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カタロニアの町議会が招集された。呼びかけたのはリットの父親であるガディ家の当主ラトフ。
議題は二つある。一つはカタロニアの町に入り込んだ蛮族について、もう一つはデモニック・オーガについて。
議員たちは円卓につき、一様にしかめ面をさらしていた。
この場にはガディ家の御曹司であるリットも参加している。彼自身は議員でないが、蛮族について最も知っている者として意見を述べるために参加が許されていた。
しかし彼には多くの議員からまず、軽蔑の目線が送られていた。彼がオフィリアという女性に逃げられたことはすでに知られている。一生の恥だ。
議員たちはリットを、貢いだ女に逃げられた情けない男と蔑視する。その目線に気づかないリットではないが、ここでは逃げも隠れもできはしない。
「御曹司」
議員の一人がリットに呼びかける。
リットは貴族の地位にあり、ガディ家の次期当主である。カタロニアで御曹司といえばまず彼のことを指す。ゆえに、彼はおおよその人物から御曹司と呼ばれる。その真意が皮肉であるにしろ敬愛であるにしろ、そこはオフィリアとの一件があってもから変わっていない。
「私は、ここに」
「うむ。早速だが、状況を説明してほしい。
私たちの町であるカタロニアに、蛮人が入り込んでいるということだったが。それから何日経ったのだ。もう幾人も見えないところで殺されているのではないか? ご婦人の貞操が奪われているのではないか?
また、この後に大勢でやってきてカタロニアが壊滅させられるというようなことは予見されるのか。
君の口から詳細な説明が必要だ。私たちがこれほどの不安を抱えているのだから、力なきカタロニアの民たちはなおさら不安であろう」
言葉通り、非常に不安そうな表情の老議員がそのようにリットの発言を求めた。
この場にはリットの父親であるガディ家の現当主もいるわけだが、息子に任せるつもりなのか、特に何も言わない。
「私はあの蛮人の起こす騒ぎを見て、実際に剣を交えました。今の段階で言えることは、かの蛮人、ヤズマの戦闘力は圧倒的であり、個人の力ではとても太刀打ちできないということだけです。
カタロニアの町の軍隊を持ち出したとしても、かなりの人数が犠牲となることは間違いないといえます」
「それほどの力を持っているのか!」
議員たちは驚嘆の声を上げる。ここまで、詳しい話を聞いていない者も多かったようだ。
「話では、ギルドで乱闘騒ぎを起こしたそうだが。数十人を瞬く間に殺してのけたそうだな?」
「な、なんと?」
リットの知らない話が何やら飛び出した。
そんなことがあったのか! と彼は仰天する。彼の見てきた限り、そのような行いをヤズマはしていない。実際そうだった。
つまり、ギルドにいた冒険者が噂を始めて、現場を見ていない者がまた聞きと拡散を繰り返すうちに尾びれがついてしまっていた。最初のうちは事実しか広まっていなかったが、フエルストを倒した衝撃が大きすぎたため、少しばかり盛って噂話を広める輩が後を絶たなかったのである。
当然のことながら、フエルストはとうに死んだことにされていた。彼は生き延びていたものの、蛮人に負けた恥ずかしさから冒険者としての名前を変更してカタロニアから去ってしまったため、噂が当人から訂正されることはない。
恐ろしいことに、この明らかな虚偽の塊の噂話は、真実味をもってカタロニアの住人に受け入れられていた。
ギルド職員などは真実を知っているようなものなのだが、この噂話をまるで否定しなかったからだ。
ヤズマならやっていそうだと思えたし、自分もギルドのすべてを見聞きできるわけではない。またギルドでないところでやっていたかもしれない。
そう考えて、そのようにギルド職員が返答すれば、それはもう新たな噂となる。
「ギルド以外の場所でも、殺戮を繰り返している」
これが広まるうちに場所が具体的なところとなるのだった。
「依頼帰りの冒険者に襲い掛かり、二十人以上の相手にかすり傷一つ負わずに壊滅に追い込んだ」
もちろん実際には何も起きていない。ヤズマはアーシャと笑って過ごしているだけである。
にもかかわらず、彼女の恐ろしい威圧的な外見と蛮人という響きはこのただの噂に説得力を与える。結果として、町議会の議員たちまでもが信じ切っているのであった。
「放置しておくわけにもいかんが、軍でもどうにもならんというのか?
