44
ヤズマは氷のように研ぎ澄まされた心で、敵を見つめていた。いつでも打ちかかることのできる姿勢を崩さず、しっかりと足を踏んでいる。
脇で展開される舌戦などはどうでもいいことになり果てていた。一度言ってやったのに、彼はあまり真面目に聞いてくれてはいなかったので、敵の言い分を理解しようと努めるのは放棄したのである。相手の言っていることは難しすぎてわからない。わからないことを考えたところで、無駄なのだ。
そうした部分は切り捨てて、実をとるべきだとヤズマは考える。
目の前にいる男は、敵なのだ。町のために頑張って、自分にもよくしてくれたサフィーに大怪我をさせたのである。
ヤズマはこの男がギルドマスターであるとは知らない。何しろ、ギルドには頻繁に顔を出していたが、それを知るにはカタロニアへの滞在期間が短すぎる。一度でも見かけた際にリット・ガディやサフィーに訊ねていれば判明していただろうが、そうはなっていなかったのだ。
一度ラトフが彼のことをギルドマスターと呼んではいるが、そのときもそして今も、ヤズマはそうしたことに注意を払えるような状況でなかった。だからいまだに彼女にとってバリュクは、突然しゃしゃり出てきてサフィーを傷つけた敵なのだった。犯罪者、というくくりですらない。敵であった。
サフィーが彼を信頼していたようなそぶりを見せたからだ。この男は、少なからず信頼されていたというのにそれを利用してサフィーに近づき、無防備な彼女の足を砕いたのだ。とんでもない裏切りであり、決して許されないことだ。捕縛して終わり、などではおさらまない。滅ぼすべき、敵として認識された。
張り詰めた刃のような、殺気すら放つ緊張感の中にヤズマはいる。
その隣にリットが立ち、彼女に指一本でも触れさせはしないと叫ぶ。
同じようにユマが進み出て、男を指さして決して許されない罪を犯したと告げる。
ヤズマはぴくりとも動かなかった。リットやユマへ視線を投げることもない。敵がスキを見せるのをただ、待っているのだ。
バリュクを殺して、あとから何か罪に問われはしないのか。などということも最初から考えていなかった。敵は殺して当然のものだ。ロウライクに手加減しなかったように、彼にも手加減しない。倒すだけだ。
実のところ、心配は無用だ。バリュクが大剣を肩にかけている段階で、彼は殺されても文句を言えない。こちらを殺す気でいるのは明白だからだ。心臓を一撃で貫き、バリュクを殺したとしても緊急避難や正当防衛が成り立ち、ヤズマが罪に問われることはない。
「ヤズマさまが、姫!」
ユマの言葉に、リットが驚いている。他の冒険者たちも、レイも、その一言に驚いていた。彼らにとっては新事実である。
「ヤズマは我ら一族、族長の娘。彼女を馬鹿にするということは、我ら一族をあざ笑ったということ」
専属のユマは自分の弓を構えて、矢をつがえてみせる。
「おまえの意見が通らば、一族はカタロニアを敵とみなす」
きっぱりと、ユマは宣言した。これに背筋が凍らなかった冒険者は、ここにいない。
クルミー族、蛮族。たったの12名でこれほどの活躍をしてのけるような、恐ろしい戦士たち。その一族全てが、カタロニアを敵とみなすのだ。
おそらく、皆殺しにされるだろう。
たった一人の蛮族が入っただけであれほどの騒ぎになっていたカタロニア。その、何十倍の恐怖。
しかも、今度は勘違いなどではない。本気で殺しにかかってくるのだ。敵には全く躊躇しない、本物の蛮族として武器を握ってくる。そんなものに耐えられるはずもない。
もしもこの弓使いの蛮族のいうことが本当になったのなら、カタロニアは終わりである。地図からの消滅が確定する。
(何を言っているのかはよくわからなかったけれど、ヤズマのことをふしだらだと蔑んだのはわかった。
そんなことを言うのは絶対に許せないし、場合によってはこいつを生かしておかない)
しかしながら、実のところユマはバリュクの一言が許せなかっただけだ。
別に一族の若者たちに合意をとったわけでもないが、ここにいる一族は全員ヤズマのことを好いている。彼女を救うために命をかけてカタロニアに来ているのだ。事情を話せばすぐさま同意してくれるだろう。
つまり、「おまえの意見が通らば」というのはヤズマが尻の軽い女であるという部分だけだ。それ以上のことをユマは理解していない。
これが冒険者たちにはわからない。
よって、レイたち冒険者たちは大慌てをすることになり、その心情は
(まずい……、ヤズマは冷静だが一族の者たちが激怒している!
