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はじまりの、はじまり

【駅徒歩15分、一軒家。家賃はぴったり4万円】

 ガラス扉に貼られたそんな広告チラシにつられて、山田風樹が不動産屋の扉をくぐったのは秋がそろそろ始まろうかという頃合いだった。



「いらっしゃいませ。どのようなお家をお探しですか? マンション? アパート? それとも一軒家?」

 ハロウイン柄のスプレーが施された安っぽいガラス扉を開ければ、カラコロと鈴が鳴る。

 手慣れた風貌のスーツ男が笑顔で風樹を出迎えたが、用件を伝えた途端、一気に顔を曇らせた。

 先ほどまでの笑顔はすっかり真顔となり、言葉も歯切れが悪くなる。

「……なるほど……こちらの件で……と」

 視線が泳ぎ言葉を噛み噛み。さらに、じろじろと風樹を下から上まで眺め見て、今度は早口でまくし立てた。

「この件はちょっと特殊なので仲介を介さずに大家さんに直接お話を伺ってもらうことになるんです。大家さんは前の道をまっすぐ進んだ所にある、神社の神主さんなんですけど」

「あの」

「念のため地図書きますね」

 風樹が口を挟む暇も与えず、彼はチラシに地図と電話番号を殴り書き、綺麗に折り畳んで青い封筒にしゅっと挟み込んだ。一寸のずれもない美しい折り目である。

「あ、あの……その家って」

「今の時間なら大家さんいるとおもいますし、急いで行ってみて下さい。すぐおねがいしますね」

「その家って築何年とか、保証金いくらとか」

「そうだ。これも入れておきます。たぶん、うちにはもう必要ないと思いますので」

 ついでに彼はガラスに貼ってあるチラシを勢いよく剥がし、それも一緒に封筒にしまってしまう。

 まるでダンスでも踊るような完璧な所作で、風樹の質問は彼の耳には届かない。

 もちろん、生まれ落ちて25年、人見知りでならしている風樹だ。相手がどんな態度であっても、口を挟むことなどできなかっただろうが。

「お客様が向かってるというのは、私から大家さんに伝えておきます」

「は……あ。あの……」

「なにか?」

「……いえ」

「質問事項はなしでよろしいですね?」

「……はい」

 結局、彼は一度も営業スマイルを思い出すことなく、風樹を不動産屋から追い出した。

「一軒家、四万円……か」

 ぶつぶつと呟き、風樹はため息をつく。

「絶対釣り物件だろ……」

 不動産屋から神社への道は、不動産屋の言う通りまっすぐだ。

 元々は参道だったのかもしれない。車も人も通らない夕暮れの道。

 前を見れば、ブロッコリーみたいなもこもこと盛り上がった木々が見える。鎮守の森、というやつだ。大家は神主と言っていた。ならばあそこが目的地に違いない。

 肩を落として歩きながら封筒を覗き込めば、チラシが無理矢理詰め込まれている。引っ張り出してよく読めば、いかにも稚拙なチラシであった。

 筆か何かで殴り書いたような文字で、写真どころか間取りも乗っていない。保証金も、詳細もだ。

 ただ、低価格と部屋の広さをのびのび謳ったその隙間に、駅徒歩15分、広い台所、それに庭付き、などと小さく書き足されている。

 よくこんなチラシに惹かれたものだ。絶対に釣り物件か、事故物件である。

(でも……目に入って……気になっちゃったんだもんなあ……)

 風樹はため息まじりにチラシを封筒に押し戻す……が、隅に小さな文字が書かれていることに気がつき、慌ててチラシを開き直した。

「ん? 秋……には?」


 ※但し築60年、改築済み。尚、条件もあります。秋には米と餅の支給あり。


 今更、目に飛び込んできたのは、そんな一文である。

 風樹は一瞬足を止め、空を見上げる。まるでサンマの焼けた皮のような、綺麗な綺麗な鱗雲。茜の色が差し込んで赤く染まっていた。

「……米と餅の支給……? 築60年?」

 おそるおそる再度チラシを見つめて、穴が空くほど眺める。文字は確かに、そう書かれている。

 風樹の心に一気に暗雲が広がった。それを慰めるように、秋の風が彼の頬を撫でる。

 ……これまでの人生、いつも彼は大事なところでミスをする。

 初めてのバイトの日は電車の遅延で遅刻をしたし、就職先ではいの一番にコピー機を詰まらせた。

 つまり、風樹はどこか運が悪い。

 そうして神社の鳥居をくぐり、社務所の門をたたいた時。不安な気持ちは一気に爆発した。


「お家の希望者、君?」


 社務所の奥からのっそりと出てきたのは、すっかり腰の曲がりきった老人なのである。

 白衣に紫色の袴をまとった彼は、手にぺらぺらの紙を持っている。不動産から届いたFAXなのだろう。書き殴られた何かを彼は見つめたあと、しょぼしょぼとした目を風樹に向ける。

