お局は激怒した。
私に一通りのやり方を教え終えた男性社員は「じゃあ、わからない事があればパートさんに聞いてね」と言って作業場から出て行きました。
途端に心細くなります。
その後しばらくはゴテハンダーでグリドンを選別する「ジャッジャッ」という音だけが部屋に満ちているだけでした。
私も作業を行いながら、新参者なのだから「よろしくお願いします」と挨拶をして気の利いた一発芸でもやった方が良いかな、でも邪魔になるかもしれないし……と考えていました。
するとが突然声がしました。
「あなた、ショーガクキンなの?!」
何だろうと顔を上げると、私の斜向かいの席に座っている赤い花柄の割烹着を着た五十代くらいの女性が手を止め、こちらを真顔で見つめています。どうやら私に話しかけているようです。
しかし私の頭の中では多数の疑問符が弾け飛んでいました。
ん? ショーガクキンとな? ショーガクキンとは何ぞや??
キョトンとしていると、彼女はこう付け足しました。
「あなた大学出てんでしょ、奨学金で行ったのかどうかって聞いたのよ!」
やっと「ショーガクキン」と「奨学金」とが結び付きました。
私は何故初対面でいきなり奨学金受給の有無について聞かれるのか理解できず戸惑いましたが、とりあえず答えました。
「いえ、借りてません」
女性の顔が少し曇りました。思えばこの段階で奨学金を借りたと嘘をついていれば、今後の展開は随分とマシになっていたのかもしれません。
ちなみにどうして私が大卒だと彼女が知っていたのかですが、おそらく上司に聞いたか履歴書を見せてもらったのでしょう。何しろ「個人情報」などと言う概念はないに等しい時代ですから。
「そう……で、お母さんは働いてるの?」
女性は続けます。
「無職です」
「ずっと?」
「はい」
母は結婚して以来ずっと専業主婦です。女性は視線を手元に戻し作業を再開しましたが、手を高速で動かしながらも質問を次々と投げかけてきます。
「ふぅ〜ん、兄弟は? 何人?」
「兄と姉がいて三人きょうだいです」
「お兄さん達も大学出なの?」
「はい」
彼女は下を向いているにもかかわらず、表情がみるみる険しくなっていくのが分かりました。眉が盛り上がり眉間や鼻にまで皺が寄っています。力が入っているのか、耳がピクピクと小刻みに動いています。
女性の気迫に押されて私は馬鹿正直に全ての質問に答えていきました。
「へぇぇ〜〜〜〜そうなのぉ。きょうだい皆んな、奨学金借りてないの?」
「はい」
「……お父さんは何のお仕事をしているのかしら? さぞかし稼がれていることでしょうねぇ!!」
女性は完全にキレています。早くもお局の本領を発揮してきたのです。(これより先彼女をお局と表記することにしましょう。)
怖いですし、もうこれ以上プライベートの詮索をされるのは不愉快でしたが、答えない選択肢は無いのです。何と言っても相手はお局ですから。
ところで私はこれまでの人生で数々のお局と対峙させられてきましたが、直毛タイプのお局に出会った試しがありません。
今回のお局も御多分に洩れず髪はストレートでなく、それはもうチリッチリのスチールウール状でした。
毛根の形状とお局遺伝子は何らかの関係を持っているのかもしれません。不思議ですね。(統計を取って研究してみるのも楽しいかもしれません。)
え? ただ単にパーマあててるんじゃないか? ……確かに!!
いずれにせよお局の頭について詳しく描写しても世界一無駄な知識だと思いますし、少子化問題が解決する訳でもないのでこれくらいでやめておきます。
話を戻しましょう。私は父の職業を答えました。
「いえ……普通の会社員ですけど」
しかしお局は信じてくれません。
「普通の会社員なら子ども三人を奨学金なしに大学にやれる訳無いでしょ! どこの会社? 名前を言いなさい!!」
お局はもうほとんど絶叫しています。超怖いです。カツ丼が提供されそうな勢いです。
「◯◯です」
私は父の勤める会社名を言いました。
「は?」
お局はやっと黙りました。おそらく、よく知らない会社だったのでしょう。それも当然のことで、そこは私の実家近くの小さな家族経営の会社なのです。お局が知っている方が不自然なくらい小さな会社です。
気まずい沈黙が立ち込めましたが、私はようやく尋問から解放されたかと小さくため息をつき、選別作業を再開しました。
ちなみにお局尋問タイム中、周りのパートさん達はただ黙々と仕事をしていました。でもきっと、全身を耳にして私たちのやり取りを聞いていたのだと思います。(そうでなくても静かな空間なので勝手に耳に入るのですが。)
さて、ここでまとめてみましょう。お局刺激ポイントは以下の通りです。
①母親が専業主婦
②子どもが三人
③にもかかわらず子ども全員が奨学金なしに大学へ通った
つまり「父親の稼ぎが良いか、資産がたんまりある!! キィ〜〜〜!!! のうのうと生きてきたのね、小娘のくせに生意気な!!!!」と思われたのでしょう。
しかしこれは全くの誤解でした。父の収入は詳しく聞いたことはないですが恐らく平均より低め、祖父母の援助も、資産なんてものも全くありません。給料日前には一杯のかけ蕎麦を家族五人で分け合うような、ごく一般的な家庭でした。
それでも我々三きょうだいが大学まで行けたのには、あるカラクリがあるのです。
私は寒村の出身です。(現在では限界集落一歩手前となっています。)
私が中学に上る少し前、村に大学が出来ました。人口減少を憂えた村議会が、若者を村に呼び込もうと村立大学を設立したのです。
私たち三きょうだいは皆、出来立てホヤホヤの村立大学の特待生制度を利用したため、学費がほぼ無料だったという訳です。
別に成績が優秀だったからではなく、志願者が我々しかいなかったので書類に名前を書くだけで受かりました(倍率は0.1倍にも満たなかったと記憶しています)。
私の入学した学部は「インターナショナル・グローバル・ユニバーサル・エンバイロメント・アンド・アグリカルチャー学部」と言う名称の、非常に香ばしい名称のカタカナ学部の先駆けで、学生が極端に少ないおかげでほとんどマンツーマンで講義を受けることが出来ました。
余談ですが、この村立大学は定員割れが続いたせいで私の卒業後すぐに廃校になり、今では心霊スポットと成り果てています。それ以降若者たちが肝試しのために大挙として押し寄せるようになったのは皮肉なものです。
こんな訳で私の実家が金持ちであるなんて完全にお局の誤解だったのですが、私は誤解を解くことはしませんでした。言ったとしても信じてくれないかもしれないですし、それどころか「ごちゃごちゃと歯向かって来た」と思われ火に油を注ぐのを恐れたからです。
初日の午前中に早速お局の洗礼を受けた私は、ひたすらにグリドンを仕分けることに集中して昼休憩までの時間をやり過ごしました。
(続きます。こんなに長くなるとは思っていませんでした。カァァァ〜〜ッ! お局め!!)