32
まさかここでヤズマを見殺しにする、とは言えない。
サフィーは問うているような口調だが、おそらくこれは「当然あんたも協力するんだろうな?」という確認に過ぎない。引退してるとはいえ元冒険者であるサフィーの思考回路は多分かなり粗暴な物だろう、とリットは判断した。
よってここでは逆らわないのが正解である。
そもそも、考えてみれば蛮族というのはヤズマ一人だけではない。後々になって、他の蛮族がやって来るという可能性もある。そのときにヤズマがどういう最期を遂げたのかが知られてしまえば、おそらく近隣の町村全てが危ない。壊滅させられても不思議なことはない。
つまり、ヤズマは死んではならない。あるいは、カタロニアの住人はかなり遠くへ逃げる必要がある。
自分のことだけを考えるのであれば、ヤズマをこのまま見殺しにしたのち、遠くへ逃げればよい。海を渡れば、さすがのクルミー族も追ってはこれないだろう。
だがそれは、貴族として恥ずかしくない行いといえるだろうか。
どういう理屈があるにしろ、サフィーのいうようにヤズマの身元を保証したのは自分である。その自分がヤズマを見捨てて逃げ出すなんてことを、誰が許すか。少なくとも、この目の前の女は赦してくれそうにない。
「もちろん、彼女を救い出すことに協力は惜しみません。
ただ、町議会を説得するのは困難を極めるでしょう。彼らは根も葉もない噂話に踊らされていて、ヤズマさまが何をしてくれたのかという部分には目を向けないのですから。
こちらが何を言ったところで、それは蛮族の策略であると決めつけてしまうと思います」
リットは心の中とまるで反対のことを言わざるを得なかった。
今までヤズマが何をしようとも「策略だ」とか「より残虐な行為をするためだ」などと必死に決めつけてきたのは彼自身である。それなのに、それを町議会に当てはめて彼らを非難しているのである。
まったく調子のいい物言いといえるが、それを彼は自覚している。
同時に彼は揺らいでいた。口に出して、ヤズマを弁護してみればそれがもう、驚くほどにしっくりときてしまうのだ。根も葉もない噂話に踊らされていたのは彼自身。ヤズマの功績から偏見で目を背けてきたのも彼自身なのである。
「そうか。御曹司でもダメか。
なら、どうする。町議会の連中は粗暴だぞ。こうしている間にもユマ、いやヤズマは尋問されているかもしれん。
拷問までされているかもだ。どうせ殺すからと、その体まで弄ばれているかもしれないんだ」
サフィーは明らかにいらだった様子で、腕を組んだ。彼女の懸念はまるで的外れとも言えない。
実際に女性を死刑に処す前夜には、囚人に対して乱暴をする番兵が後を絶たない。それが当然の権利とされている。そしてまた、死刑囚が悪人であればあるほど、そうするように求められている。
ラトフ・ガディが会議の際に放った「蛮族を犯して殺す」という言葉には誇張などまるでなかった。ヤズマほどの悪名があるのなら、間違いなくそうされるだろう。死刑場にはまともな衣服も着れず、恥部をさらけ出していかねばならなくなる。むごい話だといえる。
ならば、とらえられたヤズマには早くも今からそうした苦難がふりかかっていないと誰が断言できるだろうか。
そうした言葉がサフィーから発されて、リットが唇を噛む。
彼の脳裏に、アーシャと戯れて笑うヤズマの顔が思い出されてきた。蛮族であるという以前に、ヤズマは明るく聡明な一人の女性なのだ。
必死になれないカタロニアの言葉をしゃべり、こちらの文化にあわせようとする健気な女性を汚しつくして処刑する。そうした後、逃げ出す。
それが罪ではないというのか。
リットは激しい自問自答を繰り返す。懊悩しているといってよかった。
「……ヤズマさまをお救いしなければなりません」
やがて絞り出すように、彼はこたえた。
「そうだ。それは当然のことだ」
サフィーがぐっと拳を握り固める。
「彼女が蛮族であるということは、否定のしようがない。蛮族だから処刑する、という短絡的な思考に陥った今の町議会には説得が通用しないでしょう。何か強権を用いて強引にことをすすむしかありません。
なにか、手はありませんか」
「ヤズマは君が身分保障をしたれっきとした冒険者だ。そう考えれば何も問題ない。
町議会は不当に冒険者の身柄を拘束した。それも、町に多大な貢献をしてきた偉大な冒険者をな!
だったら取り返すために多少手荒なことをしていい、いいのだが、それをする冒険者がいない。町議会や軍に逆らってまでもなんとかしようというクエストや依頼は出せないからな」
ギルドが提示する依頼やクエストは一定の要件を満たさなければ発注できないことになっている。現状の政治体制を破壊するようなものはダメ、というのがその要件の一つだ。
「ギルドからは正式な処分が出るまで、決して拷問などを行わぬように要請するしかない。
その監視役としての適任はおそらく御曹司、君しかあるまいよ」
「かしこまりました、その役目は喜んで仰せつかりましょう」
町議会としても扱いやすいと思っているリットを押し付け、ヤズマに乱暴などされないように見張ってもらう。そのくらいならおそらくあちらも承認するだろうとサフィーは読んでいる。
ひとまずこれで時間は稼げるはずだ。
軍隊たちはあの場を引き受けてしまった以上、小山のようなサタニック・サイクロプスの死体を片付けるのに手一杯である。しばらくこちらをけん制してくるようなことはない。
それに、そんなことをする必要もなかった。冒険者たちは勝手にカタロニアを放棄する姿勢になっているのだから。こちらもこちらで問題だが、そこまでは手が回らない。
ギルドも、町議会も、それぞれを相手にすることばかりを考えてしまっている。
森の奥の魔物たちの様子がおかしかった、という報告は忘れられつつあった。実際には、様子がおかしいなどと言っていられる状況ではない。
この日の夜にはなんと、カタロニアに危害を加えそうな大型の魔物たちは半数以下になってしまっているのだ。
その原因を知る者はここにはおらず、状況を把握している者もなかった。
ましてや、その原因が徐々にカタロニアに近づいていることなど誰が知り得ようか。