早いところバリュクを追い込んで、彼の意見は決してカタロニアの総意でないと示さねば)
といったものになる。
ほんのわずかな間に、情勢が逆転した。たとえバリュクの意見の方が正しいとしても、こうなってしまっては誰も彼に味方するわけにいかなくなった。同意したが最後、カタロニアの町ごと自らの命までも消滅することになりかねないのだ。
ギルドマスターのバリュクに、舌戦での勝ち目はなくなってしまった。彼もそれを正しく判断する。
策の失敗にわずかに唇を歪める。
(ちっ)
舌打ちをしかかった、その一瞬。
小剣を構えたヤズマが猛烈な速度で突進をかけた。バリュクが緩んだわずかな間を狙い撃ちした、完璧な攻撃である。
「ぬん!」
それでも歴戦の元冒険者は、大剣を構えて防御する。鈍い金属音とともに火花が散り、彼の身体も勢いに押し出されかかるほどだった。
足を踏みしめてこれをこらえ、剣を突き出す。大剣は邪魔なので地面に突き刺し、腰から取り回しに有利な通常サイズの片手剣を抜いている。
ヤズマは難なく反撃をいなし、再び小剣を繰り出す。
素早い連続攻撃でバリュクを追い込もうとするも、これをバリュクは防いでみせた。が、剣戟の鋭さ、速度、どれをとっても超一流同士の戦いであることが知れる。
あまりにも、次元が違う戦いだった。
ユマは弓を構えていたが、矢をいるスキを見つけることもできない。リットも入り込む余地がない。そこにいると危ない、とばかりにヤズマが彼を押しのける場面さえもあった。
「ヤズマさま!」
かばわれたリットは不安そうに彼女の名を呼ぶものの、どうすることもできない。
彼はまた、新たに判明した事実に動揺している。御曹司は勇気ある人間であるが、戦士ではなかったし、俗人でもあった。
指一本触れさせんとか格好つけたことを言いながら、相手は一族を率いる族長の娘。姫さまだったのだ。一応リットも貴族なので不敬にはあたらないかもしれないが、クルミー族は内心でどう思っているやら。
そのあたりが彼には怖かった。なにしろ勝手に恋仲ということにまでされているのだから。
もしもクルミー族が姫に対して無礼を働いたリットを排除しようとしたのなら、2秒もかかるまい。
(どうしてこんなことになったのか。なんとしてもヤズマさまには勝っていただき、誤解を解かねば。
私がヤズマさまに並ぶほど立派であれば、その必要もなかったかもしれないが)
ヤズマが負ければいいと考えないのは、クルミー族がカタロニアを敵とみなすと宣言しているから、だけではない。
御曹司は自然に、一族の姫であるとかはほぼ無関係に、ヤズマを認めつつあった。
また、オフィリアという女のことをいまさら思い返すほどには、意識しつつあった。無敵の活躍を続けて、見る限りは無欲に人々のために奉仕するヤズマという蛮族のことを。彼女こそは、彼女こそは身分高き者の規範だ。自分とは違う。オフィリアに逃げられ結婚もできず、カタロニアの政治でもほとんど何の役にも立たない自分のようなものとは。
リットは情けなさに瞳をうるませてさえいた。
ヤズマが本当に野蛮で殺人嗜好の一族だと思い込み、何とかしようと取り入る方向に決めたのは、彼自身である。今ではそれが間違いであったとはっきり言える。もう、御曹司のリットはヤズマのことを野蛮であるとは思っていない。考えてもいない。
そのように考えて行動していたことを、後悔すらしている。
彼自身がヤズマのためにつけた使用人のアーシャが、ヤズマのことを本気で気に入っている。幼子の目は正直だし、素直だ。その目が選んだのだ。さらにはデモニック・オーガからリットのことを守ってくれさえもしている。
ほんとうに多大な貢献を、ヤズマはしてくれているのだ。カタロニアにも、リット個人にも。
自分とは比較にならぬほど、尊い人である。自分が卑しく下賤な人間であると思えてしまう。彼が建前として口にしてきたことが、本音にすり替わりつつある。その尊い人にご恩を返さねばという思いが湧いた。
だというのに。
(指一本、触れさせるもんかなんて言っておいて。守られているのは私か!)
