第4ヴ 「いちまんえん」
シオリ「ニロウさん、今日学校帰りにちょっと買い物に付き合いなさい」
二郎「わかった、じゃあ16時に校門前でいい?」
シオリ「それじゃあその時間に迎えにいくわね」
――16時ちょっと前
ニロウはひとり考えていました。
――まあ、いつも通り荷物持ちなんだろうな。でも学校帰りっていうのは初めてだけど。
道の向こうからシオリがやってくるのが見えました。
二郎「あー、姉さん」
ニロウは手を振ります。
シオリは振り返します。
二郎「……姉さんがこっちに来る様子を見ているのも何か変な気分だ」
――
――
シオリ「行きましょう」
二郎「うん」
――てくてく
二郎「……姉さん」
シオリ「DVDプレーヤーを買うのよ」
二郎「なるほど、DVDプレーヤーか」
シオリ「ウチにはまだないでしょ? 必要なかったもの。だけどこの時代そろそろVHSだけではやっていけないことに気付いたのよ」
二郎「なるほど、確かに家電を持たせるのなら俺がいた方がいいね」
シオリ「さすが私の弟だわ、理解が早いわね。夕飯の材料と家電を両手に持っていたら職務質問されかねないもの」
二郎「それは警察にビビり過ぎだよ、姉さん」
シオリ「冗談よ」
二郎「でも姉さん」
シオリ「何?」
二郎「DVDの時代もラストスパートじゃない?」
シオリ「……」
二郎「……」
シオリ「そんなことわかっているわよ!」
二郎「――キレた!」
シオリ「ほら」
二郎「……え、なにこれ、一万円札?」
シオリ「今日の予算よ」
二郎「……いちまんえん」
シオリ「それで、それで足りるのであればHDDレコーダーでもブルーレイでもテレビデオでもなんでも買ってしまえばいいんだわ!」
ニ郎「姉さん……」
ニロウはこのとき心を深く痛めました。
――俺は……なんて愚かなんだ。
――姉さんは全部わかっていたんだ。わかっていた上でDVDプレーヤーと言っているんだ。
よく考えてもみろ、カセットテープで音楽を聴いてる人は多分絶滅したがCDはギリギリ健在だ。
"我が家がDVDプレーヤーを買うこと"……これが大きな躍進であることはまず間違いないんだ。
しかし、テレビデオってまだ売っているのかな……。
二郎「姉さん、俺が悪かったよ、考えが浅はかだったよ」
シオリ「贅沢は敵よ」
シオリ「でも私も少し感情的になってしまったわね、ごめんなさい」
――てくてく
二人は無言でしばらく歩きました。
ニロウはブルーレイプレイヤーを買うことは今の時代、別に贅沢ではないのではないかとも思いましたが、一万円という予算を考えるとやっぱりDVDでいいやと思いました。
――てくてく
二人はずっと無言で歩きます。
しかしこの無言は気まずい無言ではなく、ピリオドの向こう側にあるユートピア的な無言でした。
……意味がわからない人だし怒ると怖いけど基本的にいい人だよな、姉さん。
ニロウは思い出します。
それは以前シオリの買い物に付き合わされたときのことでした。
――
――
デイヴ「ヘイヘイ、オネーチャン」
シオリ「私ですか?」
デイヴ「イエス、アノー、ナントイイマスカー」
シオリ「オウ、イエイ、アイスピークイングリッシュ」
デイヴ「マジカヨー!」
ニロウとシオリが歩いていると外国人の方が尋ねてきたのでした。
シオリ「ペラペラペラペラ」
デイヴ「ペラペラペラペラ」
シオリ「ペラペラペラーラ」
デイヴ「マイガッ!」
シオリ「HAHAHA~」
デイヴ「ペラーラ」
シオリ「ペララン」
デイヴ「テンキュー」
シオリ「ヨウアウェルカム」
デイヴ「サヨナラー」
シオリ「グッドラック!」
――
――
シオリ「おまたせ」
二郎「姉さん相変わらず英語ペラペラだよね。どんな話してたの?」
シオリ「こんな話よ」
――
――
デイヴ「ビナウォークにはどう行けばいいんだい?」
シオリ「ビナウォーク、まさかあなたビナウォークに行きたいの?」
デイヴ「そうなんだよ、でもこのあたりよくわからないんだよ」
シオリ「オーウ、デイヴィッド、あなたビナウォークがどこにあるのか知ってる?」
デイヴ「もちろん。神奈川県の海老名にあるんだろう?」
シオリ「デイヴィッド……ここは神奈川じゃなくて金沢なのよ」
デイヴ「なんてこった!」
シオリ「ハハハ、ごめんなさいデイヴィッド今のはジョークよ、本当は電車で5、6駅のところにあるわ」
デイヴ「おいおい、ネーチャン、俺の国だったら一発ブチかましてたところだぜ?」
シオリ「デイヴィッド、ここは日本なの。それともあなたの国お得意のジョークかしら?」
デイヴ「全く、女ってのはどこの国でもおっかないんだな」
シオリ「はい、乗る駅と降りる駅はここよ、これで大丈夫?」
デイヴ「ああ、恩にきるぜ」
シオリ「どういたしまして」
デイヴ「じゃあなー」
シオリ「元気でねー」
――
――
シオリ「という感じよ」
