更衣室には、お局がよく似合う。
十二時になりました。昼休憩です。
私はパートさん達の後について作業場を出て、休憩室に入りました。そこは更衣室を兼ねた部屋で、端にロッカーや電子レンジやテレビやポットが、中央にちゃぶ台が置いてある八畳間です。
座るべき場所が良くわからないので、私はロッカーからシーチキンおにぎりをわざとゆっくり取り出しつつ様子を窺いました。こういった場合、たいていは暗黙の了解で各々の席が決まっているものだからです。もし勝手に誰かの縄張りに立ち入った日には、血を見ることになるでしょう。
そして女性たちが全員座った所で、私はやっと空いている隙間に控えめに収まりました。
私に話しかけてきたのはやはり赤い花柄の割烹着の女性、つまりお局です。彼女は私が着席した途端、上に向けた手のひらをこちらに差し出して言いました。
「お茶代、いいかしら?」
あぁ茶代ね、はいはい、と私は思いました。前の職場でも、従業員同士でお金を出し合い、皆んなで食べるお菓子やお茶を買う決まりがあったからです。
正直言ってお茶もお菓子も要らないし、そもそも女学生ではあるまいに一緒に昼ごはんを食べる必要も無いのですが「郷に入ってはひろみに従え」と言うことわざもあります。茶代とはすなわち人間関係を円滑にする必要経費みたいなものですから、払うのも致し方ないのです。
お局は続けます。
「ひと月三百円だから、早く」
私は眼球が眼窩(眼球の収まっている頭蓋骨の窪み)からまろび出るくらい驚きました。
ひと月三百円!
たかが三百円と侮るなかれ、今の物価で考えてはいけません。何しろ当時は遠足のおやつが五十円だった時代です。(五十円で結構豪華なお菓子が買えました。)
三百円と言ったら今のお金に換算すると三千円くらいになるでしょうか。グリドン作業場で九時から十六時まで働いた日給が四百五十円でしたから、実に日給の三分の二が茶代として飛んで行く計算となります。三百円も有れば、余裕で十日は生活していけたでしょう。
私はぷるぷる震える手で聖徳太子の描かれた百円札を三枚取り出し、お局に渡しました。と同時に「茶代分、絶対に元をとってやる」と心に決めたのです。とにかくお金が無い時期で、心の余裕なんて全く無かったせいもあります。
しかし、そんな決意も立ち所に粉微塵に砕かれることになりました。「茶代」と言っておきながら、お局らが飲んでいるのはコーヒーでした。私はコーヒーが飲めないのです。(少量でも飲むと胃痛がします。)
まだ若く周囲の目を過剰に気にしていた私は、自分だけ飲まないのも妙に思われると考えました。そこで余っていたカップを借り微量のコーヒーを入れ、お湯を注ぎちびちびと飲む羽目になりました。
そして昼食をとりながら、私の目はちゃぶ台の真ん中に釘付けになっていました。茶菓子らしき物が積まれていたからです。コーヒーで元を取れないのであれば、茶菓子で勝負するしかありません。
食後、お局達は次々とちゃぶ台中央に手を伸ばし始めました。期待を込めて私もそれを引っ掴みます。
山と積まれていたのは落雁でした(お供え物として使用されるあれです)。またも期待は打ち砕かれます。私は落雁が苦手なのです。
……いや待てよ。
私は思い直しました。
ひと月に一人当たり三百円も徴収されるのだから、きっと高級な落雁に違いない。昔祖母の家で食べた不味い方のそれではないだろう。
そう思ってひと口食べてみましたが、それはやっぱり不味い方の落雁なのでした。
その後私の眼前には、複数の熟女が落雁を我先にと貪り食っている、この世の終わりのような光景が広がっていたのでした。
お局が独断で買ってきたインスタントコーヒーと落雁。完全に休憩室はお局色に染まっていたのです。お局がいかに強固にこの部屋を牛耳っているかを示す地獄絵図です。
お局こそがルールであり、唯一絶対神でもありました。彼女がカラスは白いと言えば、カラス自ら白ペンキを被るでしょう。
私は契約終了までの二ヶ月間、ほとんど白湯であるところの限りなく透明に近いブルーマウンテンコーヒーを涙と共に啜り、砂を噛むようにパサパサした落雁を喰らい続ける事となります。
そんな訳で私は約四半世紀経った今でも、落雁を見ると赤い花柄のお局の事が脳裏をよぎりますので、もはやトラウマと言っても過言ではないでしょう。
(続きます。次話では、
「お局悪夢のマーメイドドレス」
「お局怒りのゴルゴンゾーラ」
「お局涙のランボルギーニ」
の三本をお送りする予定です。(内容は予告なく変更となることがあります。))