ここまできて、何もできないとは。
迷惑すらかけているとは。
(だが、こいつの適当な物言いは許せん!)
必死にアーシャから言葉を習って、自分の覚えの悪さに頭を抱えているような、そんな蛮族があるものか。
カタロニアの料理を少しでも覚えると言って、楽し気に材料を抱えて帰ってきたヤズマが、この町を滅ぼしたりするものか。
あのような崇高なる女性が、使命をもってこの町に来たのだとするなら、それはもう和平のためとしか考えられない。
尊敬する。
また、彼女のことは好ましく思う。
だというのに、目の前の男は先ほど何を言ったか。今何をしているか。
リットは先ほど叫んだ言葉を、もう一度繰り返して気合を入れた。
「私はヤズマさまを敬愛しているのだ!
汚い手でヤズマさまに触ろうとするな……、下郎め!」
「ほう!」
激戦を繰り広げているバリュクがその声に反応する。彼はひょいと後ろへ下がって大剣を構えた。
ヤズマはこれを追わない。二人の間に、何人かの冒険者が横たわっているからだ。このままでは巻き添えにしてしまう。
「下郎とは言うじゃないか、御曹司。何を根拠にそんなことを言っているのかね。それとも単に、蛮族の姫様に骨抜きにされてしまっているのかな」
「お前はそういう適当なことをぬかして、またしてもヤズマさまを蔑んだ! もう我慢ならんぞ!」
「蛮族を蛮族と言って何が悪い」
リットは歯噛みをして、憎々しげに敵を見据える。
(こいつは、敵だ!
ヤズマさまのことをろくに知りもしないくせに蛮族だ蛮族だと、どこの口が言いやがる。こいつのほうがよほど野蛮だ!)
すでに怒りが限度を超えた。
御曹司は小さく舌打ちをしてから口を開く。
「御大層な能書き垂れてくれたな。たしかに私だって最初に会ったときはヤズマさまの格好をみて蛮族だと思ったさ。
しかしこれまでの活躍がただの策略の一部であったなんてことは、ここにいる誰もが信じまい。
彼女ほどに文化的で、筋をとおす人間が蛮族というならお前は何様だ。魔物以下のドグサレだ!」
「それは御曹司の受けた印象をもとにしただけの話だ。証拠も何もあるまい。
こちらには彼女を断罪するだけの根拠がある」
「面白いことをいう。だが根拠というのも所詮は状況証拠なのだろう。なんでも振りかざせばいいってもんじゃない。
こっちにはお前を断罪する物的証拠があるんだが」
もう少し違う状況で使おうと思っていたものだが、御曹司は懐の中から何かを取り出し、掲げて見せた。
黒い塊のような何かで、トウキビの汁のようにも見える。
「それは何です?」
ユマが険しい表情で質問を飛ばす。これにリットは攻撃的な笑みをうかべて、こたえた。
「こいつはギルドマスターの家から見つけてきた、生阿片だ! 動かぬ証拠だな、ギルドマスター!」
「ははは! そんなものを持ち歩いている君こそ薬物密造の真犯人だ。私に罪を着せようとしてもそうはいかん」
バリュクはとっさにうまく切り返し、自分が完全に悪いという空気にされるのを防ぐ。どちらにしても彼は冒険者らの敵となるしかないのだが、ここでは抵抗しておいたほうがいいと踏んだのだろう。
事実、御曹司は有効な反論がなかった。物的証拠さえあれば認めるだろうという読みが甘かったことは認めざるを得まい。
「この犯罪者どもがぁ!」
叫びながら、バリュクが大剣を腰だめにして大きく振り回した。
正義がどちらにあるのかわからなくなっていた冒険者たちが、三名ほどこれを受けて吹っ飛んだ。体を切断されるような者はなかったが、この一撃を受けたものは重症だ。リットの見る限り、一か月以上は立ち上がれまい。
「わははは! 正義は勝つのだ。蛮族に組して牢獄を襲撃した諸君らには、罰が必要だ。
多少手荒になっても、恨むでないぞ」
どうやらヤズマ相手では短期決着が難しいと判断したらしい。バリュクは狙いを倒れている冒険者たちに切り替え、彼らが立てぬようなけがを負わせていくことにしたのだ。
(なんてビビリな作戦だ。弱い奴から片付けようってのか)
レイは激怒した。あれが本当にカタロニアのギルドを束ねていたとは、考えたくもない。
手近に落ちていた槍を杖がわりにして足を立たせる。
同じように、必死になって立ち上がろうとする冒険者たちが増える。あるものは折れた剣を、あるいは弓を杖に。またあるものたちは互いに支えあって。生まれたての小鹿のようにふるえる足を踏ん張って、立とうとしている!