「名前は?」

 カバンを落としながら名刺を差し出せば、彼は襟の隙間から老眼鏡を取り出しまじまじと小さな名刺を見つめる。

「えっと、やまだ……かぜ、き?」

「ふうき、です」

「学生さん?」

「や。その名刺に書いてる会社……で……はたらいて……えっと、秋から転勤で、こっちに」

 もじもじと、風樹はつぶやく。相手が男でも、年寄りでも、知らない人間と対面しているというだけで、額に汗が浮かんだ。

 この世の中、メールかせめてチャットになればいいのに、などと風樹は真剣に考えている。顔を見つめて会話するのは、あまり得意ではない。

 仕事における風樹は駄目社員ではないはずだし、能力はそのへんの中堅よりもあるつもりだ。

 ただ、この性格がアダとなり、今年秋から田舎への島流し。もう都会には戻れない。出世コースから、すっかりはずされた。

 しかし風樹はそれに対して文句を付けることもできず、唯々諾々と内示を受けてここにいる。

 つまり、山田風樹とはそういう人間なのである。

「ああ。なるほどねぇ~? それで家さがしてんの」

 神主というが、このじいさん、言葉遣いはひどくざっくばらんで態度も図々しい。

「いやぁねえ、ほっとんど見学者なんてこねえもんだから、冷やかしかと思っちゃって」

 風樹の気まずそうな態度に気づきもしないように、彼はぐいぐいと顔をのぞき込んでくる。

「このチラシ見て……ふうん、このチラシ見たんだ。わっかいねえ。いくつ? 18歳?」

「……に、25……です」

「まあいいや。入って。ほら、靴そこ。いいよいいよ、脱ぎ散らかして……ほらそこの部屋。ストーブあるから、奥いって、奥奥。そう、そこ。そこね。そこでまあ、ほらお茶でも飲んで……はあ、転勤で、大変だねえ」

 風樹を手招き、神主はよたよたと上がり框を登る。すぐ右手には狭い社務所があり、彼はそこの奥を指差した。

 指定された場所に進めば、彼は出涸らしのような茶とへたった座布団を風樹にすすめる……そして彼は、入り口を塞ぐ場所にどっしりと座り込んだ。

 腰は曲がりきっているが、声などは迫力がありさすが神主の風格はあった。 

「でえ? 家探してて、そんでこのチラシみて、興味ある? 一軒屋。まあ家はこの本殿のすぐ裏だからさ、あとで見てもらっていいんだけど」

 彼が指すのは、神社の本殿である。小さいが大事にされているのだろう。静かな清らかさがある。

 そっと立ち上がって背を伸ばせば、確かに本殿のむこうに屋根が見えた。さほど、古くはみえない。なんといっても、広い。

 いやな話ではないかもしれない。案外おいしい話かもしれない。取り越し苦労、というやつかもしれない。神社の裏なんて、いかにも治安が良さそうだ。御利益もあるかもしれない。

 風樹の気持ちが、少し上向いた。


「なあ、若いの。神饌って知ってっか」


 ……が、そのほんの少しの期待感はじいさんの一言に打ち崩される。

 じいさんは、必要以上の大きな声で、風樹に語って聞かせる。

 その家は、神の依る家である。もともとは、神社の台所があった場所なのだという。そこでは神様の食事作りが執り行われる。

 ただし一年中というわけではない。秋の間だけ、夕餉だけ。

 毎日、米を炊いて供える。餅の時もある。ただ、それだけのことだ。とじいさんは歯のない口をあけて笑った。

「つまり、秋だけ毎日、米炊いて供えて……」

「まあ供えるっていうか……」

「はあ」

「だぁいじょうぶ、だぁいじょうぶだってば。俺でもできたんだもん」

 風樹の声に不安な色が混じったことを、彼は聞き逃さない。どんどんと風樹の肩をたたき、耳元で怒鳴るように笑う。

 それだけで風樹はもう、なにもいえない。

 それに逃げようとしても、彼の体が入り口を塞いでいるので外にも出られない。じりじり迫ってくる神主に怯えて、風樹の体はどんどん奥に追い詰められてしまう。

「秋にゃさ、米。俵で送っから、食費のことは心配しねえで」

 ……そういう不安ではないのだが、じいさんは風樹のよどんだ顔を無視して書類などを揃え始めた。指をつばで濡らして、書類入れから紙を2枚引っこ抜く。ペンを用意し紙と一緒に机に並べる。

