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ある日の神饌【泡のお酒と甘い餅】

「……そういえば、今年は餅を食べてなかった」

 そんな深刻なことを風樹が思い出したのは、ある雨の夜である。


 今夜の神饌は神様待望のカレーだった。

 茄子とゴボウと人参を山盛り入れたカレーは、驚くほどの具だくさんになった。

 それでもその食感は彼女の舌を満足させたらしい。いつもより大量に食べて、彼女はスパイシーなため息を漏らす。

 そうして今、神様は満足そうに腹を上に向けてだらしなく寝転がっている所である。

 神様というより猫の子だ。しかし、毎年のことなので風樹もすっかり気にならなくなっている。

 今はまだ恋人の存在すらない風樹であるが、今後の女性観に狂いがでればそれはおそらく神様のせいである。

「お餅……」

 ぽつり、と風樹はつぶやき、米俵の上を見た。

 秋の初め、家の床が抜けそうなほどに届いた米俵も、段々と数が少なくなっている。終わった藁はたたまれて庭先に積み上げられ、秋が終われば神主が祝詞とともに燃やす手はずになっていた。

 そんな残り少ない米俵の上に、赤い皿が載っている。その中に詰まっているのは……真っ白な餅。

(忘れてた)

 餅も神様の好物のひとつだ。毎年何かしらの料理に取り入れるのだが、今年は米を減らすのに夢中ですっかり忘れていた。

 神様があと何日現れるのか……何日神饌できるのか、指折り数えて風樹はため息をつく。

「仕方ない、明日からしばらくお餅で……」

「おやつか!」

 が、神様は風樹のつぶやきを聞き逃さない。起き上がりこぼしのように飛び上がる。目はらんらんと輝き、ソファの上で足がばたばたうごめいている。

「餅はいいな。そういえば、食ってないぞ餅を」

「さっき晩ご飯食べたばっかりでしょ。明日の料理に使うよ」

「舐めてもらっては困る。まだ入るが?」

「太るよ。炭水化物ばかり」

「タンスイカブツ? フウキは時々妙なことをいう」

「俺が太るんだよ。毎年、冬の健康診断で怒られるんだからね」

「フウキは細すぎるくらいだ。もすこし太れ」

 風樹はため息を飲み込み、ずっしりと重い餅を手に取る。

 これはもち米の新米でつかれたもの。3年前の神様は餅より米派だったが、今年の神様は餅も好物であるらしい。

「まあ作れというなら作るけど」

 網を取り出しコンロにおいて、その上に少し湿った白い餅を並べる。最初はただの四角い固まりなのに、ゆっくりとあぶっていけば、表面がかすかにふつふつと盛り上がる。

 焦げ目がつくころにひっくり返すと、餅特有の香りが広がった。

 米から生まれているくせに、米とは少し異なる重い香り。大きく盛り上がったところが破れて、甘い湯気がたつ。

「……おやつだから、甘い味ね」

 茶色く焦げたそれに、砂糖醤油をハケで塗り込む。炎にたれが落ちて、じゅっと甘い煙を上げる。神様は風樹につかまったまま、餅の変化を興味深く見つめていた。

「生きているようだな」

「お米の神様がいるんだから。餅が生きてても俺は驚かないよ」

「なるほど。餅の神か。いたら仲良くなれそうだ」

 表面がいよいよ限界を迎えたように再び破け、内側からぷくりと白い膜のような膨らみが姿を見せる。

 風樹はその綺麗な曲線を惜しげもなくタレで潰す。焼く。米とは違って、餅には少し乱暴なくらいの料理が似合う。そんな気がする。

 幾度か餅にタレをまぶしたあと、それを大きなノリでくるりと巻いた。

「あと、日本酒も、もらった。これも米だよね」

「酒か。よいな」

 神主のじいさんは酒豪だ。それを知っているご近所からは、大量の酒が届くのだ。

