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「ユマ、そっちへいく!」
とりあえず、最も親しい友人の名を呼んでヤズマは彼らに加勢しようとする。
呼ばれたユマもすぐにこれに気づき、振り返る。
瞬間、
「ヤズマ!」
ユマが声を上げ、こちらへ走り込んできた。その表情はみるみるうちに歪み、瞳がうるむ。
それ以上の言葉を発することもできず、ただヤズマにとびかかり、彼女を抱きしめる。まさかそんな行動をとられるとは予想もしていなかったヤズマはされるがままになってしまった。
「よかった……生きてた! 生きていた」
「おう、ユマ。心配しすぎ。わたし、元気いっぱい」
放してもらおうとして、ヤズマは怪我のないことをアピールする。
しかしそれは逆効果であった。
弓の専属ユマは、なまじ多少下界言葉がわかるばかりに、通訳に専念させられてきたのである。ひとつの間違いがカタロニアとの関係を左右し、下手をすれば断絶まであるような状況だったのだ。自分の感情など後回しにしなければならず、ヤズマの心配などしている余裕もなかった。
だが、彼女はここまできて両手に血をつけたヤズマを見た。生きて動いて、無事な様子のヤズマ。
囚われの身となっていると聞いてから、どれほど心配しただろうか。二度と会えないのではないかと思いさえして、それを考える暇もなかった。
それらすべてが一挙に、ユマの心に流れ寄せてきている。今の状態を言葉などでは言いようもなく、まさしくもって、胸の中はいっぱいだ。ヤズマをぎゅっと抱きしめ、生きていることを確かめたいと思うのも無理はない。
しかし一方ヤズマとしてみれば、彼女たちに救援要請を出した覚えもなければ、自分が危なかったという自覚もない。よって、クルミー族の者たちがここにいることこそ不思議ではあるものの、久しぶりに会ったなという以上の感情は持ちえなかった。
そのため、
「ユマ、どうしたか? 心配してきてくれたか」
そんな質問を繰り出してしまうのも当然といえる。
「ああ、うん。手紙を読んでから皆ヤズマのところに行くって聞かなくてさ。
私だってヤズマのこと、うんと心配したんだから」
「それはすまんなり」
言いながら、そんなに心配させるようなことを書いただろうかと困惑するヤズマだった。
瑣末なすれ違いはあったが、しかしヤズマが無事であるということは、確認された。誰の策略でも何でもない。確かに、クルミー族でも最強の狩人であるヤズマは無事であったのだ。
彼らの士気はそれを知るだけで、爆発的に向上する。だからユマは潤む目をこらえて拳を突き上げて叫んだ。
「みんな、ヤズマが戻った! 格好悪いところを見せるんじゃないぞ!」
「おおっ!」
腹の底から大気を震わせるような呼応があり、クルミー族の若者たちは気合がこもる。
そうだ、戦うのだ。少しばかり大きいくらいで威張っているような魔物が、どうした。ヤズマを助け出した俺たちの敵ではない!
彼らは高揚していた。さすがのクルミー族も疲労があったが、それをも跳ねのけて戦わんとしているのだ。
「ヤズマ、これを」
少し乱暴に目をこすってから、ユマは背中の弓を見せる。それは、今までヤズマが使っていたものよりもずっと複雑に材料を組み合わされた長大な弓だ。
おそらく膨大な手間暇がかかっていることは間違いない、最高級の長弓だ。これはヤズマのように飛び跳ねまわって戦うようなスタイルでは取り回しが難しいため、本来なら使い物にならない。
だがヤズマが今使っている弓では、デモニック・オーガの皮膚を貫通することができないのである。それをユマはこれまでの戦いで学んだ。だから、とってのおきの弓を今ここで渡す。
専属のユマが今持っている技術をすべて注ぎ込んだ最高の長弓を、クルミー族最高の狩人であるヤズマの手に。
「おう、もらっていく」
ヤズマは専属の手から渡されたそれを、気負いなく受け取った。弓の専属であるユマのつくった長弓が、駄作であるはずもない。今この場で受け渡されたということは、傑作であり逸品であるということだ。
武器の重みを感じながら、ヤズマは軽く構えて見せた。
その間にも敵の攻撃を積極的に受け止め、スキを誘うのはカタロニアに来るまで彼らをまとめていた年長の男、ダズマ。彼は体も大きく、たくましい筋肉をつけているのでその役目にはうってつけだった。
ダズマが大きなオーガの攻撃を引き付けている間に、小柄なロズが地を蹴って空を舞う。真上から繰り出される攻撃を防ぐ手立ては少なく、オーガたちの顔面に傷がつく。さしものの彼らも、眼球や唇はさほど頑丈ではない。
ロズの攻撃によって痛みを与えられ、わずかなスキをさらした敵には、ユマの合図で矢が降り注ぐ。狩猟が本職であるクルミー族は、弓の使いに長けた者が多い。良質な弓をつくる技術もあり、その威力や精度は確かなものがあった。傷の痛みにうめき声をあげるオーガの口内に矢を打ち込むくらいは造作もない。
それでも決定打にはならず、またダズマ一人で4体も残っている敵の攻撃をすべてさばけもしない。
「むうっ」
地を蹴り、敵を蹴り、飛び続けてきたロズの足首は限界が近かった。
「くう」
敵の攻撃を受け止め続けてきたダズマの腕はひきつりかかっている。
しかしそれでも決してあきらめない。
彼らの期待を背負う一族最高の狩人が、最高の弓を引いて敵に狙いをつける。常人ならば全身を使っても引けないような張力の高い弓をあっさりと引いて!