二郎「姉さんめちゃくちゃテンション高くない!!?」
シオリ「郷に入れば郷に従え。英語には英語のテンションがあるの」
二郎「いや、郷って言ったってここは日本じゃないか」
シオリ「浅はかだわ、とても浅はかよ、ニロウさん」
二郎「どういうこと?」
シオリ「いい? あの方は、デイヴィッドは私に郷を提供してくれたのよ。あなたには見えなかったのかしら?」
シオリ「そう、そこにはカリフォルニアのオレンジ色の大地が広がっていた」
二郎「カリフォルニア???」
シオリ「そう、つまり、あの一帯は日本ではなかったのよ。あの一帯には彼の母国の空気が流れていたわ」
二郎「それで、デイヴィッドさんの母国のテンションに合わせたんだね」
シオリ「そういうことよ」
二郎「生意気言ってごめん」
シオリ「ニロウさんも気を付けてね」
――
――
――姉さん教養と思いやりがあって、やっぱりいい人だ。
カーミル「ヘイヘイオネーチャン!」
シオリ「私のことですか?」
この日も外国人がやって来ました。
二郎「またかよ」
シオリ「ちょっと待っててね」
――
――
シオリ「お待たせ」
二郎「今のはどんな話だったの、ていうか何語?英語じゃなかったよね」
シオリ「タミル語よ、焦ったわ。こんな話をしたの」
――
――
カーミル「すいません、油田はどこにありますか?」
シオリ「油田? おととい来やがれ」
カーミル「おととい……そういえば僕が日本に来たのはおとといだが……まさか、おとといまで僕がいた国のことを言っているのか? 確かに、あの国には油田があったが……そうか! 自分の国に帰れということか!」
シオリ「そう、日本から油なんて出ないわ」
カーミル「なんてこった、日本には観光で来たがそんなこと知らなかったよ」
シオリ「それなら無理もないわよ。さっきは出ないと言ったけれど、もしどうしても油田が見たかったら新潟県に行きなさい、ちょっとだけなら油がでるわ」
カーミル「なんて親切な女性なんだ! 是非私の嫁に来てくれ!」
シオリ「ノーセンキューよ!」
――
――
シオリ「という感じよ」
二郎「……」
シオリ「タミル語は少しかじった程度だったから焦ったわ、日用会話レベルでしか話せないもの」
二郎「いや、明らかにさっきの会話の内容は日用会話レベルじゃないでしょ!?」
シオリ「あなたがタミル語の何を知っているというの?」
二郎「あの……ちょっと待って、姉さんはいったい何ヵ国語話せるの?」
シオリ「日本語も含めていいんでしょ?ええと、三ヵ国語だわ」
二郎「すごっ。日本語、英語……あとは?」
シオリ「エスペラント」
二郎「エスペラント」
シオリ「国際語として作られた人工言語よ。もっとも、英語の普及度には全然及ばないのだけれど」
二郎「ちょっと待った、タミル語は?」
シオリ「え、だから日用会話レベルでしか話せないわよ?」
二郎「あの……じゃあ日用会話レベルで話せる言葉も含めたら何ヵ国語話せるの?」
シオリ「それは……言語の定義にもよるわね」
二郎「……」
ニロウは言葉を失いました。
シオリ「さあ、もういいでしょう。買い物に行きましょう」
二郎「……」
そんなこんなでニロウとシオリは買い物をうまい具合に済ませました。
――
――
――夜
――ニロウの部屋
俺は姉さんを少し甘く見ていたようだ。すごい人だとは思っていたけどあそこまでとはな。あ、そういえば今日買ったDVDプレーヤー、あれDVD-Rには書き込めるみたいだけどDVD-RWには対応していたっけ?
ニロウはシオリの部屋を訪ねることにしました。
二郎「姉さん」
返事がありません。
二郎「……入るよ?」
――ガチャリ
二郎「姉さん、今日買ったDVDプっ――なっ!?」
シオリの部屋のテレビデオには買ったばかりのDVDプレーヤーが接続されていました。
買ったばかりのDVDプレーヤーでは大人の男女が激しく共演する扇情的な映像作品が再生されていました。
二郎「ちょっ……姉さん!?」
シオリ「……んふ、好調よ」
二郎「じゃなくてっ、なんてものを見てるんだよ!」
シオリ「別にいいじゃない、大人なんだから」
二郎「いや……でも」
シオリ「ね、お父さん」
父「はい」
二郎「父上!!!」
父「ニロウくんも見たいのですか?」
二郎「いや、今日は遠慮しとくよ。ていうかなんで父さんがここにいるんだよ。あのさ、娘の部屋でAVなんか見るなよ!!!!!!!」
父「……」
父親の冷や汗は止まりません。
シオリ「大人なんだから普通よ」
父「そうです、大人なんです」
シオリ「大人なんだから」
父「大人なんです」
二郎「……」
――
――
二郎「なあテル、大人になるってどういうことかわかるか?」
輝「え、わかんないよ、僕まだ中ニだもん」
二郎「今のうちからよく考えておくことだ、それはとっても難しいことなんだ」
輝「……ふーん?」
ニロウが大人になるのはまた別の話。