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戦闘が続いている。
クルミー族の若者たちと冒険者は、デモニック・オーガ4体を相手に苦戦している。また、その脇をつくようにあらわれたロウライクも冒険者たちを苦しめていた。
その様子は牢獄の入り口からでもはっきりとわかる。番兵たちはどこへ行ってしまったのか、いなかった。
クルミー族の若者たちは、ヤズマにとって見慣れた顔だった。それほど親しくしていたわけではないが、集落にいる人間は全て顔なじみである。
それがカタロニアで戦闘をしていた。ヤズマの動きを止めるには、十分な事実である。さすがの彼女も、このような想定はできていなかったからだ。
「見ての通りだ、ヤズマ。お前の部族の者たちが迎えに来ている。
それを邪魔するように立ちふさがっている者たちもいて、この有様なんだ」
サフィーの言葉にヤズマは少しだけ納得した。
ああそれでサフィーが怪我をしているのか、とも。あらためて戦っている顔なじみたちを確認する。
「ロズ……、ユマ。それにダズマ、ナンチも」
遠くで戦っている一族の若者を確認する。彼女はまだ驚きから完全に脱していない。
確かに集落に向けて手紙は出したものの、まさかそれで一族が動くとは考えていなかったのだ。族長の娘であるとはいえ、それほどおおっぴらにはしていないし、集落の中でもどこか避けられていたようなフシがあり、親しい人間などごく限られているようなありさまだったのだ。
ただ心配になったからという理由だけで、こんなにたくさんの一族がカタロニアまでやってくるなんてことはありえなかった。
「わっ、あれは。ヤズマさまの同郷の方たちでしょうか」
「たぶん、そう」
アーシャの言葉にこたえながら、弓をとる。
疑問は尽きないが、とにかく彼らを助けなければならない。デモニック・オーガは十分な脅威だし、集落の仲間たちがやられてしまうようなことになるのは避けたかった。
と、少し離れたところに立っていた男がこちらに気づいた。
「おお、君は」
こちらに声をかけてきたのは、町議会の議長であるラトフだった。
もちろん彼は自分のところで雇っている使用人の娘であるアーシャを知っている。
「アーシャです、旦那様」
「うむ。ここは危険だ、私とともにいなさい。彼らが守ってくれる」
ラトフは護衛を二人も連れている。彼らは安全な位置を探してまわるうちに、牢獄の前までやってきてしまったらしい。ほぼ無傷であることから考えても、護衛二人は優秀であるといえそうだ。
その優秀な護衛に守られるならば、アーシャのことは安心できる。
しかしアーシャからすれば、折角ヤズマさまに会えたのに離れてしまうのは嫌だった。しぶるアーシャにヤズマもどうしていいのかわからない。
ここへサフィーが少し強引ながら割って入った。彼女はラトフと長い付き合いであり、信用できる相手だと知っているからだ。
「ヤズマ、アーシャのことは彼に任せろ。彼のことは知っているか?」
「いや、しらない」
そうか、ではこの人は愛するリットの父親であるラトフの顔も知らずにいるのか。慎重を期しているのだろうが、そうすると余計なときに顔を合わせてしまったか。
ヤズマがリットとの結婚のために身を削っている、と思っているサフィーはわずかに舌打ちをしかかってそれをこらえた。
今はこれについて言う時ではない、そう考えてヤズマを送り出そうとする。
「大丈夫だ、彼のことは信用できる。ヤズマはやるべきと思うことをぞんぶん、やってくれ」
「わかった。でもサフィーは」
「私のことなら」
言いかけて、彼女はこの場に接近する人影に気づく。
否応なくその場に緊張が走った。が、人影の正体に思い当たった途端、サフィーは安堵の息を吐く。
「誰だ」
「いや、心配ない。味方だ」
誰何しかかったラトフを止めさえする。彼女と付き合いの長い人物だったのだ。
