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ある日の神饌【あつあつ、おにぎり】

 風樹は、一週間の中で土曜日が一番好きである。

 なんといっても朝から食事の支度ができるし、買い出しにも行きやすい。だから風樹は土曜は朝から大量の買い出しに出て、夜の神様来訪に備えるのである。 

 もちろん。炊き立てご飯にこだわる誰かさんのおかげで、米だけは夕刻に炊き始める羽目になるのだが。

 神様が炊き立てのご飯にこだわらなければ風樹の負担も少しは減るのだが、我が儘な米食い神様は、そんな怠惰を許してはくれない。



「今日はありがたくも、私が握り飯を作ってやろう。はよう炊け。そのなんだ、すごいやつで」

「炊飯器ね。炊きたては熱いから、やめときなよ」

 去年の神様は現代の言葉にすんなり馴染んだが、今年の神様は少々滑舌が悪い。

「ハンスイキ」

「そうだね」

「スイハ……キ」

「惜しい」

「……現代の言葉はわかりにくくていかんな」

 彼女は足の指で白いふくらはぎをばりばりと掻きながら、台所の机に置かれたビニール袋をのぞき込む。中には様々な食材が詰め込まれていた。

 それをさんざんかき回して神様は満足そうに笑うのだ。

「大根、芋、栗。鮭にサンマに、肉もたくさんあるじゃないか。あ。この長細い肉を知ってるぞ。ぷちんとはじけて、おいしいやつだ」

 この古い町は、名産も観光地もなにもない陸の孤島だ。スーパーの数も少ないし、近所のコンビニまではなんと数キロも離れている。

 しかし、土曜の朝には神社の前に朝市が登場する。そこへ行けば魚も野菜も肉も、だいたい揃うのがありがたかった。

 米と餅、日本酒など米に関するものは神主のじいさんから提供されるが、その他の食材は自腹だ。以前は低かったエンゲル計数が3年前から鰻登りなのは、この神様のせいだろう。

