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めまい副官の苦悩

 スーザンと朝食を共にするようになって、三日目の朝。

 彼女が「びっくりするくらい寝覚めがいいの」と驚いて私たちを出迎えた。

 

 五日目の朝。最近毎日計測している基礎魔力量の数値が元通りに近づいてきたと喜んでいた。


 そして一週間も経つ頃には、顔色もつやっつやになり、魔術師の基礎トレーニングにも参加できるようになった。

 きっと、以前よりもしっかり睡眠を取って、疲れにくくなっているということもあるだろう。仕事もセーブしているはずだ。加えてきちんと食べるようになった彼女の回復は目に見えてわかるほどで、なんだかとても嬉しい。『アーサー殿下をぎゃふんと言わせよう作戦』(いま名付けた)は順調に進んでいると言っていい。

 私とスーザンの仲も少しづつ近づいてきた今日このごろ。十日目の朝です。


「スーザンの妹さんって、いくつ下なの?」


 今日はオニオンスープベースに生姜のすりおろしを入れてきた。飴色に炒めた甘い玉ねぎと生姜ってなんでこんなに相性抜群なんだろう。溶けたバターが水面でキラキラと輝いている。んーおいしい。フランスパンにチーズを乗っけて焼いたものを沈めてくれば二倍美味しかったな。

 ちなみに寮の献立のほうは冷製トマトスープでした。私たちの分は温かくして持ってきてある。


「妹? 二つ下と、五つ下。一番下はアナベルと同い年じゃないかしら」


 スーザンの答えに私はふむふむと頷いた。なるほどね。私と同い年でもう結婚しているのか。私の感覚じゃ早い方だけど、村の同い年には婚約者がいる子もいたような。王族の女性などはもっと早くに嫁ぐ例もある。上流階級的には、スーザンの結婚は遅めの部類に入るのかもしれない。

 あ、私がスーザンの婚約事情を知っていることはまだ内緒なんですけどね。


「スーザンは結婚したいとかあんまりないの? 婚約者とか……」


 ちょっとここらで爆弾を落としてみよう。シリルがすごい顔でこちらを見てきたけど無視します。だってそろそろ彼女の本心も聞いておきたいじゃない? かの失礼王子と本当に結婚する気があるのか。あら、失礼なこと思っちゃいましたね。


 案の定ピタリと動きを止めたスーザンは、機械仕掛けの人形のようにぎぎぎ、とぎこちなくこちらを見た。普段はとっても大人っぽくて色気があるのに、なんかこういう反応を見ているとかわいいなあ、とか思っちゃうんだよね。私の方が年下なんだけど。


「それは、その…………」


 彼女が口を開きかけた、その時。


「スーザン! やっと見つけたぞ!!」


 扉を蹴破らんばかりの勢いで、一人の男が突然乱入してきた。

 ベリルの軍服を身にまとい、ずかずかと部屋に入ってくるその男。私が呆然としていると、シリルが静かにスプーンを置いて立ち上がる。侵入者はシリルを見て明らかに怯んだが、なんとか後退りすることは避けてその場に踏みとどまった。

 茶色い髪に、茶色い瞳。体格はシリルとほぼ変わらないけれどちょっと肩幅が広めかな。ジャラジャラついている勲章からして地位の高そうな人だけど……ってちょっと待って。この光景、こないだ見たぞ。モノホンの失礼王子……げふんげふんアーサー殿下だ!!

 理解した途端、私は頭が真っ白になった。王族の前に出るときの礼儀なんて、知るはずがない。えっと、お辞儀? とりあえず座ったままは失礼? 食事中の起立は基本マナー違反だけどここはシリルに倣うべき? 色々な疑問が頭を駆け抜ける。

 スーザンは、と振り返ると、驚きで呆然としたままぽかんと座っていた。どうしよう、どうしようどうするべき?


「殿下。おはようございます。スーザンは友人と朝食中です。何か御用でしたら私が承りますが」

「お前に用はない! だいたい今は殿下と呼ぶな、誰に会うかわからないから、わざわざ軍人の『アッシュ・ブラウン』としてお忍びで来たんだぞ。俺はスーザンに──」

「そうか。じゃあ朝食が終わるまでそこで壁になってしばらく待っていてくれ」


 シリルが至って普通に話しかけ、突然口調を砕けさせたかと思うと至って普通に座り直した。

 そしてそのまま、あろうことかオニオンスープの続きを飲み始めた!


