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どうせ町議会は理屈を突き付けても動かないだろうから、強制的にことを運ぶしかない。御曹司もそのように確か言っていた。
サフィーはそうしたことを思い出しながら、熱狂の渦に飲まれる聴衆を見ていた。
町議会に完全に逆らい、依頼やクエストでもないことをしてくれる冒険者などいない。だから、ヤズマを助け出すには時間がかかる。そのように彼女は考えていたのだ。
ところがどうだ、今やレイの演説を聞いている冒険者たちは、使命感にかられているではないか。もはや自分が何一つなさなくとも、彼らは牢獄を襲撃して直ちに英雄を助け出すであろう。
そこまでレイが考えて行動したのか、疑問ではある。何より、彼女はそこまで積極的に自分から前に出て目立つ行いをするような冒険者ではなかったはずだ。
疑問はあるものの、これはサフィーにとって非常に都合のいい展開だった。
冒険者たちはいまや一丸となっており、ヤズマの救出に反対するものはない。通りかかっただけの住民らも全てこれに同意してくれているようだ。腕を振り上げ、雄たけびを上げている。
さらには軍隊も。おそらくこの騒ぎを聞きつけて解散させようとやってきたのだろうが、逆にこの熱狂に飲まれて感化されている始末だ。
軍隊といえども、その大半はカタロニアの住民である。中にはよその町から就職しに来たものもあるが、それは少数であるし、過去はどうあれ今現在、普段はカタロニアで暮らしていることに違いない。自分たちの町を救ったヤズマを見殺しにしていていい気分でないのは確かだったろう。そのあたりを突かれて、彼らも冒険者たちを取り押さえることができなくなってしまったのだ。
(御曹司とヤズマがそういう関係というのは初耳だが、ありえない話でもないか。
むしろ、町議会議長の息子と婚姻してくれるのなら、カタロニアのギルドとしては非常に好都合。全力で後押ししたほうがいいな)
この調子で他の軍隊も無力化できればいいのだが、と考えながらさらにサフィーは軍隊の奥にも誰かがいることに気づく。そして驚愕した。
まぎれもなく、そこにいたのは蛮族の一団だったからだ。
カタロニアに到着したクルミー族の若者たちは、何やら非常に感情的な演説が行われているのを聞き入っていた。
といっても若者たちは総勢12名、その中で下界言葉に堪能なのは弓作成の専属であるユマくらいだった。彼女は同性ということもあり、ヤズマと話す機会も割と多かった。
少しでもヤズマと仲良くなれば怒りを買うという理不尽な集落にあっても、女であるユマは多少見逃されているところがあった、といえる。とはいえ彼女もやはり日々高まる周囲の怒気を感じており、ヤズマとの付き合いはほどほどにせざるを得なかった。
そんな弓の専属ユマは、なんとかレイたちの演説を聞き取ろうと頑張っている。
「う……」
しかし、ヤズマほどに堪能ではないために苦労をしていた。ただでさえ熱狂している民衆が多く、雑音が多い。その上自分が聞き取れなければ一同が困るという重圧がかかる。こんな状況では、もう一度繰り返して言ってくれるように頼むなどということもできないのだ。
とはいえ演説をしているレイは聴衆が聞き取りやすいようにはっきりとした言葉遣いで丁寧に話している。声量は大きくよく通ったが、耳障りでないような声である。
「ユマ、あれは何を言っているのだ」
「ヤズマを救い出すのは当然だ、ということを言っているんだと思う」
質問に答える間にも、演説が続いてしまう。ユマは必死に聞き耳を立てているだけだ。
一族たちの間で始まる議論に参加する余地などなかった。
そうしてユマが忙しくしている間、彼らは激しく動揺している。
「彼らは、ヤズマを救い出すと言っている」のだ。今、ヤズマは助けを必要としているということがまさに明らかとなったのである。彼らが尊敬し、慕い、愛するヤズマが助けを必要としているだって?
もしかしたら、怪我をしているのか。それともまさか、他の部族に攻められて、捕らえられてしまったのか?
そうだとしたら、断じて許せない。
絶対に許せない。
完全に許せない。
一族の若者たちは、即座にその結論をだした。ヤズマが敗れるほどの敵ということは、今までにない強敵ということになるが、そのようなことは些事であった。
なんとしてもヤズマを無事な姿で取り返し、身の程知らずの蛮行をした輩に全員で鉄拳を見舞わずにいられようか!
