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それで死にたい  作者: こざかな しらす
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 おろしたての真新しいセーラー服は清々しい程良くあるデザインだ。紺色の襟は皺無く、真っ直ぐに入った白い二本のライン。乱れのない均一なプリーツスカート。清楚で計算し尽くされたシルエットの美しさ。


 だが、その美しさを身に纏っている当の本人は、そんな事を考えたことなど一度もないようだ。

 彼女の足元は爪先側にほんの数箇所、小さく傷の付いたローファーで守られているが、そのちぐはぐさにも彼女は気付いていない。


 黄色い自転車の前籠に通学鞄を無造作に投げ入れ、無心でペダルを漕ぐ。

 彼女には、他に考えることが山程あるのだ。


「……ただいま。」


 引越し前、角島家は築十八年、四階建てアパートの二階住んでいた。

 凪沙は一人っ子なので辛うじて自分の部屋はあったのだが、凪沙はその家があまり好きでは無かった。

 部屋が狭いこと、駐輪場が外にあること、近くにコンビニがないこと。

 余りにも単純な理由だった。


 だから今の家に越して来た時、凪沙は珍しく、嬉しさに顔を綻ばせて感情を露わにした。

 アパートではなくマンションと呼ばれていて、七階にある部屋は綺麗で、何より広く、駐輪場は場所が指定されていて混雑していない。

 一番お気に入りの会社のものではないが、コンビニも徒歩二分の場所にある。


 ついでに少しだけ家具を新調したのもあり、自分のちょっとした不満が全て解消され、一週間ほどご機嫌だったのだ。


 けれど、凪沙の声は元気があるとは言えない。

 何故なら彼女は、その理想の家で考えなければならないことが山程あるからだ。


「おかえりなさい、……どうだった? 学校は……。」

「ん、まあ……。」


 凪沙は想像していた通りの母親による問い掛けが聞こえているのか不安になるほど曖昧な返事をした。

 それが返事になっているかは定かではないが、彼女の母親はその鼻から抜けたような感情の無い声で察した様で、大きめの氷が三つと緑茶の入ったグラス二つを黙ったまま、無垢材で作られたダイニングテーブルの上に置いた。


 そうしてぼう、と立ち尽くす凪沙を見つめた後、まるで手本を見せるかの様にゆっくりと椅子を引き、沈んでいくように腰を下ろす。

 凪沙はそれに気付く素振りも無かったが、丸っきり同じ動作で椅子に座ってみせた。


 壁掛け時計の針の音だけが響く。

 チクタク、チクタク、というような振り子時計の可愛らしい音ではなく、小さくカツ、カツと無機質な音を狂うこと無く響かせる。

 凪沙の母親は、この静寂の中で響く音にはすっかり慣れ切ってしまっているようだ。


「……話し掛けてくれた子が、居てさ。」


 凪沙はその時間、まるで石の様に固まっていたが、急に呪いが解けたかのようにグラスに手を伸ばし、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 凪沙の母親は、それを当然の様に受け入れ、ゆっくりと頷きながら話を聞く。

 凪沙のこの一連の行動は、全てにおいていつも通りのことなのだ。


「なんか……名前が綺麗だって……。それで、別に何か話したとかじゃないんだけど……。」


 グラスに付いた雫を親指で拭いながら、次に繋がる言葉を考える。

 なかなかに難易度の高いパズルゲームを前にした時のように、明後日の方向を見ながら考え込んでいた。

 しかし凪沙の唇は、彼女が思うようには上手く動いてはくれない。 


 そのもどかしさを孕んだ沈黙の中で凪沙は、出来るだけ悟られないよう母親の顔色を伺った。凪沙はどんな時でも人の機嫌を気にして生きている。

 そんな娘を気遣ってか、彼女の母親は持ち上げたグラスにそっと口をつければ、彼女の不安を優しく払拭するように行儀良く緑茶を飲む。


「……お母さんは嬉しいよ。一生懸命考えて名付けた甲斐があるってものね。その子はどんな子なの?」

「……新沼陽子にいぬまようこちゃん。」


 その姿に安心を得た凪沙は、あの瞬間からずっと頭の中を巡っていた名前を堪らず口にした。



 凪沙の名前を褒めた少女。

 自己紹介の時、小さな声で凪沙を応援したあの少女の存在は、無気力な凪沙にとって大きな衝撃だった。


 結局凪沙はあの後、嘘ではないものの在り来りな、良くある"転入生"としての"角島凪沙の自己紹介"をなんとか終わらせ、担任の女教師からギリギリの合格点を貰うことが出来た。