御曹司、その蛮人はどのような戦い方をするのかね。君の見た蛮人のすべてを話してもらうぞ!」
焦りから議員たちはリットを質問攻めにする。このまま放置しておけば、身近な人間が殺されてしまう。あるいはまた、自らも殺戮の対象となりかねない。そのように考えるからだ。
「いや、しかし」
「しかしもなにもない。とにかく最初から包み隠さず話すのだ」
噂の真偽を知らず、断定もできないリットは証言を渋る。議員たちはそこをおして話せと迫る。
確かにこの中で直に、ヤズマを見たのはリットしかいない。彼は話すしかなかった。
「蛮人のヤズマは自警団を恫喝だけで戦意喪失させました。さらに私の剣をたやすくいなし、相手にもなりませんでした。
その身体能力は私の倍か、三倍はあると思われます。
サイクロプスの討伐をするはずだった冒険者のフエルストを無手のままひっくり返したほどの力ですから、ほんのわずかな間に数十人を打ち倒すことくらいは可能でしょう」
リットは自分の見たことと、予想を話す。噂については肯定も否定もしないつもりだった。
ところがヤズマを最も身近に見ている彼が「可能だろう」と証言した。この意味は非常に大きい。
「一人でサイクロプスをほぼ無傷で討伐するような女を相手に、軍隊なんかが何の役に立つのか!」
結論はすぐに出た。
現在行われているように、蛮族のヤズマを懐柔することに全力を注ぐ。以上である。
そうなるようにリットも仕向けたが、これは予想以上にうまくいった。普通なら不安がった彼らがヤズマへの懐柔に助力を申し出るはずである。しかしそれはかえって邪魔になることが予想されたし、いざというときの被害者も増える。
どうにかアーシャに情がうつってくれれば扱いやすくなる。そうした願いを込めて対応をしているのだから、余計なことをされては面倒くさい。
リットはうまくいって安堵していた。
「ふむ。まあ御曹司がそういうのならしばらく様子を見てもいいと私は思う」
「だが住民は不安がっているではないか」
「そうだな。それで、仮に軍隊を出して討伐したとして、その後の満身創痍の状態でデモニック・オーガを倒せるとお考えなのか」
リットの父親であるラトフ・ガディが最終的な判断を下した。
彼は決断の早さでもって、家を保ってきた。巧遅よりも拙速が必要な場面が多いということを知っていたのである。ところが彼は小心であった。普段ならば脅威が遠いため、彼の決断はおよそ正解でなくともそれに近いところに持っていかれる。ところがヤズマの力はあまりにも身近で、いつ自分たちに危害が及ぶかわからなかった。このために彼は極めて現実的な恐怖を感じ怯えており、ほぼ完全に噂話に惑わされている。
結果、彼はヤズマの処遇をすべて息子に任せることとなる。
「そうだった。蛮人のことも大いに脅威だが、デモニック・オーガによっても我々の町に被害が出ている」
「魔物としては10年ぶりの大物だな。だが、これにはもうギルドが対応しているのではないか? 莫大な報酬のクエストを配布したと聞いているぞ。
今頃は冒険者たちが奴の首を取りにいっていることだろう。そうでなくとも、報酬につられて優秀な戦士もカタロニアに来るかもしれん」
議題はもう一つのものへと移った。
「ギルドがしてくれてはいるが、我々がすべきことは何かないか? また10年前のように、軍が半壊するということになっては困るぞ」
「そうだな。蛮人に対応するためにも被害をできる限りおさえなくては。ギルドだけに任せるわけにもいかん」
「そうはいうが、クエスト報酬は2000金貨だ。これ以上上乗せする気か? 2000金貨が2050金貨になったところで大して変わるまい」
ギルドを助けるといっても、できることは限られている。町議会に出せるものはお金しかない。
あるいは。
「ならば、こちらから依頼を出すというのはどうだ? 今配布されているのはクエストにすぎないのだろう。
こちらから時期を決めて大規模討伐依頼にすれば、数多くの参加が見込める。早い時期にデモニック・オーガも討伐できるかもしれん」
「ほう、それはいい案ではないか」
「うむ。早々に脅威が減らせれば蛮人の問題に専念できる」
議員たちは名案だとばかり、賛成の意を示した。
緩やかな目標に過ぎないクエストであるより、依頼主のある明確な「依頼」としたほうが冒険者たちは参加しやすい。現状であってもその破格の報酬からクエスト達成の見込みはあるが、より早期の達成を見込んで議会から依頼を出す。しかも、大規模討伐依頼だ。
依頼を受ける冒険者たちの数に上限を設けず、さらに参加するだけで報酬が出るというこれもまた破格の依頼だ。冒険者たちの数に任せ、デモニック・オーガを一気に討伐してしまえる算段だった。
