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それで死にたい  作者: こざかな しらす
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8

「おはよ、凪沙ちゃん。」


 凪沙は久々に睡眠不足に陥っていた。凪沙は気付いていなかったが、ベッドの中で頭を抱えていたらいつの間にか数時間経っていたらしい。


 いつもより三時間も少ない睡眠時間にぼうっとするが、陽子の声が聞こえるや否や、背中に伝う冷たい汗に叩き起された。


「あ……。」


 もしかして昨日、あのメッセージに返事をしなかったことに対して腹を立てているんじゃないか。


 あたし如きに無視をされたと思って、気を悪くしているんじゃないか。


 凪沙の頭の中はぐるぐると後ろ向きに回っていた。なかなか陽子の顔を見ることが出来ない。もし怒っていようものなら、さすがにここには居られない。凪沙を隅に追いやるように、きっと、凪沙のことを悪く言って回るのだろう。


 慣れていた。慣れたくはないけれど、慣れざるを得なかった。悪口を言われることも、陰でくすくす笑われることも。

 直接聞いたことが訳ではなく、面と向かって何か言われたこともないが、凪沙はきっとそうなんだろうと何故か思い込んでいた。

 誰もが振り返るほどの美貌であったら、誰もが羨むほどの長身痩身であったなら、何か違っていたのかもしれない。


 しかし実際のところ、凪沙にとってそんな都合の良い話などここには無い。

 決して不細工ということはない。太っているということもない。だが何処にでもいるような日本人顔で平凡な体付きのコンプレックスに塗れた凪沙は、悪口も笑われることも受け入れるしか残されていないような気がしている。


 けれど陽子はそんなネガティブな覚悟を決めた凪沙の前に身を乗り出して現れた。

 手には小さな紙袋を提げていて、中身をおもむろに取り出して見せた。バーバリーチェックの小さな包みだ。


「私、今日お弁当なんだ。」


 陽子の言葉は、いつも凪沙の斜め上を行く。

 その言葉の意味が、ただの報告なのか。それとも、凪沙と一緒に食べる気でいるのか。凪沙には分からない。


 けれど陽子の口元はいつもと同じ笑みをたたえていたものだから、先程までの覚悟は無意味なものだったのだろうと内心ほっとする。

 そんな変わりのない陽子に、凪沙もただの相槌なのか、その真意を汲み取ったのか、それが伝わらないように一度だけ頷いた。


 その後の数学の授業も英語の授業も、凪沙の頭にはなんだか上手く入ってこなかった。

 昼の時間がほんの少しだけ楽しみだからなのか、それとも憂鬱だからなのか、緊張するからなのか。凪沙は言葉にしろと言われてもきっと上手くは言えない自信があった。


 陽子の存在は、凪沙を普通の女の子に変えてくれる。しかしそれと同時に、光と影のような違いを痛感させられるものでもあった。


 四限の終わりを告げるチャイムが校内に響き渡る。凪沙達のクラスは移動教室で、化学の授業を受けていたところだった。これが終わって教室へ戻れば、凪沙は陽子と過ごすはずだった。


 しかし教室へ戻って席に座ってみれば、辺りはしんと静まり返っていて、そこには凪沙といつもの大人しい二人組しか存在していなかった。


 まるで昨日が夢だったかのように、凪沙の右隣はぽっかりと穴が空いたように冷たく、凪沙を嘲笑うようだった。

 崖から突き落とされたような酷い心地がする。心臓が胸を突き抜けて剥き出しになったまま、冷たい風が吹くような、心が乾いていく感覚。


 陽子に裏切られたのだ。


 瞬きも忘れて、ただひたすら心が枯渇していく時間に身を任せた。

 結局は凪沙の思い込みにすぎなくて、あの陽子の言葉はただの報告であり、陽子にとっては単なる雑談に過ぎなかったのだと確信した。


 けれど凪沙の心は、深く傷を負ったような苦しみに苛まれる。裏切られたなどと被害者ぶるのは良くないと分かってはいても、断ち切れない思いが蔦のように貼り付いて心を蝕んでいく。


 凪沙は陽子との時間がどれ程楽しみだったかを嫌と言う程思い知らされた。心のどこかで、何かを期待していた自分と直面してしまったのだ。

 そんな自分など、知りたくはなかった。


 きっとそんなに時間は経っていない。けれど凪沙にとっては鏡越しの自分自身と会話をさせられているような、残酷なほど長い時間に思えて仕方が無かった。


 こんな惨めな気持ちになるくらいなら、連絡先なんて交換しなければ良かった。

 あの時間を過ごさなければ良かった。

 どこかへ行け、と強く突っぱねれば良かった。

 後悔した所で過去は変えられないが、今の凪沙は昨日に戻りたい一心だった。


 けれど凪沙はそんな時でも現実主義者の一面を覗かせる。諦めたのだ。淡い期待を抱いた自分を責めるのを止め、小さく溜息をついた。こんな時でも腹は空く。


 やや乱暴に弁当箱をひっぱりだすと、かぶりつくように食べた。

 好物のものばかりなのに砂を噛んでいるような感覚。

 口の中で粘土を捏ねるような不快感。


 決して母親の味のせいではない。自分のせいだ。泣き出しそうになる感覚と共に飲み込む。だが、それ以降箸はなかなか進まない。


 ぱたぱたと廊下を走る音が聞こえる。歩幅は狭いが、何やら急いでいるのが窺える。

 凪沙はそんな音には目もくれず、ただ弁当を見つめていた。


「凪沙ちゃん!」


 足音は凪沙のいる教室の前で止まり、それと同時に勢いよく開けられた扉から名前を呼ぶ声がした。思わず視線をそちらへ向ける。


「メールしたけど、見てない?」


 凪沙を裏切ったはずの陽子が、息を切らしながら立っていた。


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