「ちょ、ちょっとシリル」

「どうした。早く食べないと冷める」

「うんそうだね……じゃなくて待って? あの方、その、放置」

「ああ。どうやら俺の勘違いだったようだ。あいつは『殿下』によく似た、いち下っ端軍人の『アッシュ・ブラウン』という人物らしい。地位的には俺たちと変わらないから、食事中に突撃してくる無礼な奴は無視していい」


 あっ、そう。え、そうなの?

 いやいや、流石に騙されませんけど。


 不敬かなと思いつつ、ちらりと入り口の方をうかがう。すると殿下は死ぬほど歯軋りしてこちら(正確にはおそらくシリル)を睨みながら、きちんと壁に沿って直立不動の姿勢でいるではないか。

 もしかして、シリルの『壁になって』発言を忠実に守っている、のだろうか……?


 だとしたらなんか……悪い人なのかいい人なのか、素直なのか、はたまたアホなだけなのか、すごく判別しづらい人だな。どこから突っ込めばいいのか分からない。


「それでスーザン」


 シリルがおもむろに口を開く。

 

「なぜ君が結婚したくないか、という話だったな」

「え゛」


 私はぎょっとしてシリルを見た。彼は鉄壁の無表情を崩さない。この発言には今までぼうっとしていたスーザンも我に返って異論を挟もうとする。だがシリルはスーザンよりも早く言葉を続けた。


「アローラ家は代々長子相続の家柄だ、結婚に対する圧は半端ではなかったと推察する。なかなか首を縦に振らなかった君がどうして突然結婚を決意したのか俺はずっと疑問だったんだが、やはり裏があるようだな。婚約が内定してからというもの、君はずっと塞ぎ込んでいる。何か取引を持ちかけられた? 秘密にしなければならない事情がある? ああそれとも、もしかして」


 滔々としゃべり尽くしてちらり、と一瞬だけ壁際の殿下を一瞥したシリルは、その冷たいアイスブルーの瞳を少し細めてスーザンをひたりと見つめた。


「……人に言えない想い人がいる?」


 ささやくようなシリルの声。

 それと対照的にバタン、という大きな音が部屋の中に響き渡る。


 振り返ると、殿下の姿はそこにはなかった。

 ただただ、先ほどの騒動が幻覚かと思えるくらいの静寂が横たわっていた。



「ち、ちょっとシリル! 急に勝手なことを言わないでよ! あなたなにを、なんてこと」


 わなわなと唇を震わせるスーザン。シリルは部屋に殿下の姿がないことを確認して、それはそれは長ーいため息をついた。


「殿下に会いたくなかったんだろう。一番手っ取り早い方法で追い払っただけだが」

「たしかに会いたくはなかったわよ! でも今のは」

「嘘は一つも言っていない。君が以前結婚を渋っていたのも、おそらく婚約が内定したであろう時期から『なぜか』暴走して食事を抜いた結果体調を崩したことも、『誰にも言っていない想い人がいる』のも全て本当のことだからな」

「そん……それ、それは、けれど」

「まあまあ、スーザン。落ち着いて? とりあえず一回座ろう、ね?」


 思わず腰を浮かしかけたスーザンを宥める。私も聞きたいことは山ほどあるけれど、シリルが考えなしに今みたいな爆弾を放つような人じゃないことだけは分かる。私とは違って彼は思慮深いのだ。口下手なのは確かだけど。

 

 スーザンはなおも言い募ろうとしたが、途中で何かを思い出したようにすっ、と息を整えて椅子に座り直した。さすが副官。自分を律することには長けていらっしゃる。


「シリル、あなた私の婚約の話をどこで聞いたの?」

「……」


 殿下ご本人です、とはちょっと言いにくいよね。わかる。

 だんまりを決め込んだシリルにスーザンはため息をついた。


「いずれみんなが知ることだし、別にいいけれど。ということは、アナベルも知ってる?」

「あ、いや……その……小耳に挟む、というか……知らないことになっている、というか?」


 しまった。バレちゃった。ここまできたら隠すのも意味がないし、ぺろっと舌を出しておく。スーザンは呆れた目をして肩を落とした。


「……さっきの、アナベルの質問に答えるわね。結婚したいという気があるのかないのか。答えは『あるなしに関わらず、しなければならない』よ」


 彼女はなんの感情も宿らない目で告げた。


「シリルの言う通り、アローラの家は長子相続が基本の掟。男子がいる場合は譲ることもできるけれど、私は三姉妹の長女だし、妹たちは既に家を出ている。私がアローラを継ぐしかないの。仮に私が今後養子をとることになっても、伴侶がいることは前提だわ」