 初年度はただ白米を炊くだけで精一杯だった風樹だが、2年目は白米に合うおかずなどを考えるようになっていた。

 そのうち、せっかくなので、おいしいものを食べてもらおう。などと殊勝なことを考えるようになる。

 神主のじいさんは、神に洗脳されたのだと言う。

 しかし風樹は「食べてくれる人がいる」せいだと思っている。もちろん彼女は人ではないけれど。

「米は米だけでもうまいが、おかずも必要だ。煮物もいいし、かれえというのも食べてみたいな。どこかで食べた記憶があるのだ。たぶん、昨年か一昨年の記憶だろうが」

「昨年も一昨年も作ったし、格段に腕は上がってると思う。そもそもこんなに料理をするようになったのは神様に会ってからだから」

 風樹は卵焼きフライパンに卵液を流し込み、箸の先でくちゃりと潰す。

 レースみたいな卵のひだを寄せるようにかき混ぜて、手前へ。

 空いた場所にまた黄色い液を流し込んで、巻いていく。そんな動作を丁寧に繰り返せば、だし巻き卵という柔らかくも温かい固まりが誕生した。

 ふるふる震えるようなだし巻き卵を皿に移すと、空っぽになったフライパンに薄く油を敷いて続いてソーセージを転がす。

 手作りのソーセージ。という文句に惹かれて買ったこれは、薄い皮の中に美味しい脂と肉がたっぷりと詰まっていた。

「おお。細長くてぷちりとはじける肉を焼くのだな。あつあつで、うまいのだ。これまで色々なものを食べてきたが、歴代の中でも記憶に残るくらいうまい」

 油をまとったソーセージを、神様がじっとりと見つめる。よだれでも垂らさんばかりの勢いだ。足をぱたぱたと動かして、子供のように風樹を急かす。

「焼くのが上手だな、フウキ」

「……そこは感謝してほしいな。俺は3年前まで、大根の皮を剥くのも冷や汗をかくレベルだったんだ」

「男のくせに料理もできんのか」

「そういう返しをされるとは思わなかった」

「だいたい、私の給仕は男だったからな。巫女は運ぶだけで、作るのは男だ、昔っからな」

 ソーセージの焼ける煙をくんくんと嗅いで、彼女はとろんと目をとろけさせた。

「甘い脂の匂いがする……しかし初めての割には、フウキは私の舌と腹を満足させる才能を持っている。さすが、私の選んだ男だ」

 黄色くぽってり太った卵焼きに、丸い焦げ目の付いたソーセージが食卓に並べば、神様はうれしそうにぴょんぴょんはねる。

 ソーセージの隣には、少しだけマヨネーズ。上にぱらりとかけるは七味。これは去年の神様の好みだが、今年の神様も調味料の好みは変わっていないらしい。

「この細い肉に、この白いとろりとしたものはよく合う。どこかで食べたぞ」

「昨年もおととしも作ったよ……ところで神様、これまで……俺みたいなのって……何人くらいいた?」

 フライパンを水に晒しながら、ふと風樹は尋ねる。

 彼女のために食事を作った男は、きっとこれまで驚くほどいたのだろう。4年前も5年前も彼女は神饌を受けたはずだ。

 その時も、こんな楽しそうに食事を食べたのだろうか……と、一瞬だけ気になった。そんなことが気になる自分自身が気恥ずかしく、風樹は顔をうつむける。

「いや、別に。ごめん、忘れて」

「数千人は下らんだろうよ。いかんせん、人は短命にすぎるから」

 しかし神様は、風樹の顔色にも気づかず平然と吐き捨てるのである。

「フウキの前にその役目をしていたのは、そこの神社の神主だったはずだ。その前は先代の神主だな。それはもう死んだだろうが……ここ何百年も、神主の仕事だよ。途中、戦があったとかで途切れたこともあったが……いや違う」

 神様は長い髪をいじり、ため息をつく。

「そうだそうだ。自分たちの米もないくせに、私に米を差し出したので、腹が立ってその数年は眠って過ごしたのだ。目が醒めたら風景が一変していてな、驚いた。ついでに私が寝てる間も神饌が続いていたことも驚いたな。短命なくせに、律儀で生真面目だ。人間というのは」

 神様は人間を語るとき、口調がいささか冷たい。

 それは神特有の、尊大さであるのかもしれないが。

「みんなのこと、覚えてる?」

「不思議とな」

 神様の顔に一瞬の翳りがみえた。それは寂しさに似た感情の漏出だ。

「……細かいことは皆忘れたが、顔や名前などは不思議と覚えている。忘れられない」

 しかし彼女はその感情の持って行き場所がわからないのか、すぐに表情をもとに戻す。

 神様はいくつなのか。昨年、風樹は彼女に聞いた。神様は不思議そうに首を傾げ、考えたこともない。と返した。

 お前は空気に寿命を聞くのか。とも。

 ……食事を共に囲むとつい忘れそうになるが、彼女はやはり人間ではないのである。

「もちろん給仕をする人間のうちでも、私の姿を見ることができるのは数百人に一人程度だがな」

 神様はいつものように髪の毛を器用にまとめて、肩を鳴らす。

「こんな風に話ができる人間はもっと少ない」

「じゃあ俺は、その珍しいうちの一人ってわけか」

「記憶もおぼろだから詳細は覚えていないが、だいたいは私を恐れ崇めるばかり。声をかける者など皆無だった。まして食事を一緒に取るなどな。フウキは特別に珍しい」

「でも神様は出会い頭、俺に声をかけてきたけど」

「いつも誰にでもかけているよ。世話になるのだから当たり前だ。しかし、フウキから返事があったとき、それはもう驚いたさ。あんなに驚いたのは天地開闢のとき以来だ。もちろん、その返事は恐ろしいほど噛み噛みで顔も真っ赤で真っ青だったけどもな」

 アーモンド型の目を丸くしてほほえむ神の顔を見ていると、風樹はすべて許せる気になってしまうのである。


 

 この家で一番お高い家電製品。炊飯器が呑気な音を立てた瞬間、神様の目がらん。と輝いた。

「米も炊けたな。よし。今日は握り飯だ。私が作ってやる」

 風樹が蓋をあけるのを待ちかねるように、神様はぴょんと食卓に飛び乗って炊飯器の中に手を突っ込む。

「あついっ」

「バカっ」

 小さな白い手が、赤く染まるのをみて風樹はあわてて引き抜き彼女の手を流水に押し当てた。

 怪我などされても、どうしていいかわからない。赤チンも絆創膏も、神様に効果があるとは思えない。

「気をつけてよ。神様、病院行けないんだから」

「ビョーイン?」

「医者も看護師も、誰も、神様のこと診たり触れたり治療したり、できないでしょ」

 それは神主のじいさんで実験済みだった。

 一昨年、様子をうかがいにきたじいさんは、目の前で白米を喰らう神様を見ても、眉をぴくりとも動かさなかったのである。

 ここにいると教えると、ようやく恭しく祝詞などをあげはじめ、神様はようよう困ったように場所を移動した。

 それでもじいさんは、誰もいない場所に向かって祈り続けたのだ。

 つまり神様を見て、触れて、意志疎通を図れるのは風樹のみということだ。

 恐ろしく細い手に冷えたタオルを押しつけて、風樹はしみじみと不思議に思う。

(なんで、俺なのかなあ)