やがて彼の顔が見えれば、議長もなんだ、と肩の力を抜いてしまう。ヤズマは彼のことを知らないが、サフィーらが安心しているので武器を下ろした。
この場にやってきたのは、ギルドマスターのバリュクだった。大剣で軽く肩を叩きながら、現役時代の雄姿そのままの格好でこの戦場に姿を見せている。
「サフィー、君はよくやってくれたな。
私に代わって冒険者たちを導き、突然の客にもよく対応し、物事の本質をみて動いてくれた。まことに、ギルド職員の鑑だ」
彼はいつもの通りに柔和な微笑みを浮かべて、傷だらけのサフィーに話しかける。そうしながら紳士的に彼女の身体に触れて、歩きやすいようにと気をつかっているのだった。
そうした動きが熟練されており、さまになっていた。
ここに来るまでに疲労し、以前からの傷もあって消耗していたサフィーはバリュクに支えられて気が緩み、足元がおぼつかなくなるほどだ。それを力強く支え、バリュクはにっこり笑って見せる。
そのままギルドマスターは軽くサフィーの首に手を添えて、前をにらんだ。
「どうした?」
彼が問いかけるその先には、弓を引いたヤズマがいる。一度下した弓を構え直して、さらにはしっかりと矢をつがえていた。
「お前、サフィーから手を放す。どけ!」
その弓はしっかりとバリュクの脳天を向いている。
(こいつ、仲よさそうに見えて殺気を放った。サフィーを殺すつもりにちがいなし)
このヤズマの予見は当たっていた。
恐るべきことに、ギルドマスターのバリュクはこれがなければサフィーの首を折って、彼女を殺すつもりだったのである。
(カンのいい女だ)
弓を向けられて、舌打ちをしかかった。バリュクとしては、人心を集めているサフィーをここで殺しておきたかったのだ。
彼はサフィーとレイを亡き者とすれば、この反乱軍をほぼ壊滅させられるものと予想している。
冒険者たちの実力などは知れているし、頭となりうるあの二人がいなくなれば自然と瓦解するだろう。あとは所詮、蛮族と蔑まれる一族が息巻いているに過ぎない。少しばかり印象操作をしてやれば、町の敵として排斥することも可能だろう。
そのように考えるバリュクは、単独行動をしているサフィーを殺すのは今が絶好の機会だというのに。
これに驚いたのはアーシャとラトフ。いったい何があったのか、目の前の光景を信じることすらできない。
ハッと気づいたサフィーが力いっぱいバリュクを跳ね飛ばす。彼女は武器を探して周囲を見回し、「失礼!」と叫んでラトフの護衛から短剣を奪った。
怪我をしている左腕ではとても握れないが、右腕はまだ利いている。自分一人の身くらいは守らなければ、と考えた。もちろん剣を向ける先は、ギルドマスターのバリュクだ。
サフィーがヤズマに寄せる信頼はわずかな期間でもう、ギルドマスターに寄せるそれを上回っていたのだ。
つまりサフィーは、ギルドマスターのバリュクを敵として認識しているということになる。しかしその短剣が動くよりも早く、ヤズマが矢を放っていた。
「む!」
すでにバリュクがサフィーにとびかかろうとしていたところだ。矢はその肩をかすめたが、手傷というほどのものを負わせるに至らない。
彼は気にすることもなく手を伸ばして、かわいそうなギルド職員の右腕をつかみあげる。
「何をしている!」
ラトフ・ガディがその異常な行動を咎め、護衛の者たちも動こうとした。が、バリュクの行動はそれよりも早い。
サフィーの腕を乱暴につかんだまま、それをねじりあげる。ギルド職員の顔が苦悶にゆがみ、固いものが軋む音がした。
「ちっ!」
舌打ちをしながらサフィーは短剣をもってそれに抵抗する。が、さすがにギルドマスターの技量は高く、片腕しか使えないサフィーからたちまち武器を奪う。
危機感を覚えたヤズマは次の矢をつがえているが、敵はそれを意にも介さず、奪った短剣を容赦なくサフィーに向けた。
「待て、ギルドマスター。どうしてこんなことを。サフィーが何か判断を誤っているのか?