「お、おい! 無理して立ち上がったところで、奴に一撃でも入れられるのかよ! 立ち上がらなくていいからお前たちは逃げろ!」
御曹司が叫んだが、耳を傾けるものはなかった。そんな命令は聞けないからだ。
これはもう正義どうこうではない。損得の問題でもない。意地だ。
奴は理屈をこねまわし、語勢で押し切ろうとしているが、いくらなんでも冒険者たちを下に見すぎた。確かに彼らの大半は簡単な計算にも躓く有様だが、武人として数々の修羅場をくぐり、腕一本でわたってきた経験がある。
気骨ある冒険者たちは、この状況でほぼ同じ判断を下していた。
(蛮族たちの態度はヤバいが、そんなことは別にしても、明らかにギルドマスターの言っていることは嘘だ!
適当なことをぺらぺらと言ってケムにまこうってんだな!
俺らを有象無象と思ってバカにしてやがる! 目にもの見せてやらねえとくたばってられねえぜ!)
どうやって目にものをみせるのか、という部分は関係ない。とにかく立ち上がって、戦う。
あいつにかすり傷の一つでもつけてから死のう。
武人たる彼らはそうした思考でもって、立ち上がろうとする。
「寝てればいいものを、的が大きくなって楽になっただけだ」
バリュクは冷たく笑った。動じていない。
冒険者たちは歯を食いしばって立つ。
ヤズマは自分の小剣を捨てた。刃こぼれしていた小剣は、バリュクとの打ち合いでもうボロボロになっていたからだ。
(素手で挑むにはあの剣はさすがに邪魔。弓で撃つには素早い。何か手がなければ)
作戦を考える必要があり、敵から目は離さないが、攻撃にはいけない。ヤズマは戦いに行けなかった。
だが、小剣を捨てたヤズマを見たリットは不安になる。
「ヤズマさま、剣が!」
互角に戦っているように見えて、押されていたのか。
デモニック・オーガにとどめを刺すこともできるような剣がボロボロにされていた。
(やはり、ヤズマさまだけに押し付けていてはいけない。敵はギルドマスターになるような強い冒険者だったのだから。
冒険者たちも、ヤズマさまの仲間も疲労しきっているんだ。たぶん、いままともに動けるのは私とドレロだけだ)
御曹司は自分が行かねば、と決意を固める。
だがまともにいったところでまたヤズマの足を引っ張ってしまうのがおちだ。ではどうすればいいのだ。
「ヤズマさま!」
「だいじょうぶ。リット、きこえている」
何か指示があればという意味で名前を呼んだのだが、ヤズマは軽く振り返ってみせた。
その表情から、何かの作戦を考えていることはすぐにわかる。
直後、ヤズマはさっと左手をあげて、少し離れたところにいる蛮族たちに鋭く何かを叫んだ。
「ロズ、ダズマ、スヤウはこっちへ! ジュヤ、エワフゥ、シュグはあいつと遊んでやんな!」
「?」
もちろん一族の言葉で叫んだので、リットにはその内容がわからない。
しかし名前を呼ばれたクルミー族は素早く行動にうつった。疲れているはずなのにだ。それこそ、ここでヘバっている冒険者たちと同じかそれ以上の疲労があるはずなのに。
この指示をきいたユマがヤズマに何か言う。
「何する気、ヤズマ。みんな疲れているからジュヤたちはそんなにもたないはず」
「しってる。けど、あの男は私が仕留めたい。友達に怪我させた」
「そう。私は何をしたらいい?」
「ダズマたちと同じ、ここにいて」
話についていけないリットがどうしていいのかわからなそうにしている。
ヤズマはくるりと彼にも振り返って、口を開いた。
「リット。言ってなかったけど、わたしもいちおう、族長の娘。だまってて、ごめんなさい」
「そんなことは気にしません、ヤズマさま。皆もそうでしょう。
それより、あなたに剣を向けたあの男をどのように罰すればよろしいですか。あの男は許せません」
あっけない。
何事もないように、リットはヤズマの謝罪を受け入れた。受け入れたというより、そもそも謝られるようなことがない、という感じである。
ヤズマは笑った。ありがたかったし、リットからの信頼を感じたからだ。
「わたしに、考えある」