「ユマ、見てろ」
口元だけで笑って、彼女は矢を放った。
矢羽が大気を切り裂き、戦いの熱を切り裂き、ほとんど一直線に飛んだ。まさしく一瞬だった。
外れることもなくデモニック・オーガの眉間を穿ち、矢の半ばまで刺さる。
あまりの矢の速度に、ユマはオーガの額から矢羽が突然生えたようにしか視認できない。驚嘆すべき威力であった。
オーガは強烈な威力によろめきかかったものの、それでも生命力を振り絞り、額に刺さった矢を抜こうと手を添える。さすがに魔物というだけはあって、矢の一本ごときでは倒れないのか。
しかしそのような足掻きも、続いて飛来した矢によって絶たれる。ヤズマは二の矢、三の矢を油断なく放ち、敵の顔を針山のようにしてのけたのだ。
オーガの顔は崩れ、命は奪われた。その骸は大量の鮮血を吐きながら大地に倒れ込んでいく。
「い、いけるぞ! さすがヤズマ!」
咄嗟にユマが叫んだ。
そうでもしなければ、あまりの威力にクルミー族の若者たちですら絶句している始末だったのだ。
これにより、クルミー族らは呆然としていた意識を取り戻す。ヤズマは味方であり、まぎれもなく敵の力を一瞬にして削いだのだ。何を恐れる必要があろうか。
ここは引き続き、奮い立つべきところだ!
「おう、やったぞヤズマっ!」
「最高の狩人だ、お前は!」
賞賛の言葉をかけつつ、ダズマやロズが中心となって再び敵への攻勢をかける。
デモニック・オーガたちはついに残り3体となってしまい、実のところ色めいていた。特にたった一人の弓使いによってトドメをさされたのは大きかった。
せっかく敵を追い詰めていたというのに、たった一人援軍が来たと思ったら、ほんのわずかな間でこちらの1体がやられてしまったのだ。
これは、退却すべきではないか、と魔物たちも考えた。
しかしそれは許されない。退路は別の人間たちが断っていた。多くの人間たちが。
カタロニアの議会に属するはずの、兵士たちだ。軍隊だ。
冒険者たちのように攻撃力に秀でる者も、突出して才能があるという者もなかったが、団結したときの力は防御において発揮される。簡素とはいえ鎧をまとい、盾をつけ、オーガの一撃も耐えうるのだ。
彼らを抜いて、退却するのはかなり難しい。特に、強力な弓矢を放つあの女がいる以上は。
ならば、勝たねば。
前方にいる奇怪な恰好の人間たちを打ち倒して、それからゆっくりと兵士たちをたいらげればよい。そうするしかない。
だがそれもすぐに難しくなった。
あっという間に彼らの膝関節に矢羽が生えたからだ。もちろん、ヤズマが矢を放ったせいである。クルミー族は持ち込んだ矢の大半をヤズマに渡してしまった。
その矢はすぐさま弓にのせられて、暴力的な速度をもってオーガたちを穿つのだ。痛みをこらえて戦おうにも、脚を殺されては。
だが退くわけにもいかない。
「ダズマ、のけ!」
「おう!」
鋭くかけられた指示に、体躯の大きな男がさっと脇へと飛び跳ねる。瞬間、その陰からすさまじい速度で矢が飛んできて、オーガの片眼を奪った。
ほんのわずか、数分も経たない。
ヤズマの手に新しい弓がわたってから形勢は完全にひっくり返り、もう戻らなかった。デモニック・オーガは7体とも討伐されてしまい、蛮族たちは鬨の声をあげる。
さすがにそこで気力が尽きて、地面に座り込んでしまったものが大半だったものの、十分すぎる戦果だった。
デモニック・オーガは一体だけでも軍隊を半壊させるだけの脅威である。それを7体倒したのだ。百年語り継がれても不思議でないほどの英雄譚だ。
しかし、まだヤズマにはすべきことがある。
冒険者たちはまだ、戦っているからだ。