そんな彼らに、さらにユマは演説の内容を語る。
「それから、どうもヤズマはここで伴侶をみつけたようだ。そのために何か無理をして、捕らえられているらしい」
細かいところまではわからないが、何とかそこまでは理解できた。
同性のユマとしては「ああ、いい人を見つけたのか」という以上の感情はなかったが、ここに来ている若者の半数以上は男性である。
今の言葉には、一瞬で彼らを沸騰させる効果があった。
言葉もなく、彼らはいきり立った。どう反応していいのかわからない様子である。
うろたえだした男たちを見て、女たちもうろたえた。考えてみれば、どうにか伴侶にせんと狙っていたヤズマを横からとられてしまったようなものである。行き場のない嫉妬と怒りが燃え上がる気持ちはわからないでもないが、そんなことで心を揺らがせている場合ではない。
ユマはなおも続いている演説の続きに集中したかったのだが、後ろで男たちが取り乱しているためそれができない。
いらだった彼女は振り返って、それをすべてぶちまけた。
「落ち着きなよ! 全部終わってからヤズマに聞けばいいじゃないか。
本当にヤズマがどこかに捕まっているのなら彼女を助け出さなきゃ、それを確かめることだってできやしない。
私たちはヤズマの力になりに来たんであって、彼女の想い人に敵意を向けるためじゃない。それに大体、自分の好きな人が相手を見つけたっていうんなら何にも言わずに祝福するのが大人ってもんじゃないの。
日ごろから思ってたけど、あんたたち器がちっさい」
これに対して、一団をとりまとめてきた年長の男が言い返した。
「そんなこといってもな! 俺たちだって苦労してここまできたっていうのに、きてみりゃ俺のヤズマが勝手に他人のモンになってたなんてよ。
こんな悲劇があってたまるかよ! 苦労に見返りが全くないなんてことがあっていいのか」
「なに? あんたはヤズマを助けに来たんじゃないの!
こんだけ苦労したんだから、俺に惚れろって。そんなことをヤズマに言いに来たわけ。あきれた!」
「言ってねえだろ、そんなことは!」
「言ったさ!」
ユマと年長の男は激しく言い争い、ぶつかりあう。
もちろんこのやりとりは一族の言葉で行われている。このため、サフィーには全く意味が分からなかった。
ギルド職員であり、ギルドマスターの職務を代行する立場にあるサフィーは、冷静に状況を見極めようと努力してみた。しかしそれは全くの無駄だった。
何しろ、クルミー族の言葉がわからない。
しかしヤズマは普通にこちらの言葉を話していたのだから通じないことはないだろうと思いなおす。
彼女はそっと蛮族の集団に近づいていった。そうして、最も理性的そうな女性に声をかけてみる。
「すまない、少し話をしてもいいだろうか」
ところがその女性は困ったように首を振ってしまった。それから、言い争いを続けている別の女性の肩をつかんで、こちらに引き寄せる。
「よろしく」
ユマがサフィーの前に引き出される。
今ここで、最も下界言葉がわかる人物だからである。ユマはこちらに接触してきたカタロニアの人間に多少臆したが、今は自分が一族の代表だということに気づいて背筋を伸ばした。
「わ、わたしはクルミー族のユマ。そちらは?」
「きみが、ユマか」
なぜか相手はユマの名をきいてひどく驚いている。だがそれも一瞬のことであり、すぐに冷静に話をしてくれた。
「私はこの町のギルド……冒険者たちを統括する組織を束ねる立場にある者だ。サフィーという。
ヤズマという女性の弓使いは君たちの仲間という認識で間違いないだろうか?」
「む、そうだ。間違いない」
「では、君たちはヤズマのことを助けに来た。あるいは迎えに来たということか」
「助けに来た。ヤズマが、私たちに助けを求めていたので」
サフィーの言葉は聞き取りやすかったので、いくらかわからない単語がある他は問題なかった。わからない単語も文脈から意味を推察することができる。ユマは一族の代表らしい態度をとり、話を続ける。
ただ一点、問題があるとするならユマがあまりにも言葉の壁を超えることに夢中になりすぎて、まったく駆け引きというものを考えられなくなっているという点だ。