 そしてそのうち、じいさんが苦手とする甘い日本酒だけがより分けられて、風樹の元にやってくる。

 今朝届けられたのは美しい青の瓶。

 よく冷やしておいたそれを神様の前に置くと、しみじみ不思議そうに彼女はそれに触れる。ガラス瓶の冷たさに驚いたように指を離し、風樹を見上げた。

「これが酒か。綺麗なものだな。青の、なんと美しいことか……昔の酒はもう少し違ったが。今の時代はすごいものだな」

「ガラスが青いだけで中は透明だと思うけどね……あ、これ、炭酸の日本酒だ」

 グラスに注げば、中からあふれたのは青ではなく透明の液体。しかし、最近流行の微炭酸の甘口日本酒だ。グラスの縁に小さな泡が一気に現れた。

「フウキよ。泡がでてる。すごいな、新鮮なのか? できたての酒は泡が出るが、いや、しかし、ここまでは出ない。どうなっているのだ」

 彼女は興味津々、グラスを見つめている。鼻を近づけ、堪らないといった風にほほえむ。

 きっと、米の香りがしたのだろう。

 米を醸した甘いアルコールの香りが部屋いっぱい広がった。雨の日だからよけいにそう感じるのかもしれない。湿った空気は、香りをよく閉じこめるのだ。

「というか、お酒って飲んでも……」

 彼女はグラスをつかむと、風樹の声も聞かず小さな唇に酒をするりと吸い込む。米を食うように、彼女は酒を飲んだ。

「……問題ないか。見た目は子供だけど、日本の法律が当てはまるとは思えないし、そもそも御神酒っていうものもあるし」

「しゅわっとしたぞ」

 風樹の心配など聞こえてもいないようだ。神様は泡に驚いたのか、目を見開きあわててグラスを机に戻す……が、くせになったように、再び二口三口と飲む。青いガラスの光が彼女の顔に反射して、この雨の夜によく似合う切ない色となる。

「餅もうまいな。甘いのがよい。のりも、香りがいい。フウキは料理が上手だ」

「どういたしまして」

 餅にかぶりつけば、つぶつぶとした米の食感がたのしい。乱雑につかれているようで、繊細な味がするのは新米のせいだろう。濃厚な砂糖醤油がよくあう。

「酒も餅もうまいな。この酒は昨年までに飲んだ記憶がないな。ぜひ、来年の私にも飲ませてやってほしい」 

 きっと喜ぶだろう。と彼女は笑うのだ。その背に、薄く赤い光がみえた。

 それは彼女の白い着物の背から、うすぼんやりと浮かぶ楕円形の光である。

「神様」

 風樹は酒を一口、含んでその光をみていた。

「背中に、羽根がはえてきたね」

「そうだな」

 神様ははたはたと、背を揺らしてみせた。そこに浮かぶのは、赤い羽根。まるでトンボのように、薄い光に透ける繊細な……羽根。 

 彼女が何者なのか風樹は知らない。しかしその羽根が見え始めると、彼女の去る合図であることは分かっている。

「今年の私とも、まもなくお別れだな」 

 まだ薄い赤の羽根。それは秋の夕日を浴びた野山の色に似ている。

 雨降り夜のこの家は、今は青く煙っている。その湿った空気の中、赤はよく目立つ。

「来年の私とも仲良くしてくれよ、フウキ」

 風樹の喉が鳴った。鼻の奥がつんと痛くなり、喉に苦い味わいが広がる。

 風樹の顔をみて、神様が苦笑した。

「フウキよ。なぜ、そんな情けのない顔をする」

 彼女の掌が、風樹の顔をそっと撫でた。まるで、子供にするように。

 風樹は泣くのを堪える様に、奥歯を噛みしめ唇を横に強く広げる。それでも、目の奥は熱くなる。

「……俺、酒に弱いから」

「来年の私は酒豪かもしれん。鍛えておけよ」

 ふわふわと揺れる羽根が風をおこして、部屋中に酒の香りをまき散らす。

 うまそうに喉を鳴らして泡まみれの酒を飲む、そんな少女の姿を風樹はにじんだ視界の向こうにみた。

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