 致命傷は免れたのだ。


 だが今回ばかりはそれだけでは終わらなかった。

 この時凪沙の頭の中では他人からの評価など心底どうでも良く、ただ右隣の少女の自己紹介を早く聞きたくて、知りたくて、堪らない。それだけだった。


 自分の名前を綺麗だと褒める少女の名前が知りたかった。

 あの状況で、自分に対して言葉を掛けてくれた少女のコンプレックスが垣間見える部分。

 凪沙は、その少女のコンプレックスを知ってみたかった。


 下衆と言われても仕方が無いのかもしれないが、そんなものは誰にも知られなければどうということはない。

 誰の気持ちもどうでもいいまま、凪沙はついに彼女の名前を知った。


 黒い髪は胸元あたりまで真っ直ぐ伸びているが重さを感じさせないのは彼女の髪がきちんと手入れされているからだろう。

 凪沙はその時初めて、彼女をまじまじと見つめた。

 血色の良い肌で、化粧や美容に疎い凪沙はそのつるんとした肌が化粧品で造られたものなのか天然のものなのかは分からなかった。

 少しオレンジ色がかった荒れの無い唇も、ぱっちりと幅の広い二重瞼だが丸く少し垂れている目元も、綺麗に揃って上を向く睫毛も、全てが凪沙とは違っていた。


 そんな彼女が元気に挨拶すると、周りは待ってましたと言わんばかりの拍手を彼女へと捧ぐ。

 どう見ても、人気者のそれだった。


 凪沙は食い入るように陽子を見つめた。

 映画を観るのが好きで、歌を歌うのが好きで、絵を描くのも好きで、本を読むのも好きで。その上更には運動することも好きらしい。

 今は料理をすることが好きで、作った料理やお菓子を友達や家族と一緒に食べるのが楽しくて好きなんだそうだ。


 機嫌が悪そうにしていた朝とは打って変わって、にこにこと笑顔で話す彼女は同性の凪沙から見ても可愛らしく、彼女が宜しくね、と言えば教室はまたしても大きな拍手に包まれた。

 爽やかで嫌味のない女性らしさが人を惹き付けるのだろうと凪沙は思った。


 だがそれと同時に、人としての違いをまざまざと見せ付けられたようで、少しだけ苛立っていたのも事実だ。


 あの女の子が、毎日、右隣の席に居る。

 それが凪沙にとって嫌なのか、それよりも何故だか少しだけ嬉しいような気がしてしまうのか、分からずにいた。


「……凄く女の子、って感じがして……あたしと真逆、って感じの子。」

「凪沙だって充分女の子らしいわよ。」

「そういうんじゃなくて、なんていうか……理想の女の子って感じ。」

「良かったじゃない、悪そうな子じゃなくて。」


 胸の前で手を組みながら楽しそうに話していた彼女は、それがまた似合うものだから、きらきらと輝きを放っているように感じた。


 確かに悪そうではないが、自分にとって悪くはないのかは分からない。

 凪沙は彼女の姿を思い出しては憧れからなのか憂鬱からなのか定かではない溜息をついて、グラスに入ったお茶を一気に飲み干した。

その冷たさが食道を通って、胃の形が分かるようにじんわりと広がると、小さく腹の虫が鳴る。

 母親はそれに気付き、ちらりと時計を見た。

 時刻は午後の一時を過ぎた所だ。


「あら、もうこんな時間。お昼、サンドイッチにするわね。すぐ出来るから着替えてらっしゃい。制服、きちんとハンガーに掛けるのよ。」


 凪沙は冷えた胃の気持ち悪さと思考をかき消すように、大きく頷いた。

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