もふもふ #2
ジョンは手近にあったテーブルに本を置くと、慎重にページを繰った。すると突然、本が光りはじめ、辺り一面が真っ白になった。とてもじゃないが目を開けていられないほど眩しい。ジョンは顔を両腕で覆うようにして本から目を逸らした。しばらくすると発光は止んだのか、瞼を越えてまで感じていた眩しさは消えている。ジョンはゆっくりと目を開けた。ランタンの光だけが、ぼんやりとその周辺を照らしている。先程まで光っていた本に目を向けると、その上には毛並みの整った黒猫が一匹、丸くなって気持ちよさそうに寝息をたてていた。
ジョンは首を傾げた。彼が調べた「出現するはずのモノ」とは全く印象が違っていたのだ。確かもっと禍々しいはず。まさか、なにかの間違えか……
顎に手を当て暫く考え込む。もしや、変身の能力を持っているのではないだろうか。ジョンは試しにつんつんと頭をつついてみた。
黒猫はむにゃむにゃと寝言のような事を呟いている。
あっ! 足をぴーんと伸ばした!
ちょっと強めにつつく。
ぴくっと耳を動かし、黒猫はふぁと大きなあくびをしながら起き上がると、ちらりとこちらを見た。知らない人間が目の前にいてびっくりしたのだろう。目を大きく見開くと、本の上でぴょんと飛び上がり、全身の毛を逆立たせた。
「お主……誰じゃ?」
しゃ、喋った……
黒猫はこちらを威嚇するようにウーと唸っている。
「あ、ご、ごめんなさい。気持ちよく寝ているところを起こしちゃって」
威嚇に気圧されたジョンは若干後じさったが、そもそもの呼び出したのは自分だ。気高に振る舞わなければと姿勢を正した。こほんと咳払いをすると、自己紹介をはじめた。
「僕はジョン・リーズ。リッジウッドハイスクールに通う17歳です。急に呼び出してごめんなさい。どうしてもあなたにお願いしたいことがあったんです。ちなみに……あなたはジャージーの悪魔で間違いないですか? 」
ジョンは丁寧にお辞儀をし聞いた。すると、こちらに敵意がないと伝わったのか、黒猫は威嚇するのをやめ、本の上にちょこんと座りなおして言った。
「気持ちよく眠っていたところを起こしよってまったく——確かに、その名で呼ばれていた時代もあったのう」
「良かったぁ。僕が調べた容姿と若干違うので、間違ってしまったかと思ったんです。やはり変身してたんですね」
ジョンはホッと息を吐きながら、安堵の表情を浮かべ言った。しかし……
「変身? お主、何をわけのわからんことを言っておる。ワシは昔からこの姿じゃぞ」
訝しげな表情をして喋る黒猫。驚きのあまり静止するジョン。
ジョンははっと我に返ると、顔の前で大きく手を振った。
「いやいやいや、御冗談を……確か、先祖が残したノートには、顔は馬だと……」
「それは凛々しいと言うことじゃろう」
黒猫はふふんと得意げに鼻を鳴らしている。
「えっと——長さ六メートルの蛇に似た体って……」
「六メートルか。——ふむ。特別じゃ。では、我の脇に手を入れて持ってみろ」
ジョンは「えっ!」と声を出して驚いた。黒猫は「ほれ」と一歩近づいてくる。決して触りたくないわけではない。むしろ可愛すぎてなでなでしたい。ジョンは黒猫に促されるがまま、恐る恐る脇を持ち抱えあげる。黒猫の後脚がぶらーんと空中に投げ出され、真っ黒なお腹があらわになった。
「どうじゃ。伸びたじゃろう」
確かにびろーんと体が伸びた。しかし、記述だと六メートル。決してそこまで大きくはないし、まして蛇ですらない。そもそも猫ならこれは普通じゃ……。ジョンは黒猫を本の上に戻した
「じゃ、じゃあ、フォーク状に別れた皮のように固い尾は! 」