「はあ……」


 そうなんだ。由緒正しき御家柄もいろいろ大変だ。


「相手が誰であっても結婚自体はするつもりだったのよ、最初から。でも……」


 そこでスーザンは一度言葉を切った。


「その前に、私は魔術師として、一人前になりたかった。家の名前を背負っても恥じないほど、強くなりたかった。だから演舞に選ばれるまでは、と結婚の話を先延ばしにしていたの。ようやく今年、演舞に出られるという切符を手にして、私は父から迫られていた婚約の話を了承した。ただその時はね、相手を知らなかったの。まさかアーサー殿下が、アローラへ来るなんて……想像もしたことがなくて」


 なかなか結婚しない娘への純粋な心配か、過保護か根回しか、政略結婚かはともかく、アーサー殿下との婚約は水面下で進んでいたお父上の差金だったということか。はあ、つまり。


「スーザンは片想いしていた相手と突然結婚することになって、どうしていいか分からなくなっちゃったんだね?」


 私がうっかり口に出してしまった呟きを聞いて、スーザンが沸騰したように赤くなる。

 図星かー。

 かわいいなー。


「そんっ、なんじゃ、なくて!」

「素直に認めた方が楽になれるよ、スーザン」

「だってあの方は……! 私のことなんかこれっぽっちも眼中にないの!」


 そうだろうか? 私の無言の疑問には気づかず、スーザンは一気にまくしたてる。


「いつも褒めるのは妹のオリヴィアかローザのことばかり。婚約の挨拶で、この間久しぶりにお会いしたというのに、目も合わせてくださらないのよ。挙げ句の果てに『君はもう少し見目にこだわってもいいんじゃないか』ときたものだわ。確かにドレスは似合わないし、流行りだって分からない……こんな私が、殿下に釣り合うはずがないのも自分が一番分かってる」


 そのセリフを聞いて、私とシリルは思わず半目になった。


 殿下……

 よりによってスーザンが一番傷つくセリフを吐いちゃってた……


 そりゃ過度な減量に縋りたくもなるというものだ。


「でも、諦めるのは嫌いだから……この婚約が決定事項なら、アローラに恥じない魔術師になることも、殿下に恥じない私になることも……努力しようと思ったの」

「それで、あのダイエット?」


 私はすとん、と何かが落ちた。

 ああそうか。

 彼女は、自分に自信がないまま、ここまでずっと来てしまったのだ。


 あくまでシリル目線からみたら、ではあるけれど、二人は両片思いなわけでしょう。殿下は「もっと贅沢を言って着飾っても誰も文句は言わないだろう」とか、「もっと着飾ればより綺麗なのに」くらいのニュアンスで言ったかもしれない。


 妹たちしか褒めないのは、素直に褒めてもスーザンがその賛辞を受け取らないから、だったりしないかな。さっきの殿下の態度を見ていても、スーザンを嫌ったり疎ましく思ったりしているようにはとても見えなかったし。


 褒められたい。認められたい。好きになってもらいたい。きっとそれは、スーザンにとってとても大切な、重大な感情なのだ。


「スーザン、大丈夫だよ」


 私は向かいに座って力なく俯いてしまった、彼女の華奢な手を取った。


「私、全力でスーザンのこと応援してる。絶対大丈夫。スーザンは素敵な女性だよ。今でも十分だけど、さらにかっこよくて美しい最強の魔術師になれる! 私が保証する」


 スーザンははっと顔を上げた。

 泣き笑いのような表情を浮かべて、彼女は小さな声で私に問いかける。


「なんでそんな、言い切れるのよ」

「んーと、私の勘、ってやつ? けっこう当たるんだ」


 自信満々で胸を張る。だってそんな気がするもの。スーザンは真面目さんだから、少し難しく考えてしまうだけ。今でも十分素敵なのだから、あとは自分を信じるだけだ。


 ぷは、となぜか隣から吹き出した声がして、はたと見るとシリルが肩を震わせていた。釣られてスーザンが笑い出す。


「ちょっとシリル。この間からなんなのさ君は。人が真剣に言っているところを笑うなんて!」

「ふ……悪い……はは……続けて、どうぞ」

「続けても何も、これ以上何もないんですけど」


 私は口を尖らせた。まあいっか。スーザンも笑顔になったことだし。


「ねえアナベル。私、あなたと話していると元気が出るわ。何か面白い話、ないかしら」

「え、そんないきなり無茶な。うーん、村にいた頃の話と料理番見習いの時の話とどっちがいい?」

「そうね、それじゃあ──」


 私たちはその日遅刻ギリギリになるまで他愛ないお喋りをして、少し冷めかけたスープを飲み干したのだった。

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