 神様の手は小さな子供のように頼りない。しかし、触れると分かる。温度がない。そして木のように滑らかだ。人の皮膚の感触ではない。

 ささくれも、傷もない指先。作り物のような髪の毛。口を閉じると、まるで彫刻のように見える。

 そんな彼女に、風樹は選ばれた。

 神饌づくりの人間として。

 なぜ自分なのか、その疑問は3年間消えない。神様に聞いても神様もわからないという。二人の関係は、偶然の上で成り立っている。

「俺が握るから、神様はとりあえず食べて」

 ぬらした手に塩をざりりと塗り込み、その上に風樹は炊きたての米をたっぷりのせる。

 それを見て、神様が痛々しそうに眉を寄せる。

「あつく無いのかフウキ」

「平気」

 手のひらはそれほど熱くはない。熱を感じるのは関節だ。染み込む熱をこらえて握り込むとそのうち慣れる。

 実際、おにぎりを作ったのも、3年前がはじめてだった。おにぎりなど、コンビニで買うものだと思っていた。

 何度も失敗し、一昨年の神様にさんざんこけにされた。恥を忍び同僚に頭を下げて作り方を習ったのは去年の春。

 春から夏に毎日訓練を積んだおかげで、昨年あたりから腕があがった。今年のおにぎりは、綺麗な三角形。手で持つと固いのに、口に入れるとほろりと崩れるような、そんな出来栄え。

「美しい。まるで神殿の屋根のような見事な三角だ」

 神様は大きな口をあけて無心にほおばり、卵焼きをほくほくと口にほうりこむ。

 急いで飲み下すなり、続いてはウインナー。ぱりぱりと音を立てて彼女の小さな口が必死に動く。口の中を洗い流すように、まずは一つ目のおにぎりをぺろりと平らげた。

 二つ目用のご飯を手に乗せて、風樹は神様に尋ねる。

「二つ目も白米でいい? 俺はシーチキンマヨネーズが好きだけど」

「冒涜だ」

 米を汚されることを何より嫌う彼女は新しいメニューを聞くと、まず反射的に冒涜だ。と言う。それを知っている風樹は気にしない。

「じゃあ神様は白米だけ食べてれば。俺はこれを食べるから」

 わざと冷たく言い放ち、机の上に恭しく出したのは小さなボウル。

 米を炊く前に、シーチキンとタマネギのみじん切り、マヨネーズ、マスタードを少々。それに胡椒をたっぷりかけて混ぜておいたのだ。

 白くとろりと糸をひくそれを米に乗せてきゅっとにぎれば神様の目の色がかわる。

「む」

 米の間から白い汁がじわりとにじみ、米がゆるくなる。

 それを神様に見せつけるように皿に置く。続いてもう一つおにぎりの具を用意して、ゆっくりと握ってみせつけた。

 ……おにぎりを作って気づいた事実がある。

 それは、おにぎりほどエンターテイメントに優れた食べ物はない。ということである。握る様だけで、人をこんなにも引きつける。

「フウキよ、フウキよ」

 神様はもう我慢ができないように、箸を手にしたまま体をぐいぐいと机に乗り上げる。

「……そっちは? そっちの器に入ったものは?」

「しそと沢庵を刻んで、醤油につけたものを、のせて、こう握る」

 黒と黄色の混じり合うそれを、風樹は凹ましたおにぎりの真中に。醤油の味を染み込ませたおにぎりが、きゅ、きゅ、きゅと握られていく。

 それを神様は、まばたきもせずに見つめている。

「いいな」

「米を汚すのは冒涜では?」

「時は移り変わるのだ」

 神様はあくまでも冷静を装い、シーチキンマヨネーズおにぎりを一口かじる。目がぱっと輝き、彼女は大急ぎで卵焼きの残りをかき込んだ。ん、ん、と小さくうめいて目を細める。

 しそ沢庵のおにぎりを、横からかっさらうとそれも二口ばかりで食べきった。

 神様の白い喉が上下に動くのを見て、風樹は思わず苦笑してしまう。

「喉詰めないでね」

「……ところでフウキ、他に米を汚すものはないか」

 神様はますます飢えたように目をらんらんと輝かせ、風樹の手元をのぞき込んだ。

 その獣のような目をみると、風樹はぞくぞくと背が震える。そして同時に確信するのだ。

 神饌とは神のためのものではない。

 こんな風に、人が愉悦に浸るためにあるのである、と。

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