 その紙には、賃貸契約書と書かれているのだ。まだ借りるかどうかも決めていないのに、といいたいが、風樹の言葉は喉の奥に詰まったまま出てこない。

「あの、別に俺」

「実はその仕事、ずっと俺がやってたんだけどさ。ほらこの通り、腰やっちまって」

 じいさんはペンの書き心地を試しながら、何でもないような顔で言う。

「代わりを出来るやつ、探してたんだわ。だからほれ、家賃もすくなくっていいしさ、りふぉーむっていうの? 部屋も随分綺麗にしてるんだわ。台所も広いしさ、トイレはうおっしゅれっとっていうの? 水出るんだよ。すごいよ。勢いよくでるんだから。あんなのデパートしかないじゃない。だから築の割にさ……ほれ、こことここ、丸つけたところに書いて。ほら、ペンこれね。あーインクがでない? がしがし書いて書いて。まだインクちょびっと残ってっから」

 彼は空欄を指の先でとんとんとたたいて風樹をせかすのだ。名前に住所に電話番号。家を借りるにしては、あまりにも簡素にすぎる契約書。保証人の欄もない。

「ほ、保証人もまだ」

「いいっていいって、こういうのは、縁みたいなもんだし。な。縁だよ、縁」

「住民票とか、あの、身分」

「だからさ、縁だから。家なんてさ。もう、ここにきてくれたことで、それがほれ、縁だから」

 じいさんは年寄りならではの執拗さで、風樹の言葉を封じていく。「印鑑がないので」、と震えながら断る風樹に、じいさんは「拇印でいいよ」と、風樹の指に無理やり朱肉を押し付けた。

「この家のこと聞いたとき、不動産のにいちゃん、嫌がってたろ」

 顔面蒼白で空欄をうめる風樹を、じいさんはにやにやと笑いながら見つめる。

 これではまるで、ヤクザな神主に脅される哀れな若者の図だ。

 出涸らし茶でのどを潤し、息を吐いた風樹をみてじいさんは机に置かれた件のチラシをみる。

 その目が、かすかに寂しそうに揺れている。

「実は不動産屋に数年前からお願いして、出してもらってたんだわ、このチラシ」

「……はあ」

「でもさあ、誰も見ないんだわ」

 風樹が書き終えた書類をじいさんは奪うように取り上げると、素早く座布団の下にかくしてしまった。絶対風樹を逃がさない構えである。風樹は呆然とその様をみることしかできない。

 そもそもすべてが怪しいのだ。こんなにいい条件の家が、いつまでも人の目にとまらなかったこと。不動産屋の不可解な態度、じいさんの必死さ。

(何かがある)