黒猫はフリフリと尻尾を降った。ジョンがそれをよく見と——確かに、先っぽが三つに別れている。しかし……皮のように固い感じが全くしない。かなりのもふもふ加減だ。
「あー……最後のこれは、さすがに……蝙蝠の羽根が生えてるって」
ジョンが諦めモードで聞くと、黒猫は「ほれ」と言って背中からバサッと勢いよく羽根を出した。容姿のキュートさから想像できないほど禍々しく、まさに、大きな蝙蝠の羽根がそのまま背中から生えていたのだ。そしてそのまま上下に大きく羽ばたきはじめると、黒猫の体はふわりと宙に浮いた。ジョンは絶句した。喋る黒猫と言うだけでも可愛い……気味が悪いのに、さらに空まで飛んでしまうとは。これが、悪魔か……
黒猫はゆっくりと着地すると、羽根を畳み、モゾモゾと体を動かした。どうやら、背中の毛に埋もれさせるようにして普段は羽根を隠しているようだ。しかし、毛が短いので全然隠れていない。羽根をしまい終わったのか、黒猫はピーンと背筋を伸ばし居住まいを正すと、こちらを向いて話しはじめた。
「して、我を呼び出した理由は何じゃ?」
ポカーンと口を開けたまま惚けていたジョンは、慌てて返事をした。
「は、はい。実は……ジャージーの悪魔様に叶えていただきたい願い事がありまして」
「ほう。願い事とな」
ジョンはこくんと頷くと、神妙な面持ちで切り出した。
「実は僕……学校で虐めにあっていて……だから……虐めてくる奴らを見返してやりたいんです!」
黒猫はほうと感嘆の声をあげると、ジョンに向かって言葉を返した。
「なるほど。虐めっ子に復讐したいということじゃな。しかし、我と契約するにはそれ相応の対価が必要になるが大丈夫か?」
ゴクリと息を呑む。このことに関しては、先祖が残してくれたノートに書いてあった。ただ、具体的な供物に関しての記述はなかったが、一般的に悪魔と契約をするとなると恐らく……
「はい。お望みのままに」
片膝をつき手を胸に当て頭を垂れる。元々は命を絶とうとまで考えていたのだ。その命を使って復讐できるのであれば、何も躊躇う必要はない。
しかし——短い人生だった。思えば、ミドルスクールの時から虐められて、良い思い出なんて殆どない。歳を重ねるごとにエスカレートしていた虐めは、ついこの間、頭に銃を突き付けられるまでいった。ヤツらは弾は入っていないから大丈夫と言い、それでも怯える自分を見ると、腹を抱えて笑っていた。
「はて。お主はなにをしておるのじゃ?」
頭上から黒猫の声が聞こえた。ジョンは思わず顔を上げる。
「えっ! いや、自分の命を捧げるのでしたらなんとなくこうした方が格好がつくかと……」
「お主の命? 何を言っておる。そんなものは要らん。我が欲するのは、暖かい寝床と美味しい食事じゃ!」
再びジョンは大口を開け、ポカーンと惚けてしまった。何を言っているのだこの黒猫は……
「もう一度言う。我と契約したければ、暖かい寝床と美味しい食事を用意しろ。できなければ契約はせん!」
黒猫はそれ以上は譲らんとばかりにふんと鼻を鳴らした。ジョンは慌てて返答した。
「えっと、そんなことでよろしければ、僕の家でどうでしょうか。ただ……ジャージーの悪魔様に満足してもらえるかどうか」
「よし。そうと決まればすぐ行くぞ! 我は腹ペコなのじゃ」
黒猫は床にストンと飛び降りると、スタスタと出口に向かった。呆気にとられ、動けないでいるジョン。
黒猫は立ち止まると後ろを振り返り言った。
「なにをしておるのじゃ。行くぞ」
「あっ、は、はい!」
ジョンは慌てて黒猫の後ろ姿を追いかけた。