「よし、それでいくぞ」
ラトフも当然、この案に賛成していた。町議会は議題に対して結論を下し、閉会する。
こうしてヤズマのことはひとまず静観、デモニック・オーガに対しては討伐依頼を出すということが決まったのだった。
翌日。ヤズマとアーシャがギルドに顔を出すと、その場にいた全員がギクリと全身を硬直させた。
それには気を払わず、ヤズマは出されている冒険者向けの依頼書を確認する。何かいいものがあれば、依頼を受けるつもりだ。人々の役に立つものであれば、積極的に受注しておきたい。そうすることで、信頼も得られるだろうと考えているのだ。
依頼を探すヤズマたちに、冒険者たちの声が聞こえてくる。
「噂じゃドレロのところの動物を見てたらしい……」
「……いずれはあの農場も全部殺しつくされるのかもしれないな」
「誰か早いとこ討伐しようってやつはいないのか……」
ざわざわと聞こえるその声は、怯えたようなものになっている。おそらくデモニック・オーガのことを言っているのだろう。
最近、噂になるような存在は他にないだろうし、ドレロもデモニック・オーガのことを気にしていたからだ。それに冒険者たちが恐れるようなものとなればそのくらいしかない。
そんなに恐ろしい魔物なのか。確か、軍隊が半分も被害を受けたと言っていただろうか。カタロニアの軍隊の規模はどのくらいになるのかわからない。しかしデモニック・オーガの力がすさまじいことはよくわかる。
アーシャがヤズマのマントを引っ張った。何か言いたいことがあるらしい。
「いい依頼、あった?」
「いいえ、ヤズマ様。大規模討伐依頼が配布されています」
少し焦った様子のアーシャが、該当の依頼書らしいものを指さしている。
「それ、なんだ?」
「えっと、みんなで討伐依頼を受けようということみたいですね」
説明をうけるが、ヤズマはうまく理解できない。
「参加したい人は明後日の午後からこのギルドに集まれと。そこで集まった限りの人数でもって、デモニック・オーガの討伐を目指すみたいです」
「みんなで、狩りにいくのか?」
「だいたいそんなところだと思います」
ヤズマの理解はおそろしく端的である。
大規模討伐依頼の実態は、大多数の冒険者が共同で討伐依頼を受けるというところにある。集合場所、討伐時期などを決めてしまうことで参加しやすくし、数の力で討伐を成功させようという狙いがある。参加するだけで最低限の報酬は受け取ることができるため、大規模討伐の成功率は高かった。
このデモニック・オーガの大規模討伐に関しても、成功の見込みはあった。
まず破格の報酬につられて、フエルストにもひけをとらぬほど腕のある戦士たちがすでに参加を決めている。それが知られれば、それほどの実力のない冒険者も安心して参加するようになった。強い冒険者が参加してくれるということなら前線は彼らに任せることができるわけであり、弱い冒険者たちもそれほどの危険を受けないからである。それでいて参加報酬はもらえるし、役割もしっかりあるので仕事もしないで報酬だけ持ち逃げなどという謗りも免れる。
この依頼が来てからまだ一日も経っていないが、カタロニアの冒険者たちはほとんどがこの討伐依頼に参加することを決めていた。
「ヤズマ様も参加されますか?」
「いや」
みんなで行くのなら、討伐の成功率は高い。ヤズマは自分が恩を売ることには積極的になりたいが、他人の仕事を奪うことは好まなかった。
サイクロプスを倒しに来たというフエルストに難癖をつけられたことは記憶に新しい。
そういうわけで、ヤズマとしてはこの大規模討伐には参加しないことを決めた。
明後日の午後には、討伐隊が行く。それなら問題ない。不安に震える人々も、すぐに救われるだろう。
「他に何か依頼、ないか?」
「そうですね、大規模討伐の邪魔をしないためでしょうか。依頼の数自体が控えめです。あ、でも、ドレロさんが手伝いを募集してますよ」
「それ、受ける」
「わかりました」
ヤズマは全く無関係な依頼を引き受けて、ギルドを去った。
それを見送った冒険者たちは安堵の息を吐いたのだった。蛮人のヤズマも一応は冒険者である以上、大規模討伐に参加してくる可能性があった。そうなると、彼女がオーガとぶつかってくれた場合には頼もしいが、そうでなかった場合は不安しかない。
背後から蛮人に襲われ、殺されてしまう可能性が高いのだ。大規模討伐は往々にして乱戦状態になる。どさくさに紛れて蛮人が冒険者を殺戮しないと誰がいえるだろう。
そうした事態が回避された。これによって冒険者たちは安心して大規模討伐に参加できる。