそうとするそのやり方は確かに汚い。
ウィナは手櫛で後ろに束ねた髪を梳かしながら答える。
「うん……。まぁ正直何を言われてもって感じ。顔はベタベタするし、髪もゴワゴワだし、体もバリバリだし。お風呂入りたいなーって」
自分でもびっくりするほどやる気のなさそうな声が出て、ラウルが毒気を抜かれたような顔で振り向いた。
「でも――」
付け加える。リタが顔を上げてウィナのスカートを引っ張るが、言葉を続けた。
「フィロメニアに今日中には帰ってこいって言われてるんだよね。ついでにどうにかしてこよっかな?」
その場に沈黙が流れる。
「お、お前ェ……子供の使いじゃねぇんだぞ……。わかってンのか!」
怒鳴られて、ウィナは左腕に巻き付いた腕輪を空に掲げた。言葉は必要ないだろう。ウィナは願う。
ここに来てほしい、と。
遠くで衝撃と土煙が上がった。何事かと兵たちがどよめく中、数拍置いてキャンプを振動が襲う。
「これで、わかってないと思う?」
その後ろに巨大な人型の影を背負いながら、ウィナは見せつけるように両腕を広げた。
白いエプロンは赤く染まり、暗い色のワンピースからも乾いた血がぽろぽろと落ちる姿に、目を見開いたラウルはよろめいて言葉を失う。
振り向くと巨人の手が掬うように手が動かされた。それに乗ったウィナは装従席へと招き入れられる。
「ミコト。もう少し頑張らなきゃいけないみたい。付き合ってくれるかな」
声をかけるとミコトは座席の後ろ側に光を伴って現れた。
『はい。それがウィナフレッドの願いであれば』
紅い瞳の少女はにこっと笑い、手を差し出してくる。その手を握り、導かれるように座席に体を収めた。装甲が閉められると共にウィナは結晶の鎧に覆われる。【眼】がその形を変え、緑玉色の計器を映し出した、その時。
『行くな、ウィナ!』
呼び止めたのは目を赤くはらした幼馴染だった。