 と思うが、しかし風樹も早く家を決める必要があった。明日からは島流し事務所での仕事が始まるのである。

 ここは、少々田舎すぎて駅前にはホテルという名の民宿しかない。三日前、風樹は仕方なくその民宿に入ったばかりだ。

 鍵もかからない民宿の薄暗い部屋は風樹の気持ちをブルーにさせていたし、何より好奇心旺盛な民宿のおばさんに囲まれて、風樹の心はすでに疲れ果てている。

 早く一人になれるところへ行きたかった。それに引っ越し業者に預けている荷物も、そろそろ引き取らなければ金がかかる。


「というか、誰も見えないんだわ」


 ぽつり。と呟いたその言葉に風樹は思わず顔をあげた。彼は折りたたまれたチラシのシワを伸ばすように、ゆっくり、ゆっくりなでている。

「見えねえの」

「……は?」

「写真、撮ってみ。ほれ、携帯とかで今、撮れるんだろ」

 せかされ、風樹はポケットからスマートフォンを取り出す。おそるおそる、小さな背面レンズをチラシに向けて、そして一押し。

 軽い音とともに写ったそれは、白い紙。ただ、隅っこにかかれた「築60年、改築済み……」の一文だけは残っているが、あとはただただ白い紙だ。

「あ。この但し書きは俺が書いたの。さすがにこれは俺も見えるけど、それ以外真っ白だろ?」

「……え」

「ほれ。ふつうは、見えないんだわ。もちろん不動産の兄ちゃんも。実は俺も見えないんだわ」

 机の上のチラシを見れば、相変わらずの雑多な筆文字が踊っている。しかし携帯の画面に目をもどせば、それはただの白い紙。

「そりゃあ不動産屋の兄ちゃんも不気味がるよな。こんな真っ白なチラシ貼ってくれなんてさ」

 風樹がチラシに視線を向ければ、まるであぶり出しのように文字が浮かび上がる。達筆な、筆で書かれたような、その文字が。

「いや、だって……駅徒歩15分、一軒家。家賃はぴったり4万円って……こんなに、はっきり……はっきりと」

 本当に、見えるんだよなあ。と爺さんは、そうため息を付いた。

「これ、まあ、わかりやすく言えば神様の文字ってやつでさ。見えるってことは、神様に好かれる体質ってことで」

 じいさんはやはり寂しそうに、チラシをまるめてくず箱に投げ入れる。

「家を選んだんじゃない、あんたが選ばれたんだよ」

 かあ。と、どこかでカラスが鳴いた。

 暮れかけた秋の空に、まっすぐ上る白い湯気。なぜか、風樹の鼻に米の炊ける甘い香りが届いてきた。





 ぷうん。と鼻をくすぐるのは湿った甘い香りだ。

 炊飯器が天井をぬらすほどたっぷりの湯気を吐き出せば、やがて炊きあがりを告げる音楽が鳴り響く。何度聞いても情けない音だ。

 風樹は洗い物の手を止めて、鼻を慣らす。


「……あ、炊けた」


 やはり、新米の香りは違う。みずみずしく、甘い。味がそのまま香りになっているようだ。

 香りだけで、ふかふかとしたその食感が舌に浮かんでくる。新米というものを食べるようになって3年経つが、やはり味も香りも古米とは格段に違う。

 風樹は手を拭いてしゃもじを握り、部屋を見渡す。

 広い台所の隅には米俵が一俵、置かれていた。今年収穫したばかりの、ぴかぴかの新米だ。

 特別な場所で作られてご祈祷でもされているに違いない。と、風樹は思っていたが、神主のじいさんいわくそんな面倒なことはしていないそうだ。

 ただし、俵にはご丁寧にも熨斗がつけられ、風樹様。神様。3年目の献上品。と、悪くない墨文字でかかれていた。

 しゃもじを水で濡らし、風樹は米俵に一礼。そして、台所の隅っこに飾られた小さな鳥居に小さく声をかける。


「神様」


 それは、古めかしい赤をまとった手のひら大の小さな鳥居。本物の鳥居を削って作ったものらしく、古い木の色と赤の剥げ掛かった色が絶妙である。

「……お米が、新米が炊けたけど」

 ささやくと、鳥居の前に置かれた札が小さく揺れる。

「ちょうど、今、炊き立てだけど」


「……うむ」


 寝ぼけた声と小さなあくびの音。猫のようにしなやかな、小さな足音。風樹の顔のそばを秋風が吹き抜けて、その風はやがて背後に降り立つ。

 振り返れば、台所のちょうど真ん中に少女が立っている。

 艶やかな黒髪、白い着物に赤の袴。大きなアーモンドのような瞳を持つ……十歳ほどの少女。

 しかし彼女は驚くほど貫禄のある態度で髪をかき回し、そしてよく通る声で風樹を貫いた。

「フウキ。今年も世話になるぞ」

「はいはい、どうも」

 風樹は呆れたように言って、立ち上がった……そうだ、今からが忙しい。


「さあ、さあ秋だ。神饌のはじまりだ。腹が減ったなあ、フウキ」


 彼女の腹が、驚くくらい大きな音でぐう。と鳴る。目がらんらんと輝いて、「腹が空いた」と小さな足が地団駄を踏む。

 こんな突飛な登場方法にも、もう驚きさえなくなった。

 風樹は炊きあがったばかりの米の香りを胸一杯吸い込んで、しゃもじでゆっくりとほぐしていく。

 水を吸って膨らんだ白米は、ほろほろと音をたてるようにほぐれていく。甘い香りが湯気が音が風樹の顔をそよいでいく。

 それを見て、風樹は目を細めた。

(……今年の米の具合は、すごくいいな)

 彼女に出会って3年目。今年も秋の神饌がはじまったのである。

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