だがそれにしても今はまず、魔物たちを追い払うことが先決ではないのか」
議長のラトフが暴挙ともいえる行いを続けるバリュクに問いかける。が、敵は答えることなく、手にした刃をギルド職員の身体に食い込ませようとした。
この一瞬でサフィーは死を覚悟しかかる。ギルドマスターの技量は高く、人体の急所も知り尽くしているはずだった。そこを突かれれば、死ぬ。
しかし、この短剣はサフィーの皮膚を裂くよりも早く火花を散らし、そして折れた。
「む……」
バリュクは腕のしびれに顔をしかめる。ヤズマが早くも二の矢を放ったせいで、短剣で受けざるをえなくなったのだ。
元々ラトフの護衛から奪った短剣だったが、決して粗雑なつくりではない。鍛冶屋の手で鍛えられた、実用的な逸品だったはずだ。それをたったの一撃で砕いてしまうとは。
恐るべき強弓。
ギルドマスターは短剣を捨てて、左足を力強く蹴りだす。真横から打たれたサフィーの膝が奇妙な方向へ折れた。
「うっ!」
さすがのサフィーも苦悶の声を上げる。
ヤズマは弾けるように飛び出し、バリュクに斬りかかった。が、距離があったためか、これは軽くかわされる。
さらに追撃を見舞うが、さすがにギルドマスターはそう簡単に攻撃を食らわなかった。ひょいひょいと後ろに下がって、そのまま逃げて行ってしまう。
ヤズマとしてもあのような男よりも怪我をしたサフィーのほうが気になるから、追わない。
バリュクは闇の中へ消えた。彼の逃亡先などは気にもしない。
「サフィー!」
膝を痛めつけられたサフィーは地面に倒れ込んでいる。
本人は気丈に「大丈夫」を繰り返しているが、あまりそうは見えない。かなりの痛みがあると思われた。助け起こそうとしたヤズマの手がぬるりと冷たいものに濡れる。
ギルド職員のサフィーはあちこち傷だらけだ。ヤズマのところにやってきたときからそうだったのに、足まで痛めつけられてしまった。
「わたし、あいつ許さない」
単純に、顔見知りであるサフィーを傷つけた男にヤズマは怒りを抱く。アーシャもそう思っている。
だがラトフ・ガディはいまだに信じられないでいる。ギルドマスターがギルド職員を殺害しかかったなどとは。
どうしてこんなことになったのか? 我々が何か誤ったことをしたのか?
そのように考えてしまうほど、ラトフはバリュクを信用していたのである。彼が裏切るはずがない、と思い込んでいた。
彼よりはまだ、幼いアーシャのほうが少しばかり落ち着いていると言えそうだった。
「旦那様。ここは一度、お屋敷に戻られた方が」
「あ、ああ。そうだな、彼女も治療を受けるべきだ」
進言を受けて、ようやくここで彼は撤退することを決めた。本来ならとうにそうしてるべきだったのだが、それすら思いつかないでいたのだ。
「ここは我々にお任せください」
護衛の男たちに言われて、ヤズマもサフィーを彼らに任せることに決めた。抱えていたサフィーの身体を、預ける。
「私たちは邪魔にならぬよう、戻っていよう。君もどうか無理はせぬようにな」
ラトフはヤズマの姿を見たことはなかったが、これがくだんの蛮族だろうと考えている。彼は蛮族が冒険者登録をしており、それなりの働きをしていることも当然知っていたので排斥にかかろうとはしなかった。
また、サフィーと強い信頼関係にあることも知れたので、自分も信じようと努めている。
この様子を見たサフィーは傷の痛みに呻きながらも安堵の息を吐く。
(よかった。ラトフはすでにヤズマに対して悪い印象をもってはいない。
レイのいうことが本当なら、ヤズマの目的達成はどうやら遠くはなさそうだ)
そうして彼らは退却していった。優秀な護衛もあり、またサフィーも指示くらいは出せるだろう。が、バリュクがまた襲撃をかける可能性は高かったが、今度は彼らも全くゆるむようなことはない。気を引き締めていれば、そうやすやすと遅れはとらないはずだ。
ラトフたちは十分な警戒をしながら、屋敷に戻っていった。
これを見送るヤズマの両腕はすっかり、サフィーの血に濡れている。
油断したつもりはなかったが、目の前でサフィーをいいようにされてしまった。なんと不甲斐ないことだろうか。
彼が何を企んでいるのかは知らないがもう、思い通りにはさせられない。カタロニアの町を理不尽な暴力から守るのだ。
だが今すべきことは、デモニック・オーガたちの攻撃をどうにか食い止めることだ。どういう理由によってかは不明だが、クルミー族の若者たちもやってきてくれている。協力すれば不可能ごとでもないだろう。
ヤズマは心中穏やかでない。
サフィーの膝は、重傷だ。あれを許してしまったのは、自分の力が及ばなかったせいである。楽観的な性格が取り柄で滅多なことでは思い悩みすらしないヤズマが、悔いている。
ゆえのその表情は硬く、何とかして振り払って気持ちを切り替えようと真一文字に口元を結んだ。
今戦っている冒険者たちからしてみれば。
そんな表情で、両手を血に染めたヤズマが、重い足を引きずるようにしてやってきたのだった。
「ばっ!」
冒険者たちは驚愕に目を見開かざるを得ない。
たったさっきまで我らの英雄ヤズマを助けんと士気高揚していた。それすらも、驚きで上書きするほどの衝撃だったのだ。
この反応はたちまち、伝播した。そして、必死にロウライクやデモニック・オーガとの戦闘を続けている冒険者たちはヤズマの姿を見てほぼ全員が同じような印象を受ける。
血の付いた手で武器をとり、迷いを振り払わんと気を引き締めるヤズマの顔を見た彼らは、
(なんという、怒り!)
彼女が激怒しているものと確信したのである。
間違いではなかった。完全な誤りであるとはいえない。だが、その理由を彼らはこう推察していた。
(牢獄の中ではもしや、早くも拷問が行われていたのでは?
そう考えれば彼女の怒りも、その腕に流れる血も、すべて説明がつくではないか!)
ヤズマの腕についている血は、サフィーが負った傷のものだ。
特に彼女が怪我をしているというわけではない。むしろ、ぐっすり眠ってアーシャのお世話を受け、元気いっぱいである。
しかしその現場を直接見てもいない冒険者たちが、察せるはずもなかった。
(許せん!)
こうして誤解に基づいて怒りが爆発する。
カタロニアの英雄であるヤズマに不当な扱いをした議会を決して許すまいと、冒険者たちは凄まじい気迫をみせた。
「おのれ! 卑劣な議会どもめ!」
「おい、早くヤズマさまを保護しろ! 手の空いているものはないのか!」
押されかかっていた冒険者たちの身体にみるみる力が漲り、彼らは怒号を飛ばす。
その中にはレイもおり、彼女はヤズマの姿を認めるとすぐにそちらへ向かった。
「ヤズマさま、お怪我は!」
姿の見えないサフィーのことも気になるが、まずは本人のことを訊かなければならなかった。
「おう、レイ。わたしなら心配いらない。元気いっぱい」
できるだけ明るくヤズマは答えたが、もちろんサフィーの怪我のことを振り払いきれてはいない。そのためか、すこしばかり翳があったことは否めない。
もちろんそうしたところに目ざとくレイは気づいた。
きっと傷が痛むだろうが、無理をして戦おうとしてくれているのだろう。英雄にふさわしい振る舞いをしようとして。
そのように考えた彼女は、休んでいてほしいという気持ちをぐっとこらえる。
「ああ、敵は手強く味方は苦戦しています。ヤズマさまが来たのであれば、皆も元気づきましょう」
「まかせろ」
「では、ヤズマさまはまず同郷の方をお救いください。こちらはまだまだいけます!」
レイの声に、冒険者たちは「おお!」と力強く応じた。
当然ではないか。我らの英雄ヤズマが傷つきながらも駆けつけてくれたのだ。しかも、そのまま後方に下がるようなこともなく戦地に歩いてきてくれたのである。
これはすでにそれだけで、死地に踏み入りかけていた彼らへの鋭く強大な激励であった。
(我らの英雄を傷つけやがって!)
と、怒りに奮い立つ者もあれば。
(ヤズマさまに格好悪いところを見せられるもんか!)
それとは違った感情で武器を握り直した者もある。
いずれにせよ大いに士気はあがり、冒険者たちは敵を